玉座の間。
頂く王……中央に荘厳と在るだけの玉座に座るべき主が永遠に来ることのないその部屋になんの意味があるのか。
そう問いただすモノは誰も居ない。
栄光たるナザリック地下大墳墓には、もはや住まう彼らが神として崇拝し、服従し、追従すべき主達は誰も帰ってくることはなくなった。
何時間……いや、何日そこに居た彼女達は泣き叫んでいただろうか。
本来涙を流すなどあり得ない種族なはずのプレアデスの一人――シズ・デルタでさえ、オイルのようなナニカを瞬きさえしない瞳から流し、無表情のまま声を張り上げていた。
誰も止めるモノは居ない。誰も彼女達を止めるモノなどいないのだ。
それぞれがそれぞれの持ち場にて、自身に与えられた仕事をこそ至高の使命としているナザリックの住人達は、この玉座の間で上げられている慟哭を知ることすらない。
彼女達八人の思考はずっと一人の至高の主の最期の姿がループしている。
偉大な主の声が悲哀に堕ち、崇高なる主の心が無念に沈み、最も愛しき主が……寂寞と寂寥と絶望をその背に乗せて去っていったその姿。
――唯々……無念だ。
その一言。彼のそのたった一言が彼女達を絶望に落とす。
『何故、我らはこんなにも無力なのだ』
『何故、我らはこんなにも愚かなのだ』
『何故……我らはまだ存在している』
主は最期、彼女達に言った。全ては自分達支配者の責任であると。
本来ならば、従僕である自分達こそが至高の主達を悩ませる問題を悉く取り除くべきであるのに。
彼らの存在理由は至高の主達にこそ集約される。彼らが生まれた意味は、彼らが動いていいのは、彼らがするべきことは、全て至高の主達の幸福の為にあるはずなのだ。
『なんだ……我らはなんなのだ……主達の苦悩を。主達の悲哀を。主達の寂寥を。主達の絶望を。何一つ晴らすことが出来なかった我らは……』
役立たずな被造物に何の価値があるのかと、其処に居る皆が思っていた。
互いへの憎悪などは無い。あるのは唯、己自身への比類なき憎悪のみ。
出来ることなら己の頸を掻き切って主の前に差し出したい。出来ることなら己の愚劣さを主に謝罪し目の前でその命を差し出し贖いたい。
しかしそれも、偉大なる主の最期の言葉によって封じ込められる。
――これからはお前達の思うように生きて、お前達の思うように未来を掴み取れ
それは一種の呪いと言える。彼女達は考え、そして誰しもがそれを主が与えたもうた罰なのだと感じた。
生きろと命じられたからには生きなければならない。彼女達の思考に“思うように生きる”というモノはないのだ。被造物である彼女達には、創造主の居ない世界での存在理由などありはしない。今あるのはただ、“生きる”という空っぽの目的だけ。
彼女達には分からない。そう出来るように創られていない。否……“この時はまだ”彼女達は自由に思考することが出来なかった。
故に、死ぬことすら許さず、殺し合うことすら封じ込め、苦悩と絶望を抱いたままに生きることこそが己達に与えられた罪で罰なのだと誰しもが信じた。
――私たちが笑いあったこの場所を、私たちとお前達の大切な家を、どうか……よろしく頼む
最期に齎されたモノで一番重要な事はこの言葉だった。
彼女達は思う。主が自分達に与えてくれた最期の使命であり、主が担っていた最大の重責を、彼女達が請け負うことになったのだ、と。
其処には絶望しかない。
何故なら主達は二度と帰ってくることは無い。
其処には哀しみしかない。
何故なら彼女達の存在理由が消えてしまった。
其処には寂寥しかない。
何故なら彼ら彼女らが求めるモノは……。
幾日経った。
慟哭はもう上がっておらず、其処には屍のような存在が八体あるだけだった。
呆けて宙を眺める彼女達は、主から与えられた最期の使命があろうと、それでも動くことは出来なかった。不出来で無様な姿を探し続ける自分達を認識していても、喪失したモノが大きすぎて何をしようとも思えない。
状態がより酷いのは、二人。アルベドとセバスであった。
アルベドは、最後に書き換えられた設定であるモモンガへの愛情からその絶望は計り知ることが出来ない。
セバスは、ナザリックの存在の中でも異端である高く持つ善性から、主への献身と存在理由を失った衝撃が大きすぎた。
誰も話さない。誰も話せない。誰も動けない。誰も……
しかし、しかしだ。彼らにとっては不幸なことに、ナザリック地下大墳墓は今も動いているのだ。
数日も所定のモノ達が居なければ誰かが不思議に思う。哀しきかな、他の彼らであっても、もう命と思考を持ってしまった。
〈メッセージ/伝言〉の魔法が届いたのは、メイドを纏めているセバスの元である。
深い悲しみと絶望と虚無に支配されているセバスはメイド長から、途方に暮れた声を耳に入れる。
それは業務連絡だ。プレアデスが全て出払っている為それを代替していたが今後はどうすればいいのかという指示を仰ぐ連絡。
呆然と、彼はしばらくその言葉を反芻していた。
染み付いた思考回路は拭われることなく、プレアデスが居ない場合の代替シフトを考え始めた所で……彼はフッと短く息を漏らした。
小さな自嘲の嗤いと共に、セバスの頬に枯れ果てたと思っていた一筋の涙が伝う。
「ああ……ペストーニャ、第9階層の掃除のシフトは貴女にお任せします。しかしそれよりも……やらなければならないことが……私達には出来たようですな」
ピクリと、セバスの声を耳に入れた彼女達の身体が動く。
「我らは……我らナザリック地下大墳墓の皆は……生きなければ……ならない……生きて……やらなければ……ならないことが……」
幾多もの視線が、セバスの身に突き刺さる。
それは絶望であり、悲哀であり、己と同じモノに向ける憎悪であり、諦観だった。
『どういうことですか? ……わん』
不思議そうな声を出して応答するペストーニャはセバスの言葉の続きを待っていた。
セバスはゆっくりと首を動かした。
絶望に堕ちた瞳でこちらを凝視しているアルベドと視線を合わせて……彼は嗤う。彼の涙は、血涙となっていた。
下僕が口にしてはならないと知っていながらも、彼はその善性故に主からの使命を全うする為に、彼女達の心を更に引き裂く言葉を口にする。
憎まれてもいいと思った。蔑まれてもいいと思った。殺されてもいいとさえ思った。
彼に出来ることは皆を導くことではない。たった一つでいい、きっかけを与えなければ此処は壊れてしまうと感じたのだ。
――さらばだ、愛しきナザリックの子らよ
その言葉だけが彼の頭には反芻されていた。
至高の御方が愛したモノ全てを護る為に。セバスは自身の絶望し引き裂かれた心を奮い立たせて勇気を出した。
「……遂にモモンガ様までもが世界に“奪われた”。我らが愛しき主達は……もう誰一人居ない」
八体の全てが己の体液を瞳から零しながら
自らが口にせずとも同胞から突きつけられる絶望は脳髄の深くまで浸透し
彼らはその事実を漸く受け取めた。
しかしただ一人だけ、赤い紅い涙を零しながら、受け止めながらも現実を拒絶する為に首を振り続ける。何度も、何度も、その真黒い翼を揺らしながら。
主を失う直前に、漸く主を愛することを許された唯一の下僕に届いたのは、小さな炎を灯す言葉だった。
「アルベド……我らの敵は……我らの愛しき御方々を奪い去っていった“世界”……そうでしょう?」
遅くなりまして申し訳ございません。
ぼちぼち更新再開していきます。
ナザリック内の誰かの心情が見たいとかあればそのうち幕間で描きます。
誰かはやくシズちゃんのオイルを拭って抱きしめてあげて