銀河英雄伝説 エル・ファシルの逃亡者(新版)   作:甘蜜柑

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第114話:生きていないはずの時間を生きている 803年1月1日~6月7日 第一辺境総軍司令部~第二艦隊司令部~寝室

 年が明けて八〇三年を迎えた。同盟人は「ハッピー・ニュー・イヤー!」、帝国人とフェザーン人は「フローエス・ノイエス・ヤー」と叫び、新しい年を祝った。八〇二年は銀河が大きく揺れた年であった。今年はどんな年になるのであろうか? 期待と不安が混在する中、新しい年がスタートした。

 

 八〇三年一月の第一辺境総軍は、方面軍レベルの問題を三個、星域軍レベルの問題を一一個抱えている。同盟軍で最も忙しい総軍といっても過言ではない。担当宙域はグローバルテロ、分離独立運動、麻薬問題、移民問題など多くの火種を抱えている。七九六年のシャンプール・ショックとエル・ファシル七月危機、七九七年のミトラ同時爆発テロ、八〇〇年のアラウカニア独立問題は記憶に新しい。

 

 重大問題に対処するため、三つの統合任務部隊を創設した。第二二方面軍副司令官コヴィントン中将が指揮するエル・ファシル統合任務部隊は、エル・ファシル革命政府軍に対処する。第七方面軍副司令官パン中将が指揮するカナンガッド統合任務部隊は、カナンガッド海賊の討伐にあたる。第四〇独立作戦軍司令官ラフマディア中将が指揮するパトリオット統合任務部隊は、同盟警察第一辺境管区総局の指揮下に入り、麻薬組織と戦う。

 

 統合任務部隊は司令官が所属する部隊を主力とし、総軍直轄部隊や正規艦隊や常備地上軍から派遣された部隊を指揮下に収める。エル・ファシル統合任務部隊とカナンガッド統合任務部隊は、二個分艦隊を基幹としており、かつての第一三任務艦隊やエルファシル方面軍に匹敵する規模だ。パトリオット統合任務部隊は、二個作戦軍を基幹としている。

 

「俺も偉くなったもんだ。統合任務部隊を三つも動かしているんだからな」

 

 エル・ファシル方面軍の一戦隊司令に過ぎなかった俺が、三個統合任務部隊を統括する身分に成り上がった。とてつもない出世と言えよう。だが、無邪気に喜んでいられる立場ではなかった。権限の大きさは、対処すべき問題の大きさと比例しているのだ。

 

 エル・ファシル統合任務部隊は、マズダク星系からアスターテ星系に至る同盟領外縁部の防衛にあたっている。担当宙域にエル・ファシル星系は含まれていない。エル・ファシル革命政府軍に対抗するための戦う部隊なので、エル・ファシルの名を与えられた。

 

 現在のエル・ファシル革命政府軍は、七月危機を起こしたエル・ファシル革命政府軍とは別物の組織と考えた方がいい。マーロヴィアから最短でも二〇〇〇光年以上離れた外宇宙に拠点を置き、数千星系を支配し、人口数百万と兵士数十万を抱える一大勢力である。

 

 六年前、同盟軍の攻勢によって壊滅的打撃を受けたエル・ファシル革命政府軍は、外宇宙に逃れた。「サジタリウスのロレンス」と呼ばれる帝国人軍事顧問の指揮のもと、星図のない宙域を踏破し、前人未到の場所に根拠地を築いた。同盟が帝国と全面戦争を繰り広げている間に、無人星系を支配下に収め、密貿易や海賊行為で資金を稼ぎ、同盟と帝国からの逃亡者を受け入れた。海賊やテロリストと手を結び、聖域を提供した。

 

 距離の防壁がエル・ファシル革命政府軍に味方している。マーロヴィアから革命政府領までの距離は、最短でも二〇〇〇光年以上と推測される。本拠地シウダ・リベルタの座標は未だに特定されていない。討伐軍を派遣するとしたら、星図が存在せず、安定したワープポイントを確保できず、中継基地がなく、相手の所在もわからないという条件で戦わなければならない。運よくシウダ・リベルタにたどり着けたとしても、恐るべきロレンスと革命政府軍本隊が待ち構えている。

 

「本当にとんでもない連中だ」

 

 俺はこめかみを押さえた。犯罪者が外宇宙まで逃げることは珍しくない。人口数十万人を擁する勢力は三つ、数千人から数万人の人口を擁する勢力は数十個ある。しかし、これほど遠い場所にこれほど大きな勢力を築いた者はいなかった。

 

 外宇宙への進出は技術的には可能だが、経済的には不可能だった。コストに見合った成果が見込めないのだ。既知宙域には未開発の可住惑星がいくらでもある。宇宙暦四世紀以降、銀河の資源埋蔵量は増加の一途を辿っている。有り余っているものを外宇宙で探す必要はない。前の世界のローエングラム朝は、外宇宙探査事業を一度も実施しなかった。

 

 エル・ファシル革命政府軍の執念には恐るべきものがある。普通の人間は二〇〇〇光年も逃げようなどとは思わない。天才航宙者ロレンスがいたとはいえ、よく耐え抜いたものだと思う。

 

「俺の責任だ」

 

 俺がやり直したせいで救われた者もいるが、不幸になった者もいる。二人目のエル・ファシルの英雄がいなければ、エル・ファシルが焼け野原になることはなかったし、エル・ファシル人が苦難を味わうこともなかった。ルチエ・ハッセルは家族と一緒にパンを売っていただろう。ワンディ・プラモートは平凡な政治家として生涯を終えたはずだ。

 

 同盟憎しの一念で戦うエル・ファシル革命政府軍は、外宇宙からの侵入を繰り返した。防衛部隊を三倍に増やしても、防衛線の隙間を潜り抜け、同盟領内に浸透する。長大で人口稀薄な宙域をカバーすることは不可能に近い。手をこまねいていたら、外縁部の住民が「同盟軍頼むに足りず」と判断し、革命政府軍になびくかもしれない。防衛体制の強化は急務であった。

 

 二月中旬以降、エル・ファシル統合任務部隊によるトラブルが多発した。ちょうど、第二艦隊B分艦隊がこの部隊に加わった時期と一致している。要するに第二艦隊B分艦隊がトラブルを起こしているのだ。

 

 B分艦隊司令官ハイメ・モンターニョ中将は、上官の意思と自分の意思を混同するところがある人物だ。良い方向にはたらけば、上官の意思をくみ、それを全力で実現しようとする。悪い面にはたらけば、自分の意思を上官の意思と勘違いし、虎の威を借る狐に成り下がってしまう。エル・ファシル統合任務部隊においては、完全に悪い面が出てしまった。

 

 辺境住民は同盟という国家に対して複雑な思いを抱いている。経済力に乏しいため、同盟政府からの支援に依存せざるを得ない。支援の代償として、何かを要求されるのは当然だろう。しかしながら、支援に比して要求が過大すぎるように感じることが少なくない。支援なしに要求だけされることもあった。イゼルローン方面の住民の場合、長きにわたって対帝国戦の前線にいたため、多大な負担を強いられた。最も同盟を必要としているのは辺境住民であるし、最も同盟に踏みつけられてきたのも辺境住民であった。

 

 細心の配慮をもって取り組むべきであったのに、モンターニョ中将は傲慢な態度をとった。隊員が酔っ払い運転で事故を起こしても謝罪しようとしない。地元の政治家やマスコミから批判されると、「反戦派の手先だから我々を批判するのだろう」と言い出すありさまだ。

 

 俺は地方勤務経験者だから大丈夫だと判断した自分の甘さを後悔し、モンターニョ中将を召還しようとしたが、各方面から横槍が入った。横柄な態度を歓迎する者が少なくなかったのだ。おかげでマフィンの量が倍に増えた。

 

 横槍は際限なく増えていった。威張り散らすことが国家の威信を示すことだと勘違いした者、辺境を「金食い虫の分際でわがままだ」と思っている者、あらゆる抗議行動に敵意を抱く者、辺境をガツンと叩いて屈服させるべきだと考える者がよってたかって介入してくる。そのほとんどが右翼や保守派だった。それなりの力と立場を持った相手ばかりなので、むげにできない。おかげでマフィンの量が倍に増えた。

 

 俺が動けない間に、右翼や保守派に煽られたモンターニョ中将はエスカレートした。部下が住民に迷惑をかけても、一切の謝罪を拒否した。騒音に関する苦情が出ると、取り合わないばかりか、その地域の近辺でこれ見よがしにシャトルや飛行機を飛ばした。部下が犯罪を犯すと、すぐにその星系から出国させ、引き渡し要求にも応じなかった。抗議した者を帝国の手先扱いするような発言を繰り返した。おかげでマフィンの量が倍に増えた。

 

 トリューニヒト議長は何もしなかった。意思表示すらしない。巻き込まれたくないと思っているのだろうか。こういう時に助けてもらえないのは困る。おかげでマフィンの量が倍に増えた。

 

 軍部のトリューニヒト派はあてにならない。良識派の弱体化により、良識派打倒という共通の目標を失ったトリューニヒト派は内輪もめを始めた。良識派の潔癖さを攻撃していた人々は、「寛容派」を名乗り、大きな問題でもうやむやにすることに血道を上げた。良識派の奔放さを攻撃していた人々は、「厳格派」を名乗り、些細な問題でも厳しく罰することに血道を上げた。完全免罪を主張する寛容派と問答無用の免職を要求する厳格派は、邪魔者以外の何者でもなかった。おかげでマフィンの量が倍に増えた。

 

 勤務時間が終わると、個室トレーニングルームにこもり、サンドバッグを叩いた。ストレス発散には体を動かすのが一番だ。

 

「くそ馬鹿野郎!! ふざけんな!!」

「何考えてんだ!? 頭おかしいんじゃねえか!?」

「死んじまえ!! 今すぐ死ね!! 死ねないなら殺してやろうか!?」

「同盟を分裂させるつもりか!? ふざけんじゃねえぞぉ!!」

「俺がどんだけ苦労してると思ってんだ!! てめえらには理解できねえだろうなぁ!!」

「何が愛国者だ!! てめえは売国奴だろうがぁ!!」

 

 パンチの一つ一つに殺気を込める。拳が写真を貫いた。サンドバッグが大きな音を立てる。実にいい気分だ。ドーソン上級大将はバットを使ったそうだが、俺は拳を使った。そうした方が手ごたえが感じられる。

 

 反戦派はフィリップス批判のキャンペーンを行い、各地で抗議デモを組織した。これはこれでしんどかったが、表玄関から入ってくるので、右翼や保守派と比べると対応しやすい。

 

 アッテンボロー大将やジャスパー大将が急に懐かしくなった。彼らは大声で文句を言う以上のことはしなかった。なんと素晴らしい人たちだろうか。裏でこそこそ動いたり、関係者に妙なことを吹き込んだり、第三者をけしかけたり、中立気取りでひっかきまわしたりする連中とは比較にならない。

 

 シェリル・コレット少将は暇があればメディアやネットを検索し、俺を褒める記事を見つけては勝手に送ってくる。俺を元気づけたいのだろうが、ちょっとうっとうしい。でも、やめろとも言えない。

 

 ある日、コレット少将が新興宗教「光に満ちた千年王国」の機関誌『約束の時』を送ってきた。俺の平凡な童顔が表紙を飾っている。見出しには、「エリヤ・フィリップスは使徒か!?」と大きな文字で書いてある。

 

 ページをめくってみると、エリヤ・フィリップスは時間逆行者だと言いたいらしい。その理由としては、「決して失敗しないのは未来を知っているから」「不死身なのは果たすべき使命があるから」「年を取らないのは一度寿命が尽きたから」「教祖カシア・ロスネルの予言に登場しない」などがあげられている。

 

 俺はうんざりして約束の時を閉じた。数え切れないほどの失敗をした。生き残ったのは運が良かっただけだ。

 

「馬鹿馬鹿しい」

 

 ここまで馬鹿馬鹿しい本は滅多にない。一番馬鹿馬鹿しいのは、時間逆行者ごときを崇拝することだ。そんなものが崇拝に値しないことは、自分自身が一番良く知っている。逆行したからなんだというのだ。逆行者を名乗るロスネルだって、何もできずに三〇代で死んだではないか。逆行した程度で変えられるほど世界は甘くない。

 

 俺は手持ちの人脈を総動員し、時には強硬策を用い、時には懐柔策を用い、介入者を一人一人排除していった。横槍がなくなったところで、モンターニョ中将を呼び戻した。話を聞いてみると、「強く出なければ、フィリップス提督が左翼に舐められると思った」とのことだった。俺が厳しく叱責すると、モンターニョ中将は土下座して泣きながら謝った。

 

 五月中旬、モンターニョ中将に停職一か月の処分が下された。迷惑をかけた相手に対しては、俺が自ら謝罪した。右翼や保守派は「なぜ処分するのか!? 弱腰にもほどがある!」と激怒し、反戦派は「処分が甘すぎる! 身内びいきだ!」と批判したが、表向きにはこれでけりがついた。

 

 補償問題は未だに決着していない。国防委員会防衛部が「一ディナールたりとも払わない。徹底的に戦う」と言い出した。寛容派が防衛部を煽っているらしい。さっさと補償して住民感情を和らげたい第一辺境総軍との間で、綱引きが続いている。

 

 一連のごたごたで得をした者がいるとすれば、エル・ファシル革命政府軍であろう。エル・ファシル統合任務部隊は三か月近い時間を空費させられた。作戦宙域住民の対同盟感情は著しく悪化した。補償のために税金を支出しなければならない。指揮権行使を妨害されまくった俺の威信は傷ついた。エル・ファシル革命政府軍は、コーネリア・ウィンザー、マルタン・ラロシュ、ジョージ・ビルジン、エイロン・ドゥメック、ウィリアム・オーデッツら三五名に勲章を与えるべきだ。

 

 五月下旬、カナンガッド統合任務部隊は、大手海賊組織「地球教宇宙教会」の本拠地シャンバラ聖宮を急襲した。圧倒的な兵力差もあって、一時間もしないうちに決着がついた。しかし、第一一艦隊C分艦隊の不手際によって、首領のルイ三一世と聖宮騎士団を取り逃がしてしまった。

 

「…………」

 

 俺は無言で報告書を見詰めた。地球教宇宙教会壊滅の好機を逸した。二か月かけて情報を集め、内通者を作り、拠点を強襲し、連絡路を絶ち、包囲網の中に追い込んだ。その努力が一度の不手際で水の泡となった。

 

 地球教宇宙教会は海賊としての活動より、独特のスタイルによって有名になった。構成員は地球教への入信を義務付けられており、その戒律に従わなければならない。殺人と盗みと強姦と飲酒と賭博と麻薬は、「神がお許しにならない」ので禁止されている。野戦服や装甲服の上に地球教の祭衣を羽織って出陣し、讃美歌を唱和しながら進み、「地球は我が故郷! 地球に帰ろう!」と叫びながら銃を撃つ。積み荷や身代金を奪う際は、被害者に「寄付申込書」を書かせ、世直しに対する寄付という体裁をとる。

 

 首領が「地球及び全銀河の総大主教ルイ三一世」を自称していることからわかるように、地球教宇宙教会は地球教銀河教会の宗主権を認めていない。以前は「地球教救世修道会」と名乗り、私設修道会(もちろん認可は受けていない)として海賊活動に勤しんでいた。だが、二年前に銀河教会が海賊行為を禁止し、海賊を破門した。この決定に対し、救世修道会は「大地神テラはすべての魂を平等にお救いになるはず」と抗議したが、相手にされなかった。そのため、組織名を改め、自分こそが地球教の正統だと宣言した。首領は宇宙教会総大主教ルイ三一世の名において、銀河教会総大主教シャルル二四世と総書記代理ド=ヴィリエ大主教に「破門」を言い渡した。

 

 数々の奇行から笑い者になっている地球教宇宙教会だが、その実力は本物である。信仰と戒律の力により、強固な規律を誇る。主力部隊「聖宮騎士団」は、戦闘のプロを中核とし、最新兵器を装備する精鋭だ。政府や大企業の船だけを狙い、収益の一部を福祉団体に寄付し、負傷させた者に見舞金を贈るので、ヘイトを買いにくい。主な資金源はダイヤモンド鉱山で、フロント企業を使った合法的経済活動でも収益を上げており、単なる海賊とは一線を画する。

 

「ここで潰しておきたかったなあ……」

 

 逃がした魚の大きさを嘆いていると、第一一艦隊司令官ウィレム・ホーランド大将から通信が入った。部下の不手際に対する謝罪であった。

 

「指導が行き届いていなかった。私の責任だ」

「あなたはベストを尽くしました。それでも力の及ばないことはあります。謝罪には及びません」

 

 これは社交辞令ではなく、俺の本音だった。部隊が強くなるには時間が必要だ。ホーランド大将の手腕をもってしても、時間を飛び越えることはできない。

 

「そう言ってもらえるとありがたいがね。敵は我々の成長を待つほど親切ではない。万全の状態に仕上げておかねばならんのだ」

「お気持ちはわかりますが、長い目で……」

 

 そこまで言ったところで、俺は言葉を続けられなくなった。ホーランド大将に時間が残されていないという事実を思い出したのだ。

 

「時間が少ないなんてことはないさ」

 

 ホーランド大将は俺の懸念を打ち消すように笑った。

 

「今の時間は与えられたものだと思っている。私は死んだはずの男だ。本来なら生きていないはずの時間を生きている。それはとても素晴らしいことだ」

「わかります」

 

 俺は心の底から同意した。生きていないはずの時間を生きているという点では、自分も同じであった。本来の人生は一五年前に終わったが、思いもかけず第二の人生を与えられた。辛いことはたくさんあった。それでも、死んでいれば良かったと思ったことは一度もない。

 

「だから、時間切れなど恐れていない。私は第一一艦隊再建を心から願っている。だが、それを成し遂げる者が私である必要はない。私が倒れたら、誰かが後を継げばいい。その者が倒れたら、別の者が後を継げばいい。私がブレツェリ君たちの志を継いだようにな」

「踏み台でも構わないとおっしゃるのですか?」

「その通りさ。時間がある限り、一歩でも進みたい。私が一歩進めば、後に続く者の苦労は一歩分だけ少なくなるからな」

 

 ホーランド大将の表情は晴れやかで、ひとかけらの迷いもなかった。

 

「ありがとうございます」

 

 俺はスクリーンに向かって頭を下げた。かつて、自分一人の栄光を求めた人が、人々のために踏み台となる覚悟を決めたのだ。感激せずにはいられるだろうか。

 

「参ったな。頭を下げに来たつもりが、頭を下げられるとは」

「あなたを第一一艦隊司令官に推挙したのは俺です。あなたに責任があるのなら、俺にも責任があります。未熟な部隊を率いるようお願いしたのですから」

「では、ありがたく好意を受け取っておこうか」

「助かります」

「不思議なものだな。『許してやる』と言われたら腹が立つが、『許させてほしい』と言われたら申し訳ない気持ちになる」

「トリューニヒト議長から教えていただきました。『人を助けたい時は、助けさせていただくという気持ちで接しないといけない。助けてやると思ったら恨まれる』と」

「なるほど。君はドーソン提督やイレーシュ君の弟子であると同時に、トリューニヒト議長の弟子でもあるのだな」

 

 その言葉はとても嬉しいものだった。トリューニヒト議長と対決する決意を固めたが、敬意を失ったわけではない。敬意があるからこそ、対決せざるを得ないという面もある。

 

「ええ、おっしゃる通りです」

「では、ついでに一つ助けさせてもらえんかね」

「なんでしょう? できることならなんでもいたしますが」

「マリノ君を私に預けてほしい。彼なら芸術的艦隊運動を習得できるかもしれん」

 

 ホーランド大将は封印したはずの必殺戦術の名を口にした。

 

「どういう風の吹き回しです? 『あの技は墓場に持って行く』とおっしゃいませんでしたか?」

「状況が変わった。我が軍と帝国軍の差は想像以上に小さい。あの技が必要になる場面があるかもしれん」

「帝国軍が常に派閥バランス重視の編成を取るとは限りませんからね。実力重視の編成で攻めてきたら厳しいです」

 

 俺は帝国軍諸将の顔を思い浮かべた。ラインハルトが総指揮をとり、ミッターマイヤー提督とロイエンタール提督が両翼を指揮し、ビッテンフェルト提督が後衛を固めたら、同盟軍ベストメンバーと互角以上の戦いができる。メルカッツ元帥がファーレンハイト提督、レンネンカンプ提督、アイゼナッハ提督らを率いて戦ったら、同盟軍ベストメンバーでも苦戦を免れない。

 

「いつもの連中だけが相手ならどうにかなる。我が軍はローエングラム軍やメルカッツ軍と何年も戦ってきた。彼らの手の内はだいたいわかっている。あのメンツだけが相手なら、勝てないまでも負けることはない」

 

 ホーランド大将は「あのメンツ」を強調した。つまり、それ以外が問題だということだ。

 

「あのメンツに何かがプラスされたら勝てない。そうお考えなのですね?」

「その通りだ。そして、敵はその何かを持っている」

「教えてください。その何かがどういうものかを」

 

 俺は身を乗り出した。ホーランド大将は理詰めの分析を苦手としているが、それを補って余りある霊感がある。その霊感は帝国軍から何を感じたのか?

 

「ヘルマン・ボイス」

 

 ホーランド大将が口にした名前は、弱体な戦力と古い戦術でコレット少将と渡り合った敵将のものだった。

 

「我が軍でも一線級を張れる人材だよ。今の我が軍ではない。ラグナロック以前の我が軍だ。あのレベルの強豪が少将クラスにいる。ローエングラム公は苦境にあっても、着実に戦力を揃えているのだ。ボイスのような男が出世して、より多くの兵を率いるようになったらどうなる?」

「とんでもないことになりますね……」

 

 俺は左手で軽く腹を押さえた。想像するだけで腹が痛くなってくる。エース級の分艦隊司令官は得難い存在である。ボイス提督並みの分艦隊司令官が数名出現するだけで、帝国軍は飛躍的に強くなるだろう。

 

「だからこそ、絶対的な切り札が必要なのだ。敵がどんなに強い札を切ってきても勝てる札が」

「かつてのあなたみたいな札ですね」

「そうだ。マリノ君ならきっとなれるはずだ」

「承知いたしました。マリノ中将に話してみましょう。了承が取れたら、彼の部隊をあなたの指揮下に入れます」

「同意してくれたら良いのだが」

「大丈夫でしょう。マリノ中将は戦うことが好きでたまらない人です。強くなれるなら飛びついてきますよ」

 

 二週間後、マリノ中将率いる第五五独立分艦隊は、第一一艦隊の指揮下に臨時配属されることとなった。マリノ中将が芸術的艦隊運動を習得したら、銀河最強の分艦隊司令官になるだろう。習得できなかったとしても、名将ウィレム・ホーランドの薫陶は良い影響を与えるはずだ。

 

 事件は後方でも起きている。第一辺境総軍ほどの大部隊になると、何もない日の方が珍しい。大抵の事件は方面軍レベルで片が付く。総軍は個別の事件に対する対処ではなく、事件の背景にある長期的な問題への対処を行う。

 

「六月七日二一時頃、第二艦隊A分艦隊の下士官がプエルトモント市警に逮捕されました。麻薬取締法違反です」

 

 ハラボフ大佐が報告書を持ってきた。第一辺境総軍首席副官ではなく、第二艦隊副官としての仕事である。

 

「ありがとう」

 

 俺は第二艦隊司令官として報告書を受け取った。麻薬と聞いて少し嫌な気分になったが、表情には出さず、笑顔で応じる。

 

「サイオキシン……」

 

 報告書の中に忌まわしい単語を見つけた俺は、奥歯を強く噛み締めた。前の人生で俺の体を蝕んだ合成麻薬が、俺の部下を蝕んでいる。この薬はどこまで俺に祟るのだろうか。

 

「またA分艦隊ですか」

 

 艦隊副司令官補ジェニングス中将が呆れ顔で言った。サイオキシンで逮捕されるA分艦隊隊員はやたらと多い。他の分艦隊の倍近い人数だ。

 

「あの部隊は厳しすぎますからな。ストレスで潰れてしまう者が多いのです」

 

 艦隊副司令官アップルトン中将は困り顔で嘆いた。ベテランの彼ですら、A分艦隊の現状には困り果てている。

 

 A分艦隊司令官ジョゼフ・ケンボイ中将は、自分にも他人にも厳しい人物だ。酒を一滴も飲まない。煙草を一本も吸わない。賭博を絶対にしない。食べ過ぎることはないし、美食を楽しむこともない。子作り以外のセックスは絶対にしない。絶対に嘘をつかない。自己を完全にコントロールするのと同じように、部隊をコントロールしてみせた。自分に厳しくするのと同じように、他人に厳しくした。

 

 素晴らしい規律と引き換えに、A分艦隊は高ストレス環境と化した。残業は第一辺境総軍所属部隊の中で飛びぬけて少ない。休憩は義務であり、休まず働き続けたら叱られる。福利厚生に十分な配慮がなされている。ハラスメントは決して許されない。一見すればホワイトな環境なのだが、それを維持するための規律が極端に厳しく、羽目を外せない空気がある。

 

 ストレスで潰れる隊員があまりに多すぎたので、俺とアップルトン中将はケンボイ中将に厳しくしないよう求めた。すると、ケンボイ中将は何が厳しくて何が厳しくないかを厳密に定義し、厳しくない範囲から一歩でもはみ出した者を処罰した。隊員たちははみ出すことを恐れて萎縮した。何度注意しても、そのたびに厳しさの線引きを変えるだけだった。要するに何かを禁止する以外の方法を知らない人なのだ。

 

「悪い人ではないんですけどねえ……」

 

 艦隊副参謀長ドールトン少将は心配するような顔をした。彼女が言う「悪い人ではない」はあてにならないが、ケンボイ中将に限っては正しい。悪い人ではないからこそ厄介なのだ。

 

「ケンボイ提督のことはひとまず置いておこう。問題はサイオキシンだ。ストレスは薬を使うきっかけに過ぎない。そこに薬があったから使った。酒があれば、彼はそれを飲んだはずだ。甘味があれば、彼はそれを食べたはずだ。誰かが薬を持ち込み、彼に渡した。そこが一番の問題なんだ」

 

 俺は幕僚全員の顔を見渡した。自分の真剣さを少しでも共有してほしいという気持ちを込め、一人一人と目を合わせる。

 

 調査の結果、逮捕された下士官にサイオキシンを売った人物が判明した。ランカイ市のギャング団メンバーだった。薬の出どころは、銀河最大の麻薬組織「カメラート」だという。

 

「カメラートか……」

 

 夜明け時の寝室で、俺は同盟警察が作成したカメラートの資料を眺めた。薄っぺらで中身も空っぽだ。まともに調べる気がないのだろう。

 

 麻薬組織撲滅作戦の主導権を握る同盟警察組織犯罪対策部は、カメラートの対立組織「メールイェン」を徹底的に叩く方針を取っている。メールイェンを完全に潰した後、全力をもってカメラートと対決するのだそうだ。

 

 サイオキシン密輸のイゼルローン・ルートは、七九三年から七九四年にかけて実施された帝国と同盟の合同捜査によって、大打撃を受けた。七九七年のオーディン陥落をきっかけに復活し、七九九年にイゼルローン交易が始まると急速に輸送量を伸ばした。トリューニヒト政権が八〇一年にイゼルローン交易を完全禁止したため、再び遮断された。そして、イゼルローン・ルートを支配してきたメールイェンは壊滅的な打撃を被った。

 

 イゼルローン・ルートの衰退は、フェザーン・ルートに繁栄をもたらした。同盟に密輸されるサイオキシンの九八パーセントが、フェザーン・ルートで入ってきたものだといわれる。メールイェンの凋落により、サイオキシン業界はフェザーン・ルートを支配するカメラートの一強時代となった。

 

 密輸ルートを失ったメールイェンは、同盟国内に拠点を移し、細々とサイオキシンを製造している。かつて、業界を二分した大組織の面影はない。このような状況にもかかわらず、同盟警察はカメラートを放置し、メールイェンへの攻撃を続ける。警察がカメラートの強大化を望んでいるかのようだ。

 

 俺は引き出しを開き、一冊の冊子を取り出した。色褪せたその冊子は『地球通信』という題名を持つが、地球教の機関誌ではない。一〇月クーデターの時に何者かがばらまいた怪文書だ。

 

 偽の地球通信には、地球教総書記代理ド=ヴィリエ大主教がマネーロンダリングに手を染めていると書かれていた。その顧客としてあげられた者の中にカメラートがいるのだ。当時は見落としていたのだが、警察官僚や警察出身議員の名前も多数並んでいた。

 

「これは信じるに値しない」

 

 俺はそういって偽の地球通信をめくった。この文書単体なら信じるに値しない。客観的な証拠や情報源が記されていないからだ。

 

 警察とカメラートの繋がりを示す証拠は、今のところ見つかっていない。だが、警察と地球教の関係を間接的に示す証拠はある。極右民兵組織「憂国騎士団」がその鍵となる。この組織は警察と地球教の双方と深いつながりを有する。

 

 ダーシャの遺品の一つに、『憂国騎士団の真実――共和国の黒い霧』という本がある。有名な反戦派ジャーナリストのヨアキム・ベーンが書いた本で、憂国騎士団の背景を丹念に追っている。

 

 憂国騎士団の最大の謎といえば、警察との関係であろう。同盟警察は憂国騎士団に対して異常なまでに甘い。派手な暴れぶりにもかかわらず、同盟警察の取り締まり対象に入っていない。憂国騎士団団員が暴力事件を起こしても、警察は逮捕しようとしないし、逮捕されてもすぐ釈放される。他の極右組織は厳しい取り締まりを受けているにもかかわらず、憂国騎士団だけがお目こぼしを受けているのだ。

 

 警察に顔の利く右派政治家数名が、憂国騎士団を保護しているというのが定説だ。警察出身のヨブ・トリューニヒトと憂国騎士団の関係を考慮すれば、それなりの説得力がある。しかし、ベーンはこの説に否定的だった。警察の憂国騎士団に対する友好的姿勢は、末端に至るまで徹底されている。数人の政治家だけで、ここまで警察を統制できるかどうかは疑問だという。

 

 ベーンは発想を転換し、同盟警察こそが憂国騎士団の保護者なのではないかと考えた。右派政治家は警察の支援を受けているため、警察傘下の憂国騎士団を動かせる。そう考えると辻褄が合うというのだ。

 

 自分の仮説を証明するために、ベーンは論証作業を行っているが、膨大過ぎるので詳細には触れない。結論だけ書いておこう。白マスクの行動部隊については、警察式の訓練を受けており、警察から軍から払い下げられたものと同じ装備を使っている可能性が高い。ベーンが「憂国騎士団最強のコマンド」と呼ぶ法務部隊については、ほぼ全員が警察や旧法秩序委員会と関係の深い法律家である。政界との関係については、警察に好意的な政治家なら中道寄りでも支援するが、反警察的な政治家は右翼であっても支援しない。十分に納得のできる推論だった。

 

 仮説が正しいとすれば、警察がなぜ憂国騎士団を保護するのかという疑問が生じる。この疑問に関するベーンの回答はこうだ。憂国騎士団は警察の非公然部隊である。選挙支援、選挙妨害、世論操作、都合の悪い人物への攻撃など、警察が直接できない仕事を憂国騎士団に任せているのではないか。

 

 むろん、憂国騎士団を警察の非公然部隊だと認定できる証拠はない。確かなのは、この二つの組織が必要以上に親密だという事実のみだ。

 

 保守系ジャーナリストのラウラ・ソリータが書いた『愛国心と信仰心――彼らは何を信じたいのか?』という本は、憂国騎士団と地球教の関係について記している。組織運営や宣伝のノウハウを持つ地球教徒団員は、古くから憂国騎士団の枢要を占めてきた。憂国騎士団の大衆組織は地球教の信徒組織とうり二つの構造を持つ。憂国騎士団のイデオロギー綱領は、従来の右翼思想との関連性が薄く、地球教神学の根幹をなす「母子論」の影響を強く受けているらしい。

 

「警察と憂国騎士団。地球教と憂国騎士団。警察と地球教。そして……」

 

 俺は頭の中で「地球教とカメラート」と呟いた。地球教とカメラートを繋ぐ糸さえ見つかれば、警察とカメラートも繋がるのだ。

 

 ここで思考をいったん止めた。自分の思考がとんでもなく飛躍したことに気づいたのだ。今のところ、怪文書以外に地球教とカメラートの繋がりを示すものはない。前の世界では、地球教が組織的にサイオキシンを使用したとの記録がある。しかし、戦記に登場する地球教テロリストは、素人だった。カメラートは訓練されたテロリスト部隊を持っている。地球教がカメラートと組んでいたら、素人だけで皇宮に乗り込むのはおかしい。

 

 いや、真実はどうでもいい。本当はどうでもよくないかもしれないが、手が届かない真実を追い求めるのは時間の無駄だ。目に見えるもののことを考えよう。

 

 俺とメールイェンの戦いはほぼ終わった。二大巨頭のうち、カストロプ公爵は死に、アルバネーゼ元大将は指名手配を受けている。ドワイヤン以外のヴァンフリートの仇は、牢屋や地獄にいる。アルバネーゼとドワイヤンが自由の身なのは気に入らないが、今はこれで満足すべきであろう。

 

 次の敵はカメラートだ。自分が銀河最大の麻薬組織を倒せるとは思わないが、サイオキシンの流通量を減らすことぐらいはできる。

 

 今すぐにでもカメラートに総攻撃を仕掛けたい気分だが、それが許される立場ではない。麻薬戦争の指揮権は同盟警察が握っている。管内の麻薬組織ですら、警察の了承なしに攻撃を加えることは不可能だ。そして、警察がカメラート攻撃に同意する可能性はゼロに等しい。

 

「統合作戦本部長になったとしても、警察には勝てないな」

 

 俺は背もたれに体重を預け、資料にプリントされた警察のマークをじっと見つめた。国防調整会議には四名の常任アドバイザーがいる。一人は統合作戦本部長、一人は中央情報局長官、一人は同盟警察長官、一人は公共安全局長官だ。中央情報局長官は軍出身者の指定席であったが、トリューニヒト政権では警察出身者が任用された。同盟警察長官と公共安全局長官は警察官僚である。

 

 勢力比は一対三。警察はトリューニヒト議長の出身母体であり、最大の後援者だ。軍と違って、警察は一度もトリューニヒト議長を裏切ったことがない。疎まれている俺では勝負にならないだろう。

 

 ラインハルトを仮想敵とするならば、国内作戦の主導権は不可欠だ。前の世界の同盟は本土決戦を経験した。この世界でも本土決戦を視野に入れた防衛戦略が必要になる。戦力的な劣勢を補うため、ラインハルトがテロを仕掛けたり、同盟国内の反体制組織を蜂起させる可能性もある。国外作戦と国内作戦の両方で主導権を握らないと対抗できない。

 

 どうすれば、国内作戦の主導権を奪取できるのだろうか? 最も簡単なのは警察内部の反主流派と手を組むことだ。あるいは警察の主流派に直接食い込み、内部から切り崩すという手もある。麻薬取締局と組むのもありかもしれない。麻薬戦争の主導権を警察に取られている状況は、麻薬対策の専門家としては不本意の極みであろう。

 

「敵はヤン・ウェンリー、ラインハルト・フォン・ローエングラム、同盟警察、カメラート。目指すは統合作戦本部長。すごいな。物語の主人公みたいだ」

 

 俺は失笑してしまった。モブキャラ以外の何者でもない自分が、英雄や超巨大組織を向こうに回して戦うのだ。もう笑うしかない。

 

 本物の主人公ラインハルト・フォン・ローエングラムは、身動きのとれない状態が続いている。キルヒアイス元帥とアンネローゼという枷が、黄金の有翼獅子の飛翔を妨げているのだ。近衛兵総監ロイエンタール上級大将と副首相シルヴァーベルヒ男爵が、キルヒアイス夫婦に抵抗しているが劣勢は否めない。

 

 もう一人の本物の主人公ヤン・ウェンリーは、そもそも動く意思がなかった。動向は伝わってこないが、イゼルローンでのんびり過ごしているのだろう。あるいは窮屈に過ごしているのかもしれない。イゼルローン要塞事務監のポストに就いたルスラン・セミョーノフ大将は、オイラー大将の一〇〇倍、いや一万倍酷い人物である。政府が二人目の参事官を派遣したので、監視の目が一層厳しくなった。

 

 俺は生きていないはずの時間を生きている。その時間を使って歩みを進める。主人公が動けない間にどれだけ進めるのだろうか? 思ったより進めないかもしれない。進んでもあっという間に抜き返されるかもしれない。それでも、俺は歩き続ける。


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