ここは、カルネ村。
かつては、リ・エスティーゼ王国に所属する小さな開拓村の一つに過ぎなかったが、紆余曲折があって、今はアインズ・ウール・ゴウン魔道国の領土となり、アインズ・ウール・ゴウン魔道王の庇護を受けて目覚ましい発展を遂げている村だ。もっともその規模はすでに村とは言えない程になっているのだが。
そして、あらゆる種族が平和的に共存するという魔道国の理念を体現している村でもある。なにしろこの村には、人間以外の種族も多数暮らしているのだから。
(今日もこの村は平和だなぁ)
住民達の穏やかな笑い声を台所で洗い物をしながら聞いていた少女のような若い女性エンリ・エモット──実は村長である──はそう思っていた。
住民同士の些細な喧嘩くらいはなくはないが、内容も深刻な問題ではない。食事の肉が一個多いとかそんなつまらない話だったりする。
だが·····そんな平和はいつも突然破られるものだ。
「エンリの姐さん! 大変です!」
大声を上げながら扉を乱暴に開けて飛びこんできたのは、エンリが最初に呼び出したゴブリン達のリーダーであるジュゲムだった。多数いる人以外の住民の中では最古参となる。彼こそが、エンリが一番信頼をおくゴブリンと言えるだろう。
「どうしたんですか、ジュゲムさん。そんなに慌てて」
エンリは苦笑しながら出迎えた。急を報せる鐘も鳴っていないし、たぶん危険な話ではないだろうと判断したのだ。
「姐さん、そんなに落ち着いてる場合じゃねえんですよ。降ってきたんですよ、人が!」
エンリはジュゲムの言っている意味がわからずにポカンとした顔になる。
(聞き間違えでなければ、人が降って来たって聞こえたけど、そんなはずないよねー。あはは·····私疲れてるのかな?)
寧ろ搾りカスのようになっているのは、彼女の配偶者の方だったりするのだが、彼女は気づいていないし、自分のせいとも思っていない。
「え、えっーと、雨が降ってきたの間違いかしら?」
ゴブリン天候予測士の情報では、今日から三日間は晴れ続きだったはずだ。この天候予測が外れることなど今までになかったし、もし外れて雨が降ったというのなら、ある意味大事件である。すっかり天候予測をあてにしている村人達は、誰も雨に備えていない。降ってきたとなると、大慌てで洗濯物を取り込んだり、天日干しにしている食物などをしまい込む必要がある。
「違いますよ、姐さん。雨は三日は降りませんぜ」
「だよねー、あはははは」
やはり聞き間違いでなければ、人が降ってくるという、そんな有り得ない事が起きたのは間違いないのだろう。
「ってのんびりしてる場合じゃないんですよ。いきなり村に人が降ってきたんですよ! 姐さん早く来てくだせぇ!」
「わかったわ。場所はどこですか?」
「案内しやす。着いてきてください」
ジュゲムはまたも勢いよく扉を開けて飛び出していく。
「あ、待ってよ!」
エンリは慌てて後を追って家を飛び出した。そのエンリの周りを赤い帽子のゴブリンが四人、一定距離を保ちながら着いてくる。護衛のレッドキャップスという強いゴブリン達だ。顔が怖いので、エンリはちょっと苦手にしているが、本人達には言えない。
ジュゲムに急かされ家から出たエンリは、カルネ村の広場に人──ほとんどがゴブリンだが──が集まっている事に気づき急ぎそちらへと向かっていく。
「族長だ! 族長が来てくれたぞ!」
最初に声を上げたのは小柄なゴブリン。彼はエンリが召喚したゴブリンではなく、近くのトブの大森林から逃げてきて仲間に加わった天然ゴブリン達の一人でアーグという。彼は他の天然ゴブリンより頭もいいし、言葉も流暢に話せる。多分、彼はゴブリンよりも優秀なホブゴブリンだろうとンフィーレア達に考えられている。今は小柄だが、ボブゴブリンならば成長すると人間の大人くらいのサイズになる可能性もある。今のどこか気弱に見える彼からは想像できないが。
「族長·····」
エンリはこのカルネ村の村長であるが、この村に住む大半の者は村長とは呼ばない。呼び名を列挙すると、族長・将軍・将軍閣下・閣下·····というところだろうか。
主に後ろ三つは、魔道国が建国される前に起きたリ・エスティーゼ王国第一王子バルブロ率いる軍勢によるカルネ村襲撃の際に、エンリが藁にも縋る思いで召喚したゴブリン軍団の面々からそう呼ばれている。
最初は抵抗のあったジュゲム達第一次召喚ゴブリン達が呼ぶ"エンリの姐さん"が一番まともに聞こえるとは不思議だが、人は慣れるものなのだろう。
「エンリ、来たんだね」
倒れている人の傍に座り作業をしていたエンリの夫ンフィーレアが、エンリ達に気づいて顔を上げた。やや肌ツヤが悪いが、そこにエンリは気づいていない。
(真剣な眼差しのンフィもかっこいいなぁ·····)
などと考えながら、見つめていたのだ。これは今夜も激しくなりそうな予感がする。
「エンリ?」
「あ、ごめん。どう、その人? ·····人だよね?」
エンリは倒れている人を覗き込む。
「うーん、人だよ。正直かなりボロボロだね。冒険者のようだけど、見たとこ
ンフィーレアの脳裏に浮かぶのは、かつてこの村にも同行してもらったことのある冒険者チーム"漆黒の剣"の四人の姿。何年も前に彼を守ろうとして、命を失った人達。共に過ごした時間は短いが、彼は死ねまで彼等をずっと忘れないだろう。
目の前に倒れている冒険者らしき人物は、彼らと同じクラスのはずだが、身につけている装備は中途半端な長さの剣と、小型の円盾。使い込まれた鎖帷子の上に薄汚れた革鎧。被っているのは、顔まで隠している鉄の兜だ。どう贔屓目にみても、あまり上等そうな物には見えない。駆け出しの
汚れ方と、血の臭いがする事から考えると実戦経験は積んでいると思われるのだが、色々と釣り合わない気もする。この村のゴブリン達の方が良い装備をしているかもしれない。
「とりあえず、ゴブリンさん達に回復魔法をかけてもらってるから、傷は塞がっているよ。それにゴウン様·····魔導王陛下にいただいた疲労を回復するポーションも投与したから、心配はいらないだろうね。そのうち意識を取り戻すと思うよ」
「なんで空から降ってきたのかな?」
「それはわからないよ。魔導王陛下の配下の方なら、空輸中にドラゴンから落ちたとかいう事も考えられるかもしれないけど、この人はどう贔屓目に見ても·····そうは見えないよね」
確かにこの村の大恩人であり、この辺りを支配する魔導王アインズ・ウール・ゴウンの配下とは思えなかった。
「私もこんな奴は見たことないっすよ!」
赤毛のメイド服の女性が突如エンリとンフィーレアの間に姿を現した。その顔立ちは人目を引く美しさを持つ、言い古された言葉を使うならば、絶世の美女となるのだろう。
彼女はルプスレギナ・ベータ。アインズ・ウール・ゴウンに使える戦闘メイドの一人であり、カルネ村の守護を任されている。
「ルプスレギナさん、こんにちは」
「ちわっす!」
いつものように天真爛漫な笑顔で気軽に挨拶してくる。毎回のように突然現れるので、最初の頃はエンリも毎回飛び跳ねたり、心臓が止まるかと思うほど、驚きびっくりしていたものだが、次第に慣れてきて最近ではすっかり平然と出迎えられる。何となくだが、今のエンリには彼女が出てくるタイミングがかなりの確率でわかるのだ。
「最近エンちゃん驚いてくれなくなったッスね。お姉さん、ちょっとだけつまらないッス。もしかしてンフィちゃんに汚されちゃいました? ぷぷぷっ」
「ちょっ、ルプスレギナさん!」
さらっととんでもない事を言い出す赤毛メイドに慌てて抗議の声を上げるエンリ。
「冗談ッスよ。軽い挨拶代わりのジョークってやつッスね。それにンフィちゃんは未だに驚いてくれる純な男の子っスから、むしろ逆じゃないっすかね?」
つまりは、エンリがンフィーレアを·····。
「ルプスレギナさんっ!」
「あはははは、ちょっとからかっただけッスよー。そんなに怖い顔しないで欲しいっス。私とエンちゃんの仲じゃないッスかぁ」
どんな仲だよっ! っとその場にいる全員が思ったが口には出さない。真面目に相手しても無駄だという事は経験上わかっているのだから。
「んで、コレがエンちゃんの新しい男ッスか? まるでボロ雑巾ッスけど、それなりに鍛えてそうッスね。まあ、ンフィちゃんよりは逞しいけど、趣味悪くないッスかね?」
誰も知らない事だが、この降ってきた男は実はモテ男だったりするのだが、確かに今はそう見えないだろう。
「どうしてそうなるんですかっ!」
エンリの抗議の声を無視して、ルプスレギナは、まるで小石でも拾うように片手で倒れていた男をヒョイッと摘み上げ、キョロキョロと辺りを見回してからエンリに問いかけた。
「で、どこに運ぶつもりっスか?」
確かにこのままにはしておけないが、とはいえこの村に宿泊施設などない。そうなってくると選択肢は限られてくる。
「もう! ンフィ、いいよね?」
「ああ、構わないよ」
確認をとった後、エンリが指差したのは自らの家だった。
「了解! そんじゃあ、とりあえずは運んで上げるッスけど、その後は任せるッスよ」
ルプスレギナは、鼻歌を歌いながらブンブンと振り回しながら運んでいき、エンリの家にある夫婦の寝室とは別の階にある来客用のベッドに男を寝かせてくれた。やり方はともかく手伝ってくれた事は確かなので、エンリは礼を言いルプスレギナは姿を消した。
「ジュゲムさん、手伝ってもらえるかい?」
「おやすい御用ですぜ、兄さん」
ンフィーレアとジュゲムは手早く男の装備を剥ぎ取る·····いや、外させてベッドに寝かせた。
「これで大丈夫かな。それにしてもこの鎖帷子ボロボロだなぁ·····」
「というよりは、全般的にじゃないですかね? 皮鎧はわざと汚しているように見えますが、剣も刃こぼれがありますし、小ぶりな円盾もだいぶ傷んでますぜ。戦闘直後って感じですねぇ」
「
それからそれほどかからずにドワーフは装備を修繕して持ってきてくれたが、未だに男は目覚めない。
「ンフィー、どう?」
「ああ、まだ目が覚めないみたいだね。傷は全快してるんだけど、かなりのダメージを受けてたみたいだから。それに悪い夢を見てるみたいでかなり魘されてるね。さすがにそういうのに効くポーションはないからなぁ。悪い夢を見ないポーション·····意外と売れそうな気もする·····」
「どうせなら、いい夢を見るポーションの方が売れそうだけどね」
エンリの発言に、ンフィーレアは目を見開くと、愛する妻の両肩をガッシと掴んだ。
「それだよ! いいよ、それ! よーし、ゴウン様に提案してみるよ」
「ねえ、ンフィ。提案するのは素晴らしい事だと思うの·····」
興奮する夫に対し、エンリは歯切れが悪い。
「え、なにか気になるの? もし、そうなら言ってよエンリ」
ナイスアイディアだと思っていたンフィーレアだが、妻の様子を見て不安になる。
「う、うん。えっとね·····内容は良いかなって思うの」
「うん、なら·····」
「でもね·····ゴウン様·····魔導王陛下は·····夢見るのかなぁ·····って」
「あっ·····」
二人の間に沈黙が流れた。
来訪者については、次回にて。