そして半年が過ぎた頃、僕は「草志会」という菅さんの全国後援会の担当秘書を任されるようになった。それと「国のかたち研究所」という菅グループの派閥事務所。主に会合業務と共に雑用を担当させてもらった。政治資金を集め、無駄や経費の削減を徹底的にやった結果、僕は前年比1,2倍の目標値の中で7,5倍もの利益を出し、収支を向上させることができた。
菅さんは、仕事ぶりをちゃんと見てくれていて、すごく評価してくれた。
僕の政治への想いと意志は、十分に菅さんに伝わっていた。菅さんはタイミングを計って地元神奈川7区選出の衆議院議員を紹介してくれた。それは僕の立候補への道のりが、少しずつだが具体化していくことを意味する。胸が高鳴った。僕は前に進むしかない。
そして僕は、2010年6月に「人が人から離れる時は、その人が困難な時ではなく、最も良い状態の時だ」という自身の信念の元、菅直人さんを総理大臣にするという秘書としての最後の業務を終えて、約三年間お世話になった事務所を辞職し、立候補を目指した。
17221票。
初選挙で、僕が地元県民の方々からいただいた票数である。僕はこの信任によって、晴れて神奈川県議会議員となった。2011年4月のことだった。その日から、僕はまた新たなスタート地点に立たせてもらったつもりで、新人議員として、日々の仕事に全力で取り組んできた。いつも心に刻んで、決して忘れないようにしているのは、「県議会議員・中谷一馬としての身分は、あの時の、有権者の方々からの信任によってのみ保証されている」…そのことなのだ。
僕は県民の代表・代弁者としてここにいるのだ。その同じ想いを伝え、実現するために、議会へ送り込んでいただいたと思っている。僕だって、ほんの少し前まで、政治家や役所って、毎日何やってんだろう? なんて思っていたのだから。
母の苦労を見て育った子供の頃の想い。青年になって、何だかちょっとヘンだよな……と抱いた社会への疑問。現実の重さを学びながら、それらが意識化され形を持つに至ったが、僕の原点はそこから始まり、想いは何も変わらない。
それらを一つ一つ解消し、実現していくのが僕の仕事だ。
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