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>「父と娘ほどの年齢差の芸妓を落札、抱え主への前借金を払って、
> 芸者や娼妓の稼業から身をひかせて生まれた子供が 宿坊さん あなたですか?」
「読売新聞」(昭和5年12月29日付)に、日隆が起こした「芸妓落籍・背任事件」が報じられている。
"妾狂い"だった六十一世日隆
「血脈付法の法主」現在に換算し約一億円の寺の金を食い漬す
第六十一世・水谷日隆の並外れた道楽と悪行は、事件になって新聞沙汰にもなった。
二十歳そこそこの芸妓「紋弥」に熱を上げ、揚げ句の果てに、その芸妓を「落籍」して
「外妾」にしていたから大問題。
「落籍」とは身代金を払って芸妓・遊女などを身請けして、自分の妻や妾とす
ることである。
父と娘ほどの年齢差の芸妓を身請けした初老の日隆が、日蓮正宗の宗務総監という要職にあり、
しかも、後には猊座にまで登ったというから驚嘆するではないか。
この事実は、日蓮正宗が腐敗した下劣な教団であり、買春疑惑、芸者遊興な
どの破廉恥な事件を引き起こす日顕のようなニセ法主が出てくる土壌があった
ことを物語っている。
芸妓を「落籍」するには当然、莫大な金が必要になる。日隆は宗内行政を任
されていた宗務総監の立場を悪用して、遊興費や身代金を捻出するために、寺
の財産を当時の金で約九千円も流用したのみならず、約三万円の手形を乱発す
るなどの背任行為を重ねたのであった。
当時の九千円、三万円は大金である。昭和五年当時、東京で標準価格の米が十
キログラムで二円三十銭、また公務員の初任給は七十五円であった。
そこから計算すれば、当時の九千円は現在の約二千数百万円、当時の三万円は
六~七千万円にも相当する。
日隆は常泉寺に赴任してから事件の発覚までの僅か二年有余の間に合計三万
九千円、現在の金に換算して約一億円の寺の財産を浪費し、食い潰したのだ。
このように日蓮正宗では芸妓落籍とか背任事件を起こした堕落・遊蕩坊主で
あっても猊座に登ることが出来たのである。
日顕にも買春のみならず、芸妓遊びにうつつを抜かし、宗務院の教学部長の頃
も女房・政子と別れて一緒になると騒いだ熱海の芸者がいたというのも頷ける。
日顕は法主になってからも芸者遊びに狂奔したことは周知の事実だが、早瀬
日如にも深い仲だった女性を捨て、出世のために高僧の娘だった今の邦栄と結婚
した前歴がある。
さて、日隆は登座後、御本尊を一幅も書写しなかったこと大石寺には住まず、
当然、本山での丑寅勤行の導師も殆ど勤めなかった。
そこには芸妓落籍、背任事件など悪行の数々が宗内に知れわたり、
日隆の登座に猛反対の声が湧き上がったという背景があり、また芸者遊びを続
けるため、常泉寺に居座っていたいとの理由もあった。
日隆は昭和十年六月十一日の晋山式の後、常泉寺に戻ったまま帰山しなかった。
二回巡ってきた御会式を二回とも隠居の日開に任せるほどの怠慢ぶりだった。
このような腐敗・堕落しきった坊主でも登座できたのが日蓮正宗なのである。
こんな奴が「血脈付法の法主」「日蓮大聖人と不二の尊体」とは笑止千万!
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