無邪気な冷笑家たち〈それを、真の名で呼ぶならば〉
Naïve Cynicism (2016)
1916年4月24日――復活祭の月曜日――アイルランドの共和主義者が、アイルランド内のダブリン市といくつかの都市で、イギリスの占領に対して武装蜂起した。当時の大英帝国は世界最強の権勢を誇り、アイルランドはその至近距離にあるもっとも古い植民地だった。ちっぽけな植民地が巨大な帝国を倒そうというのは無謀すぎるように思えるし、実際、ほぼすべての点で蜂起は失敗だった。指導者たちは処刑され、大英帝国の占領は続いた。しかし、その占領は長くは続かなかった。アイルランドの大部分は1937年に独立し、現在では、「イースター蜂起(復活祭蜂起)」はそれに至る非常に重要な一歩だったと広く理解されている。100年経ったいまでは、1916年の蜂起は大英帝国終焉の始まりだったと見る者もいる。
「アラブの春」もまた失敗だったという見方が主流だ。というのも、民主化運動が起こった国々は、以前とは異なるかたちで悲惨な状況になっているからだ。だが、市民が政治参加を目的とした情熱的な希求を公の場で表明すること、大衆の力の強さと独裁政権の弱さが証明されたこと、そして(短期間しか続かなかったにしても)2011年に純粋な高揚が生じたことは、まだ芽が出ていないにしても〔将来に花を咲かせる〕種をまいたのかもしれない。
現在の北アフリカや中東を悩ませている暴力や社会の不安定を見過ごすよう説くつもりはない。また、これらの地域の近未来に楽観的なわけでもない。わたしにはアラブの春の長期的な影響がどうなるかはわからないが、わかる者など誰もいないはずだ。わたしたちは、ニュースメディアなどの社会通念の提供者たちが、過去より未来を報告したがる時代に生きている。彼らは世論調査をし、続いてどうなるかを報じるために誤った分析をする。黒人の大統領候補が選挙に勝つのは不可能だとか、あれやこれやの原油パイプラインが建設されるのは避けられないと報じ、何度も間違ってきたにもかかわらず、予言する癖をやめようとしない。また、わたしたちのほうも、そうした予言を甘んじて受け入れている。彼らがもっとも報じたくないのは、「実際にはわからない」ということだ。
評論家以外の人びともまた、粗悪なデータを使ってそれより劣悪な分析を行ない、非常に強い確信を持って、過去の失敗、現在の不可能性、そして未来の必然性を宣告する。こういった発言の背後にあるマインドセットを、わたしは「無邪気な冷笑」と呼ぶ。その冷笑は、人が可能性を信じる感覚や、もしかすると責任感までも萎えさせてしまう。
冷笑は、何よりもまず自分をアピールするスタイルの一種だ。冷笑家は、自分が愚かではないことと、騙されにくいことを、何よりも誇りにしている。しかしながら、わたしが遭遇する冷笑家たちは、愚かで、騙されやすいことが多い。世を儚んだ経験そのものを誇る姿勢には、たいていあまりにも無邪気で、実質より形式、分析より態度が優位にあることが表われている。
その姿勢には、過剰な単純化の傾向も表われているかもしれない。物事を本質的な要素まで削ぎ落とすことが単純化だとしたら、過剰な単純化とは本質的要素まで捨て去ることである。それは、だいたいにおいて確実さと明瞭さなど存在しえない世界で、その両方を容赦なく追求することであり、ニュアンスや複雑さを明確な二元論に押し込もうとする衝動である。わたしが「無邪気な冷笑」を懸念するのは、それが過去と未来を平坦にしてしまうからであり、社会活動への参加や、公の場で対話する意欲、そして、白と黒の間にある灰色の識別、曖昧さと両面性、不確実さ、未知、ことをなす好機についての知的な会話をする意欲すら減少させてしまうからだ。そのかわりに、人は会話を戦争のように操作するようになり、そのときに多くの人が手を伸ばすのが、妥協の余地のない確信という重砲だ。
無邪気な冷笑家は、可能性を撃ち落とす。それぞれのシチュエーションでの複雑な全体像を探る可能性を含めて。彼らは自分よりも冷笑的ではない者に狙いをつける。そうすれば、冷笑が防御姿勢になり、異論を避ける手段になるからだ。彼らは残忍さを駆使して新兵を募る。純粋さや完璧さを目標とするのであれば、それを達成できるものは必然的に皆無なので、ほぼしくじりようがないシステムだと言えるだろう。いや、完璧を期待するというのは、無邪気なのである。到達不可能な評価基準を使って価値を認めないのは、さらに単純に無邪気ということだ。冷笑家は、失望した理想主義者だったり、非現実的な評価基準の支持者だったりすることが多い。彼らは勝利に居心地の悪さを感じる。なぜなら、勝利というのは、ほぼいつも一時的なものであり、未完であり、妥協されたものだからだ。それに、希望を受け入れることは危険だからだ。戦争においては防衛が最優先である。無邪気な冷笑は、絶対主義だ。この主義の信者は、あることに遺憾の意を表明しない者は、その全面的な支持者だとみなす。しかし、少しでも完璧さに欠けていると、道徳的に恥ずべきだと非難するのは、場所や制度やコミュニティに関わりあうよりも、自己の誇大化の追求を最優先しているということなのだ。
異なる党派により、異なるバージョンの無邪気な冷笑が存在する。たとえば、政治の主流派は、通常の権力の回廊の外部で起こる政治活動を軽視する。数年前にオキュパイ・ウォール・ストリート(ウォール街を占拠せよ)運動が始まったとき、人びとは嘲笑(あざわら)い、とりあおうとせず、積極的に誤解し、早々に終焉を宣言した。その後、運動の追悼記事が何年にもわたって何十も書かれた。ホームレスと〔ウォール街やそれが象徴する社会的システムに〕憤る人びととの境界線をあやふやにした暴徒は政治的な役割を担わないでいてほしいと願う人びとが、それらの記事を書いたのだった。
だが、オキュパイ運動がもたらした成果は数えきれない。地方での野営に関わった人たちから聞いた話では、ここから発生した運動の数々は現在でも引きつづき社会に変化をもたらしている。カリフォルニア州だけでも140以上のオキュパイ運動のグループがあり、それぞれが達成したことははかりしれない。その成果には、ホームレスのアドボカシー(代弁・支援)という直接的なものから、住宅、医療や学費の負債、経済的な不公平、不平等についての国民的議論という間接的なものまで幅広い。また、連邦政府の学生ローンの返金を拒否する「負債ストライキ」から州の法律まで、これらの問題に対する有効で実質的な活動も起こった。オキュパイ運動は、バーニー・サンダース、ビル・デブラシオ、エリザベス・ウォーレンといった政治家も主流に押し上げた。
オキュパイ運動の達成を具体的に評価することができないのは、即座に明快で定量化できる結果をもたらさない歴史的な出来事には意味がないという思い込みがあるせいだと、ある程度、仮定できるだろう。まるで、ボールがレーンに並んでいるピンを倒すか倒さないか、という、ボウリングの話をしているみたいだ。だが、歴史的なパワーは、ボウリングのボールではない。だが、もしこの暗喩を使うならば、ボウリングは、何十年にもわたって少しずつ展開していく霧に包まれたある種の形而上学的ゲームということになる。ボールがピンをひとつ倒してから次のピンが倒れるまで一五年かかるかもしれないし、ほとんどの者がゲームの存在など覚えていないころになって、隣のレーンでストライクになるかもしれない。そのピンから子どもや精神的後継者が次々に生まれ、わたしたちには見えない場所で、わたしたちが予想できる範囲を超えて広まっていくだろう。アイルランドのイースター蜂起がなしたのはそういうことであり、現在、オキュパイ運動や、ブラック・ライヴズ・マター〔警察官による黒人の殺人事件が相次いでいることに抵抗して、黒人の命も大切だと主張する運動〕がやっていることなのだ。
主流派である無邪気な冷笑家のように、社会の底辺にいる人たちや左派寄りの人たちも自分たちが社会を変える力を疑っている。変化に必要なハードワークをしない言い訳ができる、都合の良い見解だ。最近のことだが、わたしは『ネイチャー・クライメート・チェンジ』誌からの一節をソーシャルメディアでシェアした。科学者のグループが今後1万年間にわたって気候変動が与える影響の概要を説明したものだ。彼らが描きだした姿は恐ろしいものだったが、絶望的ではなかった。「この長期的な見解によると、来たる10年間は、これまでの人類の文明の歴史より長く続くであろう、大規模で壊滅的になりかねない気候変動を、最小限に収めるチャンスが残された僅かな期間だ」と。これは破滅的状況を語る一文だが、可能性を語るものでもある。それに対して、わたしが最初に受け取ったコメントは、「我々が既に行なったこと/行なっていないことの影響は、何をやっても止めることなんかできない」というものだった。これは言い換えるなら、「専門家が査読した科学論説に対して、自分はちょっとした思いつきの自説で反論しています。自分は論文なんか注意深く読んでいません。自分が全知全能だという誤った自覚をもとに、ビシバシ叩いています」ということだ。こういったコメントは、大幅に異なる刺激のいずれにも対応できる反射反応を象徴している。ポジティブだったり、ネガティブだったり、それが混じったものだったり、多くはまだ結果が出ていない多様な出来事に直面しても、無邪気な冷笑は頑なに冷淡でいられる。
気候変動に関する運動は次第に力を持つようになり、多様化もしている。北米では、炭鉱を閉鎖させ、新たな炭鉱の開発も防いでいる。そして、シェールガスの水圧破砕法(フラッキング)、国有地での天然ガスや石油の漏出、北極圏での資源採掘、パイプラインを阻止し、阻止したパイプラインの代用である石油の鉄道輸送も阻止した。アメリカの四七の都市と町、そしてハワイ州は、将来100%を再生可能エネルギーにすることを誓い、五つの都市ではすでに目標を達成している。
全米規模でも、国有地での新たな化石燃料採掘を禁じるめざましい法案が、連邦議会の上院と下院の両方で提出されている。これらの法案が現在の議会で可決される可能性はほぼないが、数年前には想像も及ばなかった見解を主流に取り入れさせた。直接の目標達成には失敗しても、その努力が対話の内容を変え、今後のアクションのために風穴を開ける。画期的な変化はこのようにして始まるのだ。これらのキャンペーンや達成は、十分というには程遠く、規模を拡大しなければならない。規模の拡大とは、真に捉えるべき機会だと認める人びとを引き込むことだ。