どうやらドイツでは、徴兵制が廃止になる可能性が高いらしい。
一昨日、政権与党のCDUの幹部会が、国防大臣が提案している徴兵制廃止案を支持したと言う。最終的な決定はまだらしいが、CDU首脳部がGOサインを出したと言うことは、廃止の可能性は高い。
もし廃止されたなら、戦後ドイツ連邦共和国の歴史にとって、大きな出来事になるだろう。連邦軍は、職業兵士と一部の志願兵から構成されるようになる。
廃止が提案されている理由は、一つにもはや徴兵制が国防や安全保障上意味を持たなくなったからだという。軍事技術が発達し、もはや一般の民間人から兵士を募ることの意味が失われたのだろう。むしろ、専門的訓練を受けた職業兵士から成る軍隊の方が、効率が高いのであろう。
すでに現在の国防軍も、25万人の兵士のうち、徴兵制による兵士は7万に過ぎず、徴兵年齢男子のうち約15パーセントしか実際の軍務にはつかないそうである。多くの若者は、民間奉仕の方についている。
しかも兵役期間は6ヶ月。一時は18ヶ月だったというから、その三分の1に短縮されている。
徴兵はすでに、徐々に兵士へと進んでいるともいえる。
フランスも最近、徴兵制を廃止したそうだから、これは先進国共通の流れといえるかもしれない。むしろドイツは、その流れのなかで後塵を拝している方だろう。
廃止が提案されているもう一つの理由は、財政上の問題らしい。現在ドイツはEU基準を越える大幅な財政赤字を抱えている(といっても、日本よりははるかに小さいのだが)。現在連邦議会で来年の予算案の審議が行われれているが、財務大臣が厳しい緊縮財政の方針をとっている。今回の兵役廃止案も、そのような財政緊縮への圧力が背景にあることは間違いない。
だが、この廃止案を強力に推し進めてきた、国防大臣のカール=テオドール・ツー・グーテンベルク(長い名前から察しがつくように、やんごとなきお家柄の政治家である)は、今回の廃止案を財政問題と切り離している。徴兵制廃止は、軍隊の構造改革の一環であり、安全保障上の観点からも問題がない。「連邦軍は小さくなり、より良く、より効率的になる」と彼は言う。
徴兵制が廃止されれば、軍が小さくなることは間違いない。現在25万人の兵力は、17万くらいまで削減されるらしい。
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ところで、私が今回の廃止論争で特に興味を深く思ったのは、徴兵制廃止に反対する人々の論調である。
意外にも、国防上・安全保障上の理由から反対論を展開している人が見当たらないのである。
反対論の一つ。これはCDUやCSUといった保守派(国防大臣のグーテンベルクはCSUの所属である)からの議論で、「徴兵制は保守政党のアイデンティティである」というもの。徴兵制は、1956年、CDUのアデナウアー首相により、国民からの強い反対論や平和運動に抗して導入された。保守派の政治家から見れば、「自分たちが導入した」という意識が強いのだろうか。
もう一つ、これが興味深いのだが、徴兵制はドイツの民主主義にとって肝要なものであるという議論である。
これはおそらく、戦後ドイツ特有の考え方かもしれない。軍隊を軍国主義に結びつけ、それを民主主義と対立させて考えがちな、私のような日本人的な考え方とは全く異なっている。
なぜ、徴兵制は民主主義にとって肝要なのか。曰く、もし徴兵制がなかったら、軍隊は市民社会と民主主義から遊離した専門家集団になってしまう。「制服を着た市民」が存在することで、軍隊は市民社会一般との繋がりを維持できる、というのである。
「徴兵制は民主主義の正統な子供である」と、徴兵制廃止に反対する人々は主張する。
それは、保守政党だけでなく、徴兵制が導入された頃にはそれに反対していたSPDの政治家のあいだにも共有された意見のようである。
西洋の歴史をさかのぼれば、確かに徴兵制による国民軍は、フランス革命の時にはじめてつくられた。お金によって雇われた傭兵ではなく、自分の祖国のために進んで無償で戦う兵士。これが徴兵制である。これが、フランス革命による民主主義と深い関係にあることは疑いを得ない。
しかし、ドイツにはこのような民主主義と徴兵制との歴史的な繋がりは見出しにくい。ドイツにおける徴兵制は、プロイセンがナポレオン戦争に際して、住民を徴兵したのが最初である。
その後、帝政ドイツの時代にも、ワイマール共和国の時代には、軍隊はむしろ民主主義の敵であった。
いったいどこから、「徴兵制は民主主義の正統な子」なる概念が根付いてきたのか。
それは戦後のドイツ連邦共和国において、軍隊の「シヴィリアン・コントロール(市民によるコントロール)」を模索するなかでつくられた、新しい思想であろう。
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今後、この廃止案がどのように議論されていくのか。保守主義にとって徴兵制の持つ意味だとか、軍隊と民主主義の関係だとかが、論題にのぼるのだろうか。興味を惹かれるところである。
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いつもたいへん興味深く読ませていただいております。
ヨーロッパの100年間に一度は大きな戦争を経験した国防に対する考え方、民主主義と徴兵制の関係興味深いです。
30年以上前、ボーデン湖畔Radolfzellのゲーテインスティツーツ(今はないようですが)で2ヶ月ドイツ語(基礎1級)研修を受けました。ボーデン湖畔の色々な記事本当になつかしいです。コンスタンツの町も電車ででかけました。その後Darmstadtに2年おりました。リンゴの記事ありましたが、Darmstadtではこの時期リンゴ酒がでるんだと、学生が言っていました。ただ酸っぱいだけの記憶ですが、一度試して下さい。
2010/9/19(日) 午後 0:09 [ Fujiyama ]
書き込みありがとうございました。
ロドルフツェルは綺麗なところですね。駅の前に湖がひろがっていて、その湖畔の道を自転車が行き交っています。ここにゲーテがあったとは知りませんでした。
2010/9/20(月) 午前 9:56
間もなくイスラエルから日本に帰る例の者です。ドイツの徴兵制の論理、大変興味深く拝読しました。イスラエルの場合は、やられてもやり返さなかったユダヤの伝統へのアンチテーゼとしての、周りに頼るのではなく自分は自分で守らなければならない、というシオニズムのエートスが、男子3年、女子2年という長い徴兵制を支えているように思います(今では世代もだいぶ変わり、軍が弱体化したら国がなくなるという素朴な危機感の方が大きいかもしれません)。民主主義云々とは別の次元ではありますが、軍内部の人事も、政治との絡みもあって、新聞の一面記事になったりしているという点では、国民全体が軍への関心を高く持っているということはいえそうです。
同じ中東でいえば、トルコも男子は徴兵制がありますが、軍が政治に積極的に介入するというある種の伝統があります。軍が世俗の旗手としての自負をトルコ共和国建国当時から持っていることが大きいようですが、これはシヴィリアン・コントロールには反するとも言えます。しかし徴兵制がなく、専門家集団だったならば、そこまで介入をしなかったかもしれません。こうした問題は、いろいろ比較してみると面白そうですね
2010/9/22(水) 午前 3:42 [ つるみたろう ]