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Charと原田真二、それぞれの軌跡

太田省一 社会学者

アイドル路線にフィットした原田真二

 デビューからのシングル3曲は、すべて原田真二の作曲によるものである。そのメロディーラインやサウンドは洋楽にも引けを取らない洗練されたものだった。加えて本人がピアノを弾いて歌ったこともあり、曲調も含めてポール・マッカートニー、ひいてはビートルズを連想させるものがあった。

 一方、それらの作詞をすべて担当したのが松本隆である。ロックバンド・はっぴいえんどのメンバーだった松本が1970年代以降歌謡曲の作詞家に転じ、1980年代には松田聖子の一連のヒット曲の作詞などで一時代を築いたことはよく知られた話である。つまり、松本隆は阿久悠とも異なり、ロックの世界と歌謡曲の世界の両方をよく知っていた。

 その対比を踏まえると、ロックがベースで音楽的こだわりの強い原田真二を、歌謡曲・アイドル路線に上手くフィットさせる役割を果たしたのが松本の詞であったと言える。その面では、前回述べたCharのケースからは一歩進んでいた。

原爆ドーム前で被爆ピアノを演奏する原田真二さん 2010年拡大原爆ドーム前で被爆ピアノを演奏する原田真二=2010年

 同じことは、プロモーションに関しても当てはまる。

 原田真二のプロモーションを担当したのは、キャンディーズのマネージャーなどを務めていた大里洋吉だった。当時大里は、渡辺プロダクションから独立してアミューズという芸能プロダクションを設立したばかりだったが、キャンディーズがコンサートではよく洋楽のカバーを披露していたように、彼はアイドル(歌謡曲)とロックを橋渡しするうえで最適の理解者だった。原田真二の成功は、その直後にアミューズ所属でデビューしたサザンオールスターズのプロモーションにも生かされることになる(北中正和『[増補]にほんのうた 戦後歌謡曲史』、210-211頁)。

 もちろん原田真二の人気は、彼自身の魅力によるところも大きかった。愛くるしい童顔にカーリーヘア、高音だがちょっとハスキーな歌声は、若い女性たちを惹きつけるには十分だった。そこにピアノの弾き語りという華麗なイメージも相まって、彼のアイドル的人気はいやがうえにも高まった。

 その立ち位置は、この連載でふれてきた分類で言うと「王子様」的アイドルの系譜に連なるだろう。彼が1978年の『NHK紅白歌合戦』で歌った「タイム・トラベル」(1978年発売)は、彼女と一緒に地球を股にかけた時間旅行のツアーに出るというファンタジックな内容で、彼の「王子様」性をうかがわせるものである。 (つづく)

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筆者

太田省一

太田省一(おおた・しょういち) 社会学者

1960年、富山県生まれ。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビ、アイドル、歌謡曲、お笑いなどメディア、ポピュラー文化の諸分野をテーマにしながら、戦後日本社会とメディアの関係に新たな光を当てるべく執筆活動を行っている。著書に『紅白歌合戦と日本人』、『アイドル進化論――南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、『社会は笑う・増補版――ボケとツッコミの人間関係』、『中居正広という生き方』(いずれも青弓社)。最新刊は『SMAPと平成ニッポン――不安の時代のエンターテインメント 』(光文社新書)、『ジャニーズの正体――エンターテインメントの戦後史』(双葉社)。

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