心の教科書

人の心の悩みについて。育児、恋愛、働き方など

恋愛が続かない人は大抵「甘ちゃん」で「頭の悪い」「馬鹿」が多い 甘ちゃん編

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心の悩みを考える上で「恋愛」というものは過去も未来もおそらく変わることの無い人気の悩みであるかと思われる。中でも「好きな人とどうしたら付き合えるか?」もしくは「どうしたら結婚に辿り着けるか?」など様々な、そのほとんどが本人だけによる一方的な悩みだったりする。

ある恋愛に悩む20代女性が相談に来られた。その女性は、見た目からとても華やかな服装をしておられ化粧もしっかりされていた「ごく普通」の可愛らしい方であった。

その女性がある悩みを私に打ち明けた。

「私は自分で言うのもなんだが、そこそこ可愛い方であると思っている。小学校中学校時代には一定数の男子から告白されたこともあったし高校では好きな人から告白されて付き合うことも出来た。だけどどの恋も長くは続かず何故か最後は『決まって』向こうから別れを告げられてしまう。

友人たちにこのことを相談するが『ハァ!?自慢?』『恋愛出来る人は羨ましいね〜。』などと全く取り合ってもらえない。結局そのまま高校、大学と卒業、就職してしまうのだが勤め先が恋愛とは程遠い環境でこのまま数年もの間恋愛から遠ざかってしまうと自分でもどうなってしまうのかわからない。

もしかするとその間に心が変わって恋愛が出来ない人になってしまうのではないのかと思うとなかなか辛い。最終的には誰かと結婚して子どもも欲しい『ちゃんとした人』でありたいと思っている。」

と話された。

 

目次

 

女性も男性も陥りやすい「恋の落とし穴」

このように話を聞いていると、私でも「どうして恋愛が上手くいかないのだろう?」と思わず悩まざるを得ない。この方は顔立ちが良く、また人に対する接し方もある程度心得ている。聞いた話の通りこのような美人さんでも恋愛が出来ない、続かないことがあるものなのだなぁと感心していたのだが、話を聞き進めていると徐々にその方の「メッキが剥がれる」ようなところが次々と見えてき始めた。

その日は相談だけで、とりあえずまた後日時間を置いてから考えて行きましょうということにして終えた。そしてしばらく数週間してからまたその方はやって来た。何やら(嬉しいことがあったのだな?)と思えるような表情をして。

思った通り、その方は相談が終わった後の日にかつて告白しに来てくれた小学校からの幼なじみからたまたま連絡が入ってそのまま連絡をするような仲になったのだと言う。

私が「それは良かったですね。その恋は上手く行きそうですか?」などと尋ねてみるとその女性の方は「わからない。」と言いながらもやはりそれなりに狙っているような様子が表情から伺えた。

ところで、そのかつて告白してきた幼なじみとは小学生の頃はどうして上手くいかなかったのだろうか?私はそのことについて聞いてみた。すると女性の口からはこのように答えた。

「その時の私は同じクラスメイトであるA君のことが好きだった。しかし告白しに来てくれたB君は別クラスの子であり、私自身B君のことはあまり良くわからなかった。とりあえずその場ではうまく誤魔化して好きかどうかは伝えないようにし、友人から『B君のことどう思うの?』と聞かれた際には『普通・・・。』と答えた。

それからその話が噂として流れたのか、私が『B君のことは好きではない。むしろA君のことが好きだ。』という勝手なことが起こり始めた。ある日廊下を歩いているとB君とその友人たちが私の目の前に現れてきて友人たちが『じゃ、後は頑張れよ!』などと言ってB君と私だけの二人っきりにさせようとする。また、その様子を陰から覗きみている私の友人たちがいたりするものだからなんだか恥ずかしくなって逃げ出したくなってくる。B君もB君で何だかんだでその気になっているため、私は少しガッカリしてしまった。

そしてB君からはこのようなことを聞かれた。『ねぇ、俺のこと普通なの?』

どうやら噂が流れたのは本当であったらしく、私は苦笑いしながらそのまま何も言えずに立ち去ってしまった。

子どもの恋愛。小学生の恋愛。

それからしばらくすると今度は私が『B君のこと嫌いらしいよ。』という噂が立つようになった。私はその勝手に流れる噂にウンザリしており、B君に対する気持ちがすでにどうでも良くなってしまっていた。

B君もB君であり、私がこんなにも嫌な思いをしているのに全く気付いてくれない。それどころか私に対する気持ちがどんどん強くなっているみたいでその様子がとても気持ち悪くとも思えた。

そして再び、私はB君に呼び出された。その時ついに、ハッキリと『好きではない。ごめんなさい。』と伝えてその場を去った。そのことがだいぶ堪えたのか、もう私に話しかける姿は見られなくなった。」と話された。

私は何て微笑ましいのだろう、と思いながらその話を聞いていたのだが、これら小学生における恋愛とはその人のこれから来るであろう思春期時代を構築する大事な鍵であったりする。

余談ではあるが、この頃の子どもたちの行う恋愛の姿とは至って正常なものであり、男の子と女の子は保育園・幼稚園時代よりも成長した姿で心の悩みの代表格とも呼べる『恋愛』に立ち向かうことになる。

それは、かつて「母親」か「父親」かの時代よりもっと細分化された「男の子」と「女の子」と子どもたちによる男女の性差を意識せざるを得ない、性的に「好き」、性的に「嫌い」という感情の始まりの一歩であることだろう。

そこにはこれから自覚していくことになる「自分」という思春期を過ごしていくための大事な感情も孕んでいたりする。その一つであるのが「恥ずかしい」という感情だ。

人は思い思いに好きなことを好きな人に話せられたら、それはそれは悩みのない楽な人生であろう。しかし、そのような人生というものは何だか味気なかったりして人によっては生きるのをやめたくなってくる。その人生に価値などあるのだろうか?

その為に人は自身の人生を深めていくための香辛料、として「恥ずかしい」という悩みのタネがあったりする。なので子どもが、ましてや生まれてから数年から十年ほどしか生きていない小学生が上手な恋愛をするというのは無理な話だろう。

人によっては告白してきたB君に対してこの女性と同じように「ちょっとかっこ悪い。」と思われたかもしれない。しかし、これが小学生の恋愛なのである。もしかっこ悪いと思うのであれば自身の今現在に至るまでの恋愛を振り返って見ると良い。おそらくB君や、この女性と対して変わらないような、哀れな子どもの姿がそこにはあるだろう。人を見て笑いながら、自身の頭の上にハエが集っているのに気付かないのは「大馬鹿者」のなによりの証である。

馬鹿は恋をしたくもないのに「恋愛がしたい」などとほざく

ところでこれからのことを話した際、私は「あなたはどうするのですか?」と聞いてみた。するとその女性は「とりあえず再び連絡が入って来るまでこちらからは待っている。」と話されたのを聞いて私は(あぁ、これはまた失敗するな。それどころかタチの悪い恋愛になりそうだな。)と確信した。

案の定、その女性は後日来談されに来て「どうしたら良いのでしょうか?恋愛が上手くいきません。」と嘆かれていた。これにはちゃんとした原因が潜んでおり、それは本人の小学生の頃から全く成長されていない「負」の部分だったりする。

このような方の場合、恋愛のテクニックなんてものは「ゴミ以下のゴミ」でしか成り得ない。「恋の指南書」のように本屋の店頭で太々しく構えている著書も同様である。そしてタチが悪いと「占い」や「神社参拝」「おまじない人形」にまで発展したりする。

これらは別に存在そのものを否定しているわけでは無いのだが。わからないからと、悩むことから逃げたいが故にそれらに頼ろうとする姿勢が「ゴミ」だと私は言っているのだ

とは言え、かつては私も恋に悩んだ時はこうした「有名な著者の書かれた本」を頼りに、片っ端から大量に購入して「どうしたらこの恋は上手くいくのか?」などと考え耽っていた時代があったものなのだが。それでもせいぜい学生の子どもがする、「お子ちゃま」の恋愛対策方法だろう。

そのような人というのは「本当の恋愛」を知らないのだ。そして本当の恋愛を知った時、如何にそれが「役に立たないもの」だったのか、きっと分かることだろう。

世の大人たちはなかなか悪い人が多いもので、こうした恋愛に苦しんでいる、悩んでいる方に対して

「恋愛が上手くいく方法ありますよ!」

「私の講座にぜひ参加してみてください。あなたが何故恋愛が続かないのかその原因と対策方法を教えますよ!」

「私に相談してみてください。この商品を購入すれば男性たちは振り向くようになりますよ!」

とその人の弱みに付け入るような悪どい営業をする。これならばまだおとなしい「本」であったり「パワースポット巡り」なんかの方がまだ数百倍マシである。

会社で働いているだけの人たちはそのことを知らないので、その結果搾取され続けてロクにお金も貯まらない、貯められないような人になってしまう。こうした方が「お金がありません。」「給料が少なすぎます。」とその会社のせいにしてまで嘆かれるのはいつものことだろう。

私は女性に対して「そういえば小学生の頃、あなたが好きだったA君はどうなったのですか?」と聞いてみた。すると女性は「私の方から告白して、フラれました。」と答えられた。当然だろう。

私は先程『小学生でこのような恋愛をするのは普通のことであり、我々大人からその様子を見ていれば実に微笑ましいものである。』と述べた。このことは「B君をフった後に、好きなA君に対して告白した」というこの女性の行動も含まれている。

このこと自体はそれはそれとして全然構わないのだが、問題はその後である。自身にとって何がいけなかったのか?自分にとって「恋愛」とは一体何なのか?どこを直せば良かったのか?など考え悩まなければならない課題があるというのにこの女性はそれを放棄、放置してしまっている。本当に恋愛を成功させたいと思っているのだろうか?

人によってはこのことが引き金となって、やたらと「ヒステリックな女」になったり「タラレバ女」、愚痴を辺りにぶちまける「騒音オバサン」になったりする。悩みを放置することで余計ややこしくなったり恋愛するのを諦め、開き直る「ダメ女」「ブス」になってしまう女性は何かと多い。

私が敢えて「男性も」と付け加えないのは女性的心理描写を意識したからである。本当であれば恋愛だろうが仕事だろうが男女を比較するのはナンセンス、タブーでしかないのだが、ここでは「心の悩み」の変化の流れを分かりやすく伝えるためこのようにして述べさせてもらった。その辺りをどうか誤解の無いようご理解してもらいたい。

「甘ちゃん」の正体

さて、それからこの女性はどうなったのかと言うと案の定B君から後日連絡が入ってきた。内容は取り留めのない、他の人からしてみると「何が言いたいの?」「よくこんな、くだらない話をしてくるのね。」と言いたくなるような、まるで学生同士の会話のやり取りのようなものであった。良い歳をした、20代にもなる大人が、である。

そのことは相談されに来た女性の方も内心イライラしながら「あぁ、やっぱりB君全く変わってないなぁ、、、。」と嘆かれておられたが。そしてそんなことを言いながらも結局連絡のやり取りを続けている姿を見ていると誠に呆れるばかりである。

そしてついに転機は訪れた。女性の元にB君の方から「一緒にどこか行きませんか?」とデートのアプローチがあった。そのことに対してこの女性の方は私に相談しに来たのだが、「私が決めてもしょうがないでしょう。私があなたの代わりにB君の所へ行けば良いのですか?」と冗談を話したが、女性は「それも悪くないですね。」などと言うものだから思わず言葉を失ってしまった次第である。

女性はどうしたかと言うと、「会いに行ってきます。」と私に宣言するかのように述べた。その後しばらく私の元に来ることは無かったのだが、やはり数週間経った後に戻って来てしまった。そして一言「駄目でした。」と。

この女性の何がいけないのだろうか?それは、微かに「私」と言う安心し切れる存在に依存してしまっている所や誰もこの女性に対して何も言わない「放任的社会」などの部分あったりする。なので、このままでは一向に変わりそうに無いので私の方から厳しくこう話した。「あなたはかつて小学生だった頃、向こうから告白してきたB君に対して『あなたのことは好きではない。』と正面から突き付けた。そのことはおそらくB君は傷ついただろうし、反省するきっかけになったかと思われますが、あなたの方はどうなのでしょうか?悩みである、「諸悪の根源」がB君自身にあるとでもいうのですかね。

あなたはその辺りを、どうもこうも間違えてしまっているのではないでしょうか?『好きではない』と一度言ったのに、どうして今回B君の所へ会いに行ったのですか?馬鹿にしておられますよね

ましてやB君もあなたからハッキリと言われたのに、懲りずにまたあなたへ連絡して来た。何も変わらなかったB君には呆れますが、それについて行ったあなたも同類ですよ。結果的に、あなたたちは似たもの同士なんです。」

ここまで話すと女性の方から涙が流れ始めた。しばらくその様子を私の方から見守っていたが、ようやく落ち着いてきた所で「私は自分自身に甘えていました。」と話された。

「優しさ」「愛情」って何ですか?

我々大人というものは、子ども時代にこそ大人たちから可愛がってもらわれやすく嫌なことがあっても「よしよし。」と慰めてくれ人が何かと居たりするだろう。その最たる存在が自身の親であったり、友人、先生などだったりする。

しかしその数があまりにも多いと人は自身の行いを反省するのを忘れ、それどころか「自分勝手」な人になってしまうのではないのだろうか?そう考えると何も考えもなしに「良い子良い子。」と慰めに来てくる人たちというものは「害悪」の存在である。「害人」と言っても良い。

そのように育てられると、文字通り「見た目は大人」で「中身が幼稚」な可哀想な人間になってしまう。しかも大人の社会とは誰も親切に教えてはくれないので自分で自分を育てて行かねばならなくなる。ましてやこの「日本社会」が、だ。

日本は特に母性が強いので、他人から強く言われてしまうとついその場では言い返すこともできずに、その言葉の言われた通りしにしてしまう。そして後々になってからそのことに対して文句や愚痴をぬかす。このことを自覚している人というのは、果たして日本という国の中で何人いるのだろうか?

この女性は今回の相談を通して自分自身の姿を少しは知ることが出来たのではないかと思う。そうなってくれば「誰を好きになれば良いのか」「誰とは付き合わなくても良いのか」というのは自ずと見えてくるものだ。

誰と恋愛するのかなどというのはある程度決まっているのである。世の中には「結婚するにも値しない」「恋愛をする資格が無い人」というものがいたりするのだから。

恋愛については「恋愛する相手としてふさわしい人」とするのが基本なのだ。さもなければ、痛い目に遭うという「それなりの覚悟」が何かと必要になってくる。自身が大人であると言うのならば、その証と呼べるものは一体何なのか?示せられないと一生「子ども」のままだろう。

子どもに恋愛は出来ないのである。