NYでも指折りのローファーム、トップは黒人女性
結婚前のメーガン妃がメインキャストで出演していることでも話題だった米ドラマ「SUITS」が東京人の私にとって面白かった要因の一つは、日本が思想的な面で追いかけがちな米国でも、嫌われる差別と嫌われない差別があるいというのがよく描かれていて、その様相が日本人の好き嫌いとはまた別の構造に基づいているからだ。
NYの超敏腕かつ超金持ちかつ白人イケメンの企業弁護士と、その弁護士に気に入られて弁護士資格がないのに弁護士として働くことになる天才的頭脳の不良白人イケメンのコンビが、数多の危機を乗り越えながら絆を深めていく同作のメインキャストたちは、NYでも指折り、「ハーバードロースクール卒限定」のローファームに勤めている。
主演二人の他に、同ファームのトップである黒人女性弁護士、イケメン弁護士をライバル視するユダヤ系ブサイク弁護士、超敏腕弁護士が心から頼りにする世話役秘書、父が有名弁護士で自分にもその実力があると信じるパラリーガル(←ちなみにこれのキャストがアフリカ系の血を引くメーガン妃)。
トップが黒人女性なのはいかにも今の米国らしいところで、米国留学経験者だったり帰国子女だったりする日本の女性が「米国では企業の役員にどんどん女性が採用されている」「米国では性別人種の区別なく実力が評価される企業こそ成功する」という発言をするときに想定するのが、このあたりの側面でもある。
実際ドラマの中で彼女が発する台詞を参照しても、「(自分の前のファームのトップは)私がオフィスに入るときにお尻を触ってきたり、黒人であることを指摘してきたり、1950年代に生きているかのような下等な人間だった」とか、「前の経営陣の中に、黒人女性の私を実力ではなくファームの多様性をアピールするために採用したと言うようなヤツもいた」とか、実力のあるエリートが人種や性別によって差別されることのナンセンスさを強調する場面は多い。
実際に統計を見ると、トップが女性の米国企業は今でも5%程度と言われていて、役員などでの女性活躍は欧州企業の方が目覚ましく顕著ではあるものの、米国でも一部の州で企業のクオータ制採用が可決されたり、投資家団体が企業役員の女性比率を30%に引き上げる働きかけをしたりと、男女格差の是正に取り組んではいる。さらに人種問題は、かねてから多様性と自由を売り物にしたい米国のお家芸的取り組みだし、日本よりも差別撤廃に熱心であるというのは納得できる事柄ではある。
というか米国エリートは元が白人男性天下なので、本気でやらないと二重にも三重にも偏重が大きいという事情がある。そもそも禁酒運動の盛り上がりで禁酒法とか作っちゃう極端な国民性が、アファーマティブアクションやセクハラ運動など副作用やむなしの極端な荒治療を良しとしている側面も絶対ある。
エリート主義を無自覚に忌み嫌う日本人
さてこの大ヒットTVシリーズでは、そういった米国の一側面がわかりやすく提示される反面、日本では非常に嫌われそうな側面も描かれる。
主人公の敏腕イケメン弁護士の秘書を長らく務めるいわゆるパラリーガルの女性は、元は女優志望で大学では演劇を学んでいた非エリートなのだが、人の性格や気持ちの変化を外見の細かな点から読む天才で、秘書業務もミスなく人の何倍も迅速にこなす。その実力を見抜いているイケメン弁護士によって高給が保証されてはいるけれど、歳をとるにつれ、所詮秘書でありサポート役である自分の立ち位置に悩み出し、IT部のSEと組んで商品開発を目論んだり、長年の功績を評価してファームのパートナーに加えてくれと直談判したりと肩書きにこだわりだす。
しかし「弁護士でもないのにローファームのパートナーにできるわけない」「自分の立場は若い弁護士アソシエートより下だと自覚しろ」と言われ、裏で「パラリーガルなんかが開発した商品なんて真面目に見るわけない」と噂されているのを聞いてしまうなど自尊心はいちいちすり減る。
もう一人のパラリーガルであるメーガン妃も、自分の職業には満足はしていないのだけど、試験恐怖症でロースクールの試験を受けられず、敏腕だけど強引な父への反発もあり、ライバル社である現在のファームに秘書として勤めている。資格なしのなんちゃって弁護士のサポートなどしているうちに、なんやかんやあって試験恐怖症を克服して優秀な成績でロースクールに入り(でもハーバードは落ちてコロンビア)、後には弁護士になるのだけど、秘書時代には富豪の御曹司と不倫し、その妻に「よりによってローファームのパラリーガルなんかと関係するなんて!」と罵られ、やはり自尊心がすり減る。
この他にも実力のない弁護士が集まりがちな法律相談所が出てきたり、刑務所でもホワイトカラー専用の方がまだいいという描写があったり、敵の悪者として登場するのは大体白人の投資家か白人の検事だったりと色々ツッコミどころがあるのだけど、要は米国では、性別や人種のせいで真に学歴も実力も実績もある者が地位を手に入れられない、というような事態は非常に忌み嫌われる反面、エリートと非エリートや学歴・職業などによる区別や、パートナーと平社員などキャリアによる区別は、当然かつ自明のものとして受け入れられているのが、両者をごっちゃに混ぜ込みがちな日本の現状と比較すると面白いのだ。
古くはハリソン・フォードの「ワーキング・ガール」やリチャード・ギアの「プリティ・ウーマン」などで描かれたその分断は、多少はオシャレになりつつ今もそれほど変わらない。英国のクラスカルチャーともまた違うそのエリート主義は、若干の拝金主義と相まって米国のキャラクターを作っている。
そして日本で割と無自覚に、しかし顕著に嫌われるのはそういったエリート主義だったり、キャリアによる立場の分断だったりする。そもそも学校で成績に順位をつけたり、優秀な学生を特別扱いしたりするのを何より嫌う日本では、なんなら性別や人種など生まれ落ちたときにほぼついている色の差異よりも、実力や試験の成績による差異を「依怙贔屓(えこひいき)」なんて呼んで大いに嫌う傾向があるのだ。
しかしその不快を語る言葉を独自に樹立するほど自覚的ではないので、女性差別や親の収入による差別などと米国風の言葉を使って抗議されるところがややこしいのだ。今年の流行語にも入っている、女性によるハイヒール強要反対の運動も、性別の差による扱いの違いというよりも、専門職やエリートにはある程度自由が保障されるのに対して、非エリートは服装規定を押し付けられがちなことへの抗議という側面が大きい気がする。それを「女性差別」の大きな括りの中で語ろうとするから、好きでヒールを履いて何が悪いというような見当違いな分断が起きやすい。服装規定が別にない医者・弁護士や専門職の女性にとっては、ピンヒールなど趣味で履いたり履かなかったりするものだからだ。
「職業に貴賤なし」論者の琴線に触れる
最近、朝日新聞系のウェブサイト「かがみよかがみ」に掲載された上野千鶴子氏インタビューの一部が切り取られて、ツイッターなどで反発を呼んでいる。女性の大学生や若い社会人が上野氏に疑問や悩みをぶつける形で進められるその連載インタビューで、反発が大きかったのはセックスに関するテーマの回。一部で非常に嫌われたのは以下の部分らしいので、そのまま引用するとこんな感じである。
私がセックスワークや少女売春になぜ賛成できないかというと、「そのセックス、やってて楽しいの? あなたにとって何なの?」って思っちゃうからなのよ。自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う。自分を粗末に扱わない男を選んでほしい、だってそっちの方が絶対セックスのクオリティが高いもん。
(かがみよかがみ 2019年11月20日)
で、この「肉体と精神をどぶに捨てる」辺りがセックスワーカーたちを初めとして、「職業に貴賎なし」論者たちの琴線に触れ、セックスワーカーのプロ意識や職業倫理を軽視する発言として反発を呼んだのだと見られる。
書いたものではなく話し言葉にありがちなアラをせせこましく言えば、お金がもらえるからどぶに捨てるというよりは、行き場のない精神と肉体を市場で競りにかけるとかの方が正確な感じがする。それに女を粗末に扱うのは何も風俗の客だけではなく、さらに言うとセックスワークでもAV嬢を相手にするプロの男優の場合、女の身体への気遣いは素人男性より数倍良いのだけど、そんなことは結構どうでも良い上に、みんなが引っかかっているのはそういったところではない。
インタビュー全体を読むと主体的かつ愛のあるセックスを過信するようなところがあって、別にセックスにこだわりも哲学も愛もない私としてはイマイチ共感しないところも多い(AVのセックスが楽しいかというと微妙だけどそれ以外のプライベートなセックスが楽しいかというとあまりに好きな人とのセックスは幸せという意味で楽しいっちゃ楽しいけど変な顔したくないし変な声出したくないし相手の体臭とかで幻滅したくないから気を遣って楽しくないっちゃ楽しくない。好きじゃない人とのセックスに精神的な楽しさはないけど心置きなく変な格好ができるので肉体的には楽しいっちゃ楽しい)。
ただ、この切り取られた発言に私が別にそこまで反発も違和感も覚えない理由と、今の日本の気運的に嫌われそうな理由が重なる点があるとすれば、上野氏が別に売春に限らず、OLに「そのコピー取り楽しいの?」と言いそうというか、サラリーマンに「時間と労力をどぶに捨てるようなもの」と言いそうというか、ゲームオタクに「生きてて楽しいの」とか言いそうなところだ。
まずそこに、知性とキャリアによって自ら選び取る職でも、惰性で選ぶような職でも区別すべきではないというような、日本らしい反発がある。いかにも、弁護士もパラリーガルも同じ人、とか、医者と売春婦に上下なし、とかいう思想が好きそうな国民らしい。
さらには、サラリーマンならそう言われても、まぁ確かにそんな側面はあるよな、と軽く流しそうなところを、過敏に反応するセックスワーカー系論者の自意識過剰がある。要は売春をめぐる言論に対し、自分の仕事は過小評価・蔑視されている、自分の仕事の尊さは社会に理解されておらず自分にしかわからない、という強い思い込みで反応しがちなところがあるのだ。
神職など特殊な職業は知らないけど、大体の仕事はそこそこ楽しいしそこそこくだらないので、くだらなさを指摘されてムキになることも別にないとは思うのだけど、意識高い系セックスワーカーおよび意識高い系セックスワーカーに感化されやすい安易な論者は、その辺り過敏である。
別に私も、キャリアの長い女王様やらベテランAV嬢やらセックスワーカー団体などで発言するハッピー・トゥー・ビー・セックスワーカーのプロ意識やら細かい技術の熟練やらに疑いはないのだけど、日本の、過剰とも思える数の風俗嬢やらAV嬢やら全体の中で、そういった意識高い系セックスワーカーの割合なんていうのは超微々たるもので、大体はホスト狂いやパパ活嬢など、バリキャリになって高収入を得るような年齢まで待てないかそもそもその素養のない女の子たちが、仕事内容自体には全く興味はないけどそこまで嫌悪感もなく、税務申告の必要のない高額の現金が欲しくてやっている数が圧倒的に多い。
ホスト狂いたちが集う掲示板サイトのホスラブなどでは「オヤジのキンタマ泣きながら舐めてこっちがお金作ってる間に他の女とヤってた」みたいな愚痴満載だし、多くの非エリート系職業においてそこにプライドを持っている人というのは大体少数だという認識があるので、一部のセックスワーカーに限って美学とプロ意識を語られても周囲は若干ついていけないのだ。
人が大事にしているものを「どぶに捨てる」快楽
こういう、日本的なキャリアの別なく平等が好き、という好みと、過剰に風俗産業が発達した日本の現状が、いかにも混ざり合っておかしな盛り上がりを見せたという点で、発言への反発は面白かった。
もう一つ、上野氏は過去の著作やインタビューでは「どぶに捨てる」なんていうよりもっときつめの言葉でロリコン男性やらオヤジやらを切り捨てているのだけど、男たちは上野氏にディスられても今回噛みついた女たちほど噛みつかなかったよな、と思うと、そこも私としてはクスリと面白いところだった。
今の時代クレーマー的に噛みつくのは圧倒的に女性が多いことや、上野論文を読むのは男の中でもマッチョイズムが苦手な文化系男子が多いことが主な理由だろうけど、なんというか男の方が権威が好きで権威に怖気づくところも透けて見える。東大の先生に弱いのだ。
ここから余談だが、ちなみに過敏に反応せずに、どぶに捨てる発言を考えると、確かに売春というのは若く美しい肉体を安値でバンバン消費させることでどぶに捨てるようなところがあるのだけど、そこが売春の楽しさだという一面もある。
多くの、私のような意識高くない系売春経験者は、別に具体的な仕事内容、つまりはセックスおよびそれに準ずる行為自体に面白味は感じていないのだけど、人が後生大事にしているようなものをバンバン捨てる行為は、ある種の高揚につながる場合がある。それはお金がどぶみたいな穴にどんどん吸い込まれていくのを目の前で見ているパチンコの楽しさや、専門と関係のない馬鹿みたいな文章を書いて知性をどぶに捨てるような真似をする楽しさと似たところがある。
自分の記憶にそういう楽しさがあることは間違いないが、私が売春を素晴らしい労働として推奨する気にならないのは単に、お金に換算されるのが実力やキャリアよりも若さだという売春業界においては、ただでさえ憂鬱な年をとるという行為が他の仕事の2倍も3倍も憂鬱になるというのが一点。それから風俗嬢やAV嬢は職業について誰かしらに嘘をつく機会が多く、嘘というのは弱みになるから脅しの対象になるのが一点。論旨と離れるから詳しく言わないけど、その他諸々過去の経歴として後々に傷つくことが多いのが一点。別にセックスが楽しくないからではない
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夜のオネエサンが帰ってきた! 実は超文化系女子でもある鈴木涼美さんが、映画やドラマ、本など、旬のエンタメを糸口に、半径1メートル圏内の恋愛・仕事話から、世間を騒がしているアノ話題まで、オフレコモードで語ります。
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