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 30年以上、アフガニスタンの復興を支援してきたNGO「ペシャワール会」現地代表の中村哲医師(73)が、道半ばで命を奪われた。医療の枠にとどまらず、農業にも力を尽くし、現地の人たちに感謝されていた中村さん。事件は、悪化する治安に警戒しながら活動する中で起きた。

 中村さんを中心とする「ペシャワール会」は1983年に設立。中村さんは86年にアフガニスタン人を対象にした活動を始め、現地に溶け込んで医療や農業などの支援に取り組み、高く評価されてきた。

 2001年9月の米同時多発テロ後、アフガニスタンでは米軍と武装勢力との戦闘などで治安が悪化。08年8月には同会の伊藤和也さん(当時31)が武装集団に拉致され、殺された。同会は10カ所以上あった診療所の大半を閉め、日本人メンバーを引き揚げた。

「合言葉は『100の診療所より1本の用水路』」――。記事の後半で、中村哲医師が残した言葉を紹介します。

 それでも中村さんは現地に残り、03年に始めた東部クナール川下流域での用水路建設を継続。新たな用水路の建設にも乗り出し、取水堰(せき)や分水路、護岸樹林帯もつくるなど、活動してきた。

 勲章や名誉市民権をガニ大統領から贈られた中村さんは「私たちの試みが多くの人々に希望を与え、少しでも悲劇を緩和し、より大きな規模で国土の回復が行われることを願う」との談話を発表していた。

 死去を受け、アフガニスタンの大統領報道官は「(同国の)偉大な友人、中村医師は、水資源の管理や農法の改善でアフガニスタン人の暮らしを変えるために人生を捧げた。中村医師への凶悪で卑劣な攻撃を強く非難する」とツイートし、功績を評価した。

 国連アフガニスタン支援団もツイートで、中村さんを「最も弱いアフガン人を助けるために人生の大半を捧げた」と指摘。「尊敬を集めた日本人援助関係者が殺害されたことに嫌悪を表明する」とした。

 パキスタンでNGO代表を務める督永忠子さん(75)は、80年代から交流してきたという。「現地に溶け込む努力が一般的なNGOの水準から飛び抜けていた。モスク(イスラム礼拝所)を建ててイスラム教への理解を示し、スタッフの給与も現地の水準を調べ、決してばらまきはしなかった。だから、ほかの団体が撤退する中でも活動を続けられたのだろう」と話す。

 安倍晋三首相は首相官邸で記者団に「医師として医療分野に、また灌漑(かんがい)事業などにおいて大変な貢献をしてこられた。危険で厳しい地域にあって、本当に命がけでさまざまな業績をあげられ、アフガンの人々からも大変な感謝を受けていた。このような形で亡くなったことは本当にショックで、心からご冥福をお祈りしたい」と話した。(渋井玄人、武石英史郎)

周囲に語っていた「あと20年は活動を続ける」

 一報を聞いて福岡市ペシャワール会事務局に駆けつけると、4日付で刷られた会報がテーブルに並んでいた。中村哲さんが決意をつづっていた。「この仕事が新たな世界に通ずることを祈り、真っ白に砕け散るクナール河の、はつらつたる清流を胸に、来たる年も力を尽くしたいと思います」

 初めて取材したのは2001年の米同時多発テロ後、アフガン情勢が緊迫し、日本へ一時帰国した際だった。以来、繰り返しインタビューをさせてもらった。活動のきっかけに話が及ぶと、いつもはにかみながらこう言った。「最初から貧しい人を助けようと思っていたわけではありません」

 少年時代から昆虫が好き。「珍…

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