徒弟制がいまなお残る和食業界にあっても、とりわけ厳格そうなのがお寿司屋さん。
米炊きもロクにできない弟子っ子が見よう見まねで握ろうものなら、頑固一徹な大将から「てめぇにシャリはまだ早ぇ!」などとドヤされる……。いわゆる「回らない」系の高級店には、それぐらい昔気質なイメージって、やっぱりいまもありますよね?
でも、なにをもって「一人前」か……なんてのはあまりに主観的すぎて、基準が曖昧。長く修行をしたからと言って、おいしい寿司が握れるようになるとも限りません。
そこで今回は、ネットでもしばしば論議を巻き起こす「職人に長年の修行は必要か」問題を検証するべく、「即席」職人の握るお寿司屋さんを徹底リサーチ。
業界の「常識」や「慣習」をすっ飛ばして、「大将」にまでなった人物の人となりと、肝心の寿司のお味をさっそく確かめに行くことといたしましょう。
和食料理人から心機一転 ナニワの寿司職人に
というわけで、やってきたのは、踊らないほうのクラブやラウンジ、料亭などがひしめく、大阪・キタの高級歓楽街「北新地」。
東京・銀座と並び称されるこのニッポン屈指のハイソな街の一角に、なんでも「修行期間1カ月」という“超即席”な職人さんが大将を務めるお店があるらしいのです。
それだけ聞けば、「初めて構えるお店が、北新地って大丈夫?」などと、いらぬ心配もしてしまいますが、そこは「論より証拠」。ひとまず現地に向かいます。
数多の飲食店が入る雑居ビルの地下1階。
隠れ家のように奥まった場所にある暖簾をくぐると、中はカウンター7席だけのこぢんまりとしたたたずまい。
ふだん、某バラエティ番組で一流の職人たちからケチョンケチョンに酷評される大手チェーンの回転寿司ばかり食べている筆者としては、「回らない」というだけで気後れしてしまいそうな雰囲気です。
が、ここは気を取りなおして、ミッションを遂行。大将ご本人に、オープンにいたるまでの経緯をうかがいます。
この方が、異色の寿司店「寿司 赤酢」を切り盛りする大将の望月智仁さん。
高校卒業後すぐに和食の世界へと飛びこみ、途中、専門学校などでも学びながら、都内の割烹を渡り歩いてきた御年37歳。和食のキャリアこそあるも、「寿司屋になる」と決意したのは、驚きの「今年の夏」とのことですから、正真正銘の“新米”です。
でも、なんでまた未経験の寿司職人に?
望月さん:自分は東京育ちなので、10代の頃からずっと都内のお店を転々としてきたんですけど、結婚して、子どもも生まれたので、このあたりで環境をガラッと変えたいなと。で、これまで苦労をかけてきた奥さんが少しでも楽になればと、奥さんの実家がある大阪に拠点を移すことにしたんです。
次の職場もまだ決まっていない状態で家族で大阪に転居したのが、今年の7月。その時点では、望月さん自身も「これまでのようにどこかの割烹で」とぼんやり考えていたという。
望月さん:ところが、そんなときに知人を介して、「寿司仙人さん」と知りあいまして。そこで「寿司屋やろうと思ってるんやけど、興味ある?」と声をかけてもらったんですね。和食はずっとやってきましたけど、寿司を握った経験はありませんから、もちろん最初は断るつもりでいたんです。でも「修行1カ月で新地に店出すってなったら、おもろいやろ?」って言われて、「それは確かに」と(笑)。そこからはもう、トントン拍子でしたよね。
望月さんをスカウトした寿司仙人とは、「カウンターで食べる」ことを信条に、各地の寿司を日々食べ歩いて「ほんまの美味しい店」の情報をブログやSNSで発信している、マンガ『美味しんぼ』で言うところの海原雄山的な人物。
その謎すぎる素性はいっさい公にはされてないものの、Instagramのフォロワーは承認制ながら18.6万人を誇る、界隈ではかなり知られたインフルエンサーのひとりなのだ。
「ホントに自分にやれるのかな?」
そんな望月さん、いったいどんな修行内容だったのだろう。
望月さん:さすがに店名までは明かせませんが、修行させてもらったお店は、いずれも仙人がシャリ、ネタ、ガリ、一品物の各分野で太鼓判を押した名店ばかり。それらのお店で9月からの1カ月、みっちり修行させてもらって、今回のオープンにこぎつけたというわけです。ただ、赤酢のシャリは通常よりもまとまりづらいので、最初の3日間はまともに握ることさえできなくて(苦笑)。「ホントに自分にやれるのかな?」って、不安しかなかったですけどね。
▲シャリを炊くのは「世界一おいしいご飯が炊ける」バーミキュラのライスポット
▲あえて芯が残るぐらいの固さに炊くのが流儀。お焦げの部分は使わない徹底ぶり
▲「企業秘密」だというオリジナルの調合を施した赤酢を合わせる
▲舌の肥えた寿司通が最終的にたどり着くのが「赤酢」の独特なシャリだとか
▲お店ではシャリ切りもパフォーマンスの一環として客前で行っている
高級歓楽街・北新地にお店を構えた男の勝算
……とまぁ、ご本人も「不安」を口にしているように、いくら名店の「いいとこ取り」をして、ひと通り形になったとはいえ、修行はわずかに1カ月。お店の立地が老舗高級店が軒を連ねる激戦区であることを考えても、大将のチャレンジはなかなかに無謀な気もします。
ですが、そんな逆境にこそあるのが勝算というもの。大将も続けます。
望月さん:「そんな短期間の修行で大丈夫なの?」なんてのは言われて当たり前。でも、他よりライバル店が多いということは、それだけ寿司好きの方がたくさん集まるということ。『モノは試しでいっぺん食べたろか』となるのは、大阪の人たちの気質でもありますしね。まずは一度食べに来てもらって、勝負はそこから。僕自身、まだまだ勉強しなきゃいけないこともたくさんありますけど、「すごいね」って言わせられるかどうかは、自分の腕ひとつだと思うんで。
ちなみに、お店の売りである「赤酢」をそのまま店名にも使ったのは、「寿司が食べたいと思ったときに、“あ行”なら真っ先に思いだしてもらえる」から。
「北新地」「カウンターだけ」なんてワードを聞くと、思わず身構えてしまうが、聞けば、お値段は「おまかせで15,000円〜」と、思いのほかリーズナブルだから良心的だ。
望月さん:子ども連れのご家族にも気軽にお寿司を楽しんでほしい、というのは僕自身の願いでもあるので、敷居はできるだけ低くしたかったんです。カウンターの後ろにひとつだけ作ってあるテーブル席も、ここをキッズスペース的に使ってもらって、大人はカウンターでゆっくりお寿司を……という想いから。赤酢のシャリはお子さんにはちょっとクセが強すぎるので、お子さんの食べもの・飲みものについては持ちこみ自由ってことにもしています。
▲いい感じにサシが入った中トロ。まぐろの産地は国内産に限らず、アイルランド産、カナダ産など、自分の目で見ていいものを市場で毎日仕入れている
▲甘みのある醤油が食欲をそそる“漬け”。仕入れた魚はどれも5日〜1週間ほど寝かせて旨味を引きだしてからネタにする。握る直前に常温に戻っているのがベストなタイミング
▲風味を悪くするミョウバンや香りのつく木箱を使わず加工されたこだわりの生ウニ。米国・サンタバーバラで水揚げされたものだが、空輸は冷蔵で鮮度も抜群
▲本わさびは有名店も御用達のおろし金「鋼鮫」で。基本「さび抜き」の回転寿司に慣れすぎた筆者にとっては、ひさびさに思い出した“本物”の風味(泣)
江戸前伝統の「本手返し」で魅せるこだわりの握り
高級店が並ぶ北新地においてハードルはことのほか低い「赤酢」だが、そこは日本全国の有名店を食べ尽くしてきた“寿司仙人”氏が全面的にプロデュースしたお店。
選りすぐられたネタの鮮度はもちろん、握りは江戸前伝統の「本手返し」。提供スタイルも「カウンターで1貫ずつ」と、そのこだわりようは老舗の高級店とも遜色ない。
とくに、マンガ『将太の寿司』で読んで以来、知識としては知っていたけど、生でじっくり見たのは初めてだった「本手返し」は、ずっと見ていられるほどエンタメ性の高い妙技と言ってもいいほどです。
▲これが「本手返し」。サイズ小さめなのでPCの方、ごめんなさい
望月さん:本手返しは習得するのも難しいし、工程が多いから提供までに時間もかかるんですけど、お出しするときのフォルムがやっぱり圧倒的にキレイなんですよね。カウンターで一貫ずつお出ししているのも、出してすぐ食べていただくのが、いちばん美味しく味わってもらえるタイミングだから。時間が経つとシャリのあいだに含まれた空気が抜けて、せっかくのふわっとした食感が失われてしまうんです。
確かに、口のなかに広がるその食感は驚くほどにフワッとエアリー。
赤酢のシャリはやや好みが分かれそうなところではありますが、それぞれにしっかり旨味を感じさせるネタとシャリが、噛んでいるうちに調和のとれた深い味わいに変わっていく案配の絶妙さからは、大将の心意気が伝わります。
安いか高いかはその人の価値観によって変わるとはいえ、今回写真で紹介する握りや一品料理は「おまかせコース」のごく一部。実際は、“旬”のものがもっとお腹いっぱいに食べられて、ぜんぶコミコミだと言いますから、「ちょっとした贅沢」としては全然アリ。
「回るほう」に慣れきった舌しかもたない筆者の説得力のなさはひとまず脇に置いておくとしても、この場所で過ごすひとときには「修行期間の短さ」はまったくの無関係と言ってしまってもよさそうです。
▲定番の赤身(以下はすべておまかせコースの一部となります)
▲漬けまぐろは、粒マスタードのような食感の地がらしと……