数日前に「負の性欲」という言葉がTwitterで話題になった。発言元のアカウントは凍結されたが「負の性欲」という言葉は野火のように拡散され、noteに記事が上がり、はてなでホットエントリー入りし、あっという間にWikipediaが作られ、光の速さでウィキペディアンによって取り下げられた。このエントリーは予約投稿しているのでこのエントリーが公開される頃には下火になっていると思う。
元アカウントは女性が「アウト判定した男」に抱く強い生理的嫌悪感を「性欲」と呼び「発情している」と表現した。このツイートが拡散されるにつれ「男性に嫌悪感を示すのは性欲」「性犯罪は正の性欲、嫌悪感の表明は負の性犯罪」と大騒ぎする主にアンチフェミ勢と「女性の嫌悪感を一律性欲と断定するのは性差別」「嫌悪感を発情扱いするのはセクハラ」と抗議する人々の間で大騒ぎになった。
男が性欲を表明するのは正の性欲で、女が嫌悪感を抱く男性を忌避すると負の性欲。男が性犯罪を犯すのは正の性犯罪で女性が嫌悪感を表明するのは負の性犯罪。嫌悪感の表明は控えめに言って表現の自由の範囲である。日頃表現の自由を錦の御旗にヘイトスピーチでもポルノでもセクハラでも所嫌わず表明させろと騒ぐ層が男性に対する女性の嫌悪感を性犯罪扱いするのはだいぶ不均衡に思える。
「なに言ってんだろな」と思いながらサウナでテレビをぼんやり眺めつつどういう意味かを考えていたら発言主が言わんとするところがふいに理解できた。「女がほしい、紹介しろ」という男性に女性を紹介すると「コレジャナイ!」と必要以上に強く対象の女性をこき下ろすことがある。「自分が求めるのはこんな容姿ではなく、こんな年齢でなく、こんな性格の女なんかじゃない!馬鹿にするな!」短くいうと「チェンジ」。
うん、これは発情目線といっていいだろう。あるある。感じ悪いよね。相手を人間ではなく性欲を発散する対象として値踏みして一喜一憂する点で「抱ける」と「チェンジ」は表裏一体である。しかしこれはわたしが見たところでは男性の専売特許とまではいわなくてもホモソーシャルのコミュニケーションツールとしておなじみのものではないだろうか。これを「女性がアウトの男性に抱く生理的嫌悪感」と定義して男性が女性を糾弾するのはだいぶ内省、自省が欠けていると思う。
当初サウナでわたしが思い描いた光景はもう少しロマンチックなものだった。憧れの彼のために念入りに手料理を用意したところに無関係の男があらわれ席に着こうとする。怒るよね。「おまえではないです」案件だよね。
帰宅してはてなをみたらホットエントリーにこんな記事が上がっていた。
「魅力のない男性に対して嫌悪ないし排除を示す」女性は発情してる?~負の性欲という概念~|rei|note
記事内には女性は好意を抱いている相手に拒絶されると好意が薄かった男性への嫌悪感が増すという資料が引用されていた。「おまえではないです」ですね。わかる、わかる。「しかし男性にはそのような傾向はみられない」とあったが、男性もこれ、やりますよ。むしろストライクゾーンを外れた女性への怨嗟を日がな一日何年もつぶやいているアカウントはだいたい男性である。
そういう男性は「いいや、男への文句ばかりいっているのは女の方だ」とおっしゃるのですが、女性が怒りを覚えるのは性欲を満たす対象から外れた男性を糾弾するためばかりではない。いうまでもなく性犯罪や性差別やセクシャルハラスメントに憤りを感じるのは女性ばかりではないし、親としてわが子に向けられた差別、家族や友人に向けられた不当なハラスメントにいきり立つことが性欲由来とするのはおかしな話だ。
公平を期する点で女性は「負の性欲」を発散しないとはいわない。通りすがりのナンパに対して「低学歴な男に用はない」と言い放った女性などは「性欲」とまではいわないが理想の男性像を基準にそこから外れる男性を糾弾している例だと思う。しかし彼女の基準が身体的、性的な魅力ではなく学歴という社会的な魅力だったことは注目に値する。女性が生理的に強い嫌悪感を示す理由は理想的な性関係が築けるかどうかより、理想的な社会関係が築けるかどうかに比重がかかる。*1*2
身体的劣位にあり、妊娠する身体を持つ女性より男性のストライクゾーンが広いのは当然である。女性は心から愛する男性とベッドを共にしたとしても不注意な扱いでびっくりするほど痛い目を見ることがある。AVの真似をするとケガのもとだとどんなに注意されても伸ばした爪で粘膜を出血させる男性は後を絶たず、乳腺の塊である乳房をマシュマロか何かのように揉みしだく描写を好む男性も数えきれないほどいる。話の通じる相手、問題を指摘されて激高したり塞ぎ込んだりしない相手とでなければ困る。もちろん望まない妊娠や性病の危険を配慮できる相手、万が一のとき人生を共にできるか、相手の子供を産んでもいいと思える程度の好意がある相手が望ましい。
ではいつも女性は計算づくで相手を選んでいるかといえばもちろんそうではない。恋にはこれらのリスクを「どうでもいい」と思わせるだけの力がある。なので圧倒されるほどの性的、身体的魅力を持った相手にはハードルがぐっと下がる。「ただしイケメンに限る」は現実にある。ただ女性の「イケメン」の定義は男性が思うより社会的な条件が厳しい*3。これはTOKIOの山口が高校生を襲って以来イケメン株が暴落したことなどからも明らかである。
一方男性は不祥事を起こした女性がAV業界へ移ってくることを口々に望む。それほど好きではない相手にも興奮するどころか激しく憎む相手をレイプすることすらある。交際、結婚となれば話は別だが、多くの男性が強い生理的嫌悪感を抱く女性とは身体的魅力が乏しいものである。
女性が強い生理的嫌悪感を抱く男性には身体的魅力以前に社会的な問題を持つもの、協調性や公共心のなさ、衛生観念の乏しさ、差別的な思想、著しい自制心の欠如なども含まれる。このような場合、見た目がどんなに魅力的であったとしても多くの女性は背景を知ったとたんにドン引きする。身の危険という点で忌避するに値する最もな理由があることも少なくない。と言うより一般的には男の品定めというよりそうした文脈で強い生理的嫌悪感を表明する。
これは女性の倫理観が男性より発達しているとか、女性が男性より理性的だとかいう話ではない。単純に危ない男に近づけば自分に加害してくる可能性(または巻き添えで被害に遭う可能性)があるからだ。女性のストライクゾーンが男性より狭いのは生理的、社会的な男女の力関係の不均衡を考えれば当然である。
男性はストライクゾーン広めだと社会的に認められ、自ら自負する人も多い。しかし多くの男性はとてもライトに、TPOをわきまえず易易と「チェンジ」発言をする。
七歳のとき「おまえなんかお嫁さんにしてやらないからな!」と同級生に言われたことがある。「女としてナイ」と言われたことも一度や二度ではない。どれも色っぽい話の最中ではなく「馬鹿野郎」くらいのニュアンスであった。喧嘩相手が女とみるや問題と無関係の性的な価値を取沙汰する男性はとても多い。
また「豊胸手術をしてみたら」「髪型と化粧と話し方を変えたらモテると思う」とさして親しくもないのに増改築の提案をしてきた人もいた。男女の仲なら知人だろうが友人だろうが性的な価値を取沙汰するのは適切だと考えている男性も少なくない。
これらはどちらも「性欲」由来の発想であり、ひとことでいえば古式ゆかしいセクハラである。目新しいところは何もない。男性は自分たちが性的にまなざされることに不慣れなので大発見をしたかのように騒ぐが、女性は生まれてこの方ずっとこの調子でジャッジされ続けている。
女性が男性に抱く強い生理的嫌悪感にはいろいろな種類がある。身体的劣位にある者が抱く警戒心と不信感を、恐怖とトラウマを一律性欲でくくるのは不適切だ。またジャッジされ続けてきた女性に「男性を選り好みするな」とを糾弾するのではなく、女性を品定めする風潮に対しても「人をセックスシンボル扱いするのはやめろ」と声を上げてほしい。
こうした「負の性欲」の発散は男性であれ、女性であれ内内にとどめておくのがマナーである。しかし強い生理的嫌悪感を表明している女性をみるや「発情してる!」と興奮する男性はまず自分の頭の中が性欲でいっぱいだということを正直に自覚した方がいい。人が強い生理的嫌悪感(「そばによるのもいや」「顔も見たくない」)を覚える理由は様々だという事実を無視して「女が男に抱く感情は好意も嫌悪間もすべて本能的な性欲の発露」と決めつけるのは直球のセクハラだからね。
「非モテ」であろうが何であろうがひとそれぞれ友人であったり利得対象であったりと日々他者を”選択”してるわけで。なのになぜか性愛対象だけは自分が”選択”されないことに同情しろと言い出す男達。それがもはや”マチズモ”にからめとられてるってことですよ。そこから降りろ。
セックスできない男に寄り添えとか、自分がセックスできない理由や責任を女に押し付ける事を言う男がいるけど、お前らが語るその「男」に僕みたいなゲイは含まれてないんだろ?
例えば僕がお前らに同じ事を言ったらお前ら何かしてくれんの?
まぁ言わないけどな、お前らと違ってプライドがあるから。