前回の続きです。
(家庭での会話を書いてますので、自閉症だとか発達障害だとか色んな言葉が出てきますが、細かな分類だとかそういうことには触れずに読んでいただけたら幸いです)
それでね、旦那とちゃんと話し合うことができた私たちは、
風太くんの発達障害傾向にある行動もちゃんと報告し合えるようになりました。
例えば私が食器洗い中に旦那が風太くんと遊んでいる時、
「ねーねーママ〜!風太くんが俺の手を車(の玩具)に近づけようとしたんだけど、これってクレーン現象かなー?」
「え?どんなどんな?」
「もうやらなくなっちゃった。
けど、さっきは俺の手をとって、一瞬だけど車に近づけようとしたんだよ」
「へぇそうだね、クレーン現象の始まりとか、クレーン現象の一種な気がするねぇ」
「おぉ、そうかそうか
偉いねぇ。〇〇が欲しいって気持ちが風太くんの中に芽生えてるんだねぇ」
こんな感じ。
なかなか前向きでしょ?
でも、この時に不満そうだったのは、上の娘ののんちゃん。
「クレーン現象って何?」
私と旦那でクレーン現象について話をしました。
するとのんちゃんは、
「違うよ!風太くんが自閉症なんかのわけない。」
受け入れられない様子。
ここでいちいち小学生の娘に「風太くんの個性だから!」とか言っても仕方ない。
なので、日数をかけて少しずつ説明していくことにしました。
また別の日…夕飯を料理中に、私に旦那が言いました。
「ママー!風太くんがまた車並べてるよー」
「規則的にー?」
「うん!ちゃんと全部、前向き駐車でーすww
自閉症的傾向ありでーす」
「おいおいwまだ決定じゃないし、観察だけはしててあげようねー」
みたいな。
本当に明るく受け入れてる感じ。
(笑いながら話してますが、自閉症をバカにしてるわけじゃないです。ご理解ください。)
でもその時のんちゃんは、
「違うー。風太くんは自閉症じゃないですー」
と、また否定的。
自分の弟が[普通とは違う]かもしれないことを嫌がってる。
だから、私と旦那は一緒に冷静に話しました。
「まだ決まったことじゃないんだよ。でもね、もしかしたらそうかもしれないって思って、よく観察をしていてあげたいんだよ」
もちろんこれが前提の話です。
でも、旦那がのんちゃんに言いました。
「歴史に残るような[天才]と呼ばれる人は、実は発達障害だった人が多いんだってさ。」
私も援護射撃をします。
「そうそう。
レオナルドダヴィンチもモーツァルトも、アインシュタインもエジソンも、ウォルトディズニーだって『発達障害があったかも』と言われているよ。
事実かどうかは私たちには確かめようがないけど、でもそういう説もあるよ」
そう。
私と旦那が風太くんのこれからを話した時にはずっとこんな話をしていました。
発達障害と言われる人たちには、何かに特化した素晴らしい才能を持っている人がたくさんいる。
人と違う脳の作りをしているから、[普通の人]とは違う。
でも[普通の人とは違うから、特別な才能がある]。
旦那と私は、今はそれらを神様からの授かり物のように感じています。
世間一般の大衆の中でコミュニケーションをうまくとりながら生きていくことは、社会性を重視する人間社会ではとても大切なこと。
でも、[普通]ではなく、何かに特化して才能を開花させる人が歴史を作っていくことも、これもまた社会にとって重要なことである、と。
私はのんちゃんに言いました。
「いつも友達を思いやって、ママとパパの手伝いを嫌がることなく率先してやってくれて、弟の面倒もたくさん見てくれて、人の痛みを感じて涙を流せることは、のんちゃんの才能だよね。
でも、のんちゃんは幼なじみのメグちゃんみたいに、葉っぱを見ただけでお花の名前を言い当てられる?」
(プライバシーを守るため、名前や対象物は変えています)
「できない。」
「そうでしょ?それが才能なんだよ」
「だよね!メグちゃんってすごいんだよ!頭の中が全部お花のことでいっぱいなの。
お花博士なんだよ!
なんでも知ってるの。
ほんとにすごいと思う!」
「そうだね。すごいよね
でも、メグちゃんはのんちゃんのように他の友達とうまく遊べないことがあるね。
だけど、それは『その才能を持って生まれた選ばれた特別な人』だからなんだよ。」
「すごいね!メグちゃんは」
「でも、のんちゃんも『人の心に寄り添う』という特別な才能を持って生まれた『特別な子』なんだよ。
だから、ママとパパは風太くんがどんな才能を持っているか、とても楽しみにしてるの」
これをどこまで娘が理解したかはわからないけど、娘は以前のような拒否反応はなくなりました。
つづく
(コメント返せてませんごめんなさい。必ずお返事しますのでちょっとだけお時間くださいませ)