人は理解できない事態に遭遇すると、慌てふためくモノと、冷静に思考を回し始めるモノの二通りに分かれる。
彼――鈴木悟はどちらかと言うと冷静に物事を判断し始める性質なのだが……今回はあまりにもその衝撃が大きすぎた。
今現在の状況が理解出来ない。穏やかに、己が愛したゲームの世界を去り行くはずであったのに、これではまるで茶番劇ではないか……見るモノによってはそう考えるのではなかろうか。
足元に縋りつく一人……いや、一体と言うべき存在を見下ろしながら、モモンガは混乱する頭をどうにか回そうとするも思考が追い付かない。
彼自身が手掛けたNPCであるパンドラズ・アクターが、ユグドラシルの終焉の時間が来た瞬間に叫び声を上げて彼の足元に縋りついたのだ。
AIにそんな機能はない。自立して動くようにNPCは出来ていない。ましてや……声を上げるなどという事などあり得るはずがないのだ。
しかし現実はどうだ。彼の創り上げたNPCは、おいおいと声を上げて泣いている。硬い石畳に落ちる滴はパンドラズ・アクターの種族からか、涙ではなく赤い赤い血の雫であった。
叫び声と泣き声以外に声を上げることはせず、唯々、パンドラズ・アクターは泣きじゃくるだけ。
――ど……どないせぇと……
モモンガにとって、自分が使うはずのない関西弁で困り果てるくらい、本当にわけの分からない状況だった。
いきなり動き出したNPCにどう接していいのか分からず、とりあえず、と彼が行ったのは現状の確認。
――視界にデジタルの表示がない。コンソール……出ない。GMコールは……使えない……だと?
やっと彼は自身を襲っている異常事態を理解する。NPCが動くだけならば――よくはないが――まだいい。しかし彼自身に何かしら被害があるのなら大問題である。
一つ、一つと確認作業を行っていく。運営との緊急連絡も、強制ログアウトも、居るはずのないギルドメンバーや交流のあったプレイヤーやゲーム内ログへの簡易チャット送信も……全てが効かなかった。
――サプライズのアップデート? 有りえない……こんな大型のアプデにメンテナンスもなしで取り掛かれるほど運営が使えるはずがない。
バグによる機能不全? それなら運営から何かしらのアクションがないわけがないし強制ログアウトさせることだってできるはずだ。
考えても答えなど出るはずがない。彼はただの営業職のしがないサラリーマンで、平々凡々とした男でしかないのだから。
まずは情報を……そう考えたモモンガは、自分の脚に縋りつくNPCにゆっくりと語り掛けた。
「あー……パンドラズ・アクター?」
「……ぅっ……うぅ……モモンガさまぁ……私ならば……どこへなりとも……ついて行きますからぁ……世界が敵だ、というのなら……私も立ち向かいますからぁ……」
帰ってきたのは独りごとだけ。
ダメだ聞いちゃいねぇ、とモモンガはげんなりと肩を落とす。そんな彼の何処か他人事な心の内など気づかずに、パンドラズ・アクターは喉を引くつかせたような声を紡いでいった。
「私の無力が原因だと、分かって、おります……至高の御方々の贋作で、しかない私では……貴方様の御心は、癒すに足りなかったのだと……至高の御方々が居なくなって……孤独な貴方様を癒せな、かった私に価値は……無い……存在する価値などないの、です……」
完全に自分の世界に入りきっているパンドラズ・アクターの懺悔を聞きながら、彼の心はジクリと痛む。
「お一人きりで宝物殿にいらして、私の道化を眺める瞳の寂しい光を……私が演じる道化に呆れて哀しく零される御心も……私は何一つ……打ち消すことが出来なかった……っ。
たっち・みー様のように貴方様の心を奮い立たせる存在になれたらよかった! ウルベルト様のように貴方様を焦がれさせる悪になれればよかった! ペロロンチーノ様のように貴方様の心に太陽の光のような明るい輝きを与えられたらよかった!」
次第に零される懺悔は叫びとなり。
まるで今までたった一人でギルドを維持して来た自分を見てきたかのような言葉は彼の胸を突き刺す。その独白が真に迫る感情を発しているからこそ、モモンガの心に悲哀が沸き立つ。
「……私は……貴方様に何も、返せていないっ……創造して頂いた恩に……忠義を……感謝を……愛を……ち、父上に、なにもっ」
全くわけのわからない異常事態であるが、彼はこの短い時間で分かったことが一つだけあった。
――こいつは……パンドラズ・アクターは……俺のことを想ってくれてるらしい。
じわりと心に暖かい灯がともった気がした。
孤独に過ごしてきた数年間の日々が、全く無駄ではなかったと、モモンガにはそう思えた。誰かが見てくれていた、というのが……己の寂寥を理解してくれることが、彼にとってなにより暖かい。
運営のミスだろうと他のナニカであろうとどうでもよくなった。もし運営がパンドラズ・アクターを操っていたのなら、などという野暮なことは考えない。彼には自身の創造したNPCが生きているとしか思えなくなった。
優しく、穏やかな吐息を吐き出して、モモンガはパンドラズ・アクターの肩に手を置いた。
漸く上げた顔は、赤い雫でべちゃべちゃだった。一種のホラー映画のようだが彼は気にしない。
「も……モモン、ガさま……?」
「泣くな、パンドラズ・アクター。どうやら世界はまだ俺を此処にいさせてくれるらしい」
ぶわぁっとまた溢れだした赤い雫。泣き声は嗚咽に変わる。しかしその涙の意味は、悲哀から歓喜へと。
感極まって俯いて震えだしたパンドラズ・アクターの背中を優しく擦りながら、モモンガは愛しいNPCが落ち着く時を待つことにした。
†
ひとしきり泣いたパンドラズ・アクターは、軍服のポケットから取り出したハンカチで盛大に鼻をかんでいた。
赤い雫がまだ残る目元を気にせず帽子を整えて……ビシリと敬礼を一つ。
「お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ございませんでした! 至高の御身に泣き縋るという被創造物にあるまじき不敬、あらゆる罰をもってしても贖えるモノではございません! 即刻、自らの命をもってして謝罪を――」
「おいちょっと待て! そういうのいいから!」
自決する、と言い出したパンドラに驚き、モモンガは慌てて止める。
「し、しかし……」
「せっかく話が出来るんだからさ、もっとこう……楽しい話をしような?」
先ほどまでユグドラシルの終焉に沈んでいた気持ちなど霧散してしまった。モモンガはただ、誰かと共に在れることが嬉しいのだ。
苦悩に震えているパンドラズ・アクターを微笑まし気に見つつ思考に潜る。
――運営が俺個人に対して、ギルドメンバーの特徴を伝えつつNPCの感情を表現するなんてまずありえないから……こいつという存在が自発的に意思を以って話してるってことだろう。ログアウトも出来ない異常事態ではあるけれど……“俺はその方が嬉しい”
今更、仕事が早いやら睡眠時間がどうこうやらと考えることはやめた。
これが泡沫の夢であっても何であっても、彼にとっては今感じていることが全てなのだ。
「なにがいいかな……そうだ! せっかくお前が俺に話してくれるようになったんだから、お前の気持ちを色々と知りたいんだがいいか?」
「はっ。モモンガ様が望まれるのならばなんなりと」
ビシリと大仰に敬礼を行う己のNPCを見やってうんうんと頷く。
「そうだな……宝物殿にこもりっきりだったお前に聞くのは酷かもしれないけど聞きたい。お前は俺の仲間達の姿を全部知ってるわけだが……問おう、お前自身が一番カッコイイと思うギルドメンバーは誰かな?」
ニコニコと、と表情があればそう表されるような声で尋ねるモモンガは純粋な子供の如く。モモンガにとってギルドメンバーとの思い出は宝物。数年を孤独に、一人で過ごした彼は仲間との時間に飢えていた。ただの話題程度でもいい。唯々、モモンガは誰かと思い出を語らいたかった。
NPCが話すようになった、というのは彼にとって大きな変化ではあるが……モモンガの中ではNPCはNPC。ギルドメンバーとは比べるべくもない。
モモンガは自分の変化に気づかない。人間ならばきっと気遣い一つでもしてこんな話題を出さなかった。しかし今の彼は……妄執を内に抱く異形であった。
パンドラズ・アクターの逡巡は一瞬。空洞でしかない目がなぜかギラリと輝いて、大仰な身振り手振りで動き始めた。
「不敬ながら! 一番にカッコイイ至高の御方というのは我が偉大なる創造主である――んんモモンガ様であると偽りなき本心でお答え致します!
さらにぃ……っさ・ら・に! モモンガ様にとっては我らNPCの存在など気にして頂く必要もありませんが! 理由を一つ! 我ら被造物は……己の造物主様をこそ一番カッコイイと思っているのです! それを別としても全ての至高の御方様方を余すところなく見てきた私は、モモンガ様が一番であると言い切りましょう!
他の至高の御方への不敬とお叱りになられても、偽りなき心をお求めになられるのであれば私の答えは一つしかございません! んんんんんんモモンガ様こそ! 栄光あるアインズ・ウール・ゴウンで一番CooooooooooLな存在でありましょう!」
雷が轟くような効果音が聞こえそうな程、パンドラズ・アクターの動きは大き過ぎた。
モモンガはあっけにとられたまま骨の顎が外れんばかりに口を開けてソレを見ていた。そして―――
――だ……だっさいわぁ! なんだよあの動き! なんだよあの話し方! おかしいだろお前ぇぇ!
自分への賛辞の言葉など聞こえていない、認識していない。パンドラズ・アクターの身振り手振り、そして行動の全てを自分が考えたのだと思い出して、彼は羞恥に呑まれていた。
その時はカッコイイと思って創り上げたのだ。誰にだってあることだ。中学生くらいの時、ネットでのハンドルネームに卍やら†やらを入れたがることとか、実は自分には隠された能力があって独りごとをふいに呟いてみたりとか……所謂黒歴史である。
しかしモモンガにとって最悪なのは、その黒歴史が文字通りに動いて喋って存在していることだ。
先ほどまではパンドラズ・アクターが自分を想ってくれていることに心を温めていたがそれはそれ、これはこれである。穴があったら入りたいとはまさにこのことであった。
ただ……モモンガはここで己に訪れた変化を知る。
すっと、心に溢れていた羞恥の心が急に消えていったのだ。あれほど恥ずかしくてたまらなかったというのに、普通ならば30分ほど悶えてもおかしくない程の羞恥であるのに、だ。
――なんだ、これは?
感情が急に抑制されるなどという事は現実にはおきえない。
今も目の前でパンドラズ・アクターが延々とモモンガの素晴らしさについて語っているが、それさえ冷めきった心で見つめてしまうほど。
何かがおかしい……モモンガは考える。明らかにおかしい異常事態に、漸く思考を回し始めた。
――パンドラズ・アクターの存在でうやむやになってたけど、今の状態はおかし過ぎる。なんだこれ? わけが分からない。確認しないと……
意を決した彼は、目の前で踊っているように見えるパンドラズ・アクターに厳しい目を向けた。
「……もういいぞ、パンドラズ・アクター」
「やはり! 私の造物主こそが至高にして最高の主だということが証明されて――はっ! これは重ねて失礼いたしました!」
今度はちゃんと自分の世界に戻ってきたようで、話の途中でもパンドラズ・アクターはモモンガに敬礼して向き直った。
「お前の気持ちは受け取った。それよりも聞きたいことが出来たんだ」
「は、なんなりと」
「GMコールが効かないしログアウトも出来ないんだが、お前にはその理由が分かるか?」
単純に、明快に。モモンガはプレイヤーとしての疑問をぶつける。対して――パンドラズ・アクターは一瞬の逡巡の後、モモンガに対して膝をついた。
「……モモンガ様。愚かな被造物である私は、貴方様の求めるお答えを、“じぃえむこぉる”なるモノも、“ろぐあうと”なるモノも存じ上げていないのです。ご期待に添えられないことを、死を以って謝罪を――」
「あー、だからそういうのはいいって」
ふむ、と考え込む。NPCは言葉の意味さえ理解していない。それもまた、モモンガにとっては貴重な情報である。
――NPCであるこいつにはプレイヤーの言葉は理解できないってことか? まだ情報が足りない。
すっと、彼は己のNPCに手を伸ばす。ピクリと僅かに動いたパンドラズ・アクターであったが、主のされるがままにするようで動く気配はない。
骨の指先がパンドラズ・アクターの肩に置かれる。以外にがっしりとした肩から首へと白磁の指が動き出す。ごくり、と彼のNPCが生唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。
首筋に触れた指先、頸動脈のあたりでゆっくりと押し付けた。その指に触れる感触と、その指に伝わる温度を知りそのまま、くい……とパンドラズ・アクターの顎を持ち上げる。
見られようによっては薔薇の花びらが舞い散りそうな絵柄ではあるが、モモンガの真剣な瞳を感じ取ったパンドラズ・アクターは何も言わない。
「……今のお前が発動しているスキルは?」
「モモンガ様の前でスキルを発動することなどありません。この身、この命、この魂は全てモモンガ様のモノ。主にスキルを放つなど、それすなわち万死に値すること」
パンドラズ・アクターの返答にモモンガの思考がまた深く色づく。一つ顎に手を当てた。
「すまない……なら、お前は今、ダメージを受けているのだな?」
「モモンガ様に触れて頂けることは我が身にとって至極の悦び、この痛苦さえ、我が主が与えたもう愛なればなんのことやありましょう」
モモンガのスキルにはネガティブタッチという触れているだけで継続ダメージを与えるスキルがある。
拠点NPCにそれが発動しているということは――
――フレンドリーファイアが解禁されてる? しかも体温がある、だと? それに何かこう、宝物殿であるからか古風な匂いも感じる。そして俺の口が……動いてる。これはやはり……
一つ、また一つと仮設を立てていくしかない。恐ろしさを感じたのか、はたまた他のナニカの大きな感情を抱いたのか、モモンガの身体が薄く光った。
ゆるりと指を外し、モモンガはパンドラズ・アクターに背を向けた。
「……パンドラズ・アクター。お前は先ほど俺が語った最後の言葉を覚えているか?」
息を呑む音。衣擦れの音がやけに大きく聞こえた気がした。モモンガは知らぬふりで反応を待つだけ。返されることばはなく、悲哀の空気が背中に突き刺さる。
「世界が終わり……世界からモモンガ様が拒まれる、と」
「そうだ。ユグドラシルが終わり、俺は世界から弾き出される。これは確定事項だ。遅かれ早かれ、必ず俺は世界から弾かれる」
――ゲームはいつか終わりが来る。終わらないコンテンツは有りえない。“ユグドラシルは終わった”……でも……
もう受け止めているモモンガにとって、現実を語ることに忌避はない。残酷なまでの事実確認はパンドラズ・アクターを絶望の底に突き落とす。
ただし、モモンガにとっては違う。思考を巡らせた結果、浮かんだ可能性を彼は希望を込めて考えていた。
「しかし、だ。俺はこうしてお前と共にいる。ほんの数十分前に終わるはずだった世界は終わらず、こうして世界は続いている。これはなぜか?」
パンドラズ・アクターの設定は頭脳明晰。ナザリックでも最上位の頭脳の持ち主という設定だ。
早々にモモンガの言に含まれた意味を読み解こうとし始めた。空気が変わったことに安堵したモモンガは振り返り、穏やかな空気を出して続ける。
「世界の終わりの時間と共に、“世界に対して”俺にしか分からない変化があった。それをお前は感じることが出来たか?」
「……不甲斐なく」
「いい、よいのだ、パンドラズ・アクター。これは仕方のないこと。何も、お前が気にすることはないとも」
優しく語り掛ける彼はまるで父のように。落ち込む息子のことを励ますように。
――まだ推測の段階を出ない。だからこそ、確かめる必要がある。それも早急に、迅速に、確実に。まずは……
「とりあえず、此処を出ようか。玉座の間に守護者達を集め、あらゆる情報を集めよう。何よりも情報こそが大切なのだから」
見上げてくるパンドラズ・アクターの視線を受けながら、彼はパンドラズ・アクターの肩に触れる。
リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを発動すればギルド内であればどこへでも行ける。いつもしているのとは勝手が違うかもしれないが、と考えつつも彼は意識を集中し……
――……あれ?
転移を行おうとして、どこへも飛ぶことが出来なかった。何度も、何度も念じたが、二人で転移すること叶わず。
「い、如何なさいましたか?」
主の焦りを感じ取ったのだろう。掛けられる声にも若干の焦りが見えた。
「……リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが……使えん」
「なんとっ」
勢いよくモモンガが差し出した指を見つめるパンドラズ・アクターは、はめられた指輪に二つの大きな漆黒を向ける。
其処には、昔からの輝きはなく、鈍い金属的な輝きしか移さない指輪だけがあるのだった。
†
直せるのか、予備の指輪は使えるのか、他の誰かなら使えるのかと、幾つか試してみたモノの指輪は沈黙を守ったまま。
パンドラズ・アクターがどれだけ趣向を凝らしても転移機能を使うことは出来なかった。
そしてもう一つ、モモンガは試したことがある。
〈ゲート/異界門〉という魔法だ。目にした場所ならどこへでも行けるという魔法なのだが……なぜか発動することは無かった。
他の魔法を使えるか試してからであったので、魔法が使えるというのは分かっていた。しかし〈ゲート/異界門〉だけが発動しない。
ナザリックの宝物殿は隔離された別空間にある。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがなければ来れないからこそ、絶対の守備を誇っていたのだ。
内側から転移出来ない即ち空間に取り残された、ということである。どうすることもできない。本当の意味で閉じ込められたモモンガには、もはや打つ手なしであった。
「クソ……せっかく、せっかくなのに!」
パンドラズ・アクターと話せたということは他のNPCとも話せる可能性があるのだ。
他のNPCは、いわば他のギルドメンバーの子供の等しい。もはやギルドメンバーに会えない彼は、いつ世界から弾き出されるか分からないからこそ、せめてそのNPC達と触れ合っておきたかったのだ。
壁に手を打ち付けて落ち込むモモンガを見て、パンドラズ・アクターもまた落ち込む。
主の役に立つことが出来ない。主が望んでいることがあるのに手助け出来ない。“また、主の願いを叶えられない”
――私は……私はどうすればいい……
絶望は彼の心にある。主と語ることなど出来なかったはずが、語ることを許された。悲哀の底に居た主が浮かべてくれた穏やかな笑みをまた消してしまうのかと、彼の心は掻き乱される。
何もできない無能な贋作。何も返せない無能な被造物。
己に価値などやはりないのだと、パンドラズ・アクターはまた涙が零れそうになる。
――なにか、なにかあるはずだ! 私に出来ることが、私にしか出来ないことが、私だけが……今、モモンガ様をお支えすることが出来るのに……
明晰な頭脳をフル回転させる。しかしなんら解決策は浮かんでこない。せめて、と彼は提案を一つ。
「も、モモンガ様。もしかしたら……宝物殿の内部にも何か異常があるやもしれません。これはナザリック未曾有の事態でございましょう。故にこの宝物殿も調べなければならないかと」
言いながら、彼はそうだと思った。
異常事態にモモンガを一人にすることなど出来ない。だがせめて何かは行動を起こすべき。
「万が一の侵入者を考えて貴方様をおひとりにするわけにはいきませんので……よろしければ――」
「そうか……確かにその通りだ」
驚いた、と声からも分かるモモンガの感情に、パンドラズ・アクターはほっと胸をなで下ろす。
「まずは出来ることから、だよな? 敵がいてもここだと二人だけで、転移も使えないとなると逃げることさえ出来ない。蘇生アイテム、復活アイテムを出来る限り持ちつつ探索すべき、そうだろう?」
「はい。まずはこの宝物殿に異常がないかを確かめ、その上で此処を脱出する方法を考えるべきかと」
「うむ」
モモンガの赤い目が喜びに輝く。続けて誇らしげな色さえ含む声で、モモンガはパンドラズ・アクターの思いもよらない言葉を口にした。
「さすがはパンドラズ・アクター。俺の自慢のNPCだ」
瞬間、パンドラズ・アクターの胸にズクリと大きな感情が高鳴った。
歓喜と端的に表現していいモノではない。心の奥底から震えあがるような悦びの感情。神からの啓示を受けた子羊の如く、パンドラズ・アクターは震えを押さえつけず、されども静かに頭を垂れた。
「身に余る光栄……」
「ふふ、そこまで畏まらなくてもいいだろう? 俺とお前はいわば運命共同体。共にこの異常事態を打破し、楽しい時間を手に入れようじゃないか」
期待、と言っていい。モモンガはパンドラズ・アクターに期待しているのだ。
パンドラズ・アクターは主が何に期待しているのか、その聡明な頭脳で瞬時に読み取る。
――モモンガ様の孤独は癒えていない。不出来で未熟な私にさえ期待を向けてしまう程に……。モモンガ様が求めているのはあくまで至高の御方々なのだ。孤独という毒がその御心を蝕み過ぎて……“誰かと共にナニカを行うこと”に飢えてしまわれている。
心の中だけで行う瞑目は、唯々、主の心を慮って。
動け、動けと願っても動かなかった自らの身体が動いたあの時、パンドラズ・アクターは主の本心を聞いてしまったのだ。寂しさに慟哭を上げる子供のような、哀しい主の姿を。
故にパンドラズ・アクターは間違えない。求められているのは自分ではないのだと。
そこに一筋の痛みを感じようとも、彼は被造物であるという事に誇りを持って応えるのみ。
「Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)」
今はまだ、主の本当の望みを叶える為の雌伏の時だと、そして――
――必ずや……貴方様の孤独を取り払ってみせます。
己が全うすべき使命がなんであるかを理解して。
読んでいただきありがたく。
今回はモモンガ様の状態を少し。
これもしかしてヒロインってモモンガ様なんじゃないだろうか……
感想返信はお仕事が落ち着いたらするのでお待ちを…