貸しひとつ
夏の夕方。昼のうなだれるような暑さはどこへ行ったのか、涼しい風が学生服のシャツの中に入り込み心地がよい。十羽は神社の境内の階段に座り込み、夕暮れの空を見上げていた。比較的長めの黒髪が風で揺れている。
こうやって見ていると、どこか田舎の高校生の微笑ましい青春の1ページのようにも見える。だがしかし、十羽の心中は全く穏やかではなかった。これからここで待ち合わせの約束をしている人物が心中穏やかでない原因である。
「十羽くぅぅぅぅぅぅん?? 待ったぁぁぁ?? ギャハハハハハハハ!!!」
十羽が声のする階段の下を見ると、制服を着崩し、金髪に髪を染めた、いかにも不良といった見た目の細身の男が階段を上ってきていた。左耳にはひし形の主張の強いピアスが空いている。この男が十羽と待ち合わせをしたまさにその人、
駆が十羽がいるところまで階段を上ってくるやいなや、十羽が物怖じしていない様子で口を開く。
「ほら、お前が言ったようにここに金は用意してきた。これでもう俺には関わらないでくれ。」
単純。恐喝である。しかし、十羽はまっすぐ駆の目を見て視線を逸らそうとはしない。
「おお、物分かりがいいねえ。歯向かわない方が身のためなのをよくご存じで。ククッ」
反吐がでるような悪意が辺りを包み込む。十羽は自分の身を守るために金を用意したわけではない。殴られるのは怖くなかった。
「まあそりゃそうだよなぁ~。おマエが俺の命令拒否ったら、お友達のウサギさん達がどこぞの不審者にぶっ殺されちまうかもしれないもんなああ??」
十羽は高校の飼育委員だ。入学して以来、毎日欠かさず学校でウサギを世話してきた。駆はそのウサギを脅迫の道具にして、十羽に金銭を要求したのだ。
(このアホウが……!?)
十羽の中に怒りが湧きあがる。握った拳には血が滲みそうな勢いだ。
駆はそんな十羽の様子に気付いたようで、一瞬眉間に皺を寄せたがすぐにまたフザケた口調で十羽に話しかける。
「まあ俺は金さえ用意してくれたらなんも文句はねえからよお。お前とお前の友達守るために今後もよろしく頼むわぁ」
「なっ!?!? おい、約束が違うぞ!」
十羽も薄々感じてはいたがやはりお決まりの今後も財布にされるパターンだったようだ。そして、駆に食ってかかろうとした瞬間腹部を激しい痛みに襲われうずくまる十羽。痛みで額に汗をかきながら上を見ると駆が十羽を殴った腕を戻すところだった。
「気持ちわりいなあ、おい。インキャの分際でこの俺に歯向かってよお。いいかぁ? てめえみたいなカスは! 黙って自分より上位な存在である俺様に!! 使われてりゃあいいんだよ!!」
耳障りな金切り声をあげて発狂する駆。後ろにいたツインテールの女がビクっと体を震わせていた。
「そういえば封筒の中身確認してなかったなぁ。ちゃんとあるか確認しねえとなぁ。お前みたいな奴はもしかしたら中身ちょろまかしてるかもしれねえしなぁ。ククッ」
蹲っている十羽をよそに、紙幣を数える駆。このとき、十羽はこれから先の学園生活のことを考えていた。学校に毎朝怯えながら登校する自分。毎日ウサギ達の身を守るために、目の前にいる駆に金銭を渡し搾取される日々。そんなことを考えるとゾッとする。そしてそれを逃れるためにはどうすればいいのか。その結論は意外にもあっさりと十羽の中に浮かんだ。
(コイツを今……ヤるしかない! 今ここで!!)
今駆は金を数えるので必死だ。自分になんか目もくれていない。大柄の男は自分が出る幕などないだろうといった様子で間抜けにあくびをしている。ツインテールの女はこちらを見ているようだが、障害にはならないだろう。そう、今が……好機!!
心の中で覚悟を決めた十羽。膝を付いていた状態から一気に立ち上がり拳を振り上げる。駆の後ろは階段が続いている。落ちたら大怪我は免れないだろう。完全に油断していた駆が十羽に気付く。しかしボクサーでもない駆の体が脳からの回避行動の伝達が間に合うわけもなく……
「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!南無三っ!!!!!!!!!」
十羽の拳がメリっと音を立てて駆の顔面に撃ち込まれる。
「カッ……ハっ!?!?」
殴られた衝撃で思わす息を吐き、後方に吹っ飛ばされてゆく駆。
(よしっ! ザマぁみやがれ!!)
十羽が自分の拳が駆に届いたことに安堵し、あとは階段から転げ落ちるのを見るだけだ。ゆっくりとスローモションになったように時が流れる。落ちろ! そのまま落ちて行け! と心の中で念じる十羽。しかし、次の瞬間に駆が隣にいた大男の腕を掴み階段から突き落とした。そしてその反動で体制を立て直し落下を免れたのだ。大男は石の階段に体を叩きつけられ嫌な音を立てながら階段を転げ落ちて行く。数秒後には階段の遥か下でピクリとも動かなくなった大柄の男が横たわっていた。一方駆は大男を犠牲に数段下の階段に落下する程度で大きな負傷などは何もないようだ。
十羽はヤリ損ねたのだ。他人を階段から突き飛ばすという若干サイコパスじみた凶行に失敗し、更には頭のネジの外れている金髪ヤンキーが目を血走らせながらこちらへゆっくりと歩いてくる。まだ殴られたときのダメージが残っているようでその足取りはふらふらとしている。
(どうすればいい!? てかもうこっちから仕掛けた以上徹底的にやるしかないじゃないか! じゃないとコイツのことだ。下の大男みたいに本当に殺されかねない! )
頭の中で決心する十羽。そしてその十羽に向けて駆がゆっくりと近づいてくる。
「おいぃぃ。ヒャハッ……マジかよぉ。十羽ぁ、お前自分が何やったかわかってんだよなあぁ、おい」
妙に落ち着いた声で十羽に語り掛けてくる駆。落ち着きすぎて逆に不気味だ。十羽は駆の問いかけには答えず、いつでも動けるように警戒態勢を整える。
「返事もなしかよぉ、てかよぉ、返事しねえってことはよお。暗黙の了解ってことだよなぁ、了解したんだよなぁ!? 俺が今からやろうと思ってることを了解したってことでいいんだよなぁ!?!? 十羽ぁ!?!?」
言葉を重ねていくにつれて徐々に駆の凶暴性が露わになり、声が金切り声に変わっていく。思わずあとずさった十羽は、駆が手を突っ込んでいる右のポケットに何か嫌な気配を感じた。そして、その予感は正しいことが証明された。
「このナイフでテメェをめった刺しにして、生きたままバラバラに解体してもいいんだよなぁ!?!? 」
俯いていた顔がカッと上げられ、十羽めがけて階段を駆け上ってくる。そしてポケットから取り出した右手に握られていたのは、小さなジャックナイフだった。刃先が夕日の光を反射して鈍く光っている。小さなといっても刃物である。あんなもので切りつけられたら軽傷ではすまない。それに加えて相手は怒りで我を失っている駆である。本当にバラバラにされてもなんら不思議ではない。生命の危険を感じた体が熱くなる。しかし、駆は有無を言わせず十羽に突っ込んできた。
「まずは目ぇ! 目抉りだしてやるよぉぉぉぉ!」
駆は躊躇なく十羽の顔に向けてナイフを突き出した。目に向けて吸い込まれていくように直線を描いたナイフだったが、十羽も両手で駆の手首を掴みあと数センチのところでその凶刃をなんとか止めて見せた。お互いの力が均衡しナイフが空中で完全に静止している。
「ハァハァ……天上!何してるのかわかってんのか!」
息を切らしながら、無駄だとわかっていても言葉で止めようとする十羽。
「そんなの自分が一番わかってるに決まってんだろうが! お前をぶっ殺そうとしてんだよ! ただそれだけだバーカ! ギャハハハハハ! だからそろそろ死ねよ! 死ねぇぇぇぇぇぇぇ! 」
狂ったように笑いながら返答をする駆が腕に更に力をかけてくる。勢いに負け、階段に座り込む十羽。ジリジリと刃との距離はなくなっている。やはり不良少年だけあって力は強いのか、それとも十羽の筋力がないからか、力の差が目に見えるようになってきた。
(無理だ。もう止めきれない。俺はもう……終わるのかよちくしょう!)
心の中で最期の言葉を吐き捨てた。そこにダメ押しだとでもいうように駆が全体重をかけ本気で殺しにかかる。もう終わりだ。ナイフはもう文字通り目の前だ。そうして全てを諦めようとしたとき階段の上から自分と同じくらいの年であろう女の声が聞こえた。
「ねえねえ、死にたくない?」
目の前に迫る死で頭が支配され、自分もついに気がふれたのかと思った十羽。しかしその声はまた十羽に質問を投げかけてくる。駆はナイフを突き立てることに必死で外からの声を完全にシャットダウンしているようだ。
「ねえってば! きいてんの~? あんたのこと助けてやるっていってんのよ!」
その声の主は、自分が殺されそうにも関わらず呑気に語り掛けてくる。見ていないでさっさと助けろよと内心で突っ込んだが腕に力を込めているので単調な返事しかできなかった。
「ああ、助けてくれ!」
女の子に助けてもらうなんて少々プライドが傷ついたが、背に腹は変えられない。
「ふっふ~ん。仕方ないわね。覚えておきなさいな! これで貸しひとつよ!!転移! シンフォステラ!!」
女が痛い中二病患者のような台詞を唱えるとあたりが青白い光に包まれる。その光量は次第に増していき視界が真っ白に塗られていく。理解不能な現象である
(どうなってんだぁぁぁぁ!?)
そう心のなかで叫んだ十羽が最後に聞いたのは、あの女の声だった。
「じゃあ、向こう側で会いましょ! 貸しひとつだからね! もし忘れたら……ぶっ殺すから。」
可愛らしい声とは裏腹に不謹慎なことをいうその声の主に、こっちでもどこでも俺はぶっころされるのねと十羽は涙目で心の中で思うことしかできず、完全に視界が真っ白になった。