村上幸子という演歌歌手がいたことをご存知だろうか。
新潟県村上市(旧荒川町)出身で、1979年(昭和54年)に『雪の越後をあとにして』でクラウンレコードからデビュー。1984年発表の『酒場すずめ』が人気を集める。アクの強い演歌歌手が多い中で、彼女は清純な美貌と透き通るような歌声で次第に多くのファンを獲得。1988年、演歌界の大御所・星野哲郎作詞による『不如帰(ほととぎす)』を勝負の曲と定めて紅白歌合戦を目指した。
ところが、その曲の歌詞の一部に「泣いて血を吐く ほととぎす」という表現があり、当時重体だった昭和天皇の病状に「適切な表現とは言えない」という理由から放送自粛となってしまう。まさに今で言う「忖度」そのものだった。結局、紅白出場は叶わなかった。
そして1989年、彼女は悪性リンパ腫と診断され、闘病生活を送るものの1990年(平成2年)7月23日、31歳という若さでこの世を去った。
昭和の後期に登場し、平成時代が始まりまもなく命を落とした「悲劇の演歌歌手」──村上幸子。そんな彼女が、30年の時を経た令和の今、新たなファンから熱い視線を集めているという。いったい、それはどういう現象なのだろうか。