日本人女優を起用した避妊具の台湾広告に私が違和感を抱いた理由

文化

栖来 ひかり 【Profile】

安易な発想に頼らない広告作りが大切

広告とは「記号」でできている。「どういう商品が」「いつ」「誰が」「どんなシチュエーションで」「どういう風に使われるか」の要素を組み合わせ、短時間で消費者にメッセージを伝える。

欧米では、こういった広告における記号性にはとても敏感だ。「ポリティカル・コレクトネス」(政治的な正しさ)と呼ばれ、広告が誰かの人権や尊厳を侵害するようなメッセージを伝えていないかどうかが、議論の対象となった長い歴史がある。そのため近年の欧米を見れば、男性用避妊具の広告に女性を登場させるものはあまりない。なぜなら、男性用避妊具とは男性が装着するものであり、それを使用する対象も女性であるとは限らない。また、よしんば女性としたところで、女性の人種などの属性によって、間違ったメッセージを伝えてしまう恐れがあるからだ。

その反面、優れたクリエイティビティを感じる商業広告も多数生み出されている。例えば、ポスターの真ん中に銃弾のみが置かれた広告は、「生身の男性器は、銃弾と同じぐらいに危険である」という明確なメッセージを伝える。安易な発想に頼らないぶん、想像力と創造性が要求されることが、広告業界の質の向上につながってもいる。

日本でも、1990年代に作られたHIV予防啓発ポスターには、差別的なものが多数あった。一例を挙げると、当時は性的なイメージの強かった外国人女性労働者を想起させるイメージに、男性用避妊具が覆いかぶさっているといったものがある。そんな当時の現状に危機感を覚えた京都のアートスクールの学生たちによって、従来とは全く異なる斬新な発想で、受け手を引きつけるHIV予防啓発運動が起こった過去もある。

こうした視点に立てば、台湾の商業広告業界はまだまだ発展途上にあると言えそうだ。台湾で暮らし始めてもう10年以上になる。その中で台湾社会は大きく進んだと感じる反面、広告表現に関しては、一部の視覚デザインがスタイリッシュになったことを除き、そう進歩しているとは残念ながら思えない。大部分はスターや有名人がほほ笑んでいて、商品がファミリー向けならば、幸せそうな一家の日常に商品が登場するなど、単純で一元的なものが多い。

だからこそ、避妊具のようなデリケートな表現を要求される商品については、特によくよく考え、慎重に制作を進めるべきではないだろうか。日本についても、デリカシーに関わる表現を用いていないか、改めて見直す必要があると思う。

バナー写真撮影:栖来 ひかり

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台湾 女性 広告

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台湾在住ライター。1976年生まれ、山口県出身。京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。台湾に暮らす日日旅の如く新鮮なまなざしを持って、失われていく風景や忘れられた記憶を見つめ、掘り起こし、重層的な台湾の魅力を伝える。著書に『台湾と山口をつなぐ旅』(2017年、西日本出版社)、『時をかける台湾Y字路~記憶のワンダーランドへようこそ』(2019年、図書出版ヘウレーカ)。 個人ブログ:『台北物語~taipei story

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