MESSAGE 7
OHLの名義株と親子関係について
【譲渡・贈与はしていない名義株】
一連の乗っ取り事件の要諦はOHLの持株割合において、私の長男・岡田知裕と長女・岡田裕美の株式がすべて『名義株』であるのにも拘らず、長男の知裕が自分が保有しているかの如く主張していて、そこに議決権を発生させたり、兄妹間で当該名義株式の信託契約を結ばせたりしていることである。
しかもそれは富士本淳の企てによるものだ。
名義株というのは当然保有しているものではなく、名義を貸しているに過ぎないわけだから知裕の保有ではない。
現在、OHL(香港)はUEの株式を約69%保有する親会社となっています。
私が知裕に譲渡や贈与をしようと考えていた時期、おおよそ1990年頃では、知裕は23歳の若さで大学を出たばかりであった。当然、本人はまだ稼げない状態であった。
UEの株式公開は1998年9月、この頃に証券会社を中心とする株式公開メンバーがUEの上場が適切かどうか、社内を合理的にみやすい状態へと導いていた。
この時、株式名簿を証券会社の幹事担当者がつくった。その時にはすでに譲渡、贈与ともに“不可能な”価格になっていた。当時のUEの会社の価値として時価総額が2,000億近かったと記憶しています。
株式を贈与する、ということは細かい計算を抜き、贈与税を55%と仮定して、莫大な支払が発生します。
当時であろうと、現在であろうと、とても税金を支払う能力があるわけがありません。
贈与税を支払うのは不可能であって、譲渡もできなかった。
したがって、私はOHLの株式を贈与も譲渡もしていない。
なぜ不可能なのかというと、会社というものは上場の公開会社となったとき、何千億もの価値がある場合、その株式を大量に贈与することになるとすれば、一個人への贈与税は所得に対してのギャップが大きすぎて到底払い切れるものではない。
仮に1,000億近い贈与を行ったとして、税金分の550億をどうやって稼ぐんだという話になる。
また贈与税は、贈与した時点の次の年の3月ほどに現金で支払う決まりになっている。
したがって、この税金を払って贈与することは「ありえない。」
問題なのは先にも述べた会社の価値と、個人の所得のギャップにあることであり、贈与税の支払いをカバーできるほどのそんな大きな所得をとれるわけがない。
贈与は不可能なために、贈与計画を残すこともするはずがなく、その根拠すら何もないといえます。
根拠がないのに贈与した側も、贈与受けた側も「贈与した」ということにできない。
だから贈与に関する書類が一切ないのも当たり前のことである。
つまり、それだけの支払える資金がなければ一方的に贈与を受けたとするのは、通常の常識では考えられない。
また株式の配当金を与えていたという話は贈与したこととは関係がない。
配当金に対しての税金の支払においても、持株比率の利益分配に配当金の税金ですら大変だといわざるをえない。
このように社会問題として、上場公開企業の株式相続については持株と個人所得とのギャップが大きすぎることが上げられ、不可能を前提に論じていることは何ら意味をなさない。
また知裕の抗弁をみると、名義株なのに所有株というようにすり替えていて、所有の原点の話がない。
所有をしたか、しなかったかが論点であって、贈与税は上記のように払えることが不可能なのに、払えると定義している。
株式ではなく、配当金の贈与ならば総額の55%を支払えばいいということになるため、配当金の現金をもらってそれに対して払うことになるわけだから可能といえます。
知裕の主張は、この配当金の贈与について税金を支払っているから、名義株の配当金を私から贈与されていると主張しているに過ぎない。
これは本件だけに限った話ではなく、上場公開企業で高収益の会社は株式の相続をするときには、税金の支払と個人所得とのギャップに必ず直面し、対策を考えている。
したがって、創業時の株式しか保有できないという結果になっている。
そんな常識に対しても知裕は対抗して挑戦してくる。このような話が容認できるようなものではない。
だから、改めて主張するが、私はOHLの株式を贈与も譲渡もしていない。
少なくとも大原則論、継ぐ人間の意志がはっきりしていて、それにおいて継承に対して感謝の念を表すのが通常である。すでに公開後100億以上もの配当金を得ているはずだ。
贈与してないことに対しての抗弁で、知裕が贈与していないというものを、贈与されたということを弁論している弁護士も甚だ異常である。
実行できないことを無視して弁論しているということは悪質な弁護士であり、犯罪行為に加担しているといえる。
この名義株の信託契約については、知裕と裕美との争いだが、人から贈与を受けていないものについて知裕が信託譲渡を受け、勝った負けたと言っている事自体、ちゃんちゃらおかしい。
それに対して、私が「嘘つき」などとよく恥ずかしげもなく言えるものだ
私は事実しか書いてないし述べていない。
【なぜ今、息子が私に反逆しているのか】
まず言えることは、客観的にみて我々は何か特別な親子関係というわけではないと思う。
私が常に仕事に忙殺されていて家にいなかったことは当然多かったが、それでも年に一度は沖縄や佐渡島などいろいろなところに旅行に連れて行っていた。
私から見ると、知裕の性格は本音をいうタイプではなかった。
どちらかというと親に対して表現をしない子であった。
とはいえ殊更特殊な関係ではなかったはずで、今でも私は会えば話ができる息子と思っている。
自分が起こしたことに問題意識があるのか、富士本淳に唆されたその責任が自分にあると感じているのか、引っ込みがつかなくなっているのかわからないが、この親子を、富士本淳は会わせないように逃避行させたり、虛偽の情報を流したり、乗っ取りのためだけにあらゆる異常な行為をして分断させてきた。
親を避けている息子に対して、皮肉にも特別調査委員会や富士本淳は悪意をもってメディアなどを使って私のイメージ像を特異なものにするよう仕向けていた。
「ワンマンである」「暴力的である」「人の話を聞かない」とかいう風に言っているのが代表例です。
そのようなことはなくて、人の話は聞くし、極めて物事を説明する性格です。
私は人間関係において、「信頼」を中心に考える人間です。そのため、仲間を信用することによるミスの方が多い。
【真の会社経営者とは】
会社の事業というのは、「こんなことやってみたい」という夢そのものにある。
大原則論だが、お客様のことを考えて、どうしたらお客様に喜んでもらえるか、どんなものがつくれるか、施設はこんなものをつくったら最高のエンターテインメントが提供できるかと考える。
夢のないものに理想はつくれない。
今、UEは場当たり的なことになっている。社員育成はおろか、長期戦が組めない状況です。
現在、世界的にみても本当の企業オーナーがいなくなってしまって、サラリーマン社長が増えてきたように思う。
もちろん優秀なものもたくさんいるものの、中には出世のために考えてきただけで責任のない逃げ方をする経営者とは言い難い人が多い気がする。
どんなことがあったって夢とビジョンを大切に理想を追求していくものが真の経営者と信じています。
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