正義とは何か。
大昔に愛しき伴侶に問われた言葉だ。
意識を取り戻し、並べられた骸の中から父と母を見つけて慟哭を上げる少女を見つめながら、彼はそんな言葉を思い起こしていた。
少女二人の命を救いはしたものの、多数で村を蹂躙する騎士達がいると聞いては彼女達を放置することなどできず、安全を確保した後に村の中枢に向かってももはや手遅れであった。
彼が駆けつけたのは、家々に火を放ち終わった騎士達が整列しているその時。
彼に出来たことは、何も言わずにその不埒者達を瞬く間に殺していくことだけ。
彼を待っていたものは、称賛の声でも喜びの声でもなく、悲哀と絶望に打ちひしがれて叫ぶ少女の声。
救えたのは二人。たった二人だ。
これが彼の仲間で最も優れた魔法詠唱者ならば、手下の一つ二つを召還して瞬く間に征圧したことだろう。
これが彼らのリーダーであっても、アンデッドを呼び出し即座に動くことが出来ただろう。
これが彼の仲間のバードマンならば……上空からの連続射撃で騎士達をあっと言う間に無力化したに違いない。
蘇生術も回復術も使えないため、瀕死の重傷のモノも死者も救うことは出来ない。
単一として如何に強大な力を持っていようとも、彼――たっち・みーがゲームの世界で理想としていた自分は、少女達の願いを叶えることに対してあまりにも無力だった。
正義とは何か。
不思議と、心に懺悔はあれど現実世界でのような後悔に押しつぶされるような心の痛みはなかった。
自分がまるで人じゃないような気味の悪い違和感を拭い去るように、彼は考える。
正義とは……
†
唯一焼かれずに済ませた彼女達の家の中、たっち・みーは椅子に座り思考に耽っていた。
少女達は泣き疲れと気疲れからかすでに二人とも床に就いている。
ランタンの灯りが僅かに揺らめく。静かすぎる村の一軒家の中で彼は己の現状把握しようとしていた。
――ゲームじゃない。これは……ゲームじゃない。
人々が生きている。データや仕組まれたことなんてのは有りえない。
慟哭も、断末魔も、悲哀の叫びも、狂った犯罪者の笑みも、流れる赤い血も、人の焼ける匂いも……そして人を殴るあの感触は間違いなく……本物だ。
ユグドラシルの中ではない、と彼は断定づける。
昼間に殴った騎士達の感触は今も拳に残っているのだ。
無論、レベルの高すぎる彼の拳が痛むことなどあり得ないのだが、感触というものは嫌でも感じてしまうものだ。
――ならここは、何処だ。
ゲームの世界が現実になった? 別世界に飛んでしまった? 有りえるのかそんなことが……
深く、深く思考に潜るが答えなど出るはずもない。
ただ、彼は自身が此処に至る前に出あっていた人物からの言葉をふいに思い出した。
――事実は小説よりも奇なり、ですか。
もしかしてあなたは、こんなことになっていると分かっていて送り出したってことはないですよね、教授?
しかして思考は反する。
自分をもう一度ログインさせてくれた仲間の一人は、観測者として自分を観察すると言った。
この世界を覗いているのならば彼は何かしらアクションを起こしてくるはずで、それがないということは仲間にも手が付けられない状態、ということ。
そこまで考えて協力者のことを考えるのはやめて別の思考に耽る。
――あくまで身体はゲームの俺が現実化したモノで、精神は俺そのもの。モモンガさんもこんな感じで何処かに飛ばされているのかもしれない。
あの人の姿は人から怖がられるだろうし、厄介な他ギルドとPvPにでもなろうものならあの人単体だとそこまで対処しきれない。早いとこ探さないと。
目的はあくまでギルドマスターの救出だ。村にあった悲劇も、それはあくまで彼が偶然遭遇してしまった哀しい絶望なだけ。
人を大量に殺してしまった事実も、効率とこれからのことを考えるならばしなければいけないことだった。
ぐ、と彼は身構えたが胸に痛みは走らない。人であったならば、必ずここで胸に後悔や懺悔の痛みが走るはずなのに、だ。
それを彼は、少し哀しく思った。
――嗚呼……今の俺は……人間じゃないんだな……。
人の痛みを知りなさい、と子供の頃に教えられる人はいるだろう。
しかし今の彼は人の痛みというモノを全く分からない。
真実、化け物となってしまった自分に内心恐怖が芽生えるが、鍛えてきた精神性からかすぐに落ち着いていく。
――俺は俺。正義は此処にある。
トン、と胸を一つ叩く。迷った時はこうしろと、彼の最愛の伴侶が教えてくれたことだ。
――俺が望み、俺が願い、俺が祈り、俺がそうあれかしと貫くなら……それが“俺の正義”だ。
心に決めた一つの芯を再確認して奮い立たせる。
送り出してくれた家族を想って。
二階で寝静まっている彼女達を起こさぬよう、彼は物音すら立てずに腰を上げる。
まだ夜は始まったばかり。変化した彼の知覚はどうやら鋭すぎるようだ。
遠くから、また鎧の音が聞こえてきた。彼はただ小さくため息を吐くと、音一つ立てることなくその家を後にした。
†
カルネ村は端の方ではあるが一つの王国の領地とされている。
トブの大森林に近しいこの村は、交通の不便さから発展の望みは当分あるはずがないのだ。
しかしそんな村に近づく騎士団があった。
王国最強の戦士と呼ばれるガゼフ・ストロノーフ率いる部隊である。
ここ最近、辺境の村々が襲撃を受けているという話は聞いていた。辺境であるが故に駆け付けた頃には遅く、犯人を捕らえることもできずにいたのだ。
今回は不信な一団を見つけたと報告があってからすぐさま出陣をしたのだが……やはり、彼らは間に合わなかった。
遠目でも見える、まだ燻っている火災の跡。焦げた匂いは風に乗ってその一団の元に届いてくる。
「……っ。またか……またなのか」
「ガゼフ様……」
噛みしめた唇の端からは血が流れ、厳つい顔は皺が深く刻まれる程に苦渋を表す。
「何故こうも、俺達の国が荒らされる。
違法な薬物も出回っていると聞くし、上層部の貴族連中はことの重大さも理解せず遊びほうけだ。国王様は日々心労に苦しんでおられる」
ギシリ、と歯が鳴った。くやしさから、不甲斐なさから、無力感から。
遠目に見る村の残骸は彼の無力さを思い知らせているようで、押し寄せてくる無力感から彼は瞠目した。
「すまない……村人たちよ……。
無力な俺を恨んでくれ。しかし必ず……」
同じような犠牲の出ない世の中にして見せるから、と心の中で紡ぐ。
彼と同じように、部下達も胸に手を当てて黙祷を捧げていく。
しん、と静かな夜の闇は、痛々しさをより際立たせ、彼らの心に決意と覚悟を際立たせる。
「へぇ。昼間の騎士達とは違うのか」
不意に掛かる声。
ハッとしたのも束の間、気付けばガゼフの目の前まで来ていたソレは一瞬で剣の柄を抑えていた。
そしてそっと、喉元に手刀を添えられる。
「動くな。声も出すな。質問をするのはこちらだ。部下の一人でも動けばこいつは地面から自分の身体を見上げることになるぞ」
一寸で張り詰めた弓弦の如く緊迫した空気が場を支配した。
銀色の鎧を着た騎士の動きは誰にも見ることが出来なかったのだ。そう、ガゼフでさえも、である。
自分達ではどうすることも出来ない、と感じた騎士達は黙するほかない。
ガゼフは先ほどから剣を動かそうとはしても、その騎士の力が強すぎて微動だにしない。
「ふむ……だいたい三割だからレベル30ってとこなのかな? まあいい」
何かを確かめるような言葉を発した騎士は、ガゼフに兜の中の赤い瞳を向けた。
「この村は昼間、騎士の鎧を付けた一団に襲撃され壊滅した。生存者は俺が偶然助けた二人の村娘だけ。
こちらからの要求は二つ。
一つ目、二人の少女を今は休ませてやりたいからあの建物には近づかないでくれ。
二つ目、昼間の騎士達をある程度捕らえてあるからそいつらに然るべき処罰を。
以上だ」
遠くでぽつりと、ほんの小さく灯りが揺れている建物を指さしながら、その騎士は語った。
ガゼフと部下達はその語りに驚愕を隠せなかった。
「な……」
「まだ喋るな。聞きたいことはこうかな?
何故騎士が襲撃を、とかどうやって捕らえた、とか。
なんで襲撃したかは俺も知らない。捕らえたのは、村を壊滅させられた後にそれしかあの子達の役に立ちそうなことが出来なかったからだ」
淡々と答える声には感情があまり見えない。
事務仕事をつたえているような感覚を受けてガゼフは不気味に思った。
「あんた達が敵じゃないなら、明日の朝にでも少女達に事実確認をしてくれ。もちろん、その時は俺が護衛につくから」
す、と騎士はガゼフの剣の柄から手を放す。
言うべきことは言ったと、そういうように。
カシャリ、カシャリと今度は音を立てて去っていこうとする騎士の背中に、
「……一つ、聞かせてくれ」
落ち着くようにと大きく息をつき、ガゼフは言葉を絞り出す。
騎士は立ち止まるもこちらを振り向かず。
「あんたは何者だ?」
得体のしれない、しかし敵ではなさそうだ、そう結論付けたガゼフは単純に、明快に尋ねた。
しばしの沈黙、怒気もなく、殺気もない。
得体のしれないこの騎士に、ガゼフは勝てる気がしなかった。
怒気もなくとも、殺気がなくとも、ガゼフはこの騎士に殺されることしか出来ないだろうと漠然と思った。
長い沈黙の末……騎士はぽつりと、言葉を零す。
「捕らえた騎士は焼けた村の広場に縛ってあるよ」
また、カシャリ、カシャリとゆったりとした足取りで騎士は歩みを始めていった。
質問の答えはする気がないのか、と思いガゼフが村の広場の方へ向かおうとした時、風が騎士の言葉を運んできた。
「そうだな……正義の味方……になりたい男、かな」
短めですがお許しを
ガゼフさんとの邂逅
次回でたっちさんのお話はしばらくなし