近頃「共同親権」に関するエントリーを頻繁に目にするようになった。
現在の日本は、親が離婚した際、片方の親しか親権を持てない。いわゆる「単独親権」を採用している。
民法819条1項で定められているのだが、その民法を変え、「共同親権」を採用しようとする動きが、今法務省であるからだろう。
故に、「共同親権」に関する議論が今とても活発になっているのだ。
目次
親権の取れない父親の本音
先日もこんなエントリーが話題に上がり、沢山のコメントを集めていた。
投稿者は男性である。投稿者の主張は、
- 自分は育児には専念してきた。
- 妻は専業主婦であり、何不自由のない生活を送れていた。
- 自分には全く非がない。
- 妻が一方的に子供を連れて家を出てしまってから1年半たった。
- その間子供と会えたのは3回だけ。しかも数時間。
- 妻側からの罵詈雑言に耐えつつ、婚姻費用は払い続けている。
- 妻は離婚を望んでおり、離婚理由(経済的DV、心ない言葉を履き続けるなど)も主張しているが、自分には全く身に覚えがない。
妻は離婚を望んでいるが、投稿者が離婚を望んでいるのか、明言はされていない。とはいえ、養育費について
こんなことになるまで、養育費を払わない父親がいるなんて信じられなかった。
いまならわかる。こんな状況になると、子どもを思い出すのすら胸が苦しくなる。
とし、「万が一離婚の際は養育費は払いたくない」との意思を匂わせている。
投稿者としては、
だから「単独親権」はよくない「共同親権」が望ましい。
と主張したいのだろう。もっとも、この主張もまた明言されてはいないのだけれども、深読みした読者がコメント欄でその点を指摘している。
当のコメント欄では、冷静にも
「妻側の主張がわからないから、判断できない。」
「専業主婦の妻がいて”育児に専念する”とは??」
との指摘も複数あって面白かった。
夫婦の実情
とはいえ、実際問題、婚姻生活の実態を他人(夫婦以外の人間の意味で)は正確に窺い知れない。
認知の歪みもあり、一つの事象を、互いで同じ認識を持つのも難しい。
監視カメラで隠し撮りをし、夫婦の会話ややり取りを録画し、利害関係のない、かつ専門知識のある第三者にその画像を分析でもしてもらうぐらいしなければ、公平な判断はできない。
だからこそ、ケースバイケースであり、一概に「単独親権が望ましい」「共同親権が望ましい」と言えないのが現状だ。
だからこそ、この問題には賛否両論あり、皆が皆納得する着地点が見えないのが非常にもどかしく、同時に悩ましくも思う。
共同親権のメリットデメリット
現代日本において、離婚の際、約8割が母親が親権を持つ。
故に、自らの経験に基づき「共同親権」のメリットが語られる際、大抵は発言者は男性である。
彼らは、元妻の言動を非常に悪辣に表現する。如何に「母親として」「妻として」「人間として」問題があったを強く主張する傾向がみられる。
その中で、自分は搾取(養育費の支払い)だけされ、得るもの(子供への面会の機会)がないつらい現実が切々と語られる。
その一方で、一般論として「シングル家庭の貧困婚問題」と同時に「養育費の不払い問題」に触れ、面会の有無や回数と、養育費の支払いの因果関係についての議論が集中するのがパターンだ。
「共同親権」のデメリットが語られる際、一般論として、相手側のDVやモラハラ、浮気などの相手側の一方的かつ絶対的な非によって「心身の健康を害する可能性への危機」が指摘される。
個人的には、「共同親権」のメリットを主張するのは男性、デメリットを主張するのは女性の傾向が強い印象がある。
子供にとっての「正しさ」
離婚についての相談をネット上で見ると、2つのパターンの問いかけをよく目にする。
「子供から父親を、母親を取り上げてもよいのですか??」
「子供にとって、そんな父親、母親必要ですか??」
この質問、疑問にすべてが集約されているのでは、と私は思っている。
離婚事由を受けて、「子供から父親を、母親を取り上げてもよいの??」と疑問、感想を持てば、共同親権に傾く。
逆に「子供にとって、そんな父親、母親必要??」との疑問、感想を持てば、単独親権に傾く。
どっちらにせよ「単独親権」が良いとも「共同親権」が良いとも言い切れないのがこの問題の根深いところだ。
「子供にとって」の落とし穴
この問題を「子供にとって」のみに焦点を合わせるのもまた、難しい話だ。
なぜなら、「子供が正しく判断できているかどうか」への疑念が常に付きまとうからだ。その「正しさ」への疑問ももちろんある。
子供を前にしての面前での暴力・借金はさておいて。
時に浮気、経済DV、モラハラ、隠れた場所での暴力、などの問題の場合、「夫婦の問題」であって、「親と子供の問題」ではなく「子供への影響」はないとする人もいる。実際、その影響を受けない子供もいるため、話がさらにややこしくなる。
個人的には葛藤はあってしかるべしと考えている。
もっと言えば、「自分を苦しめた、元パートナーを、親として慕う、子供の義務・権利として快く面会に応じさせる」が、アリかナシかは微妙なところだ、と私は思っている。
出来た人間だったら、割り切って「自分にひどい事をした夫(妻)でも、子供にとっては唯一の父親(母親)だから」と快く面会に送り出せる親もいれば、そうでない親ももちろんいる。
自分が憎んでいる相手を慕う子供の姿に、負の感情を抱き、子供への接し方に悪い影響が出たら、元も子もない。
実際、「自分をいじめた人を、そのいじめの事実を知りながら慕う人より」「自分をいじめた人を、そのいじめた事実を知ったうえで自分と一緒になって嫌ってくれる人」の方が親近感は湧きやすいだろう。
人間とは、そんな弱く矛盾した生き物なのだ。
最後に
とりとめがなくなってしまったが、離婚の際、「単独親権」にするのか、「共同親権」にするのか。母親にするのか、父親にするのか、両方にするのか。
当事者だけの意思と主張だけで判断するのは非常に困難であり、危険だ。
やはり第三者が、点数制で両者に加点、減点し、公平に決めたほうが良いのではないだろうか、と個人的には思っている。
最近ではモラハラやDVなどにも冤罪疑惑が付きまとう。
物的証拠や国から認証を受けた調査機関からの調査結果をもってして、極力客観的な判断材料で「単独親権」と「共同親権」のどちらにするのか、「単独親権」だったら父親と母親どちらにするのか、を判断するのが理想なのではないだろうか。
余談~子供の連れ去りについて。
「単独親権」否定派の意見の中には、「子供の連れ去り問題」にも焦点が当てられている。
この場合、大抵子供を連れ去るのは育児を主に担っている「母親」だ。
一見、母親の子の行為は、非常に一方的で理不尽ではある。
ではあるが、多くの育児を主に担っている母親にとって「育児に不慣れな夫に子供を任せて自分だけ身一つで家を出て行く」選択肢は存在しない。故に残った選択肢は「子供を連れて家を出る」しかないのが現状だろう。
夫婦間が上手くいっておらず、決定的な事件が起きたり、日々のすれ違いでにっちもさっちもいかなくなり、妻が夫と距離を置きたいと考えた時、家にいる時間の長い妻が主体的にとれる解決策は限られている。
- 「家庭内別居」
- 「子供を置いて自分だけ家を出る」
- 「子供を連れて家を出る」
とは言え、妻が子供を置いて家を出て行くのは「捨てた」「母親失格」のレッテルを張られ、のちのち離婚の際親権を失うリスクを伴う。
一方、夫婦間の仲が上手くいかなくなった際、
- 「夫が家に帰らなくなった」
- 「夫の帰宅が遅くなった」
- 「休日も夫が家をよく空けるようになった」
との話は割とよく聞く話だ。
夫の場合、のらりくらりと帰宅時間を遅らせたりして、自分の意思で妻と顔を合わせる時間を短くしたり、回数を減らすのは可能だ。
だが、妻の場合、母親の場合は、子供の世話と生活があるため夫と同じ対処方法はそもそも存在ない。
基本的には夫の帰って来る自宅に帰らなければならない。
極力夫と顔合わせないようにするためには「家庭内別居」か「子供を置いて自分だけ家を出る」か「子供を連れて家を出る」しかない。
その選択肢の中で、多くの妻が「子供を連れて家を出る」選択を消極的ではあるにしろ、せざる得なかったのではないだろうか、と私には思えてならない。