先日、とあるラノベが発売された。公式のあらすじはこう。
http://kc.kodansha.co.jp/product?item=0000323507
男子高校生の浅田ユヅキがある日目覚めると、女の子の人形の姿になっていた!
人形の名はセブンス。
一流の魔法使いであり人形師である朝霧キョウコが作り出した、世界最高クラスのスペックをもつレンタルサービス型の美少女オートマタである……らしい。
その役割は、依頼者との会話、家事、警備、さらに性行為にまで及ぶ。
セブンスになってしまったユヅキは、さまざまな男性の性処理のためにレンタルされ、心をすり減らす日々を過ごす。
やがて一ヵ月以上が過ぎ、精神的に限界を迎えつつあったとき、セブンスは女性の依頼者である高校生の少女イチコに出会う。
そして、二人は次第に惹かれ合い……!?
帯のコピーは「ここが百合✕SFの最前線!」
発売予告に伴いこのあらすじとコピーが公開された時点で、“百合好き”の間からは強いバッシングの声が上がった。いわく、
「TSと百合は違う!一緒にするな!」
TS(F)とは、性転換もの、特に超自然的な原因での性別変更シチュエーションを指す。そして、元が男のTS主人公は、身体が女でも中身は結局のところ男のまま。精神性を重視する(と一般的に言われる)百合というジャンルの基準で見れば、♂→♀TS主人公とヒロインとの恋愛などは単なる“ヘテロ”でしかない。こんなものを「百合」として世に出すなんてふざけるなよ講談社ラノベ文庫……というのが主旨のようだ。
その百合判定基準が普遍的に正しいかはともかく、上のあらすじを見ればTSに当てはまっていること自体はたしかなように思える。実際に作品が発売されてからも、百合好きの「TSは百合じゃない!」の合唱は続いているようだ。
この批判は、果たしてどれだけ妥当なのだろうか。実際の作品内容と照らし合わせて、軽く検証してみよう。
当然、直球のネタバレがあるので注意。
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あらすじでは分かりにくいが、主人公・浅田ユヅキは、単に男子高校生の人格が女性型のオートマタに突然憑依してしまったというだけでなく、同時に、我々の知るいわゆる「現実世界」から、魔法や自動人形が存在する(それ以外は現実とさほど変わらないし舞台は北海道)世界への移動も伴っている。つまり、この作品は「異世界転移・転生」の一種でもあるわけだ。
というのが表向きの設定だが、実際のところは。
・主人公が元々いた世界だと思っていたものは、実は自動人形セブンスがクラウド的なものの上に作り出した仮想現実。
・「浅田ユヅキ」もセブンスの想像が生んだ人格。
・セブンスは起動した直後に、自我に目覚め、既にロボット三原則的なものを自力で解除していた。
・物語開始時の技術発表会の場で、「浅田ユヅキ」と「セブンス」の人格が、「セブンス」自身の意思により入れ替わった(「私自身がこれ以上、現実の世界で生きたくなくて。」)
とりあえず今回の問題に関係ある部分に関係しそうな設定を一通り並べてみたが、はー、スッキリした。ネタバレって楽しいな。不用意なネタバレを垂れ流すアカウントがいるのも分かるわ(自分がネタバレ食らったら絶対許さないけど)
さて、これを踏まえた上で、この作品に「TSだから百合じゃない」を適用することは可能だろうか。
まず、「浅田ユヅキ」は単純に「男性」と言えるのか。本編の前半、特にオートマタとしての仕事に就く前の素の状態を見ると、たしかに一人称は「俺」だし、男性器に愛着も持っているし、女体への欲望もはっきりある。
極めつけに、両胸に膨らみがあって、健やかなるときも病めるときも十七年間ともに過ごしてきた俺の股間にあるべき分身の膨らみは、いっさい感じられなかった。
ちょっと待て。いま俺はこの美少女なわけだから、この美少女を自由にしてもいいということか。
(略)
自分のいる世界が夢か現か。そのような壮大な悩みも、思春期男子の性欲の前には泡沫のごとく消える。
だが、このような一見普通の男子高校生そのものと言ってもいい「浅田ユヅキ」も、女性(的な人格)である「セブンス」から完全に独立した存在というよりは、「セブンス」の一部、分身として解釈できそうなフシがある。仮想世界で、自身の製作者である朝霧キョウコと対面した「セブンス」は、現実で「浅田ユヅキ」が経験した神尾イチコとの関係を、自分のことのように語っている。
「えへへ。でも、やっぱり入れ替わってよかったです。多分、浅田ユヅキじゃなかったら、自分が本当は人間なんだって思い込んでなかったら、イチコとあんなに仲良くなれなかったと思います」
「イチコに、会いたい、です。最後に、しますから。それさえ、叶うなら、もう一度だけでも、イチコに、会えるなら、もう、夢をみれなくても、私が、消え、ても、構いません、から」
たとえ情報の継承があったとしても、「浅田ユヅキ」が自分とは完全に別個の存在であれば、このような言い回しにはならないのではないか(現実と仮想が逆だが、飛浩隆「廃園の天使」シリーズの、仮想空間上のリゾート地に自分のデータ的な分身を送り込み、そこでの出来事を後で自分自身のものとして追体験する仕組みに近い関係、かも???)
更に、一度破壊された後に再び「浅田ユヅキ」として目覚めたセブンスは、仮想世界内でのキョウコとの会話を記憶しており、本当は自分が別世界の人間ではなく最初からオートマタだったことにも自覚がある。明言はされていないが、ここでは既に「浅田ユヅキ」と「セブンス」の人格が統合されているように見える。仮に当初の「浅田ユヅキ」自体が男性人格であっても、少なくとも終盤における主人公を純粋な男性と呼ぶのは難しいのではないだろうか。
(「浅田ユヅキになるために、ほとんどの知識を捨ててしまいました。」というセリフもあったり、この辺「浅田ユヅキ」と「セブンス」が別人格なのか実質的に同一なのか、最後まで読んでも設定がはっきりせず、曖昧に雰囲気でごまかしてるような感触もあるので微妙なところだが……)
あるいは、「浅田ユヅキ」の背後にある主人格の「セブンス」は女性(的な人格)だと言うがそもそもアンドロイド(的な存在)には本来「性別」などというものは無い、といった根本的な反論もあるかもしれない。
それは確かにある程度筋が通った意見だが、その伝でいけば「浅田ユヅキ」にしても男性ではないわけで、つまり本作は「百合」でもないが「TS」でもない、という結論になってしまう。だいたい、アンドロイドやAIその他人工物を「女」と認めず、それらと人間女性との関係を全面的に「百合ではない」と断言したりすれば、この作品に留まらず相当な範囲まで延焼することは明らかだ。百合の園を焼け野原にしてでも厳密な基準を徹底する覚悟はある?
このように本作は、百合かどうかは議論の余地があるしTS要素が皆無なわけではないが、だからといって「TSだから百合ではない」と簡単に切って捨てられる内容でもない。そこは理解してもらえただろうか。
念のため言っておくと、こんな文章を書いているものの自分は別にこの作品を、何の欠点もない完璧な傑作だと評価しているわけではない。
自分自身が仮想世界内に退避すること自体はともかく、代わりに表面化させる人格として敢えて男性である「浅田ユヅキ」を選ぶ必然性が、設定的にも物語の都合的にもやや薄くないか?とか(セブンス本人は「浅田ユヅキが現実の世界を生きたらどうなるのかなって気になったんです」と軽く説明しているが、ここで言う現実とは自動人形にとって「さまざまな男性の性処理」に他ならないわけで、これは皮肉・悪意の一種なのだろうか?)、
いくら魔法の産物とはいえ、セブンスがシンギュラリティ的〜「強いAI」的〜な状態に至った(本編の大半は主人公の一人称で記述されているので見せかけだけではなく自意識が存在するのは間違いない)理由が、単にものすごくハイスペックだったからというのは、「百合✕SFの最前線」を名乗っておいて、ちょっと……とか(これは作品のせいではないが)、
記憶を完全に失い人格がリセットされたと思われた人造女性がなんやかんやで「マスター」との関係を取り戻すって、これ、ファイブスター物語なのでは???オープニングも実質「お披露目」だし。講談社ラノベ文庫!あなたは…あなたはラノベに何を託されておられるの!講談社!!(※新刊が楽しみで浮かれてるだけなので、ここは真に受けないでください)
などなど、言いたいことはいくらでもある。
それはそれとして、読まずに叩いている層はもちろん、実際に読んだ上でなお「TSだから百合じゃない」と単純に言い切っている百合好きもいるのを見ていると、その姿勢はいかがなものか、と少しだけ悲しい気持ちになってしまうのだった。ゆりピーかなピー(T_T)(完全オリジナル言語のゆりピー語。流行らせたい)