バッタもん日記

人生は短い。働いている暇はない。知識と駄洒落と下ネタこそ我が人生。

ちきりん氏のお粗末な科学教育論

1.はじめに

私はちきりん氏という人物に全く興味がありません。せいぜい、「安っぽい人生訓を勿体ぶって切り売りしているだけの三文自己啓発」という程度の理解しかしていません。
そのちきりん氏がブログで科学教育について何やら語っていました。
下から7割の人のための理科&算数教育(Chikirinの日記)
これを読んで大いに呆れたので、批判してみたいと思います。

2.子供の可能性を狭めるな

ちきりん氏は自身の経験に基づき以下のように理科教育を語っています。

あたしに理科とか数学とか教えるの、ほんとーに時間の無駄!

義務教育である、小学校、中学校、それに事実上の義務教育である高校をあわせた 12年間の理科教育のうち、私に必要だったのは小学校レベルの理科だけであって、中学・高校で、化学、物理、生物、地学などを学ぶ必要は全くなかったと思います。

算数に関しても、中学校1年までに学んだことで十分で、中学校の後半以降、算数&数学の授業を受けてなくても、これまでの人生において、たぶん何の問題もありませんでした。

今、教えられている内容を前提とすれば、数学や理科に関しては、全体の 3割程度の生徒が学べばよい(ちきりんを含め、下から 7割の人は学ぶ必要がない)と思ってます。

「技術立国のために科学教育が大事」とかいうけど、あたしにいくら科学教育を与えても、技術立国には一歩たりとも近づきません。

興味も能力もない人に、理科や算数を 12年間も教え続ける必要はありません。

清々しいまでの視野狭窄ですね。ちきりん氏は現在の人生において、中学校以降に教わった数学や理科が全く役に立っていないと固く信じているようですが、これは成人後に過去を振り返っているからこそ言えることです。後付けに過ぎません。子供の将来など誰にもわかりません。いつどこで何が役に立つかわからないからこそ、子供の内から色々なことを学校で学ぶ必要があるのです。義務教育の間は取りあえず一通り何でもやってみてから向き不向きを判断すべきかと思います。
子供は常に変化し続ける生き物です。大きく変化(成長)するからこそ子供なのです。今科学に興味がないからと言って、一生科学に興味がないままだと断定することはできません。子供の適性など誰にもわかりません。「どうせ理解できないから理科教育は必要最低限でいい」などと称して子供の可能性を狭めることはあってはならないことです。人生の選択肢を減らしてはいけません。さらに、向上心や努力の否定にもつながりかねません。

子供だけでなく大人だって成長できます。
余談ですが、私の母方の祖父は耄碌してもインテリ気取りでした。80歳を超えても雑誌に寄稿したりしていました。私はそんな祖父を尊敬しています。
また、私は仕事で農学者との付き合いが多いのですが、老大家の知的好奇心の強さにはいつも驚かされます。
人間は何歳になろうとも学び、成長できます。「自分の人生で科学は役に立たなかった」などと豪語してしまうのはいかがなものでしょうかね。今からでも科学を学んでみればどうなのよ。
タイトルに「下から7割の人のための」という表現を用いているあたり、ちきりん氏は「分相応」「身の程を知る」ということを言いたいのかも知れませんが、結局は単なる食わず嫌いのような気がします。自身も努力して数学や理科に取り組んでいれば違う人生があったかも知れないのに。

3.科学は知識の寄せ集めではなく考えることである

ちきりん氏は理科教育の具体的な内容について提案があるようです。

今教えられてる内容に替えて(=その時間を使って)「生活するために必要な科学知識」を教えてほしいです。

「生活するために必要な科学知識」の例として挙げられている項目を抜粋してみると、

・リボ払いを選んだ場合の利子の額
・大半の人が選んでしまう住宅ローンの“元利均等払い”の恐ろしさ
・命にかかわる病気になった時、治療方法をどう選べばよいのか
・妊娠のメカニズムと、不妊治療やその限界など
・トイレ掃除のとき、何と何の洗剤を一緒に使うと危ないのか
放射能が怖いんだけど、ラジウム温泉でダイエットするのは大丈夫?

さらに、次のような余計なひと言も付記しています。

みたいなことを(カエルの解剖をする代わりに)教えてほしい。

などを(リトマス紙で遊ぶ時間の代わりに)教えてください。

借金額の計算をするには高校レベルの数学理論を理解している必要があります。
例えば糖尿病の治療法を考えるには、すい臓を中心としたホルモンによる血糖値の制御機構を理解する必要があります。そのためには、高校レベルの生物を履修するのがよさそうです。その切っ掛けとして「カエルの解剖」は良さそうですね。自分の目で内臓を見ることは大事です。
妊娠のメカニズムを理解するには、高校の生物の発生を学ぶべきです。さらに恒常性についても学ぶと理解が深まることでしょう。
塩素系洗剤と酸性洗剤を混ぜたら塩素ガスが発生して危険だということを理解するには、高校レベルの化学を習得している必要があります。その際には「リトマス紙で遊ぶ」という経験は大きな意味を持ちます。
放射能の問題を理解するには高校レベルの化学・物理学を習得している必要があります。

ちきりん氏の言う「生活するために必要な科学知識」とは一体どのようなものなのでしょうか。「理屈を教えずに結論の知識だけ教えろ」ということでしょうか。それを世間では「付け焼刃」「張りぼて」「見せ掛け」と言います。「生活するために必要な科学知識」を習得する上での一番の近道は普通に理科を勉強することだと思います。

さらに怪しい物言いは続きます。

科学的な思考とは何か、ということはしっかりと教えた方がいいと思います。

技術そのものというより、技術や科学について、学んでおきたかったと思えることはたくさんあるんです。

換言すれば、「全員に与えるべきは、技術者や研究者になるための専門教育ではなく、生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」だってことです。

台形の面積の計算方法なんて、「台形 面積 計算方法」でググればすぐに見つかるんです。“全員が”なぜそういう計算方法になるのか、までを理解する必要があるとは思えません。

簡単な方程式は、表計算ソフトで収支管理プログラムを作ったり、税金を計算したりするプロセスの一環として、教えてもらえれば十分です。

「科学」や「科学的思考法」は様々な定義が考えられると思いますが、「なぜ」「どのように」を考えることが候補として挙げられると思います。
台形の面積の計算方法を理解していない、理解しようとしない人間が「収支管理プログラムを作ったり、税金を計算したりする」ことなどできるのでしょうか。私は学生時代にSAS(Statistical Analysis System)という統計ソフトをほんの少しだけ使ったことがあります。その際には、自分でプログラムを書いてコンピュータに計算させる必要がありました。「なぜ」「どのように」を考えないと、プログラムなど全く書けはしません。
「台形の面積の計算方法を教えること」は「数学的思考法を育てること」の一環だと理解できないのでしょうか。数学的思考法は、例え数学とは無縁の人生を送っていても何かと必要になる能力ですがね。

思考過程を重視しない教育により培われる「科学的な思考」や「科学リテラシー」とは一体どのような能力なのでしょうか。

「インターネットで検索すればすぐわかるから学校で教える必要はない」とは、あまりに浅薄な言い草です。この理屈に従うと、学校で教えるべきことは何もありません。現在のインターネットでは、あらゆる分野の専門家が高度な知識を提供してくれていますので。もし「Wikipediaがあるから勉強する必要はない」と言われたらちきりん氏はどう反論するのでしょうか。

4.おわりに

おそらくちきりん氏にとって科学とは、「何だかよくわからないし自分には関係ないけど便利そうな道具」に過ぎないのでしょう。「科学的な思考」とか「科学リテラシー」と言いつつ、その具体的な内容にほとんど触れない辺りにそれが如実に表れています。そもそもこんな記事を書いている時点で、ちきりん氏本人に「科学的な思考」や「科学リテラシー」がないことは明らかです。

繰り返しになりますが、科学の基本は考えることです。考える訓練を受けずに上っ面の知識だけを身に付けることはいささか危険です。なぜならば、子供の内に科学的な思考法を身に付けていないと、知識が正しいのかどうか自分で判断することができないからです。中学高校時代に理科を勉強しないまま大人になり、トンデモ本を読んで疑似科学に傾倒してしまった厄介な方々の多いこと多いこと。
ちきりん氏の言うように理科教育の内容を大幅に削減して実学志向を強めれば、日本は今以上に疑似科学天国になるでしょうね。理論軽視と実学志向は疑似科学の大きな特徴ですから。
上に述べたように、「生活者として自己決定ができ、健全に安全に生きていけるようになるための科学リテラシー」を身に付ける最も効率のいい方法は、普通に中学高校で理科を学ぶことです。ちきりん氏の科学教育に対する見解は全く中身がありません。

科学を愛する者、科学に生涯を捧げた者が古今東西多数いることを知らないわけでもなかろうに、科学に対する冒涜と取られかねないような表現を用いるのは、売文屋、自己啓発屋として作戦ミスだと思います。いわゆる「炎上商法」「釣り」のつもりなのかも知れませんが。

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  • id:kazusheva

    中学より高校の数学の方が面白かったが、中学の時点で自分は数学が不得手だということは自覚していた。そのため知ってても損は無いけど、他にもっと学びたいことがあるという状態だった。 人文が苦手な友人もまた歴史・言語系の授業の必要性を疑問視していた。

  • 日本人とフランス人 (id:Rlee1984)

    「トレードオフ」を理解していないアホ記事。
    子供の可能性は無限だけど、義務教育で扱える内容は有限。
    だから、比較論が重要。

    「これも将来の有用可能性がある」では反論になってない。
    「両者の将来の有用確率の対比」で反論するべき。

    理論と実学の分類も甘い。

    たとえば「社会」という科目では近年、
    「通史」や「全体地理」よりも、
    「個別テーマ」に応じた掘り下げ方の学習スタイルを重視するようになった。

    全体総論は、
    「広く浅くを記憶させる」ことに力点が行きがちで、
    「狭く深く理論的な洞察を得る」ことが疎かになりがちだったとの反省からだ。

    算数の話で言おう。
    「(上底+下底)×高さ÷2」を暗記し、身体に染み込ませるために計算練習を何時間も繰り返す意味がどこにあるのか。多くの小学生の実態を知っているのか? 

    僕は塾で小学生に算数を教えた経験がある。塾に来れない、義務教育だけを受けるしかない子の学習レベルも知っている。学校のテストを何度も見ているし、その平均点も知っているからだ。
    断言する。台形公式から「意味・理論的背景」を理解し、数学的思考法を学んだ子など、全体の5割にも満たない。(ちきりん氏の3割という感覚が合っているかどうかは知らないが、そう外しているとは思わない)

    そんな、公式暗記させることが実態化している部分を「理論重視」と言えるのか? 

    実際の教室で、多くの生徒がどう学習しているかの実態も知らずに、「旧帝の大学院まで行けたレベルの自分」を基準に、教育の全体論を語るのはやめて頂きたい。

    そうした自分基準の押し付けこそが、この世界で暮らしていく普通の子にとっての害悪に他ならない。

    「はてな」には、知的な理系ユーザーが多いから、この記事のブコメには賛同が多く付くだろう。ヒトは自分を基準に考えたがるものだから…実際の現場を知らない限りは。他者の現実を目にしない限りは。

    それを狙っているのだとしたら、本当に醜悪だ。

  • たけじん (id:takejin)

    その通りですね。科学リテラシーという言葉を、理解せずに使う恐ろしさを知らないことこそ「科学リテラシー」問題の根幹だと思うのですが。

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