映画『ブレードランナー』は、2019年11月を正しく予言できていたのか?

1982年のSF映画ブレードランナー』の舞台は、ちょうどまさに現在、すなわち2019年11月だった。その世界は現在のロサンジェルスを、そして未来を的確に“予言”できていたのだろうか?

BLADE RUNNER

映画のシーンはまるで新宿のようで、ストーリーはまるで大都市を支配するもてる者たちがもたざる者たちを騙して撃ち合いをさせるマイク・デイヴィスの『要塞都市LA』のような感じだった。ハリソン・フォード演じるリック・デッカードは、マーロウやギデスからローリンズ、ボッシュへと延々と続く、金持ちや美女に騙されるロサンジェルスの探偵たちのひとりだといえる。ALBUM/AFLO

ロサンジェルス市が誕生してから238年が経っているだが、米国東部の人たちや、ロサンジェルスでもラシエネガ大通りより東に行ったことのない人たちは、ロサンジェルスには歴史がないと言ったりする。いろいろな理由から、それはまったくばかばかしい言い草だ。

それでも、そう言いたくなる気持ちもわからないではない。ロサンジェルスは火事、洪水、地震、暴動などによって何度も破壊され、再建を強いられてきたからだ。ロサンジェルス盆地は四方から地殻変動の影響を受け、季節によっては湿地になる土地で、毎年のように熱風と火災の洗礼を受け、原住民トンヴァ族の住む土地にスペイン人が入り込むよりずいぶん前から、頭上にはスモッグのような霧が立ち込めていた。

最近もまた、山火事が発生している。まるで、それがこの地の伝統であるとでもいうように。小説家や映画監督たちが自分の作品の第3幕あたりでロサンジェルスの街を燃やしたがるのも、不思議なことではないかもしれない。

もしかしたら、人々がこの都市の歴史を飾りたがる理由のひとつは、ロサンジェルスという都市が自らの未来についてあまりにも多くを語ってきたからかもしれない。現在は2019年11月、つまり、ロサンジェルスを描いた原典といえる映画のひとつ『ブレードランナー』の時間に現実が追いついたことになる。

この作品が発表されたのは1982年だが、物語は当時からすれば未来である2019年11月に設定されていた。ロサンジェルスっ子たちはこのときを待っていただろう。それはちょうど、高速道路の標識があなたの出る出口をかなり前もって知らせてくれていたようなものだ。

ロサンジェルスは歴史をもたない?

科学をねじ曲げてメタファーとして語ることには、あなたは懐疑的だろう。わたしもそうだ。しかし、今回はそうする。相対性理論によれば、空間と時間は光のスピードと関係があり、重力(引力)は質量の副次的な結果だという。だから、恒星のような巨大な物体は時空をへこませることによって引力を創造しており、そのため自らの周辺で光を曲げている。

その恒星を回転させると、恒星における時間枠はほんの少し引きずられる。ちょうど航跡のように。これは回転による慣性系の引きずりと呼ばれるもので、巨大な物体は回転しながら前進する際に、自らの過去と未来を引きずっていく。つまり、ロサンジェルスという都市も自らの時間枠を引きずっているということが言いたいのだ。

ロサンジェルスは歴史をもたないと人々が言うのは、ロサンジェルスという都市がよろめきながら未来に進む際に、そのタイムラインも完全に合意のうえでとは言わないまでも、一緒に引きずられていくからである。だから、未来はいつも現在なのだ。

わたしたちはいま、過去に約束されたひとつの未来のなかに起きている現在のなかにいる。タイムトラヴェラーたちよ、周りを見てみるがいい。『ブレードランナー』の予言したことの多くが当たっている。そして、多くが間違っている。

もしかしたら、自らの輝きによろめいた1980年代のSF映画に、特定の予言や回顧を求めるのは間違っているのかもしれない。そもそも、あの映画は未来を描こうとしたのではないのだから。

映画のシーンはまるで新宿のようだったし、ストーリーはまるで大都市を支配するもてる者たちがもたざる者たちを騙して撃ち合いをさせるマイク・デイヴィスの『要塞都市LA』のような感じだった。ハリソン・フォード演じるリック・デッカードは、マーロウやギデスからローリンズ、ボッシュへと延々と続く、金持ちや美女に騙されるロサンジェルスの探偵たちのひとりだといえる。いや、いまの話は忘れてくれ、ディック。それは映画『チャイナタウン』の話だった。

2019年に実現したこと

あなたは説明を求めているのかもしれない。誰が犯人かではなくて、何が起きたのかを知りたいのかもしれない。

『ブレードランナー』にはコンピューター化されたパーキングメーターが出てきたが、これは現実になっている。言葉を話す街灯もだ(「横断しなさい。横断しなさい。止まりなさい。止まりなさい」)。

ロボット・メトロキャブは? もうすぐ実現するだろう。いろいろな高級雑誌を売る道端の新聞雑誌売り場は? そういうものもある。顔認識のポリグラフ(うそ発見器)は? 自分のスマートフォンの自撮り用カメラを見ればいい。

わたしたちはデジタル写真を進化させているし、キッチンには音声制御のツールがある。億万長者たちは興奮と冒険に満ちた宇宙の人生を約束しているが、わたしたちは広告用の飛行船ももっていないし、ましてや信頼できるロケットもない。人工知能(AI)は確かにわたしたちの命令を聞いてくれる(そして、ときには反抗する)が、(『ブレードランナー』でレプリカントのリーダーを演じた)ルトガー・ハウアーのようなAIは存在しない(いや、いるかもしれないが、いるとしたら、それはディープフェイクにすぎないだろう)。

レプリカントたちの記憶を涙のように洗い流すには激しい雨も必要ないし、ステア・フレイガー・カツマタ・シリーズDブラスター(デッカードの携帯する銃)から何発も発射する必要もない。ただアマゾン ウェブ サービス(AWS)の請求書を払い忘れただけで、パッと消されてしまう。それは処刑とは呼ばれない。引退でしかない。

予言の最も重要な部分は当たっている

『ブレードランナー』が、2019年11月について最も正しく予言したことは何だろう。それは大都市の生活だ。現在、ロサンジェルスの繁華街ではにぎやかなナイトライフを楽しむことができる。それは1982年には、ばかげたことに見えた。

どこにでもあるデジタルデヴァイスとソーシャルメディアは、わたしたちは「いいね!」とインフルエンスという代償を得るために自分の記憶を写真というかたちで外在化するための方法と動機を与えている。しかし、自分がある記憶の写真を撮ったのか、それともある写真を思い出しているのかさえわからなくなってしまっている。

でも、降りすぎる雨は現実になっていないって? 確かにその点は違っていた。現在の現実では、サンタ・アナ風(カリフォルニア南部で内陸から沿岸に向かって吹く極端に乾燥した風)は、まるでバーベキュー味のポテトチップのにおいがして、空気はノワール探偵映画のナレーションと同じくらいドライだ。

それでも、予言の最も重要な部分は当たっている。誰でもロサンジェルスと結びつけて考えること、それは「災害」だ。『ブレードランナー』で示唆されている生態的な大災害は核や化学によるもの、産業汚染、それに爆弾だった。それらは1980年代に誰もが心配していたことだが、わたしたちは完全に間違っていた。続編の『ブレードランナー2049』が砂漠化した南西部と防波堤がそびえる海岸線を登場させ、過去にさかのぼって予言の焦点を気候変動による大惨事へとずらしているのも当然だろう。これこそが慣性系の引きずりだ。現在を過去につなぎ直して、未来で意味が通るようにしているのだ。

『ブレードランナー』のアドヴァイス

ロサンジェルスの未来は面白い、だってそれがわたしたち自身の未来なのだから、という考え方にあなたも賛成だと仮定しよう。ロサンジェルスは地図上で最も西にある都市ではないかもしれないが、フロンティアの方向に着目すれば、西部の都市のなかで最も西にある。だから、ここで起きる出来事は最初に起きる出来事だ。そういうわけだから、映画『ブレードランナー』から、ふたつのアドヴァイスを感じとることができるだろう。

ひとつは、ハウエル演じる殺し屋レプリカント、ロイ・バッティの生き方だ。彼はただ、もっと生きたいと願っている。都市の化身でもある刑事は彼を消してしまおうと、つまり引退させようとしているのだが、自分は記憶をもっているから救う価値があると彼自身は主張している。

皮肉なことに、バッティはヒューマニストで、ひとりの人間の記憶は宇宙のホログラムだと主張している。なかなかいい考えではある。しかし、ちょっと後ろ向きな考え方だ。ロサンジェルスは歴史ということになると、いろいろ問題があるのだから。

対照的なのが、エドワード・ジェイムズ・オルモス演じる粋な刑事のガフだ。彼はデッカードとその恋人となったレプリカントのレイチェルを安全な所へ逃がしてやる。「彼女が生きられないのは残念だな」とガフは言う。「だが、それを言うなら、生きられる者などいるか?」

わたしたち人間だって、未来などないのだから。だからこそ、われわれはみな人間らしい。改造してもらうという希望をもってロサンジェルスにやって来るロボットたちも含めて。きっとそうに違いない。

わたしたちは永遠に生きていけない

ガフが下した結論、つまりいまは生きていけ、ここから出て、逃げていけというアドヴァイスはとんでもないものだ。ガフは正気ではないロボットたちや、雷鳴とどろく嵐と対決しながら、いつものように「そんなの知ったことか」と言うニヒリストである。もしかしたら、あなたも億万長者たちが計画する地球脱出計画の20万ドル(約2,200万円)のチケットを買う余裕があるだろうか。

そう、残念なことだが、わたしたちは永遠に生きていけない。だが、ここ現実の世界では、人類はなんとか2019年11月まで生きてきた。わたしたちの使命は、ロサンジェルスだけでなく、あらゆる出来損ないの都市の子どもたちが次の節目まで生きていけるようにすることだ。いまほど悪くない世界をわたしたちが建設できるとしたら、そこまで慣性系を光速で引きずっていける次の節目までだろう。

わたしはここで間違った二分法を仮定してしまったようだ。ここはロサンジェルスなのだから、結末はもっと複雑だ。わたしの考えでは、正しく理解していたのは誰だと思う? レプリカントを設計した天才遺伝子工学技士のJ・F・セバスチャンだ。

セバスチャンはわかっていた。彼はあまりにも病弱なので、地球を脱出したがる億万長者たちの仲間に入ることはできない。だから、彼は繁華街に住んでいる。世界はロサンジェルスっ子にも容赦はしない。

そこでセバスチャンは、機会と冒険の約束された土地で、ハッピーで、倒錯した、多彩色の人生を生きている。この彼の故郷で、地球上にあるカリフォルニア州のロサンジェルスでだ。ここでは人生はずっとそんなふうだった。これからもだいだいそうだろう。だが、現在の2019年11月時点ではそうではない。

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新刊『スノーデン 独白』とインタヴューでたどる、世界一有名な告発者の軌跡

エドワード・スノーデンの自伝『スノーデン 独白 消せない記録』の日語版が11月30日に発売された。世界で最も有名な告発者は、なぜ逃亡生活を覚悟してまで大量監視社会に対峙したのか。そして、彼が懐古する「失われてしまった過去のインターネット」とは。『WIRED』US版のインタヴューと回想録から、彼の思いを探る。

TEXT BY ANDY GREENBERG
TRANSLATION BY MASAKI OKADA/LIBER

WIRED(US)

Edward Snowden

PHOTOGRAPH BY BAIKAL/ALAMY

エドワード・スノーデンは、間違いなく世界一有名な告発者だ。しかし、実名を明らかにする前は、数多くの偽名に隠れて生きてきた。

米国家安全保障局(NSA)のトップシークレットをジャーナリストにリークした際に使っていた仮名は、「シチズンフォー(Citizenfour)」「キンキナトゥス(Cincinnatus)」、「ヴェラックス(Verax)」などである。ヴェラックスは、ラテン語で「真実を語る者」を意味する単語だ。これは内部告発サイト「ウィキリークス」創始者、ジュリアン・アサンジが使っていた古いハンドルネーム「Mendax(メンダックス、『ウソを語る者』の意)」をもじっている。

新たに刊行された回想録『スノーデン 独白 消せない記録』で、スノーデンは長く使われていなかったほかのハンドルネームについても触れている。

「シュライク」「コーウィン」「ベルガリオン」。そして早熟な子ども時代、オンライン掲示板でコンピューターチップの互換性に関する素人っぽい質問をするために使っていた「qu33ker」。いずれもオンラインゲームや掲示板用のハンドルネームで、彼がティーンエイジャーだった90年代にTシャツのように手に入れては捨てていったものだ。

彼は気ままに昔のアイデンティティを脱ぎ、別の新しいアイデンティティを身につけることで、過去の失敗やオンラインチャットで試した恥ずかしいアイデアと決別してきた。ときには、その新たな仮名を使って、以前の自分自身を攻撃することさえあった。進歩したいまの自分の立場から、無知な人間だった一週間前の自分を否定するのである。

失われて久しい過去のインターネットは、ネットの住人たちに対して、望めば毎日でも押せる「人生のリセットボタン」を提供していた。いまもそれを懐かしむスノーデンは、『WIRED』US版にこう語る。

「経験の幅を広げること。挑戦と失敗の繰り返しによってバランスのとれた人間になること。こうしたことを通じて、わたしたちは自分が何者であり、何者になりたいのかを知ります。しかし、いまの若い世代はそういうチャンスを奪われています。彼らは、あらゆるネットワークで、有無を言わせず厳密に識別されてしまうからです。以前のわたしたちのように、忘れ去られたり、過ちを許してもらえたりする機会すら与えてもらえないのです」

オンラインは社会であり、教育の場だった

個人主義的で、一過性と匿名性をもつインターネットは、いかに消滅しようとしているのか。それを、スノーデン以上に暴いてきた人物はいない。

だがひょっとすると、そうしたインターネットは常に神話的存在だったのかもしれない(結局、スノーデンのチャットルームのひとつは、彼の悪名が高まったあともオンライン上に残っていた。このチャットルームでスノーデンは、「TheTrueHooha」という名で、拳銃から性生活に関する助言まで幅広い話題について語っていた)。

NSAの元局員や、スノーデンと同世代の人たちにとって、スノーデンが語るインターネットに対する考え方は、ニール・スティーヴンスンの小説や『ハッカー宣言』(どちらもスノーデンが伝染性単核球症を患っていたティーンエイジャー時代の読み物だ)、ジョン・ペリー・バーロウの「サイバースペース独立宣言」(スノーデンはこれを合衆国憲法前文に次いで記憶に留めていると書いていた)で祭り上げられているような創設神話である。

だが、彼が「最も心地よく成功したアナーキー」と呼ぶ90年代のインターネットは、スノーデンにとって社会であり教育の場だった。彼は、のちに妻となる女性ともレーティングサイト「HotOrNot.com」で知り合っている。

そんなデジタル時代が始まる前の世界とその消滅を記録するために、スノーデンは私生活をさらけ出してまで『スノーデン 独白』の執筆にあたったという。彼は書を通して、世の中の人が以前よりも自分を理解してくれるようになるのではないかと語った。

「自分にとって、この本はただの回想録以上のものです。ひとりの人間としての自分の歴史を綴ると同時に、それはテクノロジー、システム、インターネット、米国の民主主義における時間と変化の歴史を綴ったものなのです」

理想の遊び場を守るため、青年は決断する

回想録は大きく3部にわけられる。諜報の世界に入るまでの人生、諜報コミュニティーでの疾風怒濤の7年間、そして告発者・逃亡者としての体験だ。

意外なことに、最初の約100ページを使って書かれているのは、スノーデンのいちばん「普通」な人生の一部である。極めて知的だが、どちらかというと目立たない高校中退者。だが、ここに書かれていることは決して無駄ではない。

むしろ青年期のあり方を描くことにより、米国家安全保障局(NSA)の仲間を裏切り、同局の秘密を暴露し、自らを追放へと導いた究極の決断の理由が、最もわかりやすく人間味のあるかたちで説明されている。これは、NSAで出世が望めるほど頭脳明晰でありながら、その雇用主とはまったく正反対の、インターネットへの純粋な理想をもつ野心的なギークの話なのである。

一見すると、本書はある人の稀有な体験をつづった伝記というよりも、米国のスノーデン世代の体験談のようにも読める。「9.11」という衝撃的な事件のあと、政府の仕事にしか興味をもたなくなった90年代の極端なオンラインキッズ。特殊部隊に加わろうとするも、基礎訓練中に両足をけがして挫折。その後、諜報コミュニティーに引き寄せられ、その世界で働くうちに、理想の遊び場であるインターネットが正反対のものに変えられていることに気づく。それは、誰にも知られず記録にも残されない、アナーキーへの重大な脅威だ。どんな犠牲を払ってでも、誰かがくい止めるべき脅威なのである。

そして、その「誰か」に自分がなるという決定的な決断以外、スノーデンによって語られる話は、似たような経験をもつ数え切れないほどのギークたちに通じる。

「わたしは平凡な人間です。過去の自分を分析してみて、自分には特筆すべきことがないとわかりました。告発したのが自分でなかったら、別の誰かがしたかもしれません。『告発者のエドワード・スノーデン』になるのは避けられませんでした。人は、誰かが異議を唱えるまで、良心に従って行動できるのです」と、彼は語った。

そんな彼の決断は、現実を変えることになる。2015年に米米国自由法が可決され、全米国人のメタデータをかき集めていた通話履歴収集活動が大幅に制限されたのである。

この通話履歴収集活動は、大量監視に関する告発のなかでも最もわかりやすい例だ。米国議会は現在、メタデータ収集を完全に終了させることも検討している。だが、こうした現実の変化は、米国政府高官たちによる二極化するスノーデンの評価に関しては、なんら影響を及ぼしていない。現に、民主党下院議員のアダム・シフはスノーデンを「告発者」と呼ぶことにすら疑問を呈し、トランプ政権国務長官マイク・ポンペオはスノーデンの処刑を要求している

シスアドは、いつだって最強

スノーデンの名が一躍有名になってからの6年間、世のほとんどの人は、彼が英雄か裏切り者かと議論しつづけている。その一方で、サイバーセキュリティコミュニティに属す多くの人は、スノーデンを単なる目立ちたがり屋の「IT野郎」として切り捨てた。監視にも、彼がのちに暴露することになるハッキング操作にも参加したことのない、単なるシスアド(システム管理者)にすぎないというのがその主張だ。

結論から言うと、半分は当たっている。スノーデンは、マイクロソフトのドキュメント共有システム「SharePoint」の管理や、NSAのデータ脱重複化および共有システム「ハートビート」「EPICSHELTER」の構築を担当していた。それが、彼のキャリアの頂点だったのだ。核施設のウェブサイトにあった比較的単純な脆弱性を10代のころに発見して報告したエピソード以外、ハッカーとしての腕前を証拠づけるものもたいしてない。

ところが、この“IT野郎”が、情報が財産である組織において最も権力をもつ人物のひとりであることがわかる。

スノーデンは世代間の隔たりを理解することでその座についた、若きITエリートのひとりである。CIAのデータセンターで働いていた時期、彼は得意になりながら年上の人々が働くITヘルプデスクの前をわざと通り、彼らがアクセスできない重要な機密情報が眠る区画まで歩いて行ったと書いている。

「ぼくはヘルプデスクの連中より何十歳も若かったし、彼らにはアクセス権がなく、今後も決してアクセスできないようなヴォールトにむかっていたのだ」

次に語られるのは、パイナップル畑の下の、冷戦時代の巨大トンネル内に位置するNSAハワイオフィスでの、最後のポジションについてである。「いまやぼくは情報共有局の唯一の従業員だ──つまりはぼくが情報共有局そのものということだ──だからまさに、どんな共有可能な情報があるかを知るのが仕事だった」

スノーデンはわたしたちと一緒にレジュメに目を通し、「ただのシスアド」という攻撃を笑い飛ばした。「ただのシスアドなんて存在しません。シスアドというのは、いつでもネットワーク全体で最強の人間なんです」

丸裸で生きていくことを強いられてきた

NSAにおけるキャリアの早い段階でスノーデンは、情報網に入り込む権限を利用して、中国の監視とインターネットコントロールに関する防諜活動情報を整理するように命じられた。これが、米国のインターネット監視システムとどの程度似ているのかについて考え始めた瞬間だった。

しかし、彼には「ITシャーマン」とデータ分散のエキスパートというメインの役割があったため、スノーデンは日常的な監視活動にほとんど参加することなく、外部観察者という信念に基づいた姿勢を保っていた。NSAの監視に関して最大限のアクセスをもちながら、他者に追及させないという最小限の共犯性だ。

『スノーデン 独白』では、スノーデンの関心の的と人生を変えた「雇用主(NSA)をデジタルに骨抜きする」という決断の理由が、何か特定の権力濫用ではないことも明らかにされている(ただし、彼は本のなかで、組織内における「LOVEINT」の例を大量に挙げた。LOVEINTとは、スタッフが恋愛や過去の恋人関係に絡んだスパイ活動をすることだ)。

むしろスノーデンは、パノプティコン(全展望型の大量監視システム)になりうるシステムの構築を告発の理由に挙げた。彼はこのシステムを「ターンキー・ティラニー(看守専制)」と呼ぶ。それは、すべての人のすべての事柄を記録するためのあらゆるツールが揃っていて、権力をもつ者の気まぐれで個人の私生活が暴かれるのシステムだ。

それこそ、スノーデンが自らの人生を捧げてまで暴きたかったことである。「システムの構築自体が権力の濫用です。わたしたちは権力を前にして、丸裸で生きていくことを強いられてきたのです」と彼は話す。

トランプ政権下の冷酷な移民政策を強化するために、税関・国境警備局や移民・関税執行局のような組織が、監視の範囲を広げている。このような人権侵害の例は、大規模な変化の兆候にすぎないとスノーデンは言う。「ドナルド・トランプが問題なのではなく、問題がトランプを生み出したのです」

監視がゆるく、匿名であり、無秩序だったインターネット時代に対する彼のノスタルジアは、もちろんネット荒らしや「言論の自由」を求めるオルタナ右翼など、トランプの登場を背景にしたオンライン上の勢力の台頭を説明するものではない。

しかし、「言論の自由」という点に関しては、スノーデンは「合衆国修正憲法第1条」の絶対主義者だ。「言論の自由自体は、自由な社会への入場料です。最悪の人間に対する最高の対応は、相手を恐れることではなく正していくことであり、沈黙ではなく挑戦することです」と彼は言う。

ハワイから香港、そしてモスクワへ

スノーデンの生い立ちや暴露に至る動機はさておき、『スノーデン 独白』の最終章では、リークに至る過程が詳細に述べられている。

デジタルトラックを隠すために、ハワイ周辺で脆弱なWi-FiネットワークにノートPCから侵入した「ウォードライブ」[編註:自動車などで移動しながら無線LANのアクセスポイント(AP)を探す行為]から、ハワイ、香港、モスクワへの逃亡までが語られる。

さらに、これまで過小評価されていた、ウィキリークスのサラ・ハリソンの、スノーデンの支援者としての役割についても新たな記述がなされている。クライマックスは、ロシア連邦保安庁担当官とモスクワ空港で会話する緊張の場面だ。

担当官は最善を尽くし、すみやかに彼をロシアの情報財産として受け入れようと提案する。だがスノーデンは、その話し合いの内容が秘密裏に録音され、意にそぐわないかたちで編集・転用されることを避けるために、担当官の話をさえぎって早々に提案を拒否したという。

スノーデンは、それ以前にロシア情報部と何らかの接触があったかについては、きっぱりと否定している。結局のところ彼は、NSAの機密文書をロシアには1枚も持ち込んでいなかった。

「頭の中の知識だけが、わたしがもっているもののすべてでした。しかも、それをロシア側に差し出す気もなかったんです」と、彼は言う。スノーデンは自分が生きていること自体、つまりロシアから米国ではなく、逆にプーチンのロシアに亡命せざるをえなかった米国人の人権活動家として存在すること自体が、米国にとって屈辱であり、クレムリンはそれだけで満足していると考えている。

人生はいつも、モニターのなかに

スノーデンには、ハワイを離れてから長期間にわたって生き残るための計画がなかった。

告発者となった動機に関する訴訟上の防御権が保障されるなら、裁判所に出頭するために帰国する覚悟があるとも繰り返し述べている。しかし、それはいつでも帰国できるという意味ではない。スノーデンには、スパイ活動法違反の嫌疑がかけられている。最重要の情報をジャーナリストにリークしたことは、外国政府に秘密を売ったことと何ら違いがないとされているのだ。

一方、トランプとプーチンの友好関係から、外交上の「プレゼント」として米国への帰国がありえるともたびたび取り沙汰されている。この可能性についてスノーデンは、どうにもならない運命の要素として自分では考えないようにしている。

スノーデンは、残りの人生をロシアで過ごさなければならないのなら、それでも仕方がないと話す。いまは、モスクワで結婚した妻のリンジィとアパートで暮らしている。ハワイやメリーランドでよく食べていた米国のファストフードも、モスクワで同じように食べられる。報道の自由財団(Freedom of the Press Foundation)の理事も務めている。

現在の彼は、同僚のパソコンのモニターや会議用システムロボットにだけ姿を見せながら、ジャーナリストのためのデジタルセキュリティ改善ツールを構築する計画を牽引しているところだ。

スノーデンが自らを「家猫」と呼ぶように、彼はどこで暮らすことになろうとオンラインの世界の存在として生き続ける。「わたしの人生はいつも、パソコンのモニターを媒介にしています。それをニューヨークやベルリン、モスクワで観ることに、何の違いがあるのでしょうか? どれも同じインターネットなのです」とスノーデンは語った。

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