女ともだち はらだ有彩

—— 女が二人。

彼女たちの関係は、いずれ消えゆくまぼろし、または憎しみ、はたまたセンセーショナルでキュートな百合に終始するのだろうか。この後語られる予定の、ストーリーの主軸のための布石として処理され続けるのだろうか。二人の人生は、そんなイージーな枠に収まりきるだろうか。ボーイ・ミーツ・ガールでシーンは動く。では、ガール・ミーツ・ガールでは? 彼女たちの繋がりによってもたらされる物語を辿り、エンドロールを追いかけてみたいと思う。

第6回知世とさくら
《決して私の登場しない、あなたの物語を未来永劫記し続ける》

※ストーリーのネタバレを含みます。

 

「推し」とは自分が最も贔屓にし、応援しているアイドルやキャラクター、その他あらゆるものを指す言葉である。1990年代頃から主に女性アイドルのジャンルで使われ、今ではオタクと呼ばれる人々だけでなく一般にも広く浸透している。

「推し」ているアイドルや俳優と握手できることは多々あっても、通常、交際や結婚が実現する可能性は限りなく低い。「推し」が実在の人物ではなく作られたキャラクターであれば握手も難しい。しかしそれは全く大きな問題ではない。重要なのは自分の気持ちが高揚しているかどうかである。

大道寺知世は、木之本桜を「推し」ている。物理的に手の届かない存在でもなく、2次元と3次元の隔たりがあるわけでもない、同じ『カードキャプターさくら』という作品に登場するキャラクター同士であるにもかかわらず、誰よりも、作品のファンよりも強くさくらを「推し」ている。

「カードキャプター」とは、カードを捕獲する者という意味だ。父親の書庫に保管されていた「クロウカード」を発見したさくらは、カードの番人・ケルベロスに頼まれ、失われたカードを収集するカードキャプターとなる。捕獲は主に「封印の杖」によってカードの力を解放して行われる。不思議な力を利用してはいるが身体は生身なので、いわゆる戦闘ヒロインのように専用のコスチュームに変身したり髪型が変わったりすることはない。しかしさくらは毎回かわいらしい、独創的な衣装に身を包み捕獲に臨む。

さくらの衣装は全て知世が手作りしたものである。知世はさくらに自作の洋服を着せ、活躍するさくらの姿をビデオで撮影することに心血を注いでいるのだ。

さくらの小学校の同級生で、又従兄弟の関係にあたる知世は、とにかくさくらを好いている。息をするように「かわいい」「すてき」「かっこいい」「素晴らしい」と褒めまくり、着る機会が未定でも大量の衣装を縫い、余すところなく映像化しようと試みる。さくらにもらった消しゴムを丁寧に梱包し、鍵のかかる小箱に入れて大切に保管し続けている。

さくらと「大好き」「わたしも」と言い合ったあと、その「好き」と自分の「好き」はきっと違う意味だ、と一人呟く。

知世はさくらに恋している。彼女の恋は劇中で、「恋」という言葉を使わずに示唆され続ける。

知世の母親・大道寺園美も、さくらの母親・木之本撫子を愛していた。彼女たちは従姉妹の関係で、園美は撫子を「一番」好いていた。撫子ももちろん園美を好いていた。しかし、その「好き」は園美の欲しかった「好き」ではなかった。撫子は16歳のときに、通っている高校の教師だった木之本藤隆と結婚し、家を出る。そしてさくらと兄の桃矢を出産した後、27歳でこの世を去った。

園美の恋は実らなかったのだ。

そして娘の知世は、頑なに恋を実らせようとしない。

大道寺知世は恋を実らせようとしない。

さくらは高校生の兄・桃矢の友人の、月城雪兎に憧れている。雪兎に会いたい一心で毎朝の身支度を急いだり、小学校に隣接する高校のグラウンドを覗いたり、雪兎を見るだけで顔が緩んだりと忙しい。

知世はその様子をビデオ片手に見守っている。見守るだけでなく、さくらと雪兎が二人きりになれるように、協力もしてあげる。好きな人に好きな人がいれば焦ったり、悲しんだり、邪魔してみたくなりそうなものだ。現に彼女の母親の園美は、撫子と藤隆の間に割って入ろうとしては挫折していた。しかし知世は全面的にバックアップする姿勢を崩さない。さくらが雪兎に告白めいたことをしようと奮闘する際には、やはりお手製の服を提供し特別な日を演出するのに一役買っている。そして撮影しようとする(時々さくらに許可を取っていないと思われる撮影が散見されるが、私はそれは改善されるべきだと思う)。

雪兎だけではない。物語の中盤、さくらのカード収集のライバルとして香港から李小狼(リ・シャオラン)という少年が転校してくる。最初はさくらに反発し、さくらと同じく雪兎に恋心を抱く小狼だったが、行動を共にするうちに徐々にさくらに惹かれていく。雪兎への気持ちとさくらへの気持ちの間で小狼は戸惑う。

さくらが雪兎に失恋したことを知った小狼が「自分が好きな人の一番じゃなかったときの気持ちをあいつはよく知ってる」「自分が思いを告げればさくらが困るだろう」と沈黙を選ぼうとすると、知世は彼を応援し、相談に乗り、告白を後押しする。

さくらは悲しいことをずっと悲しいまま抱えている人間ではないから、きっと小狼にさくららしい答えを返してくれるだろう、と鼓舞する。

小狼を優しく励ます知世は、自身の気持ちを伝えることをしない。第三者とさくらの仲を取り持つばかりで、自分の駒を進めようとしない。競合が増えても「もりあがってますわね」と微笑むばかりだ。

さくらの「好き」と自分の「好き」が違うことさえも、「さくらちゃんがもう少し成長したら話す」と笑ってはぐらかす。

・・・・・・こんなことをわざわざ注釈するのはかえって気が引けるが、もしも知世の恋が実らないとすれば、その理由はおそらく「女の子同士」だからではない。はずだ。

『カードキャプターさくら』の世界では、同性間の恋愛や強い感情を特別視する表現が意識的に排除されている。小狼とさくらが雪兎への恋バナで盛り上がるシーンこそあれ、小狼と雪兎が男性同士であると騒ぎ立てる人物は存在しない。雪兎は桃矢とも強い結びつきを見せるが、作者のCLAMP先生のインタビューには「読んだ方が友情と取ってくれてもいいし、それ以上の感情と取ってくださってもいい」と書かれている(『カードキャプターさくら メモリアルブック』2001年/講談社 より)。

ついでに、コミックスのところどころに1/4コマのスペースを使ったキャラクター紹介が掲載されているが、男性キャラクターのプロフィールに(おそらく意図的に)いわゆる家事と呼ばれる料理や裁縫、掃除などの表記がふんだんに盛り込まれ、なるべく性役割の偏りもコントロールしようとしていると思われる。さくらのクラスが学芸会で『眠れる森の美女』を上演するストーリーでは、お姫様や王子様の役は「公平にチャンスがあるように」と男女混合のくじ引きで決められ、さくらが王子様、小狼がお姫様、友人の男子生徒が魔女役を演じる。

小狼と恋バナを語りながら、さくらは「いいなあとか好きだなあって思う気持ちは自分でどうにもできないよ」と強調する。自分と小狼は、雪兎よりもずっと年下だけど、しょうがないよね、好きなんだもん。

ちなみに「年下」といえばもう一組、気になる二人がいる。さくらのクラスメイト・利佳と担任の寺田先生だ。小学4年生の女児と小学校教諭の関係は、アニメ版では利佳の片思いにアレンジされているが、コミックスでは両思いかつ交際している設定である。寺田先生は「婚約者に」と言って購入したという指輪を利佳に贈り、図書室など人目につかないところでデートを重ねる。

私は利佳が大人になり、教師と生徒のパワーバランスの不均衡が解消され、自由意思が自由意思として機能するようになるまで、寺田先生は利佳にベクトルを向けるべきではないと考えている。個人的にはセックスやその周辺のことを一切していなかった(していないと思うが)としても、好意そのものに応えるべきではないと思っている。子供は小さな大人ではないからだ。

とはいえ利佳の寺田先生へ向けられる好意、そして寺田先生から利佳へただ発生する(「向けられる」ではない)好意そのものは、周囲によって一方的に消滅させられることはあってはならない。そして好意そのものが消滅させられないという事実が、ただその一点のみにおいて、『カードキャプターさくら』にフラットな土壌を敷く装置になっている。

要するに、知世の恋路には少なくとも「女の子同士」という事実が立ち塞がることはないはずだ。知世が恋人候補に名乗りをあげれば、きっとさくらは可否を問わず「さくららしい答え」を返してくれるだろう。

しかし知世は沈黙を守り、さくらは小狼と結ばれることになる。「さくらちゃんがもう少し成長」するのを待たず、選択肢に知世が含まれることのないまま、タイムリミットが訪れる。知世だけが叶わない前提で黙り続け、さくらの決め台詞である「ぜったいだいじょうぶだよ」の隙間をかいくぐる。

大道寺知世は、恋を実らせようとしないというよりは、同じ舞台に上がろうとしていないのかもしれない。

さくらが王子様を、小狼がお姫様を演じた学芸会で、知世はナレーションを担っていた。このナレーションという配役は、やけにしっくりくる。知世はナレーション的で、プロデューサー的で、アートディレクター的で、サポーター的で、メタ的で、語り部的で、モノローグ的である。世の中を知るという名前の通り、視座が一人だけ高い。

さくらと小狼たちが「好きな人に自分の名前をつけた手作りのくまのぬいぐるみをプレゼントするとずっと両思いでいられる」という噂を聞きつけ、手芸屋でぬいぐるみキットを買い求めようとするときも、知世だけがキットを手に取らない。

不思議そうな顔をするさくらに、知世は「私は大好きな人が私と両想いになるより幸せなことがあるなら、ずっとそのまま幸せでいてほしい」「好きな人に好きになってもらえれば嬉しいけど、大好きな人が幸せでいてくれることが、一番の幸せ」だと言う。さくらは「知世ちゃんに好きになってもらえた人は、きっと幸せだね」と笑う。

さくらの幸せから知世は常に一歩引いている。さくらの可能性から、自分を予め退場させている。大好きな人が自分と両思いになることが、大好きな人の一番の幸せではないとなぜか確信を持っている。

さくらは、さくら自身の言葉によると「知世ちゃんに好きになってもらえた」時点で幸せなはずなのに、知世自身の言葉によるとその幸せ「よりも幸せなこと」があるらしい。

第6回 知世とさくら

同じ舞台に上がらないことは必ずしも消極的なことではない。例えばピエール・ベルジェ氏がデザイナーでないからといってイヴ・サンローラン氏を支えられなかったなどという人はいないだろう。

しかし二人が唯一無二の関係でなかった場合、それは片方にとって大きな負担になるかもしれない。

アニメ版にはオリジナルキャラクターとして、小狼の婚約者の少女・李苺鈴(リ・メイリン)が登場する。苺鈴は小狼の従妹で幼馴染でもあり、幼少の頃に逃がした小鳥を見つけてもらった経験から小狼に思いを寄せている。好意が募って告白し、「小狼に好きな子ができるまで」という条件で婚約者を自称している。

苺鈴には魔力がなく、彼女はそのことを少なからず引け目に感じている。「私なんか一緒にいても何もできない」「カード探しだって役に立ったことない」と呟く表情は暗い。

小狼から好きな子ができたと知らされた苺鈴は、香港に帰る前夜を知世の家で過ごし、彼女の膝に突っ伏して号泣する。「私が一番小狼を好きなのに」と泣く苺鈴の髪を、苺鈴と同じく魔力を持たず、園美と同じく「さくらを一番好き」だと叫びたいはずの知世は黙って撫で続ける。

苺鈴は「さくら」という存在を目の当たりにし、さくらと自分それぞれの、小狼との結びつきの違いを認識して香港に帰っていった。しかし知世は小狼が現れるずっと前から、さくらが雪兎にある種恋に恋するようにただ憧れていた頃から、いつか誰かが現れることを知っていたかのように待っていた。自分が間に入ることのできない「誰か」が存在するはずだと信じ続け、さくらとの関係を深めすぎようとせず、彼女を見守るだけだった。

好きな人とただ「唯一無二の関係でない」という理由で結ばれないことは、もしかすると最も苦しいことかもしれない。何も問題ではなく、誰が邪魔することもなく、どこも悪くない。

ただ、あなたと私は運命ではなかった。それだけ。

たとえ私とあなたの描く線がほんの少し楽しく美しい形を作ったとしても、あなたと私は切り離せてしまう。単純に、あなたと私の間に強い運命がないから。ただそれだけ。自分で作った服を着せてビデオで撮影することが「幸せ絶頂」だと、知世は恍惚と頬を染める。

運命でなくても人生は続く。『カードキャプターさくら』は2000年に完結したあと、2016年に連載を再開している。再開された「クリアカード編」のコミックスはまだ未完である。

もしもさくらが「もう少し成長」し、知世が「好き」の違いを厳密に説明したとすれば、きっとさくらは「さくららしい答え」をくれるだろう。説明してもしなくても、知世はさくらの近くでビデオカメラを回し続けるだろう。ビデオはDVDになり、ブルーレイになる。経年は唯一無二でないものを唯一無二でないまま、限りなく唯一無二に近づける。

一緒に戦えなくてもいい。手をつないでキスしなくてもいい。一番好きな人が他にいてもいい。運命じゃなくてもいい。

あなたを覚えておくことだけが、私の幸せなのだから。

  • [参考文献]
  •  「カードキャプターさくら」CLAMP著、講談社、全12巻 
  •  「カードキャプターさくら クリアカード編」 CLAMP著、講談社、1~7巻 
  •  「カードキャプターさくらメモリアルブック」 CLAMP著、 講談社 
  •  BD/DVD『カードキャプターさくら Blu-ray BOX & DVD BOX』(監督:浅香守生/ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント)  
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