J-POPの歴史「1980年と1981年、劇的だった80年代の幕開け」

1980年8月15日撮影、原宿・代々木公園横の歩行者天国で踊る竹の子族(Photo by Keystone Features/Hulton Archive/Getty Images)

音楽評論家・田家秀樹がDJを務め、FM COCOLOにて毎週月曜日21時より1時間に渡り放送されているラジオ番組「J-POP LEGEND FORUM」。

日本の音楽の礎となったアーティストに毎月1組ずつスポットを当て、本人や当時の関係者から深く掘り下げた話を引き出している「J-POP LEGEND FORUM」。2019年12月は「80年代ノート」というテーマで、1980年から89年までの10年間を毎週2年ごと語っていく。Rolling Stone Japanでは、様々な音楽が生まれていった80年代に何があったのかを語った本番組を記事にまとめて5週にわたりお届けする。第1回目となる今回は、1980年と1981年について深く語った重要回。

オフコース / 生まれ来る子供たちのために


こんばんは。「J-POP LEGEND FORUM」案内人、田家秀樹です。今流れているのは、オフコース「生まれ来る子供たちのために」。1980年3月5日発売のオフコース80年代最初のシングルで、令和元年師走の僕らの心境です。

「J-POP LEGEND FORUM」、J-POPの歴史の中のさまざまな伝説を紐解いていこうという60分です。伝説のアーティスト、伝説のアルバム、伝説のライブ、そして伝説のムーブメント。ひとつのテーマ、1人のアーティストを、1ヵ月に渡って取り上げようという、最近のラジオの中では贅沢な時間の使い方をしております。当時をご存知の方には懐かしく、ご存知ない方たちには発見に満ちている、そんな時間、そんな場所になればと思っております。今月の特集は「80年代ノート」と題してお送りします。1980年から89年までの10年間。毎週、2年ごと、語ろうと思っています。

2年前の2017年の10月に「70年代ノート」という特集をお送りしたのですが、何の曲で終わったのか自分でも忘れていたので改めて調べてみたら、79年12月発売のオフコース「さよなら」で終わっていたんです。80年代最初のオフコースのシングルが、この「生まれ来る子供たちのために」でした。レコード会社は「さよなら」の後なんだから、こんな暗い歌を出さないでくれって言ったんですね。「さよなら」みたいな、みんなが泣けるバラードを作ってくれと強行に申し入れをしました。しかし小田さんが「絶対これでいく」ということで、こちらを80年代最初のシングルにしたんです。下世話に言うと、70年代は下積み期間のような日の当たらない時間が長かった。で、「さよなら」で大ブレイクした後の曲をこれにした。僕らはこういう歴史を辿りたいんだ、という音楽の願いみたいなものをこめたシングルでした。

60年代、70年代、そして80年代。いろんな10年間のタームがあるんですけど、それぞれの10年間が始まって、そして終わっていく。そうした中で、もっとも劇的だったのが、この80年代の幕開けだったのではないかと思うんですね。ロックもフォークも、いろんな新しい音楽が70年代悪戦苦闘し、なかなか市民権を得られなかった。それを少しずつ得ながら80年代になったわけです。いろんな人たちが次に行くんだと走り出した。来年は2020年で、1980年から考えると40年ですよ。80年代にデビューした人たちが続々と40周年を迎える年になってきた。それもあって、改めて80年代を辿り返してみよう。そんな企画です。J-POPが一斉に花を開いた10年です。

80年代を切り開いた人たちには2つのタイプの人たちがいました。1つはオフコースのように、70年代にデビューしたけど、なかなか思うような結果を手にできなかった人たち。もう1つは、80年代の幕開けとともに颯爽と登場した人たちですね。次の人も70年に試行錯誤を重ねていた人です。売れるためにはどうしたらいいのか? みんなで真剣に考えざるを得なかった。でも、80年の始めにはそんな悩みも逡巡も吹き飛ばしてくれました。誰もが新しい疾走を開始した1980年夏。はじめてのロサンゼルスで作りあげたアルバムです。浜田省吾さん、1980年10月発売のアルバム『Home Bound』1曲目「終わりなき疾走」。

浜田省吾 / 終わりなき疾走


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リンゴ・スターとデイヴ・グロール、伝説的ドラマー2人による対談

リンゴ・スターとデイヴ・グロールの対談が実現(Yana Yatsuk for Rolling Stone)

米ローリングストーン誌のスペシャル企画で、リンゴ・スターとデイヴ・グロールというドラマーから堂々たるフロントマンへと転身した2人の対談が実現。自身の美学、ジョン・レノンとカート・コバーンのこと、大きな喪失を乗り越えるまでの道のりなど、2人が率直に語り合った。

目の前のバスタブにデイヴ・グロールと一緒に入るよう指示され、リンゴ・スターは怪訝な表情を浮かべた。「これは何かのジョークかい?」そう話しながらも、元ビートルは足を踏み入れた。ほどなくして、2人はリラックスした様子で話し始めた。フー・ファイターズの最近のツアーについて話すグロールに、スターはゴムのアヒルのおもちゃを手渡しつつ、両手でハートのシンボルを作らせることで、その温厚なキャラクターを強調させようとしている。

グロールとスターが親睦を深めるきっかけになったのは、2013年にスターが発表した初の写真集のリリースパーティーだった。フー・ファイターズの2014年作『ソニック・ハイウェイズ』の発表にあたって、グロールはバンドの写真撮影をスターに依頼している。今では2人はすっかり打ち解け、スターは彼らの写真を撮った時のことについて腹を割って話している。「あの時の写真、ほんとは気に入ってなかったんだろ?」スターはグロールにそう問いかける。「何だって?ちゃんとレコードで使われてただろ!」グロールはそう返す。「もっと褒めて欲しかったんだよなぁ」スターはそうこぼす。

グロールが初めて手に取った楽器はギターであり、彼にとっての教則本はビートルズのコードブックだった。彼が辿ってきた軌跡は、スターのそれと重なる部分が少なくない。両者は時代を象徴するバンドのドラマーとして名を馳せた後に、ソングライターとして自身のバンドを率いるようになった。先日20枚目のソロアルバム『ホワッツ・マイ・ネーム』を発表したスターは、今年で30周年を迎えるオール・スター・バンドとのツアーを終えたばかりだ。またグロールは映画監督として、スターは俳優や写真家(最新作『Another Day in the Life』が発表されたばかり)としても活動するなど、2人は音楽以外の分野にも挑戦しているという点でも共通している。そして両者とも、友人でもあったバンドメンバーの逝去という悲劇を経験している。

1時間に及んだ対談の間、2人は絶えず手でリズムを刻み続けていた。終了後、スターはこう話した。「ドラマーの性ってやつだよ、2人揃うとタチが悪い」



グロール:スキッフルについて教えてよ。

スター:スキッフルは1コードでできる音楽だよ。いくつかヒット曲を出したイギリスのロニー・ドネガンが有名だけど、元々はアメリカ南部の庶民的な音楽だったんだ。パーティーの参加費は1ドルで、ミュージシャンたちはその売り上げで酒を買ったり家賃を払ったりしてた。それがイギリスで知れ渡ったんだ、不思議だよね。

グロール:その音楽は特徴的なシャッフルビートを使ってたの?

スター:スウィングの影響は残ってたね。(ドネガンが1956年にカバーし、スキッフルが流行するきっかけとなったフォークソング「Rock Island Line」を口ずさみながら、そのビートを手で刻む)当時リヴァプールに住んでた僕はまだ10代で、何とかして兵役を免れようとしてた。それで僕は鉄道の仕事をすることになって、ある工場で働き始めた。そこの寮で僕の隣の部屋に住んでたのがエディ・クレイトンで、僕は彼と初めてのバンドを組んだ。彼のギターはイカしてたよ。僕は13歳の頃から、ドラマーになることを夢みてた。でもって友人のロイ(・トラフォード)が紅茶の箱を加工してベースを自作した時に、僕らのスキッフルが生まれたんだ。

グロール:ちゃんとドラムを習ったわけじゃないんだ?

スター:習ってないよ。お昼時に地下室で、工場の労働者たちを前に演奏してただけさ。あれには鍛えられたよ。「やめちまえ!」って言われるばかりで、褒められたことなんて一度もなかったからね。僕らのバンドはそんな風に始まって、メンバーは何度か入れ替わった。その後僕はロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズっていう、筋金入りのロックバンドに加入した。あのバンドでの活動は楽しかったよ、リバプールではすごく人気だったしね。1960年にはホリデーキャンプで3ヶ月間、常駐で演奏するっていう仕事を受けることになった。それがきっかけで僕は工場の仕事を辞めたんだけど、両親は僕を思いとどまらせようとして家族会議を開いた。ドラムは趣味にしておくべきだって言われたよ。

グロール:それは俺も経験したよ(笑)若かった頃の憧れのドラマーは誰?

スター:いつも名前を挙げてるのはコージー・コールだけど、リトル・リチャードも大好きだった。意外だってよく言われるんだけど、僕はドラムにばかり注目して音楽を聴いてるわけじゃないからね。曲全体で判断しなきゃ。(当時知ったあるドラマーは)ハイハットをフィルの一部に使ってて驚かされたよ。そんなのは聴いたことがなかったからね。

Translated by Masaaki Yoshida

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