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魔導具師ダリヤはうつむかない 作者:甘岸久弥
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241.猪鍋と柚子酒

「優しく俺を支えてくれるこの包容力、抱きしめると絶妙にやわらかで……何もかもがどうでもいい……このままこうしていたい……」

「ヴォルフ、今すぐそのクッションから離れてください」


 できたばかりのクッション、その使い心地を聞いたはずが、なんだか危うい返事が返ってきた。


 多人数で付与実験を行った翌日の夕方、ヴォルフが緑の塔にやってきた。

 今日は少しばかり冷える。馬で来たヴォルフは寒いだろうと、居間の温熱座卓を暖め、クッションを敷いておいた。

 長座布団のようなクッションの中身は、極小の粒である砂丘泡ドゥナボーラ

 極小ビーズの吸い付くような感覚を、ヴォルフは不思議そうに触って確かめていた。


 しばらく暖まるように勧め、台所で鍋の下準備をして戻ってくると、温熱座卓のとき以上に、全力でリラックスを体現している彼がいた。


 温熱座卓にとっぷり入り、長座布団をぎゅっと抱きしめ、目を閉じて丸まったヴォルフ。

 彼はその美麗な外見から、『王都一の美形、目が合っただけで魅了される』などと揶揄やゆされる。

 しかし、ここに転がっているのは間違いなく、温熱座卓と砂丘泡ドゥナボーラクッションに魅了されきった一青年である。


 ヴォルフに対し、前世で飼っていた犬を思い出してしまったことが何度もあるが、本日は完全に猫科の生き物だ。

 わずかに開けた金の目が、全力で動きたくなさを訴えかけてくる。


「ごめん、ダリヤ……動きたくない……もうちょっとだけこのままでいさせて……」

「いいですよ。お鍋が煮えるまで少しかかりますし。ヴォルフ、かなり疲れていませんか?」


 遠征から戻ったのは午前中だと言う。

 あまりの丸まりように、無理をして来てくれたのではないかと心配になった。


「あー……遠征でちょっとだけ疲れているのはあるかもしれない」

「次からは遠征で疲れたなら無理しないで、別の日に来てくださいね。届け物は使いの人に頼んでもいいですし」

「無理はしてないよ。むしろここで休ませてもらってるし。いや、俺がダリヤの仕事の邪魔をしに来ている気がする」

「ありませんよ。今日の分はきっちり終わらせています」


 ヴォルフが来るかもと早朝に起き、前倒しで書類と作業を終わらせていたのは内緒である。


「これ、本当にいいね……堕落座卓、いや、温熱座卓とこのクッションはよく合うと思う」

「クッションの中身は新しくできた素材の『砂丘泡ドゥナボーラ』です。フォルト様が命名してくれました」

砂丘泡ドゥナボーラか……ダリヤは、違う名前を考えなかった?」

「……軽石粒」

「……うん、それなりに合っていると思う」


 目を合わせず、額をクッションにくっつけて答えるヴォルフが辛い。むしろ素直に笑ってもらえないだろうか。


「ヴォルフなら、なんてつけます?」

「怠惰の砂」

「……ええ、意味合いとして合っていると思います」


 予測に限りなく近い言葉が返って来た。

 自分達に売れそうな商品名を付けるのは無理らしい。


「来る前にヨナス先生から聞いたけど、本当にくつろげる……」

「ヨナス先生が、ですか?」

「ああ、ちょうど屋敷で会って、とても気に入ったって。これと同じかな? 長く大きいクッションを、自室に置いてるって」


 ヨナスの部屋には、大きめの温熱座卓もあると聞いている。

 冬の冷えがなく休めると言っていたので、この状態のヴォルフと同じく、満喫しているのだろう。

 グイードがヨナスを喩えた『大きい亀』を思い出し、ちょっと笑いたくなる。


「ヨナス先生にお使い頂けてよかったです。グイード様は、あまりお気に召していないようでしたので……」


 昨日、クッションに座り、なんだか困った顔をしていたグイードを思い出す。

 座り心地が好みではなかったのだろう。


「兄はさらさらした感じが苦手だったらしい。『砂浜で立っていると、足元の砂を波が持って行くだろう? あの不安を背中に感じる』って。ヨナス先生は他の人もいるから笑うに笑えなかったって」


 ダリヤも笑いそうになるのをなんとかこらえた。感覚はそれぞれだ、笑ったら失礼だろう。


「ダリヤにばかり働いてもらうのはダメだね。今日の肉は俺が焼こうか?」


 ヴォルフの言う肉とは、持って来てくれた大猪ビッグワイルドボアの生肉だ。

 今回、討伐対象となった大猪ビッグワイルドボアは、リーダーの雄、着いてきた雌二匹の三匹が仕留められた。その日のうちに大豚ビッグピッグの牧場へ運び、燻りベーコンにしてもらうのだという。

 燻りベーコンは仕上がりまで期間が必要なので、希望者は牧場で生肉を分けてもらったそうだ。


「ヴォルフはそのままで大丈夫ですよ。今日は猪鍋の準備をしていますので。煮るだけです」


 『ぼたん鍋』と言いたくなるのは、前世のせいだろう。

 ネギに白菜、薄切りの人参とゴボウ、キノコを準備中だ。

 そして、今回はヴォルフの持って来てくれた味噌がある。今後の遠征メニューの研究という名目でグラートからもらったものだ。


 先日の遠征訓練のとき、味噌を売っている店を尋ねた。

 だが、一般的な店ではなく東ノ国(あずまのくに)からの輸入品を取り扱う商会とのことで、グラートが紹介状を書いてくれた。行くのがなんとも楽しみだ。


 温熱座卓の上、皿やグラスを準備していると、ヴォルフがようやく這い出てきた。

 未練を振りきるような悲壮感漂う有様に、休んでいるようくり返したが、配膳や鍋運びをしてくれた。


 そうして、小型魔導コンロの上に鍋を置く。

 猪鍋――ダリヤ的には『ぼたん鍋』である。

 大猪ビッグワイルドボアの肉を薄く切り、野菜をたっぷり入れて煮、そこに味噌を溶いた。

 昆布がないのは残念だが、大猪ビッグワイルドボアは通常の猪よりも脂が強いらしい。しっかりした出汁が出た。


 並んだガラスのグラスに、淡い黄色の酒を注ぎ、冷水で割る。

 ストレートでも、炭酸水で割るのもいいが、ぼたん鍋と一緒であればこちらの方が合う気がする。


「とてもいい香りだね。これって、柚子?」

「ええ、夏に漬け込んだ柚子酒です」


 だいぶ前、ヴォルフと話していたとき、柚子酒の話をした。

 彼も好きだというので、夏柚子が手に入ったとき、ホワイトリカーに氷砂糖と共に漬け込んだ。

 今世、氷砂糖はなかなかお高いが、ちょっと奮発した。

 三つの大瓶にみっちり漬け込んだそれは、いい色合いの柚子酒に仕上がった。


「これ、入れた柚子は溶けるの?」

「いえ、一ヶ月ちょっとで取り出します」


 作り方の説明をしつつ、グラスをかちりと合わせて乾杯した。


 柚子の甘さもわずかな苦さも溶かした酒は、香りを口内に残し、喉を涼やかに過ぎる。

 口を過ぎる柚子と酒の香り。そして喉を通った後で強くなる、柑橘系らしい爽やかさ。

 舌に残った柚子独特の薄い苦さは、次の一口で薄い甘さにとって代わられる。

 舌も鼻もなかなかに忙しい酒である。


「嗅ぐより飲んだ方が香りがいいとは……」

「夏柚子はお酒に香りがつきやすいので。でも、ちょっと味にまろやかさが足りないでしょうか? 冬柚子の方が丸い感じに仕上がりますが、ヴォルフはどっちが好みです?」

「俺はこっちが好きだな。酒の味わいがしっかりしているし、この香りは……本当にいい」


 柚子酒の香りを確かめ、とてもおいしそうに飲む彼に、来年は大瓶を五つにすることをこそりと誓った。


 猪鍋をスープ皿にたっぷり盛ると、白い湯気の中、箸を進める。

 大猪ビッグワイルドボアの肉は、豚よりも赤さが少し強い。

 最初の一口は肉だけでいってみたが、弾力はあるのだが、はらりと噛み切れた。

 肉自体の味は、豚というよりも少し牛に近い気もする。

 味噌との相性がいいせいもあるのだろう。それなりに脂はのっているのに、くどさはまったくない。


 鍋の野菜も汁も大猪ビッグワイルドボアと味噌の味がよくしみて、なんとも言えないおいしさだ。

 柚子酒を時折つぎ合いながら、二人、言葉少なに箸が進んだ。


 肉系の鍋のシメは甘さの少ない蒸しパンにした。そのままでも、汁にひたしても合う味だ。

 以前、ヴォルフは大猪ビッグワイルドボアを想定した隊の訓練で、盾が鳩尾に入って食欲をなくしたことがあった。

 それを思い出し、つい、消化のいい蒸しパンを買ってきてしまった。

 鶏肉のシチュー予定が猪鍋になったので、ちょうどよかったかもしれない。



 食後、二人とも汗をかき、温熱座卓から出ていた。

 猪鍋は身体が温まるらしい。

 今度は氷を一つだけ入れた小さめのグラスに、柚子酒をそっと注いだ。


「今回の遠征、どうでした?」

大猪ビッグワイルドボアのボスが予想外に大きくて、五人ほどぶつかって飛ばされた。全員、神官にすぐ治療してもらってなんともなかったけど」


 怪我をするほど危ないじゃないですか、そう言おうとして思いとどまる。

 大猪ビッグワイルドボアの突撃は、『重い荷物を積んだ大きい馬車に跳ねられるようなもの』そう聞いている。

 魔物討伐部隊の面々でも、さすがに無傷で倒すのは難しいのだろう。


「疾風の魔弓で足止めはできたんだけど、思ったよりスピードが落ちなくて。最後はランドルフが大盾で殴って転がして、やっと仕留めたんだ」

「大盾で殴って……」


 盾も武器になるようだ。

 防具はすべて軽量化すれば楽ではと思っていたが、そういうものではないらしい。


「大盾は硬化を最大限にかけた厚い鉄板みたいなものだから、大猪ビッグワイルドボアにも効くよ。でも、それでランドルフが両拳と肘を痛めてしまって。治療したうちの一人がランドルフなんだ」

「それって……盾の衝撃が手にきたということでしょうか?」

「ああ。いくら受け流しても、魔物の攻撃が重いと当たりがきついから」


 その攻撃を、昨日名付けられた『衝撃吸収剤』でなんとかできないものだろうか。


「ええと、イエロースライムの粉を入れた『衝撃吸収剤』というものができまして、まだ材質確認は必要ですが……」


 衝撃吸収剤の効果について説明し、盾の裏に付けるか、拳側のガードに付ければ、少しは衝撃を減らせるのではないか――そう話し合う。

 これについては、ヨナスと相談の上、盾持ちの意見も聞いてみてはどうかということになった。


「ああ、スライムの話ついでになるけど、ヨナス先生がダリヤに伝えておいてって。『凍らせたブルースライムの液が溶けきらなくて冷たいままです』って」

「は?」


 突然の言葉に、頭の中でブルースライムが疑問符を持って跳ねた。


「明日来たときに見てほしいって。兄が凍らせたっていうブルースライムの薬液が、ジェルみたいになって冷えてた」

「わかりました……」


 もしかして新しい物になるかと、わくわくするのが半分。明日には溶けて、空振りにならないことを願うのが半分。

 何より、明日一番でイデアに連絡しようと決めた。

 スライムは可能性の大きい魔物であるとつくづく思う。


 グイードがブルースライムに氷魔法を付与したことから、そのまま昨日の実験の話になる。

 一通り話すと、ヴォルフがじっと自分を見つめているのに気がついた。


「ダリヤ、皆で魔法の実験をするのは楽しかった?」

「ええ、楽しかったです。ああいった機会はなかなかないので……」


 実は冷静になってから、思いきり冷や汗をかいた。

 幸い、皆が好意的で協力してくれたが、貴族に対して不敬と取られてもおかしくない。

 イヴァーノは自分に何も言わなかったが、次に商会に行ったら謝ろうと決めている。


「俺も参加したかった……」


 さみしげな声に何か言おうとしたとき、彼は自ら打ち消すように首を横に振った。


「いや、逆か。俺はその場にいなくてよかった」

「え?」

「魔法を付与している皆を見たら、きっととてもうらやましくなっただろうから……」


 ちょっとだけ小さくなった声に、ヴォルフの劣等感が透けて見えた。

 貴族なのに五大魔法が使えない。外部魔力がない。それは彼を幼少の頃から苛んできたかせだ。


 魔物討伐部隊員、強い騎士として戦いながらも、ヴォルフはいまだ使えぬ魔法を気にかけ、魔剣に憧れている。

 それがわかるダリヤは、わざと声を大きくした。


「何を言っているんですか、ヴォルフ。その場にいたら私の作業を手伝ってもらったに決まっているじゃないですか。私はひたすら大量の薬液を作っていたんですから」

「じゃあ、もし参加していたら、俺はダリヤの助手だった?」

「ええ、きっとお願いしていました」

「やっぱり参加したかった……」


 またも残念がっているヴォルフを、一体どうすればいいものか。

 迷っていると、彼はグラスに残る氷を悪戯に転がし、カラカラと音を響かせた。


「正直な話、魔法にしても、戦いにしても、ヨナス先生の魔付きがちょっとうらやましくなることはあるんだ」

「やめてください、ヴォルフ。魔付きになること自体、大変じゃないですか」


 ヨナスは炎龍ファイヤードラゴンの魔付きだという。

 炎龍ファイヤードラゴンを倒すのも大変だが、魔付きは呪いとも表されるものだ。

 魔力が合わなければ、体調を崩したり、味覚や嗅覚などの体質、生活に悪影響を及ぼすこともあるとい聞いた。


 そもそも強い魔物を倒さなければいけないのだ。

 いくらヨナスのようになりたいとはいえ、ヴォルフにそんな危ないことはしてほしくない。


「大丈夫。うらやましくはあるけど、俺には絶対無理なのがわかっているから」

「いえ、ヴォルフなら、強い魔物でも倒せると思いますが……」

「それは――ありがとう、ダリヤ。でも、違うんだ」


 黄金の目にやわらかな光を宿らせ、ヴォルフは断言する。


「緑の塔食堂の味がわからなくなったら、俺の幸せが減る」


 真顔の彼に笑ってしまった。

 どんなハードルの低い幸せだ。


 そして思い直す。食欲は大切だ。

 人間、老後に残る一番強い欲求は、食欲だというではないか。


 ここでの食事がおいしいと言ってくれるなら、年老いてからもヴォルフとテーブルを共にできるかもしれない――

 柚子酒は思いの外、回りが早いらしい。ダリヤはあわてて飛びすぎた思考を止める。


 そんな先過ぎる話はおいておこう。

 今日、ここでの幸せの方が大事である。


「じゃあ、より幸せになるように、柚子入りの浅漬けを持ってきますね」

「ありがとう!」


 自分に礼を述べるヴォルフは、すでに幸せそうな笑顔だった。

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