週刊誌ではアゲにアゲられる美智子さま。しかし実際には、不敬を承知で申し上げるが、女帝として30年間君臨していた間、雅子さまとの折り合いが悪く、さまざまな事件があった。その一部はすでに紹介したとおりである。であるが、そもそも美智子さまはどうして雅子さまをイジメたのであろうか?
いじめの構造
2004年(平成16年)5月10日、時の皇太子殿下は会見で「外交官の仕事を断念して皇室に入り、国際親善が皇太子妃の大切な役目と思いながらも、外国訪問がなかなか許されなかったことに大変苦労していました。雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」と述べた。いわゆる「人格否定発言」である。物静かな皇太子殿下(現、天皇陛下)が口にしただけに、衝撃は大きかった。
当時の週刊誌やテレビは雅子さまを擁護する論調を展開し、雅子さまの人格を指定した犯人捜しを連日連夜繰り広げた。犯人とされたのは、当時の宮内庁長官や幹部であった。もちろん当時の宮内庁という組織全体が、雅子さまへの配慮が足りなかったことは間違いない。
だが私が腑に落ちなかったのは、どうしてこの一連の報道の中で「美智子さまが雅子さまの人格を否定した」という可能性を報じないのかということである。
今回はこの点について色々多方面から考察していきたい。
秋篠宮ご夫妻と天皇陛下の発言
この皇太子殿下(現、今上陛下)による「人格否定発言」は、当時の天皇皇后両陛下に相談されることなくなされたものである。
びっくりされた秋篠宮殿下は、その年の誕生日会見で「記者会見という場で発言する前に、せめて陛下と内容について話をして、そのうえでの話であるべきではなかったかと思っております」と批判的にコメントし、さらに新しい公務のあり方についても、
- 「私個人としては自分のための公務はつくらない。公務は、かなり受け身的なものと考えています」
- 「依頼を受けて、意義のあることであればその務めをする。私自身はそう考えて今までずっと来ています」
と述べ、やはり批判的であった。また時の天皇陛下は、
- 「皇太子夫妻の独立性を重んじてきたことが、様々な問題に気が付くことのできない要因を作っていたのだとすれば大変残念です」
- 「まだ私に十分に理解しきれぬところがあり、細かい言及は控えたいと思います」
と述べ、マーカーを引いた部分からも明らかなように、皇太子夫妻とのコミュニケーション不足に言及し、遺憾の意を述べている。
だが、紀子さまは、時の両陛下とのコミュニケーションが円滑であった旨を述べている。先の秋篠宮殿下の誕生日会見で紀子さまは、次のように述べている。
- 「両陛下は私たちの考えていることや感じていることを静かにお聞きくださり、私たちの務めや娘たちの成長を温かく見守ってくださいましたことに大変ありがたく思っております。また、宮様が私の考えや気持ち、おかれている状況を的確にとらえて導いてくださったことは生活する上で大きな支えとなりました」
何故メディアは「美智子さま主犯説」を取り上げなかったのか?
この宮内庁発表の「公式見解」から次の点が導かれる。
- 皇太子ご夫妻は、両陛下と相談できる関係性を築いていなかった。
- 秋篠宮ご夫妻は、両陛下と相談できる関係性を築いていた。
このような状況を踏まえるならば、雅子さまと美智子さまの折り合いが悪く、美智子さまが「雅子さま人格否定」の主犯だった可能性が容易に想像できる。実際、美智子さまは紀子さまとは仲良くやれていたが、雅子さまとの間には一種の緊張関係があったことは当時の週刊誌などメディアも報じていた。
まして、紀子さまは「両陛下はよく相談になってアドバイスしてくれる」と称賛しておきながら、皇太子殿下は両陛下に雅子さまのことを相談できなかった事実は重い。
ここまで言えば「雅子さま人格否定」の主犯が誰であったのかお分かりいただけるだろう。だが、名前をもって直截に記述することはどうしてもできない。私は長年お近くで使えてきた身として、尊崇の念は消えていないのだ。どうか許していただきたい。
また公式情報をつなぎ合わせれば誰が主犯であったのか容易に想像がつくにもかかわらず、どうしてか週刊誌などメディアは「美智子さま主犯説」を取り上げなかった。美智子さまの「多方面にわたる努力」の末、すでに聖母マリアとなっていた美智子さまを叩くことができなかったのかもしれない。これも美智子さまのメディア支配の一端であろう。
雅子さまがいじめられた原因
このように「人格否定発言」の背景を考えていくと、主犯が誰であったのか明確であろう。実際お傍に使えた身としても、美智子さまの雅子さまへの攻撃性は尋常ではなかった。ともかく雅子さまは仲間外れにされた。雅子さまにアイロンがけしていない衣装をあえて渡して着させたといったものすごい細かいところまで激しく攻撃した(もしかしたら画像があるかと思って探したか見つからなかった。お持ちの方は教えて欲しい)。どうしてそこまで嫌えるのか解らなかった。
最後にタイトルにもある、美智子さまが雅子さまをイジメた原因について考察してみたい。
これは端的に言って、雅子さまに対する美智子さまの嫉妬であると思っている。雅子さまの華々しい登場に、当時の美智子さまは心中複雑だった。雅子さまは知性も美貌も兼ね備えた方で、そのインパクトは紀子さまなど足元にも及ばない。もちろん当時の皇太子殿下ご自身が仰っているように、雅子さまは現代的なお方で、旧来的な皇室のあり方になかなか馴染めなかったのは事実である。だがそれはイジメてよい理由にはならないだろう。
結局は美智子さまは、ご自身以上に雅子さまが活躍して欲しくなかったのである。ゆえに海外親善の仕事を割り振らなかったり、ことあるごとにお茶会で雅子さまを「石女」を揶揄して攻撃し続けたのである。この「人格否定発言」に前後して、時の宮内庁長官が秋篠宮家に第三子を所望されたことがすべてを物語っていよう。
美智子さまは、香淳皇后からイジメられたことを根深く恨んでおいでだったので(実際に何があったのかは詳しく知らない)、皇后となり頂点となった瞬間、いろいろはじけてしまったのかもしれない。また雅子さまが皇后となったら、自分が香淳皇后にしたの同じく、自分がいじめられる番になるという恐怖が「雅子さまいじめ」を激しくさせたのではないか。
また、当時は美智子さまが何をしても、メディアはそれを称賛する記事しか書かなかった。そのことが、美智子さまの香淳皇后イジメ、雅子さまイジメに拍車をかけていたのではないかと思う。
また紀子さまとの関係は良好であったので、将来は長男家ではなく次男家のお世話になればよいと仰っていた。譲位され上皇后となってから、わざわざ赤坂御用地に引越しを希望された理由は、雅子さまと同じ空気を吸いたくなかったからもあるが、強い味方(秋篠宮家)が近くにいて欲しいと願ったに違いない。
だがここ数年でいろいろなことが明るみになり、秋篠宮家と上皇ご夫妻の関係も微妙に変化がきている。美智子さまの安寧の日はいつ来るのであろうか。せめて雅子さまに謝罪してから引退していただきたい。
最後の一文に同意します。
原因は「嫉妬」しかないと思います。
自己プロデュースに長けた美智子さまは、雅子さまにご自身にない魅力を見いだす力もおありだったのでしょう。「それに勝てないのなら潰してしまえ」という理論だったと思いますよ。
以前のコメントでシンデレラを例えましたが、まさしく魔法の鏡に問いかける魔法使いのおばあさんと同じかと・・
小内様、アイロンがけをしていない服を美智子婆が直接雅子皇后さまに手渡ししたのですか?それとも、当時の東宮家の使用人の方に指図して…でしょうか?
違っているかもしれませんが、オランダの即位式にご出席された時、当時の皇太子妃雅子様が、新調されたものではなく何度もお召のドレスが誰が見ても皺だらけでした。
しかし、男性の小内様が攻撃と言う言葉を使うほど・・ものすごい細かいところまで激しく…と言うほど・・・(すみません、男性は女性のように細々したことに気が付かない時もある中、男性が気が付くほどと言う意味です)激しかったのですね。
では、女性しかお側にいない時にはもっと・・という事でしょうね。
これから第二、第三の小内様のような方がどんどん現れると思います。そう、願います。回想録などが多数出て、平成の皇室の闇が暴かれる日を待ちます。
そして、例え立皇嗣の礼を強行したとしても国民の意思ではく奪します。
皇室不要に動きます。
その為には、もっともっと美智子婆やキコさんのエピソードが欲しいです。
そして男子だからとぬくぬくとお湯の中で育てられ特別待遇されている例の男児の話もぜひお願い致します。
つくづく美智子婆は、夜叉だと思います。
皇太子家は内定皇族なので、美智子さまの息のかかった職員を送り込めるのです。
香淳皇后は女帝さまを虐めたりしてない。確かに香淳皇后は女帝さまと折り合いが悪かったであろうことは事実。残された画像からもそう見える。
香淳皇后は女帝さまのことを底意地が悪いと言ってたみたいだし、それでも、衣装代を自分はいいから美智子にと言ってたことからも虐めたりはしてない。
女帝さまが香淳皇后、皇后陛下に対して身勝手な嫉妬しただけでしょ。それを正当化した女帝さまが悪い。いまになって少しずつ、女帝さま、秋篠宮家の真実が暴かれつつある。
女帝さまが中心になって今上天皇陛下ご一家をいじめ抜き、蔑ろにしてきたツケがいまになって回ってきた結果。
本当にふざけんなと言いたいくらい。
小内さまを始めとした当時の宮内庁職員は女帝さまを止めるべきだった。それをしなかった罪は大きい。
きちんと反省してください。
皇后陛下の失われた時間は取り戻せないのだから。