2019年5月22日
不自由な自由
私は映画を観ることが好きです。
休日は何をして過ごすか、いつもいつも模索しております。
何をしても良い。
読書に耽っても、
惰眠を貪っても、
ただ呆然と窓の外を眺めようとも。
何をしても過ぎ行く時間は同じ。
ですが私はいつも映画を観る。
何故映画を観るのでしょう。
一度始まってしまえば、
途中で立つことはできない。
声を発することも、
手を叩くこともできない。
他の用事にかまけることもできない。
一度始まれば、物語は勝手に進んでゆくのです。
そこに強制力などありません。
ましてや、法律で定められているわけでもありません。
しかし、私はそれに従うのです。
おおよそ2時間という決して短くない時間、
私は自ら進んで拘束されるのです。
人は自由を好み、自由を恐れる。
自由であればあるほど、
何をしても良い可能性に不安になる。
自由に酔う。
映画は私の人生の中でただ過ぎていくであろう2時間を、
確かな時間にしてくれるのです。
不自由な2時間。
しかし安心する2時間。
拘束された時の中で、
私の心は解放される。
お嬢様に於かれましては、
いつもながらにティーサロンでお過ごしになるひと時に、
何を感じるでしょう。
いつもいつも甲斐甲斐しく世話を焼く使用人達に囲まれて、
時には不自由を感じてらっしゃるかもしれませんね。
しかしながら、私は束縛の中に安寧があるものと考えております。
我々ならば、
お嬢様の人生のほんの僅かなひと時、
ともすればただ呆然と過ぎていったであろうひと時を、
確かなひと時へと変えることができるかもしれません。
ですから、目一杯自由な日には、
ティーサロンへ。
お早いお帰りをお待ちしております。
黒崎
休日は何をして過ごすか、いつもいつも模索しております。
何をしても良い。
読書に耽っても、
惰眠を貪っても、
ただ呆然と窓の外を眺めようとも。
何をしても過ぎ行く時間は同じ。
ですが私はいつも映画を観る。
何故映画を観るのでしょう。
一度始まってしまえば、
途中で立つことはできない。
声を発することも、
手を叩くこともできない。
他の用事にかまけることもできない。
一度始まれば、物語は勝手に進んでゆくのです。
そこに強制力などありません。
ましてや、法律で定められているわけでもありません。
しかし、私はそれに従うのです。
おおよそ2時間という決して短くない時間、
私は自ら進んで拘束されるのです。
人は自由を好み、自由を恐れる。
自由であればあるほど、
何をしても良い可能性に不安になる。
自由に酔う。
映画は私の人生の中でただ過ぎていくであろう2時間を、
確かな時間にしてくれるのです。
不自由な2時間。
しかし安心する2時間。
拘束された時の中で、
私の心は解放される。
お嬢様に於かれましては、
いつもながらにティーサロンでお過ごしになるひと時に、
何を感じるでしょう。
いつもいつも甲斐甲斐しく世話を焼く使用人達に囲まれて、
時には不自由を感じてらっしゃるかもしれませんね。
しかしながら、私は束縛の中に安寧があるものと考えております。
我々ならば、
お嬢様の人生のほんの僅かなひと時、
ともすればただ呆然と過ぎていったであろうひと時を、
確かなひと時へと変えることができるかもしれません。
ですから、目一杯自由な日には、
ティーサロンへ。
お早いお帰りをお待ちしております。
黒崎
Filed under: 黒崎 — 22:00