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次の蓮成坊梵妻(れんじょうぼうぼんさい)とのスキャンダルもペルリ秀円の
宗務総監時代である。
塔中の蓮成坊は大石寺の山門をはいって左側の二軒目の寺であるが、その住職
川田利道の妻は、是又器量よしであったので、これに目をつけたペルリは、川
田の眼をかすめては、彼女の誘惑にうつつを抜かし、遂に彼女と関係を結ぶに
至った。
川田利道は妻の姦通を怒り、妻との大喧嘩は絶えなかった。然し相手が宗務総
監であるので、大きくさわぎたてれば、身の破滅にもなるというのでそれを苦
にやんで、遂に彼はもだえ苦しんで死んだのである。
これ日蓮正宗の悪信仰の悪現証である。日蓮正宗の本山大石寺の、然も塔中に
於いて斯の如き非倫非道の畜生道の行為が繰り返されていたとすれば、幸福製
造機の板本尊とはもっての外で、この板本尊こそ人間を畜生道に導く悪人製造
機と言われてもいたし方あるまい。
川田利道の死亡後のペルリ秀円は、大胆になって、朝夕の勤行が終われば蓮成
寺の寡婦(かふ)の所に通いつめたということである。正宗では住職死亡後は
百日以内に妻子は寺を出る前例であるのに、三年を過ぎても女をそこに囲って
出さず、やっと三年後に名目上だけの代務者を置いて、相も変わらずペルリは
ここに通い続けたというのは、塔中は勿論のこと、村内でも知らぬ者のない事
実である。
「父母兄弟姉妹ヲ簡(エラ)バズ妻トシ 夫ト愚(タノマ)バ畜生道トナル」
「父ノ罪ハ子ニカカリ、師ノ罪ハ弟子ニカカルトウケ給ハル」という祈薦紗の
御文の如く、親からうけついだ性格かもしれないが、この日昇の御乱行は余り
にもヒド過ぎたらしい。
然も自業自得の罪業を受けるなら兎も角、畜生道の現場を発見した柚野内事部
員を馘首(かくしゅ)したり、その対談者渡辺理事補を追放したりする暴挙を
敢てするばかりでなく、塔中の蓮成房住職の本妻であり、現に主人川田利道の
いるに拘らず、これと通ずるというが如きに至っては、言語道断で鬼畜の所業
と言わざるを得ない。
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