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◆【新着】MESSAGE第7弾◆

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岡田和生 公式サイト

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SERIES
メッセージ一覧

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MESSAGE 1

2019.9.17

富士本淳の乗っ取り全体像

富士本淳の乗っ取り
全体像

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MESSAGE 2

2019.9.28

巨額な不正送金

巨額な不正送金

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MESSAGE 3

2019.10.12

貸付と根岸良直

貸付と根岸良直

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MESSAGE 4

2019.10.17

特別調査委員会の背信行為

特別調査委員会の
背信行為

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MESSAGE 5

2019.10.26

特別調査委員会の必要性

特別調査委員会の必要性

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MESSAGE 6

2019.11.09

UE韓国による担保提供
からのOHLの借入

UE韓国による担保提供
からのOHLの借入

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MESSAGE 7

2019.11.30

OHLの名義株と
親子関係について

OHLの名義株と
親子関係について

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MESSAGE 8

COMING SOON…

COMING SOON…

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PROFILE
プロフィール

岡田和生

実業家・元上場企業会長

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ほぼすべてのパチスロ機に導入されたパチスロの業界標準システムをつくり出したことにより、会社を50年かけて積み上げて成長させてきた。その後のカジノ業への異業種転換と経営手腕により、“日本のカジノ王”の異名を取る。
1999年日本長者番付1位。

2000年までに無借金で“1,000億円を貯める“という目標を達成させる。

その資金を元手にスティーブ・ウィンと共同出資でラスベガスとマカオに日本人経営として初となるカジノホテルを建設し、経営指揮を執って成功に導いた。

また2017年には7年の月日と総工費約2,500億円をかけて
フィリピンのマニラに巨大IR施設である
「オカダマニラ(OKADA MANILA)」を創業し、経営した。

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日本人でカジノホテルに氏の名前が刻まれるは世界初。
成功する“カジノIR経営”に関して日本で右に出るものはいない。

2017年、会長職をつとめていた上場企業・ユニバーサルエンターテインメント(以下、「UE社」という。)の経営層と、その親会社で半分近い持ち株比率(名義株)を預けていた長男からクーデターを起こされてしまう。

現在、UE社及びオカダマニラへの経営復帰を求めて、奮闘中。

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MESSAGE
岡田和生からのメッセージ

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2012年、現UE社長の富士本淳が自身の巨額な約35億円もの不正送金を隠すために、特別調査委員会を立ち上げた。
偽証に基づく事件をそのまま、必要な調査をせずに報告書を作成するといった政木道夫をはじめとする松尾宗太郎、深山美弥の悪質な3人の弁護士が特別調査委員会となり、虚偽内容の調査結果をリリースをすることで、私をあたかも犯罪者のように仕立て上げ、私の家族や周辺人物を騙し、2017年に私をUE社から追放した。
富士本は元々、株式会社セタの代表をつとめていたが、同社が上場廃止、倒産寸前になりそうだったところを私がUE社で1999年に買収した。
その時私に救われたのにも拘らず、恩を仇で返そうとしている。

私をUE社から追放した後、富士本は杜撰な経営を続け、ひたすらにUE社の財産を赤字とともに垂れ流している。これらの決算書を見れば、富士本及び現経営陣には、会社でもカジノにおいても経営能力が全くないことがわかり、経営者ではないことが明らかです。見れば、すでに追放後、500億円近いマイナスの状況です。
加えて、UE社が筆頭株主であったウィン社との和解交渉を、私とすり替え、権限がないのにも拘らず、実態を無視して勝手に進め、本来約4,000~6,000億円以上の価値があるものを、目先の資金調達の目的のために約2,600億円で安直な和解をした。
さらにUE社の現役員は法外な報酬を受け取っており、このようなやり方はUE社を倒産させる目的以外ないと思われる。このままの富士本による現経営体制はあと1年も続かず破綻する。

私は自らの心血を注いで50年育てた会社の経営に必ず復帰し、復活させて、世界中から集まる人たちへ“真のエンターテインメント”を届けつづける、ユニバーサルエンターテインメントを世界一のカジノ企業にする。それができるのは私しかいない。

私は2017年に追放された直後の6月の株主総会で不当に参加拒否されたが、その時参加していたら次のような発言をするつもりでした。

「私が2年以内に香港でユニバーサルエンターテインメント社を上場させ、現実的に株式の時価総額を1兆円以上にする自信があります。私は残りの資金を調達するために私が引受、払込をして増資したいと考えています。
また、ウィンとの訴訟も近々勝訴するところまでに来ました。ロイターの報道に根拠がないこともアメリカの裁判で立証できています。勝訴した暁には、UEがウィンの筆頭株主となり、経営権を掌握できます。そのときにはウィンリゾート(UEが筆頭株主)は世界3位のカジノ企業となります。」

→ MESSAGE 2

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INTERVIEW
岡田和生を知る

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“As a Japanese, I am probably the only person that knows from the bottom up, the casino business; the others [in Japan] are just involved on an investment basis. I am probably the only one with hands-on experience to be able to do that.”

「日本人として、私はカジノを知り尽くしている唯一の人です。
投資でのみ携わっている方々は多くいますが、私はカジノの経営まで理解し、経験をしていて、
“日本人で真のカジノ経営ができるのはおそらく私しかいないでしょう。”」
(GGRアジア(マカオのカジノ機関紙)より一部抜粋)

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公式SNS
発信メディア

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CONTENTS
岡田和生コンテンツ

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岡田和生は元は技術者です。AIは2008年にすでに日本に持ってきていて、開発を進めていました。
ロボットについても造詣が深く、飲食、美術品と一流に触れることで感性を養ってきたといいます。

  • オカダマニラ - Wikipedia
  • 史上初の日本人経営カジノ「オカダマニラ」(岡田マニラ)が超一流で規格外すぎるwww
  • 【岡田美術館】夢の共演!深川の雪と吉原の月!!【喜多川歌麿】
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HISTORY
岡田和生の沿革

REMARK 名言

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「夢を与えて活気のある会社をどんなことを業態として成長できるか考えた。
どんな業種でも時代によって変化していかないと継続していかない」
- 1998年株式店頭公開において

「儲けることはどうでもよかった。常に先をみて、どうせなら面白いものつくろうよ、とだけ考えていた。」 
- 2019年に当時を振り返って

「機械って必ず『クセ』がある。わざとコンピューターに『クセ』を出させてあげるのがとても楽しい。」 
- 機械や開発に対する想い

「『いかに潰そう』という発想は正義ではない限り、失敗するであろう。純粋な正義が勝つのだから。」 
- 今回のクーデターを受けて

- 岡田和生

PATENT 特許

岡田和生がもっとも、技術的構想で注力したのが、「ニアミス機能」だった。

これは機械を導入するお店にとってもプレーヤーにとっても、画期的なシステムだった。

当たる確率が事前に決まっていれば、そこに期待感が膨らみ、「惜しい!」という感情が出て、
“勝負を楽しむ”
仕組みができた。

さらに期待感をもたせる"演出"に凝った。

今ではパチスロの機械のすべてにと言っていいほどに導入されているため、
岡田和生が業界のスタンダードを築いたといっても過言ではない。

HISTORY 歴史

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  • 1942年10月3日
    誕生

    6人兄弟の末っ子として大阪に生まれる。日本人。その後、京都府福知山市で過ごす。

  • 1952年
    引越し

    小学校4年生のときに東京都板橋区に移り住んだ。
    父親を胃がんで亡くし、「自分で食べていかなくてはいけない」と自立し、家族を支えた。

  • 1962年
    東京テレビ技術専門学校(現在の東京電子専門学校)を卒業

    テレビの修理をして働いていた。(街の電気やさんではテレビの修理ができなかった)

    この頃、アメリカから輸入されてきたジュークボックスに出会う。
    ジュークボックスは当時鉄くずのような扱いで、日本に輸入されるものはほとんど壊れたものになっていた。

    それをバラして塗装して組み立てたら、結構な金額で売れたので、これは仕事になると会社設立を計画した。

  • 1969年
    ユニバーサルリース社を設立(開発会社)

    ジュークボックスのリースを開始

  • 1973年
    ユニバーサル技研株式会社を設立

  • 1975年
    栃木県小山市に小さな工場をつくった

    ゲームマシンの製造を開始。

  • 1994年
    世界で初めて発明し、パチスロ業界の標準システムである「ニアミス」機能の特許を取得。

  • 1996~1997年

    各パチスロホールに対して、営業をしていった。

    ・お客さんに喜ばれるにはどうしたらいいか、営業からデータを取得し、
    データからお客さんの生の姿を読み解いた。

    ・全部一人でその構想から計画を練り、実行部隊をつくり、実行し、徹底的にやった。
    ユニバーサルエンターテインメント社の営業にはとても感謝している。

  • 1998年

    株式会社ユニバーサルエンターテインメントが株式店頭公開前に子会社などは吸収合併した。

    2000年までに無借金で会社に"1,000億円を貯める"目標を立てる。

  • 2000年

    無借金・納税後、会社に“1,000億円を貯める”目標を達成した。

    異業種への転換を図った。

  • 2002年

    岡田和生がアメリカのカジノ王と呼ばれたSteve Wynnと組んだ。
    3億8,000万ドルをハンズオンで投資した。
    Steve Wynnと株式を50%ずつ持ち分で、役員も半分ずつで構成したカジノ運営会社ウィン・リゾーツ・ラスベガスを設立・創業。

  • 2004年

    米国ネバダ州にてゲーミング機器製造者ライセンスを取得

  • 2005年

    ラスベガスにWynn Las Vegas(ウィン・ラスベガス)がオープン

  • 2006年

    マカオにWynn Macau(ウィン・マカオ)がオープン

  • 2008年

    フィリピン・マニラにカジノリゾートを運営するライセンス取得。

  • 2010年

    マニラのプロジェクトに対し、Wynnが辞退したため、岡田和生が単独で投資をすすめる。※本当はWynnと共同でやりたかった。

  • 2011年

    Steve Wynnの離婚が確定。財産分与により、岡田和生のユニバーサルエンターテインメント社が筆頭株主になるが、会社を取られることを恐れたSteve Wynnは、岡田和生に対立姿勢を見せ始め、岡田和生が贈収賄を行ったとして虚偽の内容をでっち上げ、強制的に株をディスカウントで買い戻すとした。のちに米国で訴訟に発展する。

  • 2013年

    岡田美術館を箱根に開設。

  • 2016年

    フィリピンのカジノリゾート「OKADA MANILA®」発表、カジノ運営を開始。2017年にグランドOPEN。

    24億ドルの投資。

  • 2017年

    岡田和生自身が創業したユニバーサルエンターテインメント社の富士本氏を中心とした幹部から、根拠のない疑いで取締役会長職から追放される。

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MEDIA
メディア出演

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