中野敬久

「一度全てを失って、半分はもう死んだ身」――成功と挫折を経たSUGIZOが今、ボランティアに励む理由

12/6(金) 8:00 配信

LUNA SEA、X JAPANのギタリスト・SUGIZO(50)。この秋、イラク、ヨルダンの難民キャンプを訪れた。東日本大震災以降は、さまざまな被災地で継続的にボランティア活動もする。かつての自分を振り返り、「ひどい生き方をしていた。あのままだったら、とっくにこの世にいなかった」と語る。生き方を変えた理由とは。(取材・文:内田正樹/撮影:中野敬久/Yahoo!ニュース 特集編集部)

(文中敬称略)

イラク、ヨルダンの難民キャンプへ

この秋、SUGIZOは中東を旅した。9月下旬から約2週間かけてイラクとヨルダンの難民キャンプを回り、自身のソロプロジェクト「COSMIC DANCE QUARTET(C.D.Q.)」や難民キャンプ専用3人組ユニット「BABAGANOUJ(ババガヌージュ)」によるライブを通して、難民たちと交流した。

「お客さんのなかには、ステージに上がってきて、僕の横で写真を撮ろうとする若い子もいました。彼らにはまだエンターテインメントを楽しむ上でのモラルがない。でも、かつて若者が革命を求めていたような60年代から70年代のロックって、ああいう制御不能のエネルギーで盛り上がっていたんだと思います」

イラク・ダラシャクラン難民キャンプでのライブの様子(撮影:Keiko Tanabe)

LUNA SEA。そしてX JAPAN。日本屈指のロックバンドのギタリストが難民問題に関心を持ち始めたのは、今から20年ほど前だったという。

「2010年頃からUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)のスタッフとの付き合いが始まり、彼らの協力を得て、2016年に初めてヨルダンのアズラックとザアタリ難民キャンプを訪れました。当初は単に支援者として訪問するつもりだったんですが、急遽、『せっかくなら演奏を』と要請を受けて、現地でバイオリンを調達して、まだ電気が通っていなかったアズラックの難民キャンプで、アコースティックで演奏した。それが『BABAGANOUJ』の始まりでした」

ステージで目の当たりにしたのは、想像を遥かに超える盛り上がりだった。

「ムスリムの女性たちも大喜びで歌い、手をたたいて踊っていた。偉そうな言い方かもしれないけど、彼女たちのギリギリの暮らしの中で爆発寸前の感情を発散させられる手段を、僕も彼女たちも『見つけた』と感じた瞬間だった気がする」

イラク・ダラシャクラン難民キャンプでのライブの様子(撮影:Keiko Tanabe)

2018年にはパレスチナの難民キャンプを訪れ、今年はクラウドファンディングで募った資金を元にイラクとヨルダンの難民キャンプを訪れた。現地での演奏は、可能な限りの機材を自ら日本から持ち込み、その設営や解体も自分たちで行う。

「マネジャーもいなければ、スタイリストやヘアメイクもいない。何かトラブルが起こっても、気付いた者がケース・バイ・ケースで対応するしかない」

「C.D.Q.」は会場の環境に応じて、“爆音”をモットーに30分から70分ほどのライブを披露する。強いビートのダンスミュージックだ。そこに「BABAGANOUJ」のメンバーが加わってアコースティック・セクションとなり、中東の音楽やSUGIZOが難民への思いを込めた曲「The Voyage Home」などを演奏する。

「国や民族によって求められるBPM(テンポ)が異なる。パレスチナ人にはやや遅めのエレクトロやハウスっぽい曲がウケるけど、今年のクルド人にはトランスっぽいアッパーな曲がウケた。勉強になりますね」

ライブ活動の傍ら、SUGIZOは難民への寄付もしている。娘のお古の洋服や過去に販売したアーティストグッズも寄付する。「難民キャンプや街中でLUNA SEAの Tシャツ姿の人をよく見かけるんですよ」と彼はほほ笑む。イラクには前回の訪問から交流が続いている難民の一家もいる。

イラク・ダラシャクラン難民キャンプで(撮影:Keiko Tanabe)

寄付はもちろん、ライブもボランティアなのでSUGIZOに金銭的な利益は全くない。そんなボランティア活動を彼は「日々の仕事で得た対価や能力を生かせる“趣味”」と語る。

「以前は“ライフワーク”と言っていたけど、考えてみれば仕事じゃないんだから、最近では“ライフホビー”と言っている。最初に国内でボランティアを始めた2011年も、気付けば体が勝手に反応していました」

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