フリーダム嫁夫妻は虐待についてどんなスタンスなのか?

今回は以前に書いた『実録?虚言?フリーダム嫁から虐待サバイバーへの転身』の中の「フリーダムな嫁から虐待されてきた嫁へ」という章の補強という意味合の内容を書きたいと思う。

そもそもは2019年4月12日にサブタイトル【虐待されて育った嫁】として独自カテゴリーとして始まったシリーズものだったが、話が進むにつれ【施設を出てから】【前を向いて生きていく】と続いた後、何故か虐待カテゴリーのままで【旦那との出会い】が始まり【能天気彼氏と鬱彼女】ときて【うちの嫁は虐待サバイバー】へと変遷していく。

こうした記事が毎日の様に公開されていく中で、現在のネット上での騒ぎに繋がる事となった発言も多く存在している。

そこで、この考察では虐待シリーズが始まった以降に、虐待シリーズの記事の件に関して読者の反感を買ってしまった発言と、フリーダム夫妻は虐待についてどのようなスタンスで臨んでいるのかについて書いてみたい。尚、Twitterに関しては削除されているものも多い為、内容の紹介になってしまう方が多い点を併記しておく。

フリーダム嫁夫妻が読者の反感を買ってしまった発言

虐待シリーズ記事の最中で炎上した発言と聞いて即座に思い出すのは9月9日にフリーダム嫁の旦那が目黒女児虐待事件を引き合いにだしての「生きてりゃ勝ち」というツイートだろう。

該当ツイートは削除されてしまっているが、Twitterで検索すれば先のワードで検索すれば数多くヒットするので興味があれば検索してみて欲しい。

そのツイートの後、事態を重く見たのかは分からないがフリーダム嫁がツイキャスで旦那の発言についての説明をしている。

漢字の変換ミスで「行きてりゃ」になっているが、内容は「生きてりゃ」なので安心して欲しい。こちらも現在は削除されているが、音源はTwitterにアップされているので興味がある方は同じく探してみて欲しい。

このツイキャスの中で、とくに視聴者が反応した発言を引用しよう。

リスナーの配慮が足りないのでは?というコメントに対し旦那の発言

大多数に向けた発言じゃない、だから普通の人には伝わんないんだと思う

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

このブログだって一般の人に向けて発信してるんじゃないから

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

目黒女児虐待事件についての発言した理由を説明した後で旦那の発言

ここまで言わないと分んないのかな?

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

リスナーから「何様ですか?」と問われて嫁の発言

あー虐待児様です。虐待児様です何様っていうか虐待児様だね

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

批判をしている人には虐待被害者で今も後遺症に苦しんでいる人が多いと言うリスナーに対して嫁の発言

多い?多いってなんで分かるの?

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

主となるのは上記の3つの言葉だろうか。このキャスの中で「生きてりゃ勝ち」というのは嫁が普段使っている言葉だから旦那も使ったとしているが、分別のついた大人のした発言だ。

目黒女児虐待事件を引き合いに、その言葉を使うに適当かどうかの判断がまずかったから、この時、旦那のツイートは炎上したのである。フリーダム嫁が普段使っている言葉を使ってしまっただけで悪気はないという問題ではない。

また、このツイキャスはフリーダム嫁が主導で行われているため、失言した旦那が嫁の影に隠れているというイメージを与えてしまったのも、反感を買った一因だと思われる。

そして、このツイキャスの翌日、旦那が再びツイートをする。こちらも消されてしまっているので一部引用させて頂くが『あなたにとっての普通はその人達にとっての普通ではない。「普通の人」は、その痛みを理解してあげよう』という内容であった。

旦那の言う「普通の人」が何に対しての普通なのかということで、ネット上では「そういう書き方をすると虐待児が普通じゃない人の様に思われる」などの意見が飛び交った。

このツイートも、Twitterで検索するとすぐにヒットするの興味がある方は検索してみて欲しい。

一応、その一連の騒ぎの後に謝罪とも取れるツイートがされているが、読みようによっては嫁にしか申し訳ないと言っているようにしか見えないのは穿ちすぎだろうか。

そして、キャスの方でもユーザーに「何様ですか?」とコメントされて、それに対して「何様って、虐待児様」と発言してしまっては反感を買うのは仕方がないと思われる。

別の角度から見れば「虐待児だったら何を書いても許される」と解釈されかねない。また、別の角度から見るなら「どうせ虐待児ってこういう奴」みたいなレッテルを貼られてしまい他の虐待被害者が声を上げづらい状況になりかねないという危険もある。

非営利のブログで個人的に書いているならまだしも、利益を得て、且つ、書籍化までしてしまっている「影響力のある者」が、安易な言葉と考えをひけらかしてしまうと本来なら有益になる筈のものでも、有害なものへと変貌しかねない。

それが実録で嘘の無い話だとアピールをした上で、作品の対価を得る者の務めではないかと私は思う。

この他にも7月15日のツイキャスでは、キャスを視聴しに来たアンチファンを晒す魔女裁判的なことも行われた

これに対しては嫁の方からはきちんとした謝罪の言葉があったが、旦那は自分たちに非があるとは納得がいかなかったのだろう。このようなツイートをしている。

このツイートもある一面では正しい。だが、先の内容やこのまとめの他の記事を見て貰えば分かる通り、前提条件として旦那が公開した記事やツイートに対して読者から反感を受けた結果が嫁を苦しめている場合がほとんどだ。

原作は嫁、旦那は作画という言い分はあるかもしれないが、嫁の原作を漫画や記事にして最終的に多くの人目に触れる場所に公開しているのは旦那である。

NHKの番組に取り上げられた際には、最初は反対したと語っているが、今の状況を顧みると、すべてが旦那主導の下で行われたのではないかと考えてしまう。それを裏付けるように、ブログのネタにしようと話しかけた旦那に嫁がキレたというエピソードも描かれている。

これと同様のパターンでよりアクセスを稼げると見込んでのことだと考えると、NHKでの発言はただのポーズだったと言えるのかもしれない。

ひるまえほっと(東京G1) – 2019年08月01日(木) (SHARP AQUOS BD-HDW80) [1080p]

フリーダム夫妻の虐待に対するスタンスの変遷

ここからは先に書いた内容と若干重複するかもしれないが、フリーダム夫妻の虐待に対するスタンスの変遷について触れてみたいと思う。

知っての通り、最初はほのぼの路線でスタートしたフリーダム嫁観察日記だが、2019年4月12日からは虐待編というシリアス路線へとシフトチェンジしている。

初めて虐待編が始まった当初「ここからはちょっと重い話が続きます」と、まだ軽めのスタンスだった。そして「嫁が6歳から虐待を受けていた話」となり、「6歳から16歳まで虐待を受け続け、そして児童相談所に保護された嫁」という様にちょこちょこその時点までのあらすじが追加されていく。

6月末、虐待編が終わり一息ついたという意味なのか旦那は下記のようなツイートをする。

内容を見て貰えば分かるが、この時点で旦那の構想では虐待はもう終わったことで、あとはそこからどのように立ち直っていくかというところに焦点を当てたかったのだろう。そのような思惑があったのなら、カテゴリーは「虐待」ではなく「立ち直っていく嫁」みたいな形にしておけば、読者の反感も減っていたのではないだろうか。

読者の反感を買う理由の中には「いつまで虐待カテゴリーでやってんの?全然虐待関係ないじゃん」というものも多かった。また、実際、そういうリプライを送るユーザーもいたが、そういう意見をしたユーザーは悉くブロックされてしまったようだ。

そしてサブタイトルが前の章でも書いた「旦那との出会い」に変わりしばらくたった頃に、あの目黒女児虐待事件を引き合いにした発言をし、物議を醸す。

先にも書いた通り、この時の旦那の意見は「大多数に向けた発言じゃない、だから普通の人には伝わんないんだと思う。このブログだって一般の人に向けて発信してるんじゃないから」と、ブログ自体が一般向けではないことを明言している。

そして、時は進みサブタイトルも「能天気彼氏と鬱彼女」といよいよ虐待とはまったく関係がなくなった頃の10月7日にライブドア公式ブロガーとなった。

公式ブロガーになる前のこのツイートや、他のアドセンスやAmazonアソシエイトの話題からも分かる通り、旦那はこのブログを完全に収益として考えていたのだろう。

公式ブロガーになる前はAmazonの欲しいものリストをTwitterのアカウントに貼り、読者やファンからプレゼントしてもらったりなど、自分達が得することには余念がない。半面、オレンジリボンなどは頑なに拒否している。

8月にNHKの番組でも虐待を知って欲しいと語っていたのはなんだったのかと思うくらいに、世の中の他の虐待のことには興味が薄い。虐待サバイバー関連の他のアカウントの方との繋がりよりも、フォロワーが多いまったく関係の無いジャンルのアカウントとの繋がりを大切にしているようにも見える。

そして、12月5日に書籍発売。これに関して夫婦は次の様にツイートしている。

繰り返しになってしまうが9月10日のツイキャスでの発言の引用も記しておこう。比べて見て貰いたい。

大多数に向けた発言じゃない、だから普通の人には伝わんないんだと思う。 このブログだって一般の人に向けて発信してるんじゃないから

https://twitcasting.tv/freedom_yome/movie/566414159

9月10日は「大多数の人や一般の人に向けていない」と語っていたものが、12月5日の書籍発売を前にして「色々な人に読んで欲しい」と語る。

そして、先日の11月27日のツイキャスにて

「重版がかからないと関わってくれた人に申し訳ない」と、すでに重版まで視野に入れている。この言葉の手のひら返しが、虐待を啓蒙しようとしているのではなく、虐待をコンテンツビジネスとして扱っているのではないかという批判をされる要因に繋がっているのではないだろうか。

最後になるが、虐待の実態を多数の人に知ってもらおうとする行動はとても素晴らしいものだと思うし、人が生活をする上でそれを営利目的にするのも多少は仕方がない。だが、それが傍目には分からない様に工夫することも大切だと、私は思う。

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