四月一四日、第一辺境総軍公式サイトが開設されてから一か月が過ぎた。アクセス数は同盟軍ナンバーワンだ。
第一辺境総軍公式サイトは、国防委員会公式サイトよりも充実している。週二回更新の「司令官日記」、すべての軍種・職種を網羅する「兵隊さんのお仕事」、各部隊の食事を紹介する「兵隊さんのごはん」、管内の街並みや食文化を紹介する「第一総軍管区を歩こう」、第一辺境総軍に配備されていない兵器も紹介する「同盟軍兵器図鑑」、連載漫画の「栄光の同盟軍史」「同盟軍英雄列伝」は人気が高い。
司令官日記のコメント欄に、「旅団と連隊の違いが分からない」「駆逐艦の役割を教えて」といった質問が散見された。軍隊に詳しくない読者が多いようだ。
「新コーナーを作ろう」
こうして、第一総軍公式サイトに、「同盟軍について学ぼう!」というコーナーが設けられた。同盟軍に関する基礎知識をわかりやすく解説するのである。
部下に下書きを書かせてみたが物足りなかった。参謀長ワイドボーン大将の説明は、軍人にはわかりやすいが民間人にはわかりにくい。副司令官パエッタ大将の説明は細かすぎる。副参謀長チュン・ウー・チェン中将の説明は、面白いのだが脱線が多い。その他の部下の説明は「プロの文章」といった感じで、素人には難しいように思える。
結局、俺が自ら解説コーナーを執筆することになった。士官学校卒のエリートに素人向けの文章を書かせるのは、エアバイクを自転車と並走させるようなものだ。自転車の横には自転車を並べるのが正しい。
解説コーナーでは、階級、職種、部隊編制、待遇、兵器、歴史などについて紹介した。自己解釈は一切加えず、誰もが基本だと認めることだけを書く。文章を書きあげたら、国防委員会の広報部に送って許可をもらう。
基本的なことを一通り書き終えた後、同盟軍再編に関する項を設けた。「同盟軍再編について教えてほしい」という読者の要望に応えたのだ。
官舎に戻った後、俺は下書きを書き始めた。机の上には資料と甘味が山積みになっている。どちらも執筆作業には欠かせない。
「同盟軍再編を一言で言うと「地方分権」です。非常事態に素早く対応するため、軍事力の地方移転を進めています。
同盟軍の最上級部隊は「総軍」です。宇宙軍の宇宙艦隊・陸戦隊・教育総隊・支援総隊・予備役総隊、地上軍の地上総軍・陸上総隊・航空総隊・水上総隊・軌道総隊・予備役総隊、統合部隊の特殊作戦総軍・輸送総軍が総軍に該当します。ラグナロック戦役の際に編成された統合軍集団は、実質的には総軍です。
同盟国内に七個の地域別総軍が設置されました。担当地域における全部隊の指揮権を有し、半径数百光年に及ぶ宙域を守ります。他の総軍と同様に、最高評議会議長及び国防委員長の指揮を受けます。国土防衛の要となる部隊です。
中央総軍-中央宙域担当
イゼルローン総軍-イゼルローン回廊担当
第一辺境総軍-シャンプール方面(イゼルローン方面航路)担当
第二辺境総軍-ウルヴァシー方面(フェザーン方面航路)担当
第三辺境総軍-ネプティス方面担当
第四辺境総軍-カッファー方面担当
第五辺境総軍-パルメレンド方面担当
中央総軍は、バーラト星系第三惑星テルヌーゼンに司令部を置き、中央宙域の防衛を担当しています。最も人口が多い地域を担当しているため、地上軍と陸戦隊が多く配備されています。
イゼルローン総軍は、ティアマト星系第四惑星ラハムに総司令部、イゼルローン要塞に前方展開司令部を置き、イゼルローン回廊の防衛を担当しています。対帝国戦を専門としており、治安維持部隊を持たない唯一の総軍です。
第一辺境総軍は、エルゴン星系第二惑星シャンプールに司令部を置き、中央宙域とイゼルローン回廊を結ぶ宙域の防衛を担当しています。治安維持部隊と対帝国部隊を兼ねており、最大の戦力を擁する総軍です。
第二辺境総軍は、ガンタルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーに司令部を置き、中央宙域とフェザーン回廊を結ぶ宙域の防衛を担当しています。宇宙海賊以外の脅威がないため、最も戦力が少ない総軍です。
第三辺境総軍は、エネアド星系第三惑星ネプティスに司令部を置き、ネプティスを中心とする宙域の防衛を担当しています。テロや海賊が多発する宙域を担当しているので、宇宙軍と地上軍がバランス良く配備されています。
第四辺境総軍は、タウリカ星系第四惑星カッファーに司令部を置き、カッファーを中心とする宙域の防衛を担当しています。人口密度が低く航路が長大な宙域を担当しており、宇宙軍を中心とする総軍です。
第五辺境総軍は、ノルトホラント星系第三惑星パルメレンドに司令部を置き、パルメレンドを中心とする宙域の防衛を担当しています。不安定な惑星が多いため、地上軍が多めに配備されています。
総軍の次に大きな部隊は「軍集団」です。軍集団級宇宙部隊を「艦隊」、軍集団級地上部隊を「地上軍」、軍集団級統合部隊を「方面軍」と呼びます。
第一艦隊から第一三艦隊までの一二個艦隊は、旧正規艦隊の伝統を受け継ぐ部隊です。第一二艦隊は欠番となっています。旧正規艦隊と同じ四個分艦隊編成ですが、一個分艦隊は二〇〇〇隻前後なので、直轄部隊と合わせた定数は一万隻前後になります。
第一艦隊-バーラト星系
第二艦隊-エルゴン星系
第三艦隊-バーラト星系
第四艦隊-ティアマト星系
第五艦隊-バーラト星系
第六艦隊-ティアマト星系
第七艦隊-バーラト星系
第八艦隊-バーラト星系
第九艦隊-バーラト星系
第一〇艦隊-バーラト星系
第一一艦隊-エルゴン星系
第一三艦隊-ティアマト星系
正規艦隊は首星ハイネセンに司令部を置き、戦略予備部隊としての役割を担います。宇宙艦隊に所属しており、必要に応じて各総軍へと派遣されます。
第二艦隊と第一一艦隊が、第二辺境総軍に派遣されています。主力部隊がエルゴン星系に前方展開し、留守部隊がハイネセンの艦隊司令部に残っています。
第四艦隊・第六艦隊・第一三艦隊が、イゼルローン総軍に派遣されています。主力部隊がティアマト星系に前方展開し、留守部隊がハイネセンの艦隊司令部を守っています。
第二一艦隊から第二六艦隊までの六個艦隊は、新しく編成された即応艦隊です。三個分艦隊編成で、直轄部隊と合わせた定数は九〇〇〇隻前後です。巡航艦・駆逐艦・軽母艦が中心となっているため、一個分艦隊あたりの定数が多くなっています。
第二一艦隊-中央総軍
第二二艦隊-第一辺境総軍
第二三艦隊-第二辺境総軍
第二四艦隊-第三辺境総軍
第二五艦隊-第四辺境総軍
第二六艦隊-第五辺境総軍
即応艦隊は地方に常駐し、各総軍の即応戦力としての役割を担います。中央総軍に第二一艦隊、第一辺境総軍に第二二艦隊、第二辺境総軍に第二三艦隊、第三辺境総軍に第二四艦隊、第四辺境総軍に第二五艦隊、第五辺境総軍に第二六艦隊が配備されています。
イゼルローン総軍には、即応艦隊の代わりに要塞艦隊が配備されています。三個分艦隊編成で、直轄部隊と合わせた定数は八〇〇〇隻前後です。戦艦と宇宙母艦を多数保有しており、火力と装甲は正規艦隊に匹敵します。
要塞艦隊はイゼルローン要塞に常駐し、要塞軍集団とともに要塞の守りを担います。帝国軍との最前線に立つ部隊です。
第一地上軍から第八地上軍までの八個地上軍は、常備地上軍・機動地上軍の伝統を受け継ぐ部隊です。二個陸上軍・二個航空軍・一個水上艦隊・一個軌道軍という編成は、旧常備地上軍と変わりません。しかし、一個軍あたりの定数は以前より少なくなりました。
第一地上軍-バーラト星系
第二地上軍-バーラト星系
第三地上軍-バーラト星系
第四地上軍-バーラト星系
第五地上軍-バーラト星系
第六地上軍-エルゴン星系
第七地上軍-バーラト星系
第八地上軍-ティアマト星系
常備地上軍は首星ハイネセンに司令部を置き、戦略予備部隊としての役割を担います。地上総軍に所属しており、必要に応じて各総軍へと派遣されます。第八地上軍がイゼルローン総軍、第六地上軍が第一辺境総軍に派遣されました。
第二一地上軍から第二六地上軍までの六個地上軍は、新しく編成された即応地上軍です。新常備地上軍と同じ編制ですが、軽装備の部隊が多くなっています。
第二一地上軍-中央総軍
第二二地上軍-第一辺境総軍
第二三地上軍-第二辺境総軍
第二四地上軍-第三辺境総軍
第二五地上軍-第四辺境総軍
第二六地上軍-第五辺境総軍
即応地上軍は地方に常駐し、各総軍の即応戦力としての役割を担います。中央総軍に第二一地上軍、第一辺境総軍に第二二地上軍、第二辺境総軍に第二三地上軍、第三辺境総軍に第二四地上軍、第四辺境総軍に第二五地上軍、第五辺境総軍に第二六地上軍が配備されています。
軍集団の次に大きな部隊は「軍」です。軍レベルの宇宙戦部隊を「分艦隊」、軍レベルの陸戦部隊を「陸戦隊」、軍レベルの陸上部隊を「陸上軍」、軍レベルの航空部隊を「航空軍」、軍レベルの水上部隊を「水上艦隊」、軍レベルの軌道部隊を「軌道軍」と呼びます。艦隊に所属していない独立分艦隊や独立陸戦軍、地上軍に所属していない独立軍もあります。
総軍と軍集団の編制は大幅に変更されましたが、軍以下はレべロ政権以来の軽量編制を引き継ぎました。ラグナロック以降、軽量編制が銀河のトレンドとなっています。
広域戦は数十光年から数千光年を戦域とする戦いです。一個艦隊一万三〇〇〇隻という重量編制は、イゼルローン回廊周辺の局地戦には向いていますが、広域戦には向いていません。広い地域をカバーするためには、小さな部隊をたくさん作った方が良いのです。
地方部隊の参事官が文官ポストに切り替えられました。参事官は副司令官補ともいわれ、惑星警備隊より大きな部隊に設置されるポストです。広域戦には民間との協力が欠かせません。文官をナンバースリーにすることで、民間と一体になった国土防衛体制を作ります。
警察官は予備役軍人を兼ねることとなりました。警察での階級に比例した階級が与えられます。国内での軍事行動にあたっては、警察との協力が欠かせません。軍と警察が共同作戦を行う機会も増えるでしょう。こうしたことから、警察官を予備役軍人に任用し、指揮系統をわかりやすくしました。
国防委員会査閲部を国防監察本部、国防委員会情報部を国防情報本部に改組し、同盟軍は三本部体制から五本部体制になりました。監察本部は問題点の改善と不正防止のための組織です。情報本部は同盟軍の情報活動を統括します。これによって、国防指導機構が強化されました。
新生同盟軍は『ドリームチーム』と呼ばれています。伝統ある正規艦隊と常備地上軍が復活しました。それを指揮するのは、ラグナロックや市民軍で活躍した人たちです。市民が夢見た同盟軍といえるでしょう」
俺は文章を保存すると、校正ソフトを起動させた。対象読者は中学二年に設定する。進路を意識する年頃に合わせることで、入隊志望者を増やすのだ。
下書きが完成した後は、完全なプライベートタイムになる。風呂に入って汗を流す。体が温まったら念入りにストレッチを行う。最後に身長を測り、一ミリも伸びていないことを知って少し落ち込む。
「久しぶりにネットを見よう」
俺はネットサーフィンを始めた。暇な時にネットを見ると、時間を無駄にしてしまう。寝る前に少し見るぐらいでちょうどいい。
最初に見るのは国防委員会の公式サイトである。トリューニヒト政権になってからは、手の込んだ作りになった。
連載されている漫画は、商業誌の漫画にひけを取らないクオリティを誇る。『ヤン提督の最終指令-イゼルローンを奪回せよ!』に登場するヤン元帥は、クールな美青年という一般的なヤン・ウェンリー像に忠実だ。『ウィー・アー・ユナイテッド!』という市民軍漫画は、俺の身長が妹よりやや低い程度になっており、読んでいて気持ちがいい。
国防委員会の主要指揮官一覧には、地域別総軍司令官の名前が記されていた。名前の横に異名がついているのは、トリューニヒト政権の方針によるものだ。
中央総軍司令官 「ボーナムの獅子」ロマン・ギーチン地上軍上級大将(陸上)
イゼルローン総軍司令官 「不敗の魔術師」ヤン・ウェンリー宇宙軍元帥
第一辺境総軍司令官 「勇者の中の勇者」エリヤ・フィリップス宇宙軍上級大将
第二辺境総軍司令官 「歩く時刻表」スティーブン・サックス宇宙軍上級大将
第三辺境総軍司令官 「冷えた鋼鉄」ライオネル・モートン宇宙軍上級大将
第四辺境総軍司令官 「ダイナマイト」モシェ・フルダイ宇宙軍上級大将
第五辺境総軍司令官 「銀髪の魔女」ジュディス・カニング地上軍上級大将(航空)
地域別総軍に選ばれた七名は、最も名声のある軍人七名でもある。名前だけで市民を安心させることができるだろう。
イゼルローン総軍のヤン元帥は、戦うたびに奇跡を起こす男だ。リン・パオやアッシュビーといった歴代の名将も、彼の才能には及ばない。知られているだけで二〇個以上の異名を持つ。味方からは「不敗の魔術師」「奇跡のヤン」「共和国の剣」と称えられ、敵からは「ロキの化身」「大神をも欺く男」「キリングマシーン」と畏怖される。
第三辺境総軍のモートン上級大将は、兵卒から提督まで出世した叩き上げの星である。前の世界でも名将として高く評価されていた。
他の総軍司令官五名は、戦記には登場しない人物であった。市民軍の英雄ギーチン上級大将は、半年間で四階級昇進を遂げた。サックス上級大将は二一〇〇万人送還作戦を成功に導いた。フルダイ上級大将の勇名は、モートン上級大将に匹敵する。カニング上級大将は、ラグナロック戦役のアルフヘイム戦線で勇名を馳せた。俺については説明する必要もない。
宇宙艦隊公式サイトへのリンクをクリックし、宇宙艦隊の主要指揮官一覧へと飛んだ。艦隊司令官の名前が並んでいる。いずれも宇宙艦隊最高の勇将と言われる提督だ。
第一艦隊司令官 「平等の騎士」クルト・フォン・エルクスレーベン大将
第二艦隊司令官 「勇者の中の勇者」エリヤ・フィリップス上級大将
第三艦隊司令官 「絶対障壁」ヴィンセント・クリンガー大将
第四艦隊司令官 「レクイエム」スカーレット・ジャスパー大将
第五艦隊司令官 「超光速の貴公子」ベニート・リサルディ大将
第六艦隊司令官 「教頭先生」エリック・ムライ大将
第七艦隊司令官 「ヴァルハラの戦乙女」ユスラ・メルワーリー大将
第八艦隊司令官 「マッド・タイガー」グエン・バン・ヒュー大将
第九艦隊司令官 「頑固親父」ラルフ・カールセン大将
第一〇艦隊司令官 「暴れ馬」ファビオ・マスカーニ大将
第一一艦隊司令官 「グリフォン」ウィレム・ホーランド大将
第一三艦隊司令官 「不敗の魔術師」ヤン・ウェンリー元帥
俺は第一辺境総軍司令官と第二艦隊司令官、ヤン元帥はイゼルローン総軍司令官と第一三艦隊司令官を兼任することとなった。総軍司令官や艦隊司令官は、他の役職と兼任できるほど軽いものではない。「英雄に艦隊を指揮してほしい」という声に応えた結果、非合理的な人事が実現した。
艦隊司令官一二名のうち、ヤン元帥、第六艦隊のムライ大将、第八艦隊のグエン大将、第九艦隊のカールセン大将、第一一艦隊のホーランド大将ら五名は、戦記にも登場する。
カールセン大将の抜擢は、すべての人に歓迎される人事だった。主戦派は彼のような闘将が大好きである。反戦派は彼の反骨精神を好ましく思った。サプライズ好みの一般大衆は、下士官あがりの彼が栄達したことを喜んだ。
ホーランド大将の復帰に対しては、賛否両論の声があがった。主戦派はかつてのような活躍を期待した。反戦派は戦争を推進した男が戻ってきたことに怒った。情緒的なものを好む一般大衆は、落ちぶれた英雄が戻ってきたことに心を揺さぶられた。
俺、第一艦隊のエルクスレーベン大将、第三艦隊のクリンガー大将、第四艦隊のジャスパー大将、第五艦隊のリサルディ大将、第七艦隊のメルワーリー大将、第一〇艦隊のマスカーニ大将ら七名は、前の世界の有名人ではない。
ジャスパー大将はヤンファミリーきっての勇将として知られる。彼女の祖父の「マーチ」ジャスパー提督は、天才アッシュビーの下で第四艦隊司令官を務めた。「第四艦隊司令官ジャスパー」という響きを聞くだけで、市民は興奮した。
エルクスレーベン大将は故ルートヴィヒ皇太子配下の勇将、メルワーリー大将は二六歳の若き新星である。この二名の抜擢も大きな話題を呼んだ。
司令官の名前を眺めた後、地上総軍公式サイトを開いた。主要指揮官一覧には、常備地上軍司令官の名前が記されている。彼らは地上総軍で最も勇敢な将軍だった。
第一地上軍司令官 「沈黙のフランシスカ」フランシスカ・サンパイオ大将(陸上軍)
第二地上軍司令官 「地上軍の至宝」カイ・ヴァタレン大将(航空軍)
第三地上軍司令官 「奇跡の翼」ジャスミーヌ・マレルブ大将(航空軍)
第四地上軍司令官 「ゲルツェンの虎」アルベルト・フォン・ラウディッツ大将(陸上軍)
第五地上軍司令官 「ニンジャマスター」フー・ジェンロン大将(陸上軍)
第六地上軍司令官 「ヴィクトル雷帝」ヴィクトル・フリスチェンコ大将(水上軍)
第七地上軍司令官 「薔薇王」アシュリー・ハルハラ大将(陸上軍)
第八地上軍司令官 「タンクキラー」ランドン・フォーブズ大将(陸上軍)
地上軍司令官八名の中に、前の世界で有名だった人はいなかった。戦記は宇宙軍中心の物語である。ラインハルトとヤンの戦いは艦隊戦が中心で、数少ない要塞戦では陸戦隊が主役を務めた。地上軍が目立つ機会がなかったのだ。
第四地上軍のラウディッツ大将は、帝国反体制派ゲリラの指導者を務めた人物である。アルフヘイムで活動し、ゼッフル粒子を使った爆破攻撃でリッテンハイム軍を苦しめた。かつてはリッテンハイム公爵配下の私兵軍将校だったという。
各総軍のページには、即応艦隊司令官と即応地上軍司令官の名前が記されている。半数はラグナロックの英雄、半数は市民軍の英雄だ。
第二一艦隊司令官 アンドラーシュ・ラースロー大将
第二二艦隊司令官 「ターミネーター」レオポルド・シューマッハ大将(陸戦隊)
第二三艦隊司令官 「戦場の哲学者」フリスト・サルパコフ大将
第二四艦隊司令官 カルン・アムリトラジ大将(陸戦隊)
第二五艦隊司令官 「主演女優」キャロライナ・プリチェット大将
第二六艦隊司令官 「光の大天使」マイア・レボアーゼ大将(陸戦隊)
第二一地上軍司令官 「赤い悪魔」ニティン・アドウェイル地上軍大将(航空軍)
第二二地上軍司令官 エンマ・ベロッキオ地上軍大将(軌道軍)
第二三地上軍司令官 「狩人」ヘレーネ・シュレッター地上軍大将(陸上軍)
第二四地上軍司令官 リュシアン・ロス地上軍大将(航空軍)
第二五地上軍司令官 ヴァレリアン・マラフスキ地上軍大将(水上軍)
第二六地上軍司令官 「ベールナウの救世主」モーリス・ラブレー地上軍大将(水上軍)
この一二名の中には、前の世界の有名人は二人しかいない。一人は戦記の主要人物、もう一人は戦記に登場しない大物であった。
第二二艦隊のシューマッハ大将は、最も人気のある亡命者軍人の一人だった。エル・ファシル七月危機、ラグナロック戦役では、一〇月クーデターでの活躍を知らない者はいないだろう。前の世界で皇帝を誘拐した人物が、この世界では同盟軍の英雄なのだ。
イゼルローン総軍のページには、要塞艦隊司令官と要塞軍集団司令官の名前がある。二人とも馴染みのある名前だった。
要塞艦隊司令官 「不屈のダスティ」ダスティ・アッテンボロー大将
要塞軍集団司令官 「薔薇の騎士」ワルター・フォン・シェーンコップ大将(陸戦隊)
要塞艦隊のアッテンボロー大将は、同盟市民好みのヒーローである。敵が強ければ強いほど闘志を燃やす。誰に対してもずけずけと物を言う。同盟市民はこういう人物がたまらなく好きだ。古巣の第一二艦隊は消滅したが、「アッテンボロー提督に艦隊を指揮させてほしい」と望む声が強かったため、要塞艦隊を率いることとなった。
要塞軍集団のシェーンコップ大将は、ヤン・ファミリーの第二人者と目される。前の世界でも大物だったが、この世界ではそれ以上だ。ラグナロック戦役という新しい形態の戦争は、陸戦隊の活躍の場を大きく広げた。今ではヤン・ファミリーの武勲の半分を独占すると言われる。紳士的な風貌とユーモアに富んだ話術のおかげで、一般市民からも好かれていた。
「凄いメンバーだよなあ」
俺はため息をついた。今の同盟軍実戦部隊は、同盟軍オールスターチームと言っても過言ではない。前の世界に例えると、キルヒアイス・ミッターマイヤー・ロイエンタール・ミュラー・ビッテンフェルト……といった勇将だけを集めた軍隊なのだ。
国防委員会は実戦第一主義だと言うが、実際は人気第一主義だった。高級司令官人事は良く言えば「実戦派重視」、悪く言えば「人気取り人事」であった。勇名と人気はほぼ比例する。勇名が高ければ、傲慢でも「覇気がある」と褒められるし、無愛想でも「不器用な人だな」と好意的に見てもらえる。勇将を集めることは、人気者を集めることに等しい。
正規艦隊の司令官人事には、旧正規艦隊隊員の意向も大きく影響した。伝統ある艦隊が復活したとのアピール、旧正規艦隊隊員の懐柔といった政治的事情によるものだ。その結果、市民に人気があり、その艦隊とゆかりのある人物が司令官に起用されたのだ。
常備地上軍の事情は正規艦隊と似ていた。市民からの人気、旧常備地上軍との繋がりを兼ね備えた人物が司令官となった。
「凄いメンバーなんだけど……」
俺はもう一度サイトを開き、総軍・正規艦隊・常備地上軍の司令官一覧を眺めた。実戦に強い人が揃っている。だが、その半数以上は実戦に強いだけの人だった。マネジメント能力の欠如ゆえに昇進できなかった人、大軍を統率する器量がない人が司令官になってしまった。
即応艦隊と即応地上軍の司令官はさらに微妙だった。指揮能力に疑問符が付く人もいるのだ。市民軍の英雄には、個人的な勇敢さによって名をあげた人も含まれる。アンドラーシュ大将は凡庸な指揮官であったが、名将の子孫というだけで抜擢を受けた。
最も簡単な人気取りはサプライズ人事である。トリューニヒト議長は市民から期待された人物を登用し、若手・叩き上げ・帝国人を大胆に抜擢した。こうした人事は市民を大いに喜ばせた。
「実戦部隊はお飾りってことか」
俺はトリューニヒト議長の意図を察した。帝国と戦う気はないということだ。国防委員会及び五つの本部にトリューニヒト派が集まり、実戦部隊にトリューニヒト嫌いの実戦派が集まっている。軍備の充実こそが本当にやりたいことなのだろう。
一瞬、違和感を覚えた。トリューニヒト議長のやり方はフェアではない。肯定してもいいのだろうか?
「あれほど軍人を尊重しない政治家もおらんだろうが」
焼肉屋で食事を共にした日、クリスチアン大佐は苦々しげに吐き捨てた。彼はクーデターに加担した容疑で裁判を受けている。
「兵のためになる軍拡をやってほしいのです」
市民軍に加わった時、アラルコン提督はこのように語った。彼はクーデター鎮圧に貢献したが、トリューニヒト議長によって粛清された。
「こんな政治家に国防を任せられるかね?」
クーデターに加担した故パリー将軍は、トリューニヒト議長のやり方を批判した。彼はクーデターが鎮圧された直後に自決した。
様々な言葉が脳内を駆け巡る。トリューニヒト議長は本当に正しいのだろうか? 彼に任せておくのはまずいのではないか?
「これでいいんだ。あの人は兵士のために頑張っているんだから」
俺は違和感を振り払った。兵の面倒を見るには金が必要だ。トリューニヒト議長が引っ張った金は、兵のために使われる。何の問題もない。問題はないはずなのだ。
門閥派が粛清された後、帝国で主導権争いが始まった。エリート層は中道派官僚を中心とするリヒテンラーデ派、開明派軍人を中心とするラインハルト派、開明派知識人を中心とするブラッケ派の三派に分かれた。
前の世界との最大の違いは、ラインハルト派とブラッケ派が別行動をとっていることだ。どちらも開明派であるが、ラインハルト派は富国強兵・強硬外交、ブラッケ派は民力休養・協調外交という違いがある。前の世界のローエングラム朝を支えた文官は二つに分かれた。野心的なシルヴァーベルヒらはラインハルト派、良識的なリヒターらはブラッケ派に加わった。
戦記では少ししか触れられていないが、ローエングラム朝における富国強兵派と民力休養派の対立は、きわめて深刻であった。ゴールデンバウム朝を打倒した後に噴出した対立が、この世界では早い段階で現れた。
門閥派から没収した財産の大半は、リヒテンラーデ派が手に入れた。皆殺しとなった家の家名と財産は、リヒテンラーデ派幹部の子弟に受け継がれた。存続を認められた家は、税金と罰金によって借金まみれになり、リヒテンラーデ派幹部に邸宅・有価証券・宝石・美術品などを売り渡した。
特権企業は門閥貴族の資金源であり、帝国経済の病巣でもある。貴族は自分が所有する企業の商品を領民に買わせた。また、国内やフェザーンから輸入した商品を領民に売りつけた。貴族が粗悪な製品に高い値をつけても、領民は拒否できない。こういうことを何百年もやっていたので、軍需産業と高級品産業以外の企業は競争力を失った。自分で製品を作ることをやめ、安価なフェザーン製品を領民に高く売りつけるだけになった企業も少なくない。
「特権企業は解体すべきだ」
ラインハルト派ととブラッケ派は企業改革を主張した。このような企業が残っている限り、経済発展は見込めない。特権企業のシェアを奪おうとする新興企業やフェザーン企業が、彼らのバックについている。
しかし、リヒテンラーデ公爵は強引に企業改革を潰した。粛清と相続により、リヒテンラーデ派は数万社にのぼる企業を手に入れた。また、借金漬けにした家が所有する企業の利益も、リヒテンラーデ派のものになる。金のなる木を手放すなどありえないことだ。特権企業と取引していたフェザーン企業も、リヒテンラーデ支持に回った。
貴族の私兵は正規軍に編入される予定だったが、リヒテンラーデ公爵は「私兵の任務は治安維持だ」といって内務省の管轄下に入れた。そして、すべての私兵を「帝国警備隊」という新組織に所属させた。リヒテンラーデ派は帝国軍の半数を手中に収めたのである。
クーデターの論功行賞により、大元帥府査閲監キルヒアイス上級大将と内務次官ラングが元帥号を得た。キルヒアイス元帥は、ブラウンシュヴァイク公爵位と産業担当副首相の地位も獲得した。ラング元帥は男爵に昇格して「ラング男爵」となり、帝国警備隊司令官に任命された。銀河帝国は階級社会なので、爵位を持たない者が頂点に立つことはできない。平民が元帥に任命される時は、爵位を同時に授与される決まりなのだ。
ブラウンシュヴァイク元帥府が発足した翌日、元帥府参謀長ベルゲングリューン大将、元帥府査閲監ビューロー大将、元帥府前衛司令官ジンツァー大将ら幕僚六名が、上級大将に昇進した。「皇帝陛下のご配慮」による昇進であった。また、ベルゲングリューン大将は男爵号を授与された。ビューロー大将は、本家にあたるビューロー伯爵家を相続することとなった。
ミューゼル男爵夫人アンネローゼはフレーゲル侯爵夫人の称号を賜り、ブラウンシュヴァイク公爵と結婚することとなった。彼女はラインハルトの姉であり、ブラウンシュヴァイク公爵とは幼馴染にあたる。また、長年にわたって彼女の家令を務めたコルヴィッツは、男爵号を得た。
エルウィン=ヨーゼフ帝は、ブラウンシュヴァイク公爵とフレーゲル侯爵夫人の結婚を祝福し、結婚祝い金一〇〇〇万帝国マルクと荘園三五か所を賜った。
ラインハルトとブラウンシュヴァイク公爵は、ほぼ同列となった。軍隊での階級はラインハルトの方が高い。貴族としての地位はブラウンシュヴァイク公爵の方が上だ。政府における地位は、ラインハルトが国防担当副首相、ブラウンシュヴァイク公爵が産業担当副首相であり、完全に対等といっていい。
ラインハルト派に対する褒賞は薄かった。ラインハルトは部下五七名の昇進を推薦したが、一三名しか許可されなかった。大元帥の推薦状を皇帝が却下することは珍しい。参謀長メックリンガー大将、査閲監オーベルシュタイン大将らも昇進しなかったため、大元帥府には上級大将が一人もいない状態だ。
門閥派のオーベルシュタイン子爵が処刑されたため、叔父にあたるオーベルシュタイン大将が継承権の最上位となったが、相続は認められなかった。ゲルラッハ伯爵の甥にあたる人物が子爵家の新当主となったのである。このようにラインハルト派は爵位においても冷遇された。
帝国専門家は、ブラウンシュヴァイク公爵がリヒテンラーデ派に寝返ったと見る。平民出身者が元帥号を与えられた場合、帝国騎士に叙任された後、元の姓のままで男爵に昇格するのが慣例である。ブラウンシュヴァイク公爵号の授与は異常としか言いようがない。
「完全にリヒテンラーデ派になり切ったのだろう。そうでなければ、これほどの厚遇は受けられない」
常識のある人はみんなそう考えた。新聞や週刊誌も、ブラウンシュヴァイク公爵をリヒテンラーデ派として扱っている。
「愛のために親友を裏切ったんです!」
イブリン・ドールトン少将の説によれば、ブラウンシュヴァイク公爵は、アンネローゼと結婚するためにラインハルトを裏切ったという。先帝の寵姫と結婚するには、最低でも伯爵でなければ釣り合わない。だから、リヒテンラーデ派に寝返ったのだそうだ。
「位打ちであろう」
マティアス・フォン・ファルストロング伯爵は、事も無げに言った。
「位打ち?」
「宮廷闘争ではポピュラーな戦術じゃよ。分不相応な位を与えて自滅を誘うのだ」
「効果はあるんですか?」
「強烈じゃぞ。器の小さい者なら驕り高ぶって自滅する。身を慎んでも、嫉妬されて足を引っ張られる。嫉妬をかわしても、プレッシャーがおそいかかる。地位を退いても、高位にいた経歴はついて回り、相応の振る舞いを要求される」
「恐ろしいですね……」
俺は寒気を感じた。宮廷人の考えることは恐ろしい。肩書きを与えるだけで、人間を破滅させることができるのだ。
リヒテンラーデ公爵の強みは、皇帝を握っていることにある。自ら皇帝に帝王学を伝授した。親族や腹心を皇帝の側に仕えさせた。そのため、素直な少年皇帝は、「爺や」に言われるがままに詔勅を出す。慣例や旧習に精通している彼は、無茶な詔勅に前例という根拠を与えることができる。
軍の人事権はラインハルトが有しているが、リヒテンラーデ公爵は詔勅を使って人事介入を行った。次男のカールスバート伯爵を軍務省査閲総局長として送り込み、軍の監察権を掌握した。娘婿のオクセンハウゼン子爵を近衛兵総監、ボイレン大将を憲兵総監、ティレンブルク大将を帝都防衛司令官に任命するなど、腹心に帝都の軍権を与えた。
メルカッツ元帥はクーデター直後に逮捕されたが、釈放されて宇宙艦隊副司令長官となった。彼の配下にいる旧ミュッケンベルガー元帥府の勇将たちも、艦隊司令官に任命された。帝国軍宇宙艦隊は、ラインハルト、ブラウンシュヴァイク公爵、メルカッツ元帥に三分されたのである。
老獪なリヒテンラーデ公爵は、ラインハルトを着実に追い込んでいる。前の世界のラインハルトがリヒテンラーデ公爵を排除できなかったら、このような状況になったのかもしれない。
いずれにしても、ラインハルトの苦戦は喜ぶべきことだ。彼が頂点に立たなければ、帝国軍が大挙して攻めてくることはない。
国民投票が中止になった後は穏やかな日々が続いた。トリューニヒト政権は着実に足元を固めている。