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世良公則&ツイスト、そして1980年代へ

太田省一 社会学者

「ロック御三家」のアイドル史的意義

 ここまで、「ロック御三家」を通して1970年代後半における男性アーティストのアイドル化の様子をたどってきた。

 ただ、そこにはやはり根本的に解消困難な問題もあった。

 それは、特にこの時代のアイドルが、前回もふれたように“作られた存在”であったこととかかわっている。

 アイドルの魅力は未熟ながらも努力して成長するプロセスにあるとここまでずっと述べてきた。ただ少なくとも1970年代の時点では、その魅力はアイドルが受け身の存在であるという前提によって成り立つ部分が大きかった。歌であれ振り付けであれ、その道のプロから与えられた課題をクリアするため努力を重ねるところに成長のプロセスは生まれる。本人の意思が必要以上に抑え込まれてしまう危険性はあるものの、その構図こそが成長の価値を高め、アイドルという存在を魅力的に見せる基盤にもなっていた。

 それに対し、ロックは元々主体的な自己表現がコアにある音楽である。反体制文化にルーツを持つことを思い出すまでもなく、ロックミュージシャンは、アーティストとして自分で作った楽曲を歌い演奏することで自己の存在や考えを主張する。それが基本的なスタンスである。

 「ロック御三家」のアイドル時代も、果たして長くはなかった。結局彼らはアイドル的立ち位置を甘んじて受け入れることはなく、自己表現を突き詰める道を選んだ。

 Charは、前回もふれたようにギタリストとしての活動に戻っていった。また原田真二は、メッセージ性の強い自作曲を中心にした活動に足場を移していった。そして1981年にツイストを解散した世良公則は、ロックシンガーとしてソロ活動を続けながら『太陽にほえろ!』への出演など俳優業へと表現の場を広げていった。

 そのスタンスは、それ以前からロックと歌謡曲の中間にいた沢田研二や西城秀樹とは対照的な面もある。沢田や西城は、音楽性やスピリットの点ではロック的ではあったが、基本的に自作曲ではなく他人の作った楽曲を歌い続けた。その点では歌謡曲的、アイドル的である。むろん逆に言えば、そのようにして彼らが先に切り拓いた道があったからこそ「ロック御三家」のブレークはあった。

沢田研二拡大ザ・タイガースのボーカルからソロに転じ数多くのヒット曲を歌った沢田研二=1976年

 またより大きな視点から見れば、「アーティストかアイドルか」という問題はずっと男性アイドルの歴史につきまとうものでもある。それは、「ロック御三家」に限らずジャニーズや近年日本での人気も高いK-POPのグループにも当てはまる。そのあたりは、この後でまたふれる機会があるだろう。

 次回から、いよいよ時代は1980年代に入る。まずはジャニーズ復活のきっかけとなった「たのきんトリオ」の話から始めることにしたい。 (つづく)

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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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