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NEWS / REPORT - 2019.12.6

津田大介や会田誠らが出席。立憲民主党の憲法調査会でヒアリング実施

立憲民主党は12月6日、第41回憲法調査会を開催し、「表現の自由」に関するヒアリングを行った。あいちトリエンナーレ2019芸術監督・津田大介や会田誠らが出席したこのヒアリングで語られたこととは?

 

左から、会田誠、小田原のどか、小泉明郎、志田陽子、津田大介

文化庁補助金不交付問題はブラックボックス

 立憲民主党は12月6日、第41回憲法調査会において、「表現の自由の萎縮を懸念する芸術関係者からのヒアリング」を衆議院第二議員会館で実施した。

 この日のヒアリングでは、「あいちトリエンナーレ2019(以下、あいトリ)」芸術監督・津田大介をはじめ、あいトリ参加作家から小泉明郎と小田原のどか、在オーストリア日本大使館によって公認撤回されたウィーンの展覧会「JAPAN UNLIMITED」参加作家の会田誠、そして武蔵野美術大学教授で憲法が専門の志田陽子が出席。

 冒頭、津田からは参加議員に対してあいトリの概要紹介と、「表現の不自由展・その後」中止をめぐる経緯が説明された。

津田大介

 津田はこの不自由展中止騒動の論点として、「そもそも中止判断が妥当だったのか」「『検閲』があったのか」「ガバナンスが適切だったのか」「現代美術とSNSの相性の悪さ」などを挙げつつ、未だ解決が見えない文化庁による助成金不交付問題(*)に言及。

 津田によると、文化庁があいトリ側にコンタクトしたのは展示中止直後の8月4日が最後で、それ以降は文化庁からレスポンスがない状態だという。

 この不交付について、文化庁は「決済については文化庁長官ではなく、文化庁審議官が専決処分として行った」としているが、その責任の所在は不明瞭なままであり、津田は「ブラックボックスになっている」と指摘する。

あいちトリエンナーレ2019での「表現の不自由展・その後」展示風景

政治的な表現と政治活動、分けて考える必要

 憲法を専門とする志田からは、教育現場での実体験が語られた。「学生から将来を憂慮する声がたくさん聞こえてくる。補助金を受けたい学生から『配慮しなくていはいけないのではないか』という萎縮を先取りしたような相談がある。芸術支援は奨学金などの発想と同様に考えるべきで、作家がつくったものについては作家が発言主体。個々の作品について支援側が中止を求める資格はない」。

志田陽子

 またあいトリ以降、頻繁に取り沙汰された芸術における「政治的な表現」について志田は、次のように指摘した。

 「『政治的な出来事に触発された表現』と『政治活動に当たる表現』は異なる。このふたつを分けて考えてほしい。芸術は芸術家だけのものではなく、一般市民がそこからいろんなことを受け取る。お上がダメだと言えば市民もダメだと思ってしまい、民主主義そのものが成り立たなくなる。萎縮を止めるためにも、補助金不交付については芸術の自由を求める方向での適切な対処を求める」。

 いっぽう小泉は、今回の問題が「ポジティブな側面」をもたらしたとも語る。「不自由展は3日で中止されたが、『表現の自由』がこれほどメディアで扱われたことはなかった。これはポジティブなことだと思う。これを機会に、『表現の自由』とは何か、なぜそれが必要なのかを国民レベルで議論するいいきっかけ」。

 2016年頃から《平和の少女像》を調査してる小田原は、不自由展をめぐる騒動が「この国の不寛容を国内外に示している」と指摘。「《平和の少女像》の実物が展示されることで対立感情を煽ることになるだろうと思ったが、不交付は許してはいけない」として、この不交付を「見せしめだった」と批判する。「若い人たちの間に萎縮の空気が生まれてきていることを憂慮している」。

「表現の不自由展・その後」再開初日(10月8日)の様子

国益損なう

 あいトリとは別に、今年は在オーストリア日本大使館が10月30日付で日本・オーストリア友好150周年事業のウィーンの展覧会の公認を撤回するという事態も起こった。

 この展覧会「JAPAN UNLIMITED」に参加した会田は、公認撤回のきっかけとなった自身の映像作品《The video of a man calling himself Japan’s Prime Minister making a speech at an international assembly》(2014)について、その制作意図や全文書き起こしをウェブサイトで公開するなど、抗議の意思を示してきた。

 会田はこう話す。「まともなアートファンは、日本社会が抱えている問題に真剣に取り組んでいる作家の表現を見たい。それが国際交流。公認取り消しは船の底に開いた小さな穴だけど、こういうことがあっさり起きてしまうと、日本が外国から文化的に二流国家だと見られてしまう。どこの国でも問題は抱えているが、日本が転落したなと思われるのは国益を損なうこと」。

 会田はヨーゼフ・ボイスの「すべての人は芸術家である」という発言を引用し、それがSNS時代を予見するものだったと指摘する。

会田誠

 なおこの日は、文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金全額不交付決定に関し、補助金採択に関する審査委員会の委員を務めていた鳥取大学特命教授・野田邦弘も関係者として出席した。

 野田は文化庁の決定に抗議するかたちで10月に同委員を辞任。「文化庁として補助金を出そうとしたことは間違っていない」としたうえで、「専門家が決めたことを後出しで撤回されるのであれば専門家はいらない。(不交付は)科研費をはじめ、ありとあらゆる知的活動に広がる可能性がある。すべての国民に関わること」と警鐘を鳴らす。

 あいちトリエンナーレ2019は閉幕して2ヶ月が経とうとしているが、補助金不交付問題の解決が見える気配はない。なお立憲民主党は、こうした「表現の自由」に関わるイベントを、12月20日にも開催する予定だ。

 

*──文化庁は、あいトリに対して補助金約7800万円を「日本博を契機とする文化資源コンテンツ創成事業」として交付予定だったが、「表現の不自由展・その後」展示再開の方向性が決定した9月25日の翌日26日に、萩生田光一文部科学大臣がその全額不交付を発表。10月15日に行われた参議院本会議において、宮田亮平文化庁長官は「不交付決定を見直す必要はない」と発言している。

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NEWS / REPORT - 2019.12.7

ミュシャもラリックも見出した。「サラ・ベルナールの世界展」松濤美術館で開幕

アルフォンス・ミュシャやルネ・ラリックなどの才能を見出したフランスの大女優、サラ・ベルナール。その人物像と、同時代の芸術に与えた影響を紹介する展覧会「パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展」が、渋谷区立松濤美術館で始まった。

 

展示風景より、アルフォンス・ミュシャ《サラ・ベルナール》(1896)

 日本でも絶大な人気を誇るアルフォンス・ミュシャとルネ・ラリック。このふたりに共通するものは何か? それは、女優サラ・ベルナールとの関係性だ。

 サラ・ベルナール(1840/44~1923)は、19世紀半ばから20世紀初めに活躍したフランスの大女優。フランスの良き時代である「ベル・エポック」を生き、同時代の芸術家であるアルフォンス・ミュシャやルネ・ラリックを見出した人物として知られている。

 渋谷区立松濤美術館で開幕した本展「パリ世紀末ベル・エポックに咲いた華 サラ・ベルナールの世界展」は、そんなサラの人生を紐解くともに、ミュシャやラリックなどの作品を通し、その存在が当時の美術に与えた影響を紹介するもの。

第1章の展示風景

 展示は4章で構成。まず第1章「サラ・ベルナールの肖像」では、多数のサラのポートレート写真や肖像画が並ぶ。

 展示された写真からは、サラが自分自身をどのように見せようとしていたのかが垣間見える。また、トゥールーズ=ロートレックや、ベルナールの恋人だったと言われるジョルジュ・クレラン、ルイーズ・アベマらが描いた肖像画からは、その存在が芸術家たちにとってのインスピレーション源だったことがわかるだろう。

第1章の展示風景

 なおこの章では、実際に身につけたドレスや装飾品、使用した銀食器なども展示。目を楽しませてくれる。

展示風景より、サラ・ベルナールが使っていた調髪道具

 第2章「パトロンとしてのサラ・ベルナール」と第3章「サラ・ベルナールとその時代」では、サラが見出したミュシャ、ラリックなどの作品を一堂に展示。

 サラが主演を務めた公演のひとつに『ジスモンダ』(1894)があるが、このポスターを手がけたのが、当時無名の挿絵画家だったミュシャだった。ミュシャは縦長のレイアウトにビザンチン風のデザインを取り入れ、これがきっかけでブレイクを果たす。この後6年間、ミュシャはサラと専属契約を結び、様々な演劇ポスターを手がけていくとともに、様々な業種からもデザインの依頼を受けるようになった。時代を代表するアール・ヌーヴォーの旗手となったのだ。

ミュシャが手がけたポスター。左が『ジスモンダ』のもの

 いっぽう、ルネ・ラリックも同様に、サラによって才能を見出されたひとりだった。

 ラリックは当時、フリーの宝飾デザイナーとして活動していたが、サラのプライベートや舞台上での装飾品を手がけたことで、世間の注目を集めるようになる。

ラリックの作品群。手前は《彫像 タイス》(1925)

 なお本展では、ミュシャがデザインをし、ラリックが制作した《舞台用冠 ユリ》(1895頃)も展示。この冠は、『遠国の姫君』の劇中でサラが着用したもので、ふたりにとって最初で最後のコラボレーションとなった。またこの冠を着用したサラを描いたミュシャのポスターも会場に展示されているので、見比べてみるとおもしろいだろう。

《舞台用冠 ユリ》(1895頃)とそれを着用したサラのポスター
サラのポスターと《舞台用冠 ユリ》(1895頃)

 会場最後を飾るのは、「サラ・ベルナール伝説」。自身で劇団を立ち上げたり、海外公演も積極的に行っていたサラの、女優以外の側面とその栄光を見ることができる。華やかな時代を、煌びやかに駆け抜けた大女優の姿を目撃してほしい。

展示風景より
展示風景より
展示風景より