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【国際】

脱貧困へ井戸1600本整備 中村哲医師 死亡

<評伝> 「武装勢力の怖さを感じたことはない。米軍とは距離を置いているから」。アフガニスタンで人道支援活動を長年続け、四日銃弾に倒れた福岡市のNGO「ペシャワール会」現地代表の医師、中村哲さん(73)。口癖のようにそう繰り返していたのは、アフガンの大地に根差し、市民の貧困脱却に貢献してきた自負があったからだ。

 中村さんは福岡県出身。福岡高を経て九州大医学部で学んだ。登山が趣味で一九七〇年代にはパキスタンの七千メートル級高峰の登山隊に医師として同行。八四年に北西部ペシャワルでハンセン病患者の医療活動に携わったのが長いアフガン支援の始まりとなった。アフガン内戦の影響で多数の難民がペシャワルに流入。次第に関心はアフガンに向き、九一年に東部ナンガルハル州に診療所を開いた。

 武装勢力に若者が加わるのは「貧困が背景にある。アフガン和平には戦争ではなく、貧困解決が不可欠だ」との信念に基づき、支援の内容は医療から干ばつや貧困対策に徐々に移行。二〇〇〇年にアフガンが大干ばつに襲われた後、水不足や農地整備のため、日本人の若者ボランティアを募り井戸や用水路の建設を始めた。

 若者らは低賃金をものともせず、合宿しながら活動。現地の服装、質素な現地料理、イスラム教を尊重した生活習慣を貫き、地域に溶け込む努力を続けた。「最初の半年は言葉もシャベルの使い方も分からず使い物にならない」。言葉は厳しいが、地元に密着し市民らを優しく見守る中村さんの秘めた愛情に賛同する若者は多かった。

 こんなエピソードがある。米軍が突然、診療所を数台の装甲車とともに訪れ、薬の提供を申し出た際に拒絶したのだ。米軍と距離を置くためだった。「米国に近いと思われたら、ここでは誰も信用してくれない」。だからこそ、地元住民に信頼され、大切な土地の開拓を許されてきた。

 だが、〇八年八月に静岡県出身の伊藤和也さん=当時(31)=が武装勢力の凶弾に倒れる。「私を含め情勢に対する認識が甘かった。まさかこんな目に遭うとは考えていなかった」と無念さをにじませた中村さん。以後は若者らの派遣を厳しく制限する一方、本人だけは陣頭指揮を続けてきた。

 〇三年に「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。一六年秋には「旭日双光章」を受章した。一八年二月にアフガン政府から勲章を授けられ、今年十月には市民証(名誉市民権)も授与された。

 これまでに掘った井戸は千六百本に上る。用水路を引いた大地は黄土色から緑一色に変わった。「裏切られても裏切り返さない誠実さこそが、人々の心に触れる」。自著につづった思いは通じなかったのか。中村さんの無念さを思うと心が痛い。(共同通信元カブール支局長・遠藤幹宜)

 

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