鶏の声は聞こえずとも、カルネ村の少女エンリは生活習慣のせいからかいつもと同じ時間に目が覚めた。
微睡に気怠い脳髄は未だ正常な判断を下せるはずもない。朝の陽ざしから眩しそうに目を擦り、身体を起こして伸びをした。
隣で眠る妹のネムの頬に残るうっすらとした涙の跡を見て……彼女は漸く、昨日の惨劇を思い出す。
「……っ」
声にならない声。跳ねそうになった身体をどうにか抱きしめることで押さえつけ、わなわなと震える唇にゆるりと指を持っていく。
――そうだ……私達は……昨日……
逃げろと言った父と、生きてと願った母。
その二人の骸に縋りついて泣いた夜が鮮明に思い出される。
広場の地面に並んでいたのは死体、死体、死体の列。
気前のいいお兄さんも、優しかった近所のおばさんも、働き者だった力持ちのおじさんも、村長でさえ……皆、物言わぬ骸となってしまっていたのだ。
「ぅくっ……ぅぇ……」
吐き出しそうになった。胃の中は空っぽだったはずなのに、そのままシーツに中身のない液体をぶちまけてしまいそうになった。
それほどのことだったのだ。彼女にとって昨日の出来事はあまりに悲惨で、凄惨に過ぎた。
どうにか飲み下した胃酸に顔を顰めながら、荒くなっていた息を落ちつけようと胸に手を当てて呼吸を行う。
隣で寝ている妹はまだ夢の中だ。哀しみの底の底でも、夢の中でだけはまだ幸せであってほしいと願った。
一つ撫で、二つ撫でた。さらさらとした幼い妹の髪の毛は心地いい。不思議と彼女の心に安息を与えてくれる。
それはきっと、一人ではないという安心感からかもしれない。
しばらくして、彼女の耳に音が届く。
カシャリ、カシャリと鳴る鎧の音だ。
恐怖が思い出されると同時に、彼女はぐっと堪えた。
この音は違う。これは大丈夫。だって、あの人は約束してくれたから、と。
「おはよう。朝から俺みたいな鎧男に声を掛けられて気分のいいモノではないかもしれないが、少し話がある」
穏やかな声音は間違いなく自分達を救ってくれた人のモノ。
得体のしれない相手ではあるが、彼の素性を聞く暇もない一日であったのだから仕方ない。
助けてくれた、というその一点だけを信じるしか、少女エンリに残されている選択肢はない。
生殺与奪の権利はあちらにある。自分はその強大すぎる相手に立ち向かうには非力だ。例え、自分達二人以外を救えなかったとしても彼を責められるはずもない。
自分達は救われた、それがすべてだ。
コクリと頷いた彼女は一寸だけ妹に目を向ける。
その意図を察してか、彼は続けて声を流した。
「手短に言おう。
夜に君たちを保護してくれる騎士の一団が来た。戦士長、と言っていたからそこそこに地位の高い人ではあると思う。
焼けた村を見て悔いていたから、責任感の強いいい人だろう。
その人と話をする時間をすこしばかり作って欲しいんだ。昨日の今日で酷だろうとは思うんだけど……」
不甲斐なさがにじんでいるような声音だった。
無機質な声ではない。幾度となく苦渋を呑みつつも現実を直視してきた……大人が子供を諭す時に似た声。
「ありがとう……ございます……」
ぽつりと、エンリは礼を口にする。
昨日のことに対してか、はたまたその情報に対してなのか、彼女は口に出してから疑問に思う。
「君と妹さんの命に対してのお礼なら、受け取ろう。
そしてすまない……君の村を護ることが出来なくて」
一つ頭を下げる彼の声はまっすぐにエンリに届く。
死体の列を前にして、父と母の遺体に泣き縋る自分に一声も掛けなかった彼であったが、何も思う所がなかったわけではなかったのだとエンリは気づく。
「いえ……元から私のわがままでした……。
あなたは……私達の命を優先してくれたんですね」
たった一人の騎士が、いくら強大な力を持っていようと自分達を護りながら村を救うことなど出来はしないのだと、エンリは聡く気づいたのだ。
もし、置き去りにされたまま彼が村の救出に向かっていたら、自分達は万が一でも何か悪意にさらされたかもしれない。
もし、何処か建物の中に隠されたとしても、自分達が人質となったりすれば彼自身も危うかったかもしれない。
もしもの出来事はあの状況なら現実に起こりえたこと。取捨選択の末に、彼は彼に出来る一番の最善を取ったのだろう。
エンリの発言に彼は何も言わない。
それを肯定することすら烏滸がましいとでも思っているのかもしれない。
エンリとネムにとって、彼は救世主に違いないというのに。
「だから……もう一度。
ありがとうございます。私とネムを、救ってくれて」
哀しい、苦しい、つらい。家族も知り合いも妹を除いて居なくなってしまった。
でも自分はまだ生きているのだ。救いを与えてくれたモノに感謝せずして、エンリは前に進めない。
その声は優しく、華の綻ぶような笑顔で彼女は騎士に言葉を流す。
「自分を責めないで。私達はあなたの言う通りに、もう、大丈夫です」
数瞬、ふっと彼から吐息が漏れる。
強いな、と小さな呟きが聞こえた。
「ありがとう。申し遅れたが、俺の名前は……」
言葉に詰まり、少しの逡巡をした後、彼は言葉を続けた。
「たっち・みー、それが俺の名前だ」
不思議な名前だ、とエンリは思う。異国の人なのかもしれない、とも。
「悪いが、俺の名前はあまり人に広めたくなくてね。内緒にしておいてくれると助かる」
悪戯っぽく口に指を当てる彼が少し子供に見えてエンリは微笑む。
「分かりました、たっちさん。騎士様、と他ではお呼びしますね」
「助かる。えっと……」
「エンリです。私の名前はエンリ・エモット」
「うん、ありがとう、エンリちゃん」
ちゃん付けで呼ばれたことに少しばかりむず痒さを感じたエンリは眉を顰めた。
「エンリでいいですよ。もうそんな歳でもないので」
「……わかった、エンリ」
微笑ましい、とでもいうようにエンリの頭を一つ撫でた彼は、カシャリと音を立てて振り返り窓の方へと進んでいった。
「戦士長との会合にはまだ時間がある。ここで少し折り入って頼みがあるんだが……少しこのあたりのことを教えてくれないか?
いかんせん、俺はちょっと魔法使いの友人の不手際で全く分からない場所に飛ばされてしまってね、ここが何処かも、どんな国の支配下かもわからない状態なんだ」
魔法使い、というおとぎ話に出てくるような言葉を聞いてエンリは少し首を捻るが、その声が真に迫っていた為に疑問を飲み込む。
「ええ、分かりました。
では朝食を用意しますからその時にでも、でどうでしょう? あ、騎士様に出せるようないいモノは出せませんけど……」
台所に目を向けながら声を流すエンリに、彼は振り向きながらふっと笑った。
「重ねて助かるよ。よろしく頼む」
非日常の後というのに日常的な会話をしていることと、朗らかで何処か安心させてくれる彼の雰囲気から、エンリは昨日のことすら頭の隅に追いやって。
よし、と腕まくりをして料理の準備に取り掛かるのだった。
†
「なんだと?」
ガゼフはその報告を聞いて眉間の皺を深めることとなった。
「はい。正体不明の部隊がこの村に接近中、掲げているのは法国の紋章であることから、彼の国の特殊部隊、それも魔法詠唱者・神官が属するタイプかと思われます」
再度の報告に舌打ちを一つ。
次から次へと厄介事が舞い込んでくるので頭を抱えたかった。
「何故、法国の部隊がこんな辺境地まで来てるんだ。いや……まさかここ最近の村々の襲撃と関連しているのか?」
帝国の軍が襲撃を繰り返していると話では聞いていた。これも戦争の小競り合いの一つだろうと楽観的に考えていたが、此処で法国なんぞが出てくると全く話が違ってくる。
現状、彼の所属するリ・エスティーゼ王国は腐敗が進んでおり、近隣である帝国とは定期的に小競り合いを繰り返している最中だ。
ガゼフの名は帝国にも法国にも響いており、前線に立つことでも有名だ。
もし、帝国と法国に繋がりがあったとすれば……王国の最大戦力であるガゼフをどうにかしようと結託することも一つの策ではなかろうか。
辺境地にのこのことやってきた所を叩き潰す……なかなかどうして、理に適っている。まっとうな戦争の常識とやらを考えなければ、であるが。
――クソっ……この状況で、今の兵力で法国の一個部隊とやりあうのはまずい。
俺の装備が整っていればまだ守りながら勝てる見込みはあるが、魔法への対策もしてきてない今の部隊じゃ被害が大きくなりすぎる。
これが兵士同士の戦いであればよかった。兵士同士であれば、指揮官としての采配と部隊の錬度と士気が生きてくる。
しかし魔法詠唱者相手ではそれがまるで役に立たない。
一つの魔法が大砲よりも高い火力を持つのだ。戦術兵器をぶっ放してくる相手に騎士が特攻してもいい的になるだけであろう。
さらには召還という魔法もあるのだ。疑似生命体やアンデッド、果ては天使や悪魔など、騎士数人がかりで戦わなければならないモノを複数召還されては一瞬で劣勢になるのは目に見えている。
魔法のない現代社会と比べて、魔法というモノは戦争の幅を広げすぎるのだ。
一騎当千の武将が一人いれば優勢になるモノではない。ガゼフは、それをよく理解していた。
「……まだ、距離はあるんだな?」
「はい。不幸なことではありますが、村人の生存者が例の二名だけということなので逃避するのは我らの部隊のみ、即時退却すれば被害は最小限にエ・ランテルまで引けましょう」
「刻限は?」
「猶予は……二刻ほどかと」
そうか、とガゼフは唸り考える。
あまりに時間が惜しい。
自分は部下の命を背負っているのだ。村には申し訳ないが、骸の整理や確認などは後日に回した方がいい。
一つだけ、約束だけは守らねばならない。
しばし考えたガゼフは部下に厳しい目を向けた。
「撤退の準備をはじめよう。一人は“あの家”に行って生存者を連れて来てくれ。俺が此処で話している間に撤退の準備を完了させ、話が終わり次第出発する」
下された命令に否はない。御意、と答えた部下はそれぞれ与えられた仕事の為に動いて行った。
ふぅ、と一息ついたガゼフは焼けただれた村長宅の焦げた天井を仰ぐ。
「あわただしいこった。これも神さんの計らいかね。
昨日の騎士の旦那が話の出来る奴であれば御の字ってか。嬢ちゃん方だけは……責任を持って都市まで送らねぇとな」
しばらく、村長の家跡に連れられたエンリとネムはガゼフの前に用意された二つの椅子に腰かけていた。
彼は後ろ。二人の後ろで守護するように背筋を伸ばす。
ピリピリと少し痛い緊張感は彼から送られる厳しい目線のせいだろう。
大きなプレッシャーを前にも、ガゼフは柔らかな笑みを引き出してエンリとネムを交互に見た。
「リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフという。この度は間に合わず、本当に申し訳なかった」
開口一番、彼はエンリとネムに頭を下げた。
通常は高い位にあるものはこんな簡単に頭を下げることはない。しかし、ガゼフはどうしても彼女達に謝罪したかった。
自分が居れば、まだ救われた命はあったかもしれないのだ。もし、たら、れば、などコトが終わってからでは意味がない、それでも、である。
ほお、とエンリの後ろの騎士は感嘆の吐息を漏らしていた。
まっすぐにエンリと合わせられる瞳には邪な感情は見当たらない。ただ純粋に、謝罪の色が濃く浮かぶのみ。
「……」
エンリは言葉を紡げない。そういわれても、彼女にはなんら返せる言葉がないのだ。
昔の彼女であれば、その謙虚な性格から戦士長が頭を下げることなど、と言って恐縮していたと思う。
しかし今の彼女は違う。妹以外の何もかもを失ったことで、どこかそういうところに冷めてしまった。
怨嗟を返すのか? もっとはやく来てくれたら、と攻めればいいのか? なんで私たちが、と悲哀を叫べばいいのか?
そのどれもが、彼女の中では否だった。
今のエンリにとって、この王国戦士長はただ、近くに居た軍の人。ただそれだけなのだ。
「えと……父と母との別れは済ませました。まだ村のみんなは弔って上げれてないけれど。
その……私はただの村娘です。難しいことはわかりません。でも、戦士長様は私達のことを想ってきてくれてた。
村のみんなに変わって、間に合わなくても、私達のことを護ろうとしてくれたってこと、お礼を言います。ありがとうございます」
ペコリ、と下げられた頭にガゼフは歯を食いしばる。
普通の村娘が日常を奪われて、自分達に怨嗟を投げずに礼まで言う。そんなこと、ふつうは有りえない。
頭を上げた少女の瞳は真っすぐにガゼフを射抜く。その中には、怨嗟も憎しみもこれっぽっちもなく、困ったような表情があるだけ。
強いな、とガゼフは思う。この強い少女に、これ以上重荷を背負わせるわけにはいかないと、そう思う。
「……すまない、ありがとう。
君たち二人は他の街に身寄りは?」
「……ありません」
「そうか……なら、一番近い都市のエ・ランテルの孤児院に行って貰うことになるだろう。身の回りのモノを整える為にも戦時被害の手当ても出るように融通する。もちろん、その場所までの護衛は私達がしっかりと受けもとう」
話すのはこれからのこと。戦災孤児は今の時代だと割かし多い。そういう受け皿の孤児院も少なからず存在するのだ。
彼女達はそうして、生まれた村を離れて暮らすしかない。二人で暮らしていくことは、もうカルネ村では出来ないのだから。
「ただ……荷物を纏める時間が……なくなってしまった」
苦い顔をしてガゼフは目線を切った。
「法国の特殊部隊がこの村に接近してきている。現状、奴らの狙いはこの私だと思われる。王国と帝国の戦争に介入しているのだろう。すまない……面倒事に……巻き込んでしまって……」
血を吐くような重さの言葉を聞きながら、エンリは呆然とそれを理解しようと努めていた。
実はエンリはそこまで頭の回転は悪くない。大人たちの手伝いを長いことして賜物であろう。
――つまり、私達の村が攻められたのは戦士長様をおびき出す為で、今、その本命がこっちに来てるってこと?
単純でも読み取ってしまったエンリは、なぁんだと頭の中でつぶやいた。
――そんなことの為に、私達の村はなくなっちゃったんだ……
心の中には何もわかない。激情が沸いてもおかしくないはずなのに、彼女は呆然と宙を見る。
上を見上げていって……前をじっと見つめている命の恩人に目が行った。
「ねぇ、騎士様。私はどうしたらいいかな? いつかは出てくしかないと思ってたけど……まだ、お父さんとお母さんのお墓もできてないんだよ?」
唐突な疑問を振られても騎士は動かず。ただじっと、ガゼフを見つめたままで言葉を流した。
「これ以上君の父と母の眠る土地を荒らされるのが嫌かい?」
それは静かな声だった。
「……やだ」
「ネムちゃんはどうだい?」
「……お父さんとお母さんに……まだ……お花……あげてない……」
遅れて、そうか、と、張りのある声だけが場に響いた。
次第に、ネムの瞳から涙が溢れてくる。
嗚咽に変わり、思わず抱きしめたエンリの胸の中で、くぐもった泣き声が部屋に響きだした。
「……分かった。俺がなんとかしよう。ガゼフ殿、情報感謝する。
ただ、まだ彼女達の心の整理がついてないみたいでね……孤児院への入居の話はしばらく後にしてもらえないかな」
その言葉に驚愕したのはガゼフだけであった。
「ば、馬鹿な! 相手は法国の特殊部隊だぞ! 魔法詠唱者が何人いるかも分からず、しかも召還魔法もあると聞く! 一人で戦える相手ではない!」
当然の論理を口にするガゼフに対して、騎士は指を一つだけ立てて息をついた。
「魔法、魔法ね。最高で第三位階の魔法を使ってくる相手が複数、召還もそれに準じたモノ……それなら、俺は問題ない。慣れてるからね」
肩を竦めて笑う仕草は鎧越しでもひょうきんに見えた。
何をばかな、と言うより先に騎士が声を上げる。
「ガゼフ戦士長。ワールドチャンピオン、という言葉を聞いたことはないですか?」
突然の質問。まったく意図が分からないが、ガゼフに答えられるのは一つである。
「いや……ない」
「そうですか。なら、やはり問題ない。俺がいるからね」
意味不明な回答、意味不明なやり取り、ガゼフは不信感に頭が痛くなった。
「ガゼフ戦士長。エンリとネムちゃんの護衛をよろしく頼みます。
あなた方は戦闘に参加しないで欲しい。出来ることならこの村の被害者の埋葬を手伝ってあげていて欲しいです」
カシャリ、と騎士は一人扉の方へと脚を向ける。
その背に声を掛ける前に、エンリが掌をガゼフの前に出した。
「その……騎士様を、信じてください。
あの人は多分、大丈夫ですから」
その掌は、少し震えていた。
ガゼフは今気づく。
あの騎士に命じたのは彼女だ。彼女が願ったから、あの騎士は動いた。あの騎士は彼女の願いを叶える為に出来ることをやろうとしているのだ。
故に、彼女は命じたモノとして待つことを選択した。心配があるのだろう。それでも送り出す選択をした。まるで、一国の姫君のように。
一晩でどれほどの信頼を得たのだろうかと疑問が残るが、それほど、彼女はあの騎士を信頼しているのだ。
ガゼフは大きく息をつく。
そこまで言われては、彼も男として信じるしかない。
「だが、万が一のこともある。俺達国の兵士が任せっぱなしにすることも出来ない。
少しくらいは……援護出来るよう準備してもいいか?」
尋ねる戦士長の言葉に、エンリは悩んだのちにコクリと頷いた。
「……遠くで見て、無理だと思った時はいいかもです。
ただ……あの人の昨日の話を聞いた後では、私は無駄だと思いますが……」
†
夕暮れの草原は美しい。
彼――たっち・みーはその光景に感動していた。
現実世界では決して見ることのできない澄んだ地平線、橙色に色づいて行く大地と雲、空。
絵画でしか見たことのなかったモノが現実として目の前にあるのだ。感動せずにはいられない。
ただ……一つの面倒事が目の前になければもっと浸れたはずであるが。
静かに進んでくる部隊は幾つも使役した天使を頭上に浮かべている。
異形種である彼は目がいい。それも昆虫系を選んでいる彼は殊更他の異形種に比べて遠視と動体視力に優れていた。
初めはただ、一つの憧れたヒーローがバッタの改造人間だったからという理由だった。
しかし彼にとって、この異形種を選んだことは後々ワールドチャンピオンになることを補助するための天啓であったと言えよう。
「下級の天使系が幾らか、魔法も使ってきそうだなぁ。でも……」
ため息すら出るほどに彼はがっくりと肩を落としていた。
「昨日戦った兵士もそうだけど……あまりにレベルが低すぎる。王国戦士長でさえレベル30くらいっぽいし、魔法に至っては第三位階で上級って……」
ぶつぶつと文句をいう彼は一つ二つと石を拾っていくだけ。
拾っているのはただの小石だ。どこにでもある本当にただの。
「そもそも、あのへそ曲がりの山羊頭レベルじゃなきゃ喧嘩にもならないってのに、第三位階がいくら集まった所で俺の予備装備のカウンターマジックどころか、レベルカンストの魔法攻撃無効を貫通することすら出来ないじゃないか」
いつしか拾っている石は小さく山を作り、彼の足元に積み上げられている。
「……口が開ければ魔法は唱えられる。出来るなら殺したくなんてないんだ。俺だって。でも、俺はもうこの世界に居る間は人を外れるって決めた。
エンリとネムちゃんの心を救う為には、お前らは邪魔だ」
それは覚悟を決めるような声音で。決意するような声だった。
「救ったのなら、責任を取らなければならない。
俺は、あの子達のヒーローにならなければならない。
あなたの言葉は昔から、よぉく分かってましたよ、ウルベルトさん」
一つ、石を手に取った。
彼はただ、それを投げるだけでいい。
レベル100というこの世界では有りえない暴力を以って、敵を殲滅すればいいだけであった。
†
ビシュン、と異様な音が鳴った。嫌な音だった。誰も聞いたことのないような、嫌な。
次いで上がるのは悲鳴。
後列に居たモノはぶちまけられた血と脳漿を頭から被って半狂乱となった。
「な! 何が起こったというのだ!」
分からない。法国の陽光聖典の部隊を率いるニグン・グリッド・ルーインには分からない。
ガゼフ・ストロノーフ抹殺の為にその駐屯地へと向かっているはずが、突如として何物かの攻撃を受けて隊員一名が死亡したのだ。
次いで、また音がする。
ビシュン、ビシュンと二回した。
それも寸分違わず、彼の部下二人の脳漿をぶちまけることとなった。
混乱の極みにある隊。自分達が何をされているか分からない状況で、隊長であるニグンに出来るのは指揮することしかない。
「ええい! 恐れるな! 隊列を乱すのではないわ! 攻撃は前方からのようなのだからアーク・フレイムエンジェルを全面に盾として並べよ!」
図らずも、その指揮は最善であったと言えよう。
炎の天使達の盾によって投げられる石は燃えてしまうのだから。
ただ、ニグンは疑問に思う。
――飛び道具無効化の加護を受けている隊員たちが狙撃されるなど……相手は何をしてきているのだ。
ニグンには分からない。
あまりにレベル差のある相手から、しかも投擲のスキルまで使われてしまうとこの世界の弱い加護などあってないようなモノだということを。
ニグンは知らないのだ。
この世界に舞い降りた、最悪が幾人かいることも。そしてそれらが、自分達が神と崇めていたモノ達と同等の力を持っていることも。
故に防戦一方。通常ならば攻撃へと使うアーク・フレイムエンジェルを防御に回して様子見しか出来ない。
そんな相手に、一つの世界を手中に収めるほどの単騎が、手を拱いているわけがなかった。
ニグンは必至に天使達の隙間から敵を探そうとする。
そして彼は見た。遠くで光る、一筋の光を。
――あれは……なんだ……
丘の上で光る白銀の輝きは、ただ美しかった。
まるで天使が下りてくる神聖な祈りの場のように。
ただ、不幸なことに彼が覚えているのはそこまでだった。
彼には見えておらず、むこうのアレにはニグンの顔まではっきりと見えていたのだ。
「……次元断層」
その声が聞こえるはずはない。
ただ一瞬光った。それだけが、ニグンに見えた最後で、ニグンが思考していられた最期であった。
†
ボロボロと崩れていく剣を見ながら騎士はため息を一つ。
「次元断切じゃないし防御スキルなのになぁ……やっぱりそこらへんの騎士の剣じゃ耐えられないか。しかも防御スキルでもやっぱ攻撃できるようになってるじゃん」
自分の技を一つ使ったのはこの世界でも試しておきたかったからだ。
これから先、モモンガを探す上で自分の実力や技の精度などは強敵との遭遇時のことを想えば試しておいて損はない。
たっちの心に人を殺した罪悪感は相変わらず来ない。
違和感は理解している。もう、この身体は人ではなく、心も人から外れてしまっているのだと。
それでも貫くべきモノだけは守る為に、彼は一つの選択をした。
跳躍を一つ。ひとっ跳びでたどり着いた先は先ほどの部隊が居た場所であった。
次元断層による破壊で部隊の半数はミンチになっていたが、どうにか残りは腰の抜けたままでとどまっていたようだ。
「やぁ、悪党諸君。俺は……そうだな、銀騎士、と名乗ろう。
君たちの半分は逃がそう。もう半分は捕まってくれ。ガゼフ戦士長に捕まるのも逃げるのも、どちらもとりあえず命は助かる。
歯向かってくるならさっきのをもう一回するけど、どうする?」
その声に、全員が首を人形のように振りまくる。
よろしい、と一言かけた彼はゆったりと其処を離れていきながら、空を見上げた。
美しい夕焼け空を見上げながら、彼はぽつりとつぶやいた。
「俺は帰るまでに……人に戻れるんだろうか」
読んでいただきありがとうございます。
エンリちゃんの心情とかを重視したい為、ニグンさんのお仕事は少なくなってしまいました。
次元断層での攻撃はあくまでイメージです。
次は災厄さんとアルシェちゃんか我らがヒロイン様かナザリック勢……どれにしようか迷ってます。
ではまた