この曲、果たしてハッピーエンドなんでしょうか?
はじめにこの動画を見たのはランキング。タイトルを見て、「まーたこういう類の曲か」と呆れてこの動画をスルーしました。
それから日が経ち、音がないのは寂しいから曲でも流すかとこの曲を流したところ。
「すっごい良い曲じゃん!!」
と実感。タイトルで好き嫌いしちゃだめだって痛感。
GUMIの「夕暮れの空に 滲む星は とても綺麗で 」のところの透明なかすれ声が哀愁を漂わせる歌い方で心に響きました!
で、解釈の話。
冒頭に書いたように、この曲はハッピーエンドなのか?ということ。
で、結論。
違います。この曲はハッピーエンドなんかじゃないです。
Elegy End.
ここは僕の解釈じゃなくて、CDに書いてあることなのです。この大百科の記事の動画とCDの項にかかれています。
はじめにこの動画を見たのはランキング。タイトルを見て、「まーたこういう類の曲か」と呆れてこの動画をスルーしました。
それから日が経ち、音がないのは寂しいから曲でも流すかとこの曲を流したところ。
「すっごい良い曲じゃん!!」
と実感。タイトルで好き嫌いしちゃだめだって痛感。
GUMIの「夕暮れの空に 滲む星は とても綺麗で 」のところの透明なかすれ声が哀愁を漂わせる歌い方で心に響きました!
で、解釈の話。
冒頭に書いたように、この曲はハッピーエンドなのか?ということ。
で、結論。
違います。この曲はハッピーエンドなんかじゃないです。
Elegy End.
ここは僕の解釈じゃなくて、CDに書いてあることなのです。この大百科の記事の動画とCDの項にかかれています。
世界滅亡を一週間前に告げられた世界での、世界滅亡一日前の話がこの曲となっています。
で、最後に
ここで終わると。
歌詞はここで終わります。ただし、動画はここでは終わりません。
下から光の粒子が溢れだして昇ってゆき、街の描写を振り返って。
最後に「私」による締めの言葉がかたかたと流れていって、途切れた。
最後の途切れがすっごく気になって、はっと気づいてしまった。
さきほどのElegyEndと合わせて自分の頭でひとつの結論が生まれてしまいました。
もしかして、この世界は滅亡したんじゃないかって?
この動画では「次の朝」は迎えた。
迎えたけれど、世界滅亡が朝に来るなんて誰も言っちゃいない。
ノストラダムスの大予言(1999年の7月の人類滅亡)も。
7月1日に滅亡が来なかったからって人は安心せず、予言では迎えられない8月1日の朝を迎えるまでは不安を掻き立てられていました。
もちろん、終わりに近づくに連れて「これ、安心しても大丈夫なんじゃ?」といった懐疑が人の心に浮かび始めてもいます。
この曲では、世界滅亡は「次の日」なんです、「次の朝」を迎える瞬間でもない。
ノストラダムスでいうなら31日の朝を迎えただけに過ぎないのです。
人類が一斉に肩を落とし、「ああ良かった。滅亡なんてしなかった」と安心して日常を送ろうとした瞬間に、世界は滅亡した。
これなら、ElegyEndだなあって。つじつまが合ってしまう、悲しい最後。
そう思って曲を聞き返すと、なんだか人類が神様の手のひらの上で弄ばれているようで悲しい曲に思えてきちゃいました。
まるでカミサマネジマキのよう。
「僕はこう思いましたよ」って感想や考察があったら、コメントしてくれるとありがたいです。
あ、そいえば。動画で出てくる『如月駅』
僕はカゲプロ好きなので、
「あー、そいえば如月ってカゲプロの主人公の名字だなー」とか軽く考えたくらいで全然深く考えていませんでした。
それからしばらくして「興味深い都市伝説を上げてけ」ってスレで『如月駅』という名称が挙げられていて、「どうして如月駅?」と気になって検索したところ。
これ、どうやら都市伝説で出てくる駅、それもけっこう不気味でホラーな都市伝説の題材となっている駅で、実在しない駅なんだとか。
まったく知らなかったです…。
あと、コメントのほうで興味深い解釈を書いてくれた方がいらっしゃいました。
衝撃的なほどに納得したのは「この曲はネットゲームのサービス終了を指しているのでは?」(>>37-39)というもの。
ボカロ曲はセカイ系が多いので、てっきり現実世界の崩壊を指していると思い込んでしまっていたのですがネトゲの話と思って歌詞を読むと納得がいくところが多く、最後には終わってしまったということも含めてすっきり理解できます。
「弥生の方の色がない→弥生はこない→滅亡してしまった」というものもあります。
↓
画像を眺めるに動画の演出かもしれませんが、じつに面白い視点です。
さらに8コメさんが面白い視点を提示してくれました。
『最後の語りは「偉い人」の言葉』
本性をさらして嘘のない世界になった。
さらにボクが勝手に解釈して、本性をさらしたとは世界寿命を人々に伝えたということ。
ただ、その事実が間違えていた。
偉い人たちは「次の朝」に滅亡するものだと勘違いしていた。
それを聞かされた人々は次の朝を無事に迎えることができ、日常が訪れたことに喜び合う。
偉い人は今回の出来事をまとめて『人が死んでも(ryと記していく。
しかし、最後の締めで世界が寿命を迎えてしまい、滅亡してしまった。
ここまで解釈が広がっていくとは思いませんでした。
いろいろ考えるのはとても楽しく、ボクに思いつかないような視点をコメントで提示していただくのがとても面白く興味深いです。
いまいちど、コメントありがとうございます!
で、最後に
でも望んでいた次の朝は平然と来て
人は笑いながら肩を落とした
ここで終わると。
歌詞はここで終わります。ただし、動画はここでは終わりません。
下から光の粒子が溢れだして昇ってゆき、街の描写を振り返って。
最後に「私」による締めの言葉がかたかたと流れていって、途切れた。
>>『人が死んでも、地球が死んでも世界は終わらない。』
『それなら、今日くらいは正直に生きてみてはいかがだろうか?』
『貴方も。私も。世界も。』
『どんなゴミ溜まりよりも穢れている真実は、人
最後の途切れがすっごく気になって、はっと気づいてしまった。
さきほどのElegyEndと合わせて自分の頭でひとつの結論が生まれてしまいました。
もしかして、この世界は滅亡したんじゃないかって?
この動画では「次の朝」は迎えた。
迎えたけれど、世界滅亡が朝に来るなんて誰も言っちゃいない。
ノストラダムスの大予言(1999年の7月の人類滅亡)も。
7月1日に滅亡が来なかったからって人は安心せず、予言では迎えられない8月1日の朝を迎えるまでは不安を掻き立てられていました。
もちろん、終わりに近づくに連れて「これ、安心しても大丈夫なんじゃ?」といった懐疑が人の心に浮かび始めてもいます。
この曲では、世界滅亡は「次の日」なんです、「次の朝」を迎える瞬間でもない。
ノストラダムスでいうなら31日の朝を迎えただけに過ぎないのです。
人類が一斉に肩を落とし、「ああ良かった。滅亡なんてしなかった」と安心して日常を送ろうとした瞬間に、世界は滅亡した。
これなら、ElegyEndだなあって。つじつまが合ってしまう、悲しい最後。
そう思って曲を聞き返すと、なんだか人類が神様の手のひらの上で弄ばれているようで悲しい曲に思えてきちゃいました。
まるでカミサマネジマキのよう。
「僕はこう思いましたよ」って感想や考察があったら、コメントしてくれるとありがたいです。
あ、そいえば。動画で出てくる『如月駅』
僕はカゲプロ好きなので、
「あー、そいえば如月ってカゲプロの主人公の名字だなー」とか軽く考えたくらいで全然深く考えていませんでした。
それからしばらくして「興味深い都市伝説を上げてけ」ってスレで『如月駅』という名称が挙げられていて、「どうして如月駅?」と気になって検索したところ。
これ、どうやら都市伝説で出てくる駅、それもけっこう不気味でホラーな都市伝説の題材となっている駅で、実在しない駅なんだとか。
まったく知らなかったです…。
あと、コメントのほうで興味深い解釈を書いてくれた方がいらっしゃいました。
衝撃的なほどに納得したのは「この曲はネットゲームのサービス終了を指しているのでは?」(>>37-39)というもの。
ボカロ曲はセカイ系が多いので、てっきり現実世界の崩壊を指していると思い込んでしまっていたのですがネトゲの話と思って歌詞を読むと納得がいくところが多く、最後には終わってしまったということも含めてすっきり理解できます。
「弥生の方の色がない→弥生はこない→滅亡してしまった」というものもあります。
↓
画像を眺めるに動画の演出かもしれませんが、じつに面白い視点です。
さらに8コメさんが面白い視点を提示してくれました。
『最後の語りは「偉い人」の言葉』
本性をさらして嘘のない世界になった。
さらにボクが勝手に解釈して、本性をさらしたとは世界寿命を人々に伝えたということ。
ただ、その事実が間違えていた。
偉い人たちは「次の朝」に滅亡するものだと勘違いしていた。
それを聞かされた人々は次の朝を無事に迎えることができ、日常が訪れたことに喜び合う。
偉い人は今回の出来事をまとめて『人が死んでも(ryと記していく。
しかし、最後の締めで世界が寿命を迎えてしまい、滅亡してしまった。
ここまで解釈が広がっていくとは思いませんでした。
いろいろ考えるのはとても楽しく、ボクに思いつかないような視点をコメントで提示していただくのがとても面白く興味深いです。
いまいちど、コメントありがとうございます!
コメント
コメント一覧 (46)
如月駅の前の駅が睦月(一月)そして次の駅が弥生(三月)そして動画の3:43秒あたりで弥生の方の色がありません。
また駅員さんを時間進行にしてみると弥生の方向に向かっています。
つまりブロ主さんの言っている通り朝は来て安心している時に滅亡したというのが私の中では一番しっくりきます
「だって嘘だらけのこの国では
ボクら庶民に『知る』権利なんて
まるでなくてさ」
とあります。
ここは2つの意味が入っている気がします
1つは特定秘密保護法案の事
もう1つは
知る権利なんてまるでない=正しく知らない
とも解釈できます
つまり滅亡する時間まで把握できていないということにも変換できます
そして滅亡の危機は去った・・・だが次の瞬間滅亡という感じではないでしょうか
稚拙な文章ですみませんでした
くれさんコメントありがとうございます!稚拙などとんでもないです。
解釈読ませていただきました。
動画からのアプローチで「弥生の色がない→弥生は来ない→滅亡」といった考えはとても興味深く納得できます。
ただ、実際に確認してきたところこれは動画の演出で、右は背景をモノクロに左はカラー。人物はその逆といった演出のようです。記事にスクショを追加しておきました。
とはいえ、これももしかすれば「右が未来で左が過去」といったことを示唆しており
「少女だけが世界が寿命を迎えた後も一人孤独に生きながらえてしまった」
とも考察できます。さすがに無茶があるかな。
とはいえ、動画を見ていた際にその発想は思い浮かびませんでした、素晴らしい慧眼に脱帽!
『知る』権利についてはいうこともなくまさにそのとおりでしょう、ハラショー!
おそらくここでの『知る』権利は明らかに実在の「知る権利」を皮肉ってますよね。
偉い人達だけが重大な事実を知っていて、国民は何も知らずに振り回されるだけ。
そのような歌詞も魅力で、この曲が大好きです。
解釈コメントほんにありがとうございました!
今もう一度動画を作業ついでに流していました。
そして気がついたのは動画の中の「世界」というのは我々のいる世界ではないのかな
とも思ってしまいました。
この世界は現実の世界の投影かと思います。
世界最後というのは表現の不自由とも取れます。
動画の最後の
『人が死んでも、地球が死んでも世界は終わらない。』
『それなら、今日くらいは正直に生きてみてはいかがだろうか?』
『貴方も。私も。世界も。』
『どんなゴミ溜まりよりも穢れている真実は、人
のところで文字が切れているのは
打とうとしたところで、動画の中の世界の警察が突っ込んできて
捕まってしまったという解釈も出来るかと
思います (かなり無茶な解釈です(笑))
そしてなにより気になるのが最後の方の文字が
少しおかしくなっていますね。
これは徐々に自由が減っているとも考えられるかもしれません
先程よりもかなり劣化してしまいましたが、
私個人の考えではこちらの方が現実的かなとも
思いました。
流石にこれ以上は深読みになってしまうので、
もう解釈はできないかと・・・
まだまだ考えれば出てくると思うのでそのときはよろしくお願いいたします。
このコメントの
「気がついたのは動画の中の「世界」というのは我々のいる世界ではないのかな」
を見て、ビビビッと電波が来ました。
もしかしたら、この歌で表現されている世界って「ゲームの世界」なんじゃないでしょうか?
動画内でのNEWGAMEとかいった描写が妙に引っかかってたんですよ、これみよがしなコントローラーとかも。
ゲームの世界の住民がいくら手をつくしてもさらに上位の現実世界の住民による干渉は防げない。
言ってしまえば、
『母親にゲーム捨てられた』
↓
『(ゲームの)世界寿命と最後の一日』
『世界の滅亡=ゲーム捨てるぞと宣告された』
のような、スケールが小さくなってしまったような気もします……
もうすこししっかり考えて、記事の後の方にちょこっと追記しておきます。
くれさんのコメントのおかげで色々な解釈を聞けました、本当にありがとうございます。
とても楽しかったです!
曲の最後の文章、
『人が死んでも、地球が死んでも世界は終わらない。』
『それなら、今日くらいは正直に生きてみてはいかがだろうか?』
『貴方も。私も。世界も。』
この言葉を社会の人々が
心に抱いたところで
社会が良くなる訳ではないでしょうが
そんな世界に生きたいもんですね
世界が滅亡するほどに追い詰められないと正直に生きられないのか。
そんな生き様も皮肉しているようで、この曲は大好きです。
『人が死んでも、地球が死んでも世界は終わらない。』
『それなら、今日くらいは正直に生きてみてはいかがだろうか?』
『貴方も。私も。世界も。』
『どんなゴミ溜まりよりも穢れている真実は、人
というのは歌詞の中の「偉い人」の言葉ではないでしょうか?
「もう偉い人も 匙を投げて 本性晒した 」
「世界平和とか 滅亡とか どうでもよくて
最後の夜には 嘘が消えて 綺麗な世界に――― 」
この二つの歌詞でピンと来ました。
つまり偉い人は世界が終わると匙を投げて本性をさらした→嘘のない世界になった
そうやって迎えた朝はとても良い世界だった訳です。最後の文章は偉い人がそのことに気付いて打った文章では――?
でもそんなときに世界が終わってしまったわけですからかなり皮肉な結果になってしまったんですね。もしかしたら文章か途切れているのもその理由かもしれませんね。
ちなみに如月駅のことは私もカゲプロ好きなので流していました。なので、そんな意味があったんてしりませんでした(^^;
分かりやすい解釈ありがとうございました。
解釈読ませていただきました。
「最後の文章は偉い人がそのことに気付いて打った文章では――?」
という視点はボクには思いつかなかったのでとても面白いです。
動画冒頭が「私」の語りだからといって、最後もそうだとは限りませんからね。
本性をさらしたってのは、おそらく>>2のくれさんの
『知る権利なんてまるでない=正しく知らない』
で、人々は「世界が滅亡する事実」を知らされたもののそれがいつかまでは教えられなかったと。
いつ滅亡するかを教えたことを「本性をさらした」と表現しているのかもしれない。
ということは、最後の語りが「偉い人」の語りだとして。
『彼らは「世界寿命」を見誤っていた』
という解釈が浮かびました。
それゆえに人々は「その日」が終わっていないのに「次の朝」を迎えただけで喜ぶ。
それを見ながら、偉い人は動画最後の『人が死んでも(ry に見られるように今回の件をまとめていた。
そうしたら、世界が滅亡してしまった。
軽い軌道修正が出来ました、コメントせつにありがとうございます
初コメ失礼します!
主様ががあげてる、右半分(背景*白黒 女の子*カラー やよい行き)と左半分(背景*カラー、男の子*白黒? 睦月行き)に分かれてる画像がありますよね?
環境汚染や地球温暖化で騒がれているこの世の中、人類が滅亡(弥生)に行けば、世界を汚す人間がいなくなり世界がきれいな色に戻る、と思うんですが、弥生の背景がカラーなのがどうもひっかかります。
着眼点は背景じゃなく、人の色なんでしょうか?
コメントありがとうございます!
その考えに則って解釈してみます。
むつきの方は、世界はまだ終わっていないので色がある。
でも人々は嘘で固めあって生きている、なのでモノクロ。
やよいでは世界は寿命を迎えて終了。終わってしまったため世界から色が失われる。
おそらくここでいう世界寿命ってのは人間滅亡でなく、そのままの意味での世界のおしまい。モノクロ。
ただ、滅亡直前で人々は正直に本性を明かしあって色を取り戻した。
と、ここまでこじつけても映像担当のこみねさんが「演出です」と言ってしまったらぱっと消える程度のあっさい解釈なので参考程度です。
と、思います。
まず、二番の最初『人は変わっていった まるで動物の様に』から、
「地球滅亡」を言い渡された人間は「どうせ終わるんだから暴れちゃおうZE」
みたいな感じで好き放題をした。勿論治安は乱れた。
その証拠に、たまにうつされる町の風景は大体荒れてます(^^;
あと、黒板がらくがきされていたりとか
上の画像の町も荒れてますね。まだ人はいるのでほかの建物は壊れていないはず。
(最後に滅亡した場合)
で、結果的に世界は滅亡状態、人々は「なんだ、結局嘘だったじゃん・・」
でも時すでに遅し、町は滅亡状態、住めるような環境じゃない。あぁあ。みたいな?
偉い人のはつげんはよくわかりませんが、あくまで「想定」だったんでしょう。
以上です。少しでも参考にしていただければ、と思います。
コメントありがとうございます、読ませていただきました!
滅亡していなかったらその解釈の通りでしょう。
正解が『世界は滅亡した』か、『回避できた』かは製作者のスズムさんから答えを言われない限り水掛け論の不毛な言い争いになってしまいます。
なので、『滅亡した』と考えているこの記事の対抗派である『滅亡していない』とする解釈はとても興味深くありがたいです!
ちょっと質問してもよろしいでしょうか?
「偉い人が考えたドッキリじゃないの?」とありますが、これはどういう意味でしょうか?
むっピーさんコメントありがとうございます、そう言っていただけると嬉しいです
>>15
そのまんまで、「世界が終わりを迎える」ってこと自体が偉い人(例えば、政治家や首相とか大統領)たちが考えた嘘なんじゃないの?
ってことかと。
いきなり世界が終わるなんてあまりにも現実離れしていて、そのまま素直に受け入れられず現実逃避も混じりつつ思ったのでしょう
世界の色⇒自然の美、発展による便利さ、豊かさ。色の無い人⇒豊かになる一方で堕落的、無機質、無感情、モノクロになっていく人間。現実の投影。
人の本性には二段階あって、この歌の中だと日常で見せている姿が建前、滅亡を知ってさらけ出したのが最初の本性(地獄絵図)
これは実は本性ではなく自棄になっている状態で、偉い人も匙を投げたので人々はいよいよ本気で絶望して涙しメッキがはがれた(嘘⇒建前と自棄のメッキ、偉い人が隠していたもの。雨⇒禊の様なもの)
本当に最期なんだと思い、背負うものも見栄や虚勢も必要なくなり、諦めて腹をくくり、素直な気持ちや優しさが出てきます。弥生側のカラーは、世界は滅亡へ向かうから色が無くなり、人に色があるのは人が人本来の姿になったという事ではないでしょうか。
望んでいた~肩を落としたは
1滅亡なしで安堵
2今まで当たり前に迎えていた『次の朝』を『望んで』しまった。諦めた朝が来て救われた気持ちになるが、滅亡するのは朝以降で、朝までに滅亡しなかった事で、今やっと綺麗な世界になったのに何でと逆に後悔する(低い平坦な場所から落ちるのと、急斜面をのぼって高い場所から一気に落ちるのとでは恐ろしさが異なり、上がって『やっぱり生きたい』と自覚させられた後で滅亡)
どちらの場合も、変わるのは失う時や失った後で本当にいいのか?斜に構えていても、何となく生きていても、人は本来モノクロではない筈だ。どうがは次はアナタの番、このゲーム(現実)をどう生きますか?…
ニビョウカンと言う歌の考察もしてほしいなぁと……図々しいですけど…
ちょうど境目に縦にギザギザの線があるように見えました。未来と現在に亀裂がはいり、未来は無くなり、
滅亡した。と考えることができると思います。
私の勝手な解釈ですが・・・
解釈、私には思いつきませんでした!
大好きな曲なので、意味がわかったような気がして嬉しいです!
最後、嘘が消えて綺麗な世界にというのは、パフォーマンスというのと繋がっているのかと思います。
上辺だけの世界が、真実の姿を現し、人は変わり、悲しい姿ではあったが、嘘が溢れていた世界よりは美しいということなのではないかと感じます。
この「私」というのは、世界の嘘を汚いと感じていて、汚い物こそ世界だと感じていたのだと考えました。
世界が終わったというのは、嘘のない世界になったということではないでしょうか。
だから、世界自体は終わったわけでは無いのかと思います。
こうすると、ハッピーエンドに感じますが、こうだったらいいなあという願望を書かせていただきました!
かなり面白い解釈でした
曲の最後の部分が引っかかってはいましたが、世界が滅亡しているとは想像すらできませんでした
私なりに思ったことがあったので綴っていきます
まぁ・・・非常に単純かつ子供だましみたいな意見ではありますが(^_^;)
この曲はあくまで『世界』の滅亡の話です
舞台は日本ですが滅亡するのは世界全て(もしかしたら地球のみかもしれませんが)です
さてさて、、、世界が滅亡するのに日本の時間が基準とは思えません
つまりです、グリニッジ子午線を基準として日付が変わる時に世界が滅亡したのではないでしょうか
時差を考えると日本ではちょうど次の日の通勤時間あたりですしね
残念ながら初めから次の日は来ておらず、世界が同時に滅亡したのでしょう
さて、このように考えると西経に位置する国々では日付を超える事がなく滅亡を迎えてしまうわけですが・・・
最後の夜を迎えられなかった国の人々は可哀想ですね
本筋から離れますが・・・
最後の途中で切れた文章は、世界が滅亡した事を暗示するだけでなく、純粋に作曲者からのメッセージとしての意味もあると思います
曲の中の世界のように手遅れになる前に、つまりは常日頃から嘘をなくす事で世界は綺麗になる、と
私たちは生きていくのに偽りすぎだ、と
解釈の仕方はかなり幼稚ですが、不思議と辻褄が合っていると感じたのでコメントを残させて頂きました
駄文を最後まで読んでいただき感謝致します
ありがとうございます、妄想の域を外れない考察でありますが納得していただけてとても嬉しいです
ニビョウカンは歌詞眺めてもよくわかんないな! よく見る厨二病患者ってのがあってるなら歌詞も意味深なフレーズをちりばめた"だけ"だろうから考察はあんまり
>>18さん
"『次の朝』を『望んで』しまった。"
ってのが響きました、最後になって今まで過ごしてきた日々の尊さを知っても、時すでに遅しな絶望感が良いですな
ラストの文字への解釈もすんなり入りました。
世界が明日終焉を迎えるとしたら人類はどうする?を検証するための研究者たちの箱庭みたいな世界だったのかもしれない。
NEW GAMEって表記を見ると、思考実験のために作られた箱庭なのかなーと思いますね
ラスト周りの演出はやはり滅亡説支持の証拠になりますね
>>ソラハネさん
最後の最後で嘘のない幸せな世界になった、けれども世界は滅亡してしまったと思っちゃった人間なので()
Elegy End.でない場合のHappy End.として、紙一重ですな
>>コルさん
グリニッジってのは目からウロコでした、九時間差だしちょうど夜明けからちょい経ったくらいでいい塩梅の時間
ブレイブストーリーだっけかな?みたいに光の柱みたいなのが端から動いて世界を呑み込むようにしたら西欧にも優しいかも
でも、きっとゲームの電源を切るようにプッツンって終わったんだろうなと思う
投稿も回数を分けますごめんなさい。
まずは関連人物
世界寿命の少年
ユウトオリニ=心臓コネクト=あのタイムトンネルを抜けて=灰色少年ロック=八日目、雨が止む前に。=キミの心拍数
シンガー
イグジスタンス=No.69
世界寿命の少女
(続)へたくそユートピア政策=桜色タイムカプセル=ロストネイム=トランキライザーの哀情
白髪の少年達
人類五分前仮説
好き勝手言うなは不明。神様が息を殺しているのに気づいていることから、無神論者(イグジスタンスから)のシンガー、神様がいなくてもと言っている(ロストネイムから)の少女、タバコを吸っている(好き勝手言うな自体の歌詞から)白髪の少年以外の誰かであることは確か。
過食性など上記以外の楽曲の登場人物はどうでも良さそうなので無視。
ある日、何らかの経緯で少年はカミサマ(カミサマの正体は不明だが、小説のあとがきの内容やリンカーネイションの『物語はまだ終わらない』、けーさんやスズムの言動からカミサマネジマキである可能性が濃厚)により他人に乗り移る能力を得たいという願いを叶えてもらう。
早速少年はテストでカンニングをして高得点を得たり、自らを正義として報復政策をしたりする。
そして遂に少年はカミサマに手をかけ、何らかの方法で心臓(カミサマネジマキ)を強奪する。カミサマは賢くも死んだフリをする。
そして、少年が有名歌手であるシンガーのヒット曲、『世界寿命と最後の詩』をふと口ずさんだ声にカミサマの心臓が反応して世界は滅亡の危機に。
そして少年が「誰か僕を許してよおおおお!」だとか言って現実逃避している間に愛しい世界の最終日。
結局世界は滅ぶ。
と思いきや、少年が滅ぶ寸前か滅んだちょっと後くらいのタイミングで「誰も泣かない世界」を願う。ここでカミサマの心臓の力は消える(力が消えた理由は死んだフリをしていたカミサマが奪い返したか、純粋に力を使い過ぎて果ててしまったため)。
しかし、その結果創られた世界は「赤子の一人と泣かない世界=灰色になった(色褪せた)世界」(例のシーンで画面右半分が灰色なのはこれのことか)だった……。
シンガーは誰かさんのせいで茶番を繰り返すようになった灰色の世界にうんざり。
ということで、「明日なんて来なけりゃいいのに……」と願い、カミサマがそれを叶えてくれて大人達は下らない茶番劇を繰り返していたことに気がつき、世界が元通りになってハッピーエンド!のはずなのだが、何故か少女は悲しそうな顔をしていた。(神の存在を否定し続けていたシンガーがついにカミサマに頼ってしまったことに失望した……?)
これで物語はおしまい。
少女が何者なのか私には分かりませんでした。また、ロストネイムとトランキライザーの哀情は他の楽曲と違い一人称が「私」であるために主人公を少女としましたが、曲の内容から考えるとどちらかというと前者はシンガー、後者は少年が主人公であるような気もします。
※ごめんなさい、関連人物でのミスに投稿した後に気がつきました。灰色少年ロックの主人公は恐らくシンガーだと思われます。
更に関係なくなってしまいますが、記事の中にカミサマネジマキという単語が出てきてたので一応……
カミサマ=マキちゃん説についての補足で、「あとがきで〜」のくだりは他人から聞いた話で事実かは分からないです。違ったらごめんなさい。
そして最後にこの説の後押しを。
・少年は「耳鳴り」が煩くてヘッドホンをつけている。
・心臓コネクトのMVのラスサビ(カミサマから心臓を奪った後)で少年のタイツがマキちゃんと同様に破れていた。(hatsuko氏がサビの少年の絵についてアドバイスを行っている。)
・心臓コネクトの2番サビラストや革命性の最初の部分で立方体の箱が出てくる。前者では箱は増殖し、後者では箱は例のテレビに化ける。
・心臓コネクトや八日目、雨が止む前に。のクロスフェードで、「ルンパッパ」とは無縁であるはずのこのシリーズだが所々グジャラート語の文章が。
・トランキライザーの哀情の歌詞「機械仕掛けの心臓は」
スズム氏の所属サークルであるKEMUVOXXのリーダーで、カミサマネジマキなどを作曲したkemu氏が世界寿命と最後の一日がミリオン達成した日(2015/8/25)の2,3日後、Twitterやピアプロなどで僅かながら動きを見せました。
もしかしたら、これからkemu氏かスズム氏が再びKEMUVOXXとして復帰し、ここらの謎のヒントをくれるかも……?とか何とか私は妄想しています。けーさんもスズム氏もhatsuko氏もKEMUVOXX所属の肩書きを消されていないですしね。
まず、世界寿命と最後の一日は少女の視点で少女は他の奴らと違ってカミサマとは無関与。
そして、トランキライザーの哀情とロストネイムはカミサマが主人公の曲。それらの「人に寄り添う理由なんてものは」、「私も息してんの」という歌詞は人間ではない存在であるが故のものとも考えられる気が。「神様がいなくても」という歌詞も、「神様は賢く息を殺した」と好き勝手言うなで言っているので、カミサマがそう発言しているのも矛盾はしないし、灰色少年ロックで悲しそうな顔をしていたのもカミサマだと考えれば……。
一人称「私」についてはそもそも今までスズム氏が関与してきた曲だと終焉の栞プロジェクトの詩以外では使われておらず、男女問わず皆「僕」なので曲数がもっと増えるまで考えないほうが良さげ。
世界寿命と最後の一日について書こうと思ったら、スズム氏の作品の世界観全体についての考察になってしまった……。
ものすごく勝手な想像ですが、塗り固められた嘘は無くなり、世の中の全てを明かされた。その内容が深刻なものである、または世の根底を揺るがしかねないようなもので(例えば何のために人は生きているかを教えられたとか)
それを背負って生きていかなくてはならないので信じられないといった笑いと、今までの過ごし方とこれからのことを考え肩を落としたのでは無いでしょうか。
長乱文失礼
ただ、ただ「止まった」だけ。
これ、ホントに最後なんじゃない?
朝は来たけど夜は来ないみたいな暗示?
的な?
『雨』というのは偉い人たちも匙を投げて、世界が綺麗になったことを表す描写ではないかと思います。
解釈、すごく分かりやすいです!
如月駅は実在しない、他の世界の駅。と、いうことらしいんですが、(個人的に調べた結果そう解釈)主様が出している画像を見てみて、
これは、世界の半分が如月駅の世界になってしまったのでは?
と、考えました。
如月駅の都市伝説の女性は、電車内の人が全員眠りにつくという怪奇現象にも遭遇したようでしたので、
勝手な解釈ではありますが、
如月駅の世界は電車に乗って行った人以外は止まっている。
と、考えました。
そして、ここでまた画像を見ていただきたいのですが、右半分の、私の解釈で言えば如月駅の世界にいる少女(?)。
彼女は電車に乗って如月駅についたため、色がついている。
つまり、動ける。
と、いうことではないかと…。
長文失礼しました。
ドッキリ、想定→ネットゲーム配信停止が急すぎてドッキリなんじゃないの?もしくは前々から決まってたことを今更になって発表しただけ?
と考えた。
好きして〜みたいなところはネット恋愛かなーとか。相手が見えないし実際の恋愛じゃないから何をしたって許されると思ってた。
けど、配信停止寸前で何股もしてた人が全員に(もう関わることはないだろうから)真実を晒したりして。
そう考えればキーボードの音とかはチャット、コントローラーはゲームパッド(実際にあるゲームパッドとものすごく似てるし)
で、最後
配信停止しますって運営が言っていた時間が間違っていて、ユーザーは
なんだ、やっぱりドッキリなんじゃないか。と胸をなでおろし、この際キャラクターを消してしまった人や装備を売ってしまった人は肩を落とした。
最後の方のおかえり、も引退を覚悟してログアウトした人が配信停止してないからまたログインして、みたいな感じかなぁと思いました。
そして、みんなでチャットで会話をしてる最中で配信停止しましたって感じかなぁと、思いました
かな!!と思いました。全3件連投失礼しました(´・ω・`)
発表当時からずっと気になってた解釈あざす!
いや、本当にいい曲ですよねぇ(^^*)
最後の文章が途切れたのはそこで最後が来てしまったからではと
僕は思いました...Badっすね...
自分には思いつかない視点揃いでとても面白く、ためになります
>>whoさん
そうですね、比喩表現でなく本当にこれが最後の夜だったんじゃないかなーと
>>nuhさん
「雨」と聞くと安直に「涙」や悲しい感情が滲み出た心象風景に置き換えてしまうのですが、たしかに全てを洗い流すものとしても考えられますね
目から鱗の素晴らしい解釈でした!! すげえすんなり納得しました!!
ボカロはセカイ系が多いのでてっきり現実世界での出来事だと思いこんで解釈してましたが、ゲームだと考えるとすんなり納得できるところ多いですね
歌詞にもまんま「終わらないゲームだと思ってたんだ」って書いてありますしかなりの有力説ですね。
「嘘だらけのこの国」ってのもネトゲ運営がずさんな管理してるってのは往々にしてある話ですし、「駅に向かって歩いているサラリーマンは、今日も辛そうだ。」ってところもネトゲ廃人から見たいつもの風景って描写ですし。
無理やり理解していたものがすんなりと理解出来るようになりました。
軽い思いつきのような考察記事でしたが記事にしてコメント募って良かったです。
男の子が睦月の方を向き、女の子が弥生の方を向いている。
これは歌の最初の方に出てきた歌詞
[もう死にたいって言って]というのが出てきますが、これを言っていたのはこの男の子なのではないでしょうか。
この駅を人類の出発点だとすると、車掌さんや女の子は未来へ進もうとしているのに対し、死にたいと考えていた男の子は過去を見つめている。という風にとらえることもできます。
わたしの勝手な考えですいません。
歌が終わった後の背景がこの騒ぎの日の翌日の様子だと思いますが、その背景を1コマ1コマじっくり見てみると朝や昼の様子は描かれていますが夜の様子が全く描かれていません。
あくまでも私の考察ですが世界が滅んだのは翌日の夜だと思います。
長文&意味不な解釈すいませんm(_ _)m
関係ないか。笑
丁寧で分かりやすい解釈ありがとうございます。