しかも、年間の搭乗者数が1000万人!と豪語する割に、便数や座席数は増えず、当日の急な出張だと、まず希望の便に乗れない。上級会員(あったんだろうが、縁はなかった)でもなけりゃ、いつ乗れるかわからずキャンセル待ちかけてターミナル走り回ってた。 その後「幅運賃制度」が導入されることになる
-
Show this thread
-
当時まだ純粋だった私は、これで運賃が下がるはずだと期待してたし、そのように報道する媒体も少なくなかった。 「幅運賃制度」は航空会社が一定の幅で自由に運賃を設定できる。当然3社は競合するから運賃は下がると思ってたんだ。
1 reply 7 retweets 10 likesShow this thread -
さて、蓋を開けてみますと、航空三社の千歳-羽田の運賃は 通常運賃:28,000円 多客期運賃:30,000円となったわけ。えっ3社とも変わらないの?運賃、下がってないじゃん!というのは道内の経営者の中でも不満が大きかったのね。 期待が大きかっただけに、航空の高止まりが、ビジネスに足かせになった面
1 reply 10 retweets 8 likesShow this thread -
そして何より大きかったのは「往復割引」がなくなったこと。 往復43100円(これよく使ってたので今でも空で言える) これが、結局片道×2。安くなったどころか高くなったということ。 しかし、これに異を唱えて「使わねぇぞ!」と言えないわけよ。相手はトンネル経由の北斗星か、3回乗り換えの新幹線
2 replies 10 retweets 9 likesShow this thread -
そこに出てきたのが浜田輝男氏率いるAIR-DO。浜田氏だって航空業界の人じゃない。 1998年に就航したAIR-DOは 通常期18000円、繁忙期22000円ってのが長かったのかな。2000年くらいの話ね。それでもえらく安かった。 でも、この値段、すぐに「特定便割引」で大手が同時間にほぼ同額に値下げする。
1 reply 11 retweets 9 likesShow this thread -
でも、AIR-DOを応援する気持ちもあるけど、やっと千歳-札幌に「競争で運賃が下がる」時代がやってきたと喜んでいたの。2000年に浜田氏が急逝、そして結果的にAIR-DOは破綻の道となる。 そして同じく1998年にはスカイマークも参入。こういう流れがあって、航空運賃が柔軟になっていくわけね。
1 reply 10 retweets 8 likesShow this thread -
なので、今はLCCも増えて(ただ、東京方は羽田ではないけどね)ずいぶん安くなった航空運賃ではあるけれど、機体の小型化などもあって、提供座席数は減っているのも現状で、今でも当日好きな時間に乗れるかは未知数。そして当日運賃は高い。例えばJALの千歳-羽田の定価は40,600円。
1 reply 13 retweets 10 likesShow this thread -
私の仕事は何よりも当日すぐ乗れることが大事だった。多少高くてもね。 福岡から来る同業者は時間がかかっても必ず乗れる新幹線という武器があった。いや、彼らもほとんどは航空だったけどね。でも、彼ら、満席でも自由席で「帰れる」んだよね。 私は夜になって羽田で空席待ちのリスクは負えなかった。
1 reply 11 retweets 8 likesShow this thread -
あくまで私の経験上の話だけではあるけど、新幹線に期待してるのは、時間がかかって、(航空の割引よりは)運賃も高いけど「乗っちまうことができる」という面。 まぁ、そんな極端な例のために新幹線なんか要らんって人には当然伝わらないだろうけど、そういう意見ということで。
2 replies 11 retweets 8 likesShow this thread -
2000年頃のJR北海道。「東京往復きっぷ」が28,540円。B寝台(個室除く)か新幹線指定席を使えました。 札幌7:00-五稜郭2分乗換-盛岡14:14-東京16:52 東京12:04-盛岡14:38-函館19:13-札幌22:41 昼行での出張はやらなかった。 札幌21:56-はまなす-東京10:48 東京18:08-はまなす-札幌6:18 これもなぁ。
1 reply 6 retweets 7 likesShow this thread
ちなみに東京在住の頃 北斗星3号 上野19:03-函館6:34とか 北斗星2号 函館21:46-上野9:36(新幹線で8時代に早くつける)は使い物になってたので、何度か使ってるんだけど、函館に出張は何度もなかった。今見ると、札幌だと使い物にならなかったけど、函館ならアリだね。
-
-
Replying to @traffichokkaido
3往復時代は開放B寝台も多く設定されていましたね。北斗星と言うと個室の旅を楽しむものという観点で語られることも多いですが出発点はあくまで「実用」にあったのだろうなと窺える点です。
1 reply 1 retweet 2 likes -
そうなんですよね。私も北斗星は「実用」として使える区間があることは認識してて(まぁ、多めに見てではありますが)上野19時、札幌9時とかで仮に走れるなら、今でも十分魅力だと思いますけどね。(仙台あたりまで途中新幹線なら、この時刻は充分できそうではあるが、それが欲しいものかは別な話)
1 reply 2 retweets 2 likes - 3 more replies
New conversation -