Health

タンポン使用の弊害 片脚を失った女性モデル

アメリカ人女性モデル、ローレン・ワッサーは不幸にも、タンポン使用が引き起こしたトキシック・ショック症候群で右脚膝下を失った。何が原因で、彼女の身体に何が起きたのか。そして、彼女は失意のどん底からどのように這い上がったのか。

by Tori Telfer
11 September 2015, 4:00am

Foto b Jennifer Rovero/ Camraface

ローレン・ワッサーの人生は、24歳で激変した。 両親はモデル、180cmの長身、ブロンド、青い瞳は、オランダのファッション・モデル、ララ・ストーンへのサンタモニカからの中性的な返答だ。 彼女はモデルを目指すため、全米大学体育協会によるバスケットボール第一部リーグ「Division 1」に属する大学進学目的の奨学金を諦めたほどだ。幸運にも、生後2ヶ月で、母親とともにイタリアのVogueにモデルとして掲載され、そのキャリアはスタートした。 モデルの仕事以外に、彼女は即興劇の基礎を学び、バスケットボールを楽しみ、毎日48kmの距離を自転車で通学していた。 彼女は、サンタモニカのアパートで暮らし、ロサンゼルスのきらびやかな景色にもすっかり溶け込んでいた。

「見た目が全てでした」とローレン「私はそんな女の子だったし、それについて考えたことすらもありませんでした」。とはいえ、彼女には多くの友人がおり、数週間後、セント・ジョンズ・ヘルスセンターで昏睡状態の彼女に、最後の別れを、と集まった友人は、病院を取り囲んでしまうほどの数であった。

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2012年10月3日、ローレン・ワッサーは体調の不良を感じていた。インフルエンザに罹患したかのような症状だった。 生理中ということもあり、お気に入りのタンポン・ブランド「コテックス・ナチュラル・バランス」を求めて、スーパーマーケット・チェーンのラルフスに足を運んだ。

お気に入りの生理用品が体調不良と関わっているなど、ローレンは夢にも思わなかった。 何しろ彼女は、11年間生理現象と付き合っていたので、「コテックス」の使用は、取るに足らない習慣でしかなかった。 ほとんどの女の子と同じように彼女が初潮を迎えると、母親は、タンポンの使い方を教えてくれた。アプリケーターの使用法はもちろん、3~4時間ごとにタンポンを交換すべきことも。 その日、簡単なルールに従い、ローレンはタンポンを朝、午後、夕方に交換した。

夜遅く、彼女はメルローズ・アベニューのthe Darkroomで行われていた友人の誕生日パーティーに顔を出した。「元気なフリをしたつもりです」とはいえ、その時点で、立っているのがやっとだった。「みんなに、具合がわるいのか、と心配されました」。彼女は車でサンタモニカに戻り、服を全部脱ぎ、ベッドに潜り込んだ。 とにかく眠りたかった。

ベッドに入ってから、どれくらいの日時を経たか、ローレンの記憶は定かでないが、威嚇するように吠え立てる盲目のコッカー・スパニエルを胸に抱きながら目覚めると、 ドアを激しくノックする音と「警察だ!警察だ!」という叫びが聞こえた。ローレンは体をひきずりながらも、なんとかドアを開けると、警官が室内を調べるために入ってきた。 ローレンからの連絡がないことを心配した彼女の母が、娘のチェックを警察に依頼していたのだ。

「私は犬を散歩にも連れて行けなかったので、犬の排泄物が部屋中いたるところに散らばっていました」と彼女は振り返る。 どのくらいベッドにいたのかも定かでないし、それが昼か夜かすら思い出せない。 警察はその状況を目にして、彼女に、母親に連絡するよう伝えて立ち去った。

ローレンはやっとのおもいで、ほとんど空の冷蔵庫から、わずかばかりの人参を犬に与え、母親に連絡をした。母親は救急車を呼ぶか否かをローレンに尋ねたが、彼女は体調不良のあまり、その判断すらできなかった。私は「ベッドに入りたいから、朝になったらまた電話する」と母親に伝えました。それ以降、記憶はありません」。翌日、母親はローレンの友人に、警官とローレンの様子を見に行くよう頼んだ。 彼らは、ローレンが寝室の床にうつぶせになっているところを発見した。

42°近くの発熱で、彼女はセント・ジョーンズに搬送された。 臓器不全に陥り、深刻な心臓発作に見舞われいたので、あと10分でも遅ければ命を落としていた。 感染症の専門医を呼ぶまで、彼女の身に何が起こっているのか、担当医にはわからなかったので、応急処置もなされなかった。専門医はすぐさま「患者はタンポンを使用していますか?」と質問した。彼女は使用しており、それを検査にまわすと、トキシック・ショック症候群の陽性反応が出た。

1978年に名付けられたトキシック・ショック症候群(以下TSS)は、細菌感染による敗血症で、一般に約20%の人がその細菌を保持しているといわれる、黄色ブドウ球菌が生産する毒素によって引き起こされる。 女性だけに起こる症状ではないが、タンポン使用と発症には浅からぬ関係があるようだ。発症者はタンポン使用以前に、黄色ブドウ球菌を体内に保持しているので、一概にタンポンが原因とはいえないものの、1980年代に急増したTSS関連死の一因であることは疑いない。

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タンポンとその類いの生理用品は、何世紀ものあいだ女性に利用され続けている。しかし、ここ50年ほどで、Playtex、Tampax、Kotex、などのタンポンを扱う大企業はタンポンを、綿のような天然素材でなく、レーヨン、ナイロンなどの化学繊維で製造するようになった。 合成繊維はタンポンの吸収性を促進させたが、同時に、黄色ブドウ球菌が繁殖しやすい環境を生み出してしまった。 プロクター&ギャンプル社が80年代に「Rely」という強力吸収タンポンを発売すると、それがきっかけで、TSS発症が劇的に増加し、多くの関連死が発生した。 『Yale Journal of Biology and Medicine(生物学と医学のエール・ジャーナル)』に発表された研究結果によると、「Rely」のタンポンに含まれているゲル化したカルボキシメチルセルロースは、細菌が繁殖しやすい粘性媒質になり、培養基の働きをしてしまうそうだ。

医師はローレンの母親に、彼女の死を覚悟し、祈るほかなす術がない、と事実を伝えた。 ローレンは治療のため、人工的昏睡状態となった。 そのニュースはFacebook上で広がり、友人や知人が彼女に別れを告げるべく、病院の周りで列をなした。

Photo by Flickr user Brad Cerenzia

「ローレンに祈りを捧げる」というFacebookの投稿、入れ替わり立ち替わり心配して病室を訪れた友人たち、長いブロンドヘアーが数日間でぼさぼさになり、剃り落とされてしまったこと、どれもローレンは覚えていない。彼女が覚えているのは、36kgもの液体が体に注入された状態で目覚め、混乱しながらも、テキサスにいる、とわかったことである。

「私のお腹は大きく膨れ、体の至る所からチューブが出ていました。 私は話すこともできませんでした」とローレンは話す。ベッドの隣には、彼女の血流から吸い出された、黒い毒素のチューブがあった。 彼女は病室から外を眺め、もうろうとしながらサウス・ウェストのことを思い出していた。 浮腫んだ体は自分のモノとはおもえなかった。「私は食事を過剰に与えられたのかと疑った」。彼女には「何が起こっているのか全くわからなかった」。

見当識障害よりもはるかに悪いことに、手足には灼熱感があり、何をしても治まらなかった。 感染により、壊疽してしまったのだ。 3年後、ロサンゼルスのコーヒーショップで彼女が語ったところによると、ローレンは、その時も当時の感覚をうまく説明できなかったそうだ。「今までに味わった何よりも耐えがたい苦痛で、どのように伝えたらよいかわかりません」。 高圧酸素療法のため、彼女はUCLAに救急搬送され、高圧治療装置で血液が足に流れるよう治療が施された。

ローレンが部屋でひとり、診察を待つ時間があった。 母親と代父は、少しのあいだ席を外し、彼女は大きな椅子に座っていた。その部屋にはカーテンがあり、カーテン越しに、女性が誰かと電話しているのが聞こえた。 女性は会話の中で、何事か緊急事態を相手に告げている様子だった。 「24歳の女性患者がいるんだけど、右の膝下を切断しなければならなそう」

「私のことだ、とわかりました」。彼女は確信した。「私は脚を失ってしまうんだ」

Photo by Jennifer Rovero/ Camraface

ローレンが病院にいる間、彼女の母親は「コテックス・ナチュラル・バランス」タンポンの製造および販売業者であるキンバリー・クラーク・コーポレーションと、それを販売した生活用品店の「クローガー」や「ラルフス」への大規模な訴訟を始めた。 コテックス・ブランドのタンポンは他の主要ブランドと比べ、TSSのリスクが必ずしも高いわけではないが、ローレンが使用していたブランドであったため、訴訟対象となった。最終的に弁護団は、合成素材をタンポンに使用するタンポン産業全体を相手取ろうとしている。 すべての被告はローレンのTSSによる入院に関して、何らかの点において怠慢、不誠実、軽率、不正、違法であり、責任がある、という具合だ。(キンバリー・クラークの担当者は、同社の方針により、訴訟に関するコメントを控えている)

ローレンの弁護士、ハンター・J・シュコルニック氏は、一般的に安全だと認識されている商品のカラクリを見つけるのに慣れている。 たとえば、発作を起こした「咳どめシロップ」の成分についての訴訟に対応した経験もある。「ローレンの件には衝撃を受けた、と驚いてみせたいのですが、そんなことはありません」と飽くまで冷静だ。「タンポンとTSSの関連が取りざたされて以来、タンポンは変化していません。タンポン・メーカーの対応といえば『トキシック・ショックを起こす可能性があります』とラベルに印刷するだけです。タンポンの素材は何十年も変わっていません」。食品医薬品局のチェックを怖れ、企業はただタンポンの箱の外側に注意書きを載せるだけだ、と説明してくれた。 彼はこのことを「(モノポリーの)刑務所釈放カード」と呼ぶ。

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80年代以来、タンポンのパッケージには、警告表示の掲載が義務になっている。しかし、シュコルニック氏は、ローレンのパッケージには、夜はタンポンを取り出さなければいけない、という点について特に明確な注意喚起を行っていなかった、と主張する。「夜中も含めタンポンを5時間から8時間毎に交換しましょう、と書いてありますが、これでは不明確だ、と家族は主張しています」。「夜中」を8時間以上と捉えることもできる。特に若い女性は週末9時間か10時間寝ることがよくある、という点を彼らは主張するつもりだ。「タンポン会社は『つけたまま眠らず、就寝中はナプキンを使用してください』と伝えるべきです」とシュコルニック氏は指摘する。

もちろん、ほとんどの女性はパッケージに掲載された、トキシック・ショック症候群についての注意書きを目にしている。タンポンを購入、使用するにも毎回深く考えはしないだろうが、漠然と以下のようなことが書いてあることも知っている。

タンポンの使用はトキシック・ショック症候群と関連があります。TSSが起こることはまれですが、死に至る深刻な病気です。 同封の説明書をよく読み、保管してください。8時間以上のご利用はお控え下さい

シュコルニック氏にとり、食品医薬品局の警告ラベルが、この事例において何よりも厄介だ。「訴訟の要は、パケージにある注意書きについてではありません。タンポンの安全性を約束する素材があるにもかかわらず、タンポン・メーカーは20年もの間その素材を使用していない。その事実こそ訴訟の焦点である、と陪審員に示すことです。 メーカーはこれらのタンポンを、実際は合成繊維で危険があるにも関わらず、天然素材使用を強調します。 彼らのマーケティングにより、若い女性は『あら、これは天然の綿でできたものなんだわ』と勘違いします。しかし、実際はナチュラルなものではなく、綿でもない。もし、天然であれば、トキシック・ショックの可能性はほとんどゼロです」

フィリップ・M・ティエルノ医師はNYU医学校の微生物学と病理学の教授で、タンポンとトキシック・ショック症候群の関係について独自研究を行っているが、綿の方が安全であるという主張に賛成している。「ほとんどの主力のタンポンメーカーはタンポンにビスコース・レーヨンと綿の混合繊維か、ビスコース・レーヨン単体を使用しています。もし黄色ブドウ球菌の毒素産生菌が通常の女性の膣内細菌叢の一部だとしたら、どちらのケースにおいても、タンポンは毒素性ショック症候群毒素-1(TSST-1)の発生に最適な物理化学的条件を提供することになります」と説明する。「トキシック・ショック症候群は、女性が毒素に対して抗体を持っていない、もしくは抗体が少ない場合でも発症します。 タンポンの合成繊維が問題です。綿100%のタンポンであれば、たとえリスクがあったとしても最低限で済みます」

Photo by Jennifer Rovero/ Camraface

ローレンは、右足の膝下を切断する手術の同意書へのサイン、という悪夢のような状況に直面した。「両足の壊死が始まっていましたから、早急に対処しなければならなかったんです」と彼女は言う。左足の踵とつま先もひどく傷んでおり、医師は左足の切断も考えたが、ローレンは左足を残すために闘った。「可能性は半々でした」「新生児の包皮移植を二度行い、奇跡的に私は脚を失わずにすんだのです。つま先はなくなりました。かかとは最終的につながりましたが、とても不安定な状態です。パッドの役割を果たす脂肪体も無くなってしまいました」

ローレンはまだ若く、損傷した足を治癒しようと、彼女の体はカルシウムを蓄えている。皮肉にも、蓄積量は損傷を受けてから著しく増加している。「ゴツゴツした岩の上を歩いているような状態なんです」と彼女は説明する。 彼女は頻繁にメンテナンス手術を受けており、3年後の今も痛みが残る。 医師は彼女に、50歳くらいになったらいずれ別の切断手術が必要になる恐れもある、と伝えている。

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「家に戻ると、死にたくなりました」「私はそんな女の子で、不意に足を無くし、車椅子に乗って、片足しかなくなって、バスルームに歩いていくこともできません。 ベッドにいて、動くことも出来ず、取り囲んでいる壁はまるで牢獄にいるようでした」。幻肢が起きることもあり、ベッドから飛び降りようとして、突然床に落ちたりもした。 彼女を自傷癖から救ってくれたのは、当時14歳の弟への思いだった。「弟が家に帰ってきて、私を見て、私が諦めていると感じてほしくなかった」

ローレンが新しい自分を受け入れるのには長い時間が必要だった。「私はシャワーを浴びながら小さな椅子に座ってよく泣いていました。外に車椅子をまたせたまま」。彼女は葛藤もした。「自分以外のみんなにいらだっていました。 何不自由無い人生を送り、『自分はアスリート』『私はかわいい女の子』だとか考えるのだろうけど、それは私にはコントロールできない、身体的な条件に関わることですから。自分が未だに価値のある人間か、魅力的か、腹を据えるのにしばらくかかりました」

そんなローレンに救いの手を差し伸べたのは、写真家のガールフレンド、ジェニファー・ロベロだった。彼女は治療の一環として、ローレンが回復するたびに何百枚もの写真を撮影した。 街で写真を撮りながら、2人は若い女の子たちに、トキシック・ショック症候群について聞いたことがあるか、もしくは、それが本当のことだと信じているか、と質問したが、 ほとんどの女の子たちは、ノー、と答えた。

近い将来、ローレンはキャロライン・マロニー議員とともに議会に出席しようとしている。 マロニー氏はニューヨークの女性下院議員で、ロビン・ダニエルソン法案を通過させようとしている。この法案の名前は1998年にTSSで亡くなった女性にちなんで命名された。 その法案によって「ダイオキシンや合成繊維、化学香料、その他、女性の衛生に関する商品の成分により、使用者が負わねばならないリスクに関する研究プログラムが設置されるでしょう」。しかし、それは過去に9回、投票前に阻止されている。

ローレン、弁護士、マロニー氏が求めているのは、必ずしもタンポンの使用停止ではなく、タンポンの透明性だ。 月経時の出血を止めるには、タンポンは便利で、使用するにはそれなりの意味がある。

しかし、ローレンは未だ、女の子たちがビーチではしゃいでいたり、真っ白なショートパンツを履いて滑り台で遊んだりする、タンポンのコマーシャルを見るのには強い抵抗がある。コマーシャルではトキシック・ショック症候群についての警告がなされていないからだ。「私は滑り台にも上れない。水着になんて絶対なりたくない。海で飛び跳ねるなんてしたくてもできない」と嘆く。「コマーシャルの商品は私に屈辱感を与えている」

彼女はタンポンもタバコ同様、より大々的に明確に、潜在的なリスクを、消費者に知らしめたうえ、販売してほしい、と願っている。「タバコは死因になる可能性があるから、吸うか否かは本人次第なんです」と彼女は選択肢について言及した。「もし私がTSSについて完全な知識があれば、タンポンは使いませんでした」。そして、彼女は二度とタンポンを使うことはない。

Photo by Jennifer Rovero/ Camraface

ガールフレンドのジェニファーは、ローレンの義足は撮らず、顔にカメラを向ける。しかし今日、新しい写真を見せてくれた。ポートレートの中で、ローレンは漆黒のアイメイクを施し、自らの足で立っている。彼女の義足はニューバランスの靴を履いている。彼女は、モデルとして、仕事を再開することには慎重だ。 病室のベッドの隣に黒い毒素の桶が置かれ、高圧治療装置や義足の営業マンが病室を訪れ、とても選択する気にもならない選択肢を提案にきてから3年が経った。現在、彼女は自分の足のことを「小さな足」「小さな足先」と呼び、当時の状況について冗談を飛ばせるまでになった。

病気の前と後で彼女の人生は激変したのに、ここまで余裕が持てるようになるものなのか、一体どうしたら危機を乗り越えられるのか。そんな疑問を抱きながら、彼女に今でもバスケットをするのですか、と質問した。「もしあなたが試合に出ようとするなら、永遠に試合はあります」と彼女は応えてくれた。

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Music

ダニエル・ジョンストンを喪って私たちが失ったもの

音楽でアウトサイダーとしての繊細な感情を、アートで子どもみたいな摩訶不思議な世界を表現したダニエル・ジョンストン。彼の〈真剣さ〉こそ、この世界で私たちが心から必要としていたものだった。

by Hilary Pollack
16 October 2019, 3:30am

Photo: Getty Images

オースティンを拠点に活動していた、誰もが愛した破天荒なミュージシャン、ダニエル・ジョンストンは、現地時間の9月10日朝、心臓発作で亡くなった。享年58歳だった。

「僕の話を聞いてくれ/歳をとっていくアーティストの話だ」
ダニエル・ジョンストンの「The Story of an Artist」はこんな歌詞で始まる。

ジョンストンは天才で学識が深いミュージシャンとして広く知られていた。彼は多くのミュージシャンに影響を与えたソングライターであり、オルタナミュージックのメインストリームにおける方向性を導きながらも、本人はメインストリームから決然と距離を置いていた。彼の才能のルーツをひと言で特徴づけるのは難しい。彼は、メンタルヘルスの問題を抱えていることをオープンにしており、それは才能とも複雑に絡み合っている。いずれにせよ、彼が貴重で特別な〈何か〉を体現する存在だったこと、そしてどこか浮世離れした、それでいて魂がこもった彼の作品は非凡で、他の誰にも似ておらず、生き生きとしたエネルギーを内包していたこと、それに関しては誰もが頷くはずだ。

「誰もが言う 家族も友人も/“仕事しなよ/どうしてそんなことしかしないの?/どうしてそんなに変わってるの?”」

58歳という年齢での逝去は早い、というひともいるが、ダニエル・ジョンストンはいつだってどこか老成していた。歌詞では、子どものような世界観が表れている点が多々あったが、インタビューになると彼は皮肉屋で、自己をはっきりと認識していた。彼の初恋の女性で、彼女の結婚後もずっと固執していた、あるいは長らく恋をしていた(その表現は各々の言葉の定義によって異なるだろうが)ローリー・アレンを題材にすることについて、彼はインタビュアーにこう語っていた。ローリーは「1000曲のインスピレーション源になってくれた。そして僕は、自分がアーティストだと知った」

アーティスト、ダニエル・ジョンストンを語るにふさわしい物語は、これ以上他にない。ローリーへの想いは、彼を創作に駆り立てた唯一の情熱だった。そうしてできた彼の曲は、内省的で、往々にして憂鬱で、時に希望に満ちている。5歳児が書いたように思えるときもあれば、THE BEATLESの幻の最高傑作のように思えるときもある。ピアノかギターのみの極端にシンプルなトラックに、彼のチャーミングな鼻にかかった声が乗る。その歌は優しく語りかけるよう。リスナーは何十年にもわたり、彼独特の世界観に、とりわけ、いわゆる〈完璧〉ではない点が多々ありながらも、それを気にせずに音楽やイラストを制作、発表し続ける彼の姿勢に慰めを見出してきた。彼のキャリアのなかで比較的しっかりプロデュースされた作品であっても、リズムが安定しなかったり、音符の前後に不自然な間があいたり、メトロノームやチューナーを使っていないとわかる箇所は散見される。エイリアンやボクサー、神話上の生物、擬人化された物体を描く彼のイラストだって、正確な描写とはほど遠いし、奇妙奇天烈だ。しかしそこには観る者の心を掴む何かがある。彼の作品は、その後数世代にわたって、重要な工芸品のような存在となった。

彼はどこか年齢不詳な印象を与えた。歳をとっていなかったわけじゃなく、特定の年齢に当てはまらない雰囲気だった。1961年に生まれたジョンストンは、10代で音楽を作り始める。80年代後半から90年代初頭、現在言われているような〈アウトサイダー・アートのアイコン〉として登場。2005年のドキュメンタリー映画『悪魔とダニエル・ジョンストン』の監督、ジェフ・フォイヤージークによると、彼は数年間、地元のマクドナルドで働きながら、レコード屋にいそうなタイプやかわいい女の子の客のテイクアウトの袋にこっそり自主制作テープを滑り込ませていたという。地元オースティンのファンダムは、音楽オタクや芸術家気取りたちに瞬く間に広がっていき、彼のソングライティングの才能と、ひとをワクワクさせる破天荒さは、興味や賞賛の的として盤石の地位を築くこととなった。

「そして彼らはテレビの前に座って言う/“ねえ、これすごく面白くない?”/そしてアーティストを笑う/“あいつは楽しみ方を知らないんだな”」

インディロックやグランジの神々も、レコードオタクも、スケーターも、映像作家も、変人も、アール・ブリュット愛好家も、誰もが口を揃えて、ジョンストンは特別だった、と語る。2000年代に入ってからも、多くのひとびとが様々なかたちでジョンストンのことを知り、彼のファンベースは拡大を続けてきた。それらが証明するのは、90年代までの彼のアンダーグラウンドにおける影響が消えずにここまで残ってきたということ。たとえば、ジョンストンよりもメインストリーム寄りのアーティストが彼の曲をカバーした音源を聴いて、ジョンストンを知ったひともいるだろう。彼の人気曲のひとつで、忘れがたいほどに美しい「True Love Will Find You in the End」はベックにもカバーされているし、BUILT TO SPILLは、1996年のコンピレーションアルバム『The Normal Years』に「Some Things Last a Long Time」のカバー(最高!)を収録した。2015年にはラナ・デル・レイも同曲をカバー。それ以外にも多数ある。

あるいは2005年のサンダンス映画祭でドキュメンタリー作品監督賞を受賞した『悪魔とダニエル・ジョンストン』がきっかけだったかもしれない。また、1992年のMTVビデオ・ミュージック・アワード授賞式でカート・コバーンが着用していたTシャツからダニエル・ジョンストンの音楽へと行き着くこともいまだにあるようだ。ジョンストンはカートのようにはなれなかったが、カートは熱心にジョンストンの音楽を聴いていた。

ジョンストンを語るにあたり、双極性障害の話は避けて通れない。彼の心は大いに苦しんでいたと同時に(『Songs Of Pain』『More Songs of Pain』というタイトルのアルバムもあるくらいだ)、躁状態のときは予測不能な行動をとったり、驚くほど多くの作品を生み出していた。ジョンストンは、自らが〈神経衰弱〉と呼んでいた苦しい時期、数千曲の音楽作品に加え、それ以上の絵画やドローイングを生み出した。また、取り憑かれているのでは、と思われるくらいに悪魔に心酔していた。自分はお化けのキャスパーだ、と思い込んで精神科病院に入院した。そして入院中も曲を制作し続けた(特にマウンテンデューへ捧げる曲が有名)。父親と乗っていた飛行機の鍵を窓から投げ捨て、飛行機が林に不時着してふたりとも死にかけたこともある。しかし、そのエピソードに当惑するのではなく、自分と同じだ、と感じるファンもいた。『悪魔とダニエル・ジョンストン』の公開時に行われた〈Public Access〉のインタビューで彼が語っていたところによると、本作の公開後1週間のあいだに、「あなたの音楽が好きです。私も精神の病を抱えています」という内容の手紙を4〜5通受け取ったそうだ。

また、彼の徹底的なローファイサウンドが、グランジだけでなく、その後のアーティストたちにも多大なる影響を与えたという事実を無視することもできない。59ドルのラジカセを使用し、宅録らしさを際立たせるノイズが入ったそのサウンドは、THE MICROPHONESやCASIOTONE FOR THE PAINFULLY ALONEなど2000年代初頭のローファイバンドのサウンドに影響を与え、さらにチルウェイブ(例:初期の、窓の外から聴こえてくるかのようなリヴァーブ強めのWASHED OUT)やベッドルームラップ(例:リル・ピープやXXXテンタシオンなどのDIY精神、悲観的で繊細な歌詞)などのジャンルにまで脈々と息づいている。

「僕の話を聞いてくれ/歳をとっていくアーティストの話だ/名声や栄光を求めるひともいれば/世界を見つめるのが好きなひともいる」

現代のポップミュージックにおいては、大手レコード会社と、トップ10入りするような曲を毎年大量生産しているごく少数のソングライターたちが、キャッチーなアンセムを作るレシピをすっかり完成させている感がある。しかしジョンストンの作品が、立派なレコーディングスタジオ、オートチューン、深い歌詞を書く専業作家が絶対に必要なわけじゃないということを証明している。マックス・マーティンの大ヒットソングよりも、彼のミニマルな音楽のほうが、むしろ生々しい感情をありありと捉えている。

今の時代、オルタナの〈真剣さ〉はカネにならない。なったとしても、短命だ。ジョンストンの信奉者として世界で一番有名なカート・コバーンだって、ずっと前に亡くなった。今年のグラミーで最優秀ロックパフォーマンス賞を受賞したのはクリス・コーネルだったが、彼も亡くなっている。2018年の同賞を受賞したレナード・コーエンだってそう。私たちが知っている〈オルタナ〉ミュージック、つまり、個人が作詞作曲をし、パワフルな感情を歌い、楽器を使ったライブ演奏を特徴とする音楽を取り巻く状況は、良いわけではない。しかしジョンストンの死を世界が悼んでいる事実が、〈真剣さ〉にはまだ希望があるのかもしれないと思わせてくれる。

「True Love Will Find You in the End」で、ジョンストンは問う。自分から光の中に踏み出さなければ、真実の愛も自分を見つけてくれないのでは、と。確かに彼は、自分が夢見た恋を手に入れられなかったかもしれない。しかし、何百万人のファンが彼を見つけ、心から彼を愛したのは確かだ。

1994年、『Rolling Stone』誌はジョンストンの特集記事で「現代における最重要ソングライターのひとり」と称しつつ、彼の「不安定さ」も指摘していた。これは25年前のことだ。そんな〈脆さ〉を抱えた天才とともに、私たちは四半世紀も生きることができた。それを幸運といわずしてなんと言おう。自分がこの世界に生み出した作品がとても貴重であったという事実を、彼自身もわかっていたと思いたい。

「僕は成長するのを忘れてたんだ」と1994年のインタビューで彼は語った。「単純な人間だ。子どもみたいに、いつだって絵を描いたり、曲を作ったり、遊んでばかりいる」

私は願う。ダニエル・ジョンストンのいない世界でも、私たちがみんな、幸運な人生を生きられますように、と。

This article originally appeared on VICE US.

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Health

自殺未遂者の告白

私はこの先ずっと、生き延びた自分をどうにかして肯定しようともがきながら生きていくのだろう。

by MacKenzie Reagan
13 September 2019, 9:52am

Chicago Tribune/Getty Images

こんなことを打ち明けるべきではないだろうが、私は自殺しようとしたことがある。この通り、私は生き延びた。

これも打ち明けるべきではないだろうが、私は〈自殺を試みたこと〉〈命が助かったこと〉両方に罪悪感を抱いている。

臨床医学では、このパラドックス、つまり大多数が助からない状況を生き延びた者が抱く罪悪感は〈サバイバーズ・ギルト(survivor’s guilt)〉と呼ばれる。これは、戦闘を経験した帰還兵や、大流行した感染症の生存者など、トラウマ的状況を生き延びた者によく見られる症状だ。サバイバーズ・ギルトはかつて『精神障害の診断と統計マニュアル(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)』に独立した疾患として記載されていたが、後に心的外傷後ストレス障害(Post-Traumatic Stress Disorder: PTSD)のひとつの症状として再分類された。

自殺未遂や自殺によるサバイバーズ・ギルトについての研究の大半は、当事者の家族への影響に焦点を当てている。例えば、専門誌『Suicide and Life-Threatening Behavior』に掲載された研究論文によれば、愛する人を自殺で喪う悲しみと、病気や老衰などで喪う悲しみは、根本的に異なるそうだ。遺された友人や家族は、羞恥心や「なぜ」という疑問に苛まれ続ける。心臓発作など死因が明らかなら、彼らは、このような感情や疑問を抱かずにすむという。

しかし、自殺未遂が当事者に与える精神的影響については、ほとんど研究が進んでいない。「自殺未遂者は、偏見や羞恥心によって、ずっと社会の周縁に追いやられていました」とミシシッピ州立大学(Mississippi State University)の研究所〈Sleep, Suicide and Aging Laboratory〉のマイケル・ネイドーフ(Michael Nadorff)所長は指摘する。「ここ5年ほど、自殺未遂者について研究しようという気運が高まりを見せていますが、遅れを取り戻すには時間がかかるでしょう」

ネイドーフ所長と違って共有できる臨床情報は少ないが、私には2年半に及ぶ実体験がある。2015年3月2日、私は自ら命を絶とうと決めた。友人ひとりに電話で別れを告げると、彼は私のルームメイトに電話を代わらせ、そのルームメイトが911に通報した。警察が到着し、私は救急車に乗せられた。そこから数時間の記憶は曖昧だ。

翌朝目覚めたとき、自分がどこにいるのか思い出すのに少し時間がかかった。未遂で終わった自分が間抜けに思えた。私は、自殺すらまともにできないのだ。それから、大切な家族や友人を苦しませたことに気づき、再び自分の愚かさを痛感した。

これは、罪悪感の始まりに過ぎなかった。意識が戻り手首の包帯を見た途端、自分は本当にあと少しで死ぬところだったのだ、と実感した。ガーゼを撫でて、深い傷を感じた。私は間一髪で死を免れたのだ。普通なら安堵するところだが、私が味わったのは自らを見つめ直す苦痛だった。目覚めた瞬間は、とにかく最悪の気分だった。

一般病棟で1日過ごした後、私は精神科病棟に移された。そこでの出来事については、公にしないほうがいいだろう。私はただ、罪悪感が岩のようにのしかかってくるのを感じていた。友人が見舞いにくるたびに、「本当にごめん」と謝った。彼らはもちろん、謝る必要はないよ、と答え、大丈夫かと気遣い、連絡を受けてすぐに駆けつけたといってくれた。彼らは食べ物や映画、本を差し入れ、ハグと笑いを届けてくれた。

自殺未遂から2年めの〈記念日〉、私は一睡もせずに午後11時34分を待っていた。時間ぴったりに友人数名にメールを送り、あの日の夜遅くに起こしてしまったこと、病院に駆けつけさせてしまったことを謝った。数ヶ月後、私は元の家から数時間の場所に引っ越した。FacebookやTwitterは使っていたが、できるだけこれまでの生活を離れようとしたのだ。私は部分入院プログラムを始め、コミュニティ・カレッジで写真のクラスを受講した。

事実を知っているのは、家族や親しい友人だけだった。引っ越しから数週間、私は、彼らに話を聞いてもらい、理解してもらい、大丈夫だと励ましてほしくてたまらなかった。皮肉なことに、そのとき私が認めてほしいと願った家族や友人は、ハグできないほど遠くにいた。

謝らなければという強迫観念は、一向に消えなかった。謝れば謝るほど、さらに謝りたくなった。「自殺未遂者の日々の感情や、この世界における〈居場所〉は、他者からの承認によって決まります」と説明するのは、ニューヨーク市を拠点とするファミリーセラピスト、ポール・ホークマイヤー(Paul Hokemeyer)だ。「残念ながら、彼らの承認欲求は尽きることがありません。その結果、彼らは自己嫌悪に陥らざるをえません」

このように、罪悪感は厄介だ。罪悪感を抱く当事者は同情を求めるが、同情を得た瞬間、同情を得たことに罪悪感を抱く。私は友人、家族、様々な薬物療法のおかげで、粉々に砕け散ってしまった生きる意志を取り戻せた。少しずつだが、失った自己主体感も徐々に取り戻しつつある。就職し、旅行も計画中だ。アイスクリームの新しいフレーバー、友人からのメッセージ、野球の試合。結婚を考えている相手もいる。私はありふれた日常に喜びを見出すようになった。新聞を読み、食料品を買い、コーヒーショップでカップを整理しながらせわしなく働いている。このような些細な物事が、私が生きていると証明してくれる。微かな風が私を再びどん底に突き落とすように感じる日もあるが、私はヒールを地面に埋めて踏ん張っている。

来月で、未遂から3年を迎える。どのように祝うかはわからない。そもそも〈祝う〉なんて不謹慎だし倒錯的に感じられる。深刻な病気、しかも、これからもずっと私に影響し続けるような病気を、軽視したくはない。あのとき目覚めなければよかったと感じる日もいまだにある。大量の投薬治療や認知行動療法を受けなければ、私は、双極性障害を克服することも、罪悪感や自殺願望から逃れることもできない。

私は、自分の脳の決定よりずっと長く生きてきた。ときどき、私は助からなかった自殺者の母親たちを想って泣く。私はこの先ずっと、生き延びた自分をどうにかして肯定しようともがきながら生きていくのだろう。〈罪悪感(guilt)〉の語源は〈debt(借り)〉を意味する古英語らしい。私を立ち直らせようと尽くしてくれた人たちに、私は〈借り〉がある。

自殺未遂者の心情について訊かれたとき、私は、皿を落とすようなものだと答える。私たちは皿が落ちた瞬間に、自分が間違いを犯したことを悟る。損傷のひどさを確かめる前に、動けなくなるかもしれない。もしくは接着剤を探し、破片を繋ぎ合わせようとするかもしれない。しかし、ぴったりはまらない破片もあれば、粉々になってしまった部分もある。それでも辛抱強く充分な時間をかければ、また使えるようになるかもしれない。決して元通りにはならないだろうが、それでも直す努力をしなければいけないのだ。

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Health

〈作話〉研究でみえる、現実と虚構の曖昧な境界線

「私は誰か」「どんな仕事をしているか」「今は西暦何年か」「今どこにいるか」など基本的事実の理解は、できて当然のようにみえるが、作話研究により、それが当たり前ではないこと、そして私たちの現実の把握が、想像以上に危ういことが示される。

by Shayla Love
25 October 2019, 10:42am

アーミン・シュナイダー(Armin Schnider)医師が担当する63歳の女性患者は、セラピーのさなか起き上がり、自分の患者を診察しなくては、と訴えた。彼女は自らを、ジュネーブ大学病院(University Hospital of Geneva)神経リハビリ科の職員精神科医だと思いこんでいたのだ。実のところ彼女は、動脈瘤破裂で脳に後遺症が残った患者だった。

また彼女は、夜に大規模なパーティを主催すると思いこむこともあった。彼女は空っぽの冷蔵庫を見て、「パーティ用に買っておいた食材はどこ?」と夫に手を上げた。現実にはパーティも食材も存在しなかったのだが、彼女は頑なに、ある、と信じていた。

この女性患者は〈作話〉をしていた。作話とは、大まかに定義すると、真実ではない発言をすることを指す。シュナイダー医師は、20年以上作話について研究する神経科医だ。彼は、局所性脳損傷を原因とする作話を研究対象としているが、梅毒、脳炎、低酸素症、統合失調症、認知症など、作話の原因は様々だ。作話を報告した最古の記録は、いわゆる〈コルサコフ症候群〉の報告書にあり、コルサコフ症候群はアルコール依存症により発症する。また、持続性のデジャヴュや、自らの病態に気づかない〈病態失認〉、もしくは、その他神経障害でも確認されている。極端な例では、自らの麻痺を認識せず、手足を動かすよう指示されたときに医師に作話する麻痺患者もいる。

米国の神経科学者ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(Vilaynur S. Ramachandran)は、エロル・モリス(Errol Morris)によるインタビューで、左半身が完全に麻痺した女性患者の例を挙げた。ラマチャンドランが女性患者に、左腕を動かせるか尋ねたところ、実際は絶対に動かせないにも拘わらず、彼女はできる、と答えた。ラマチャンドランが彼女の左腕を持ち上げ、誰の腕か尋ねたところ、「私の母の腕です」と主張した。ラマチャンドランが「もしこれがお母さんの腕だとしたら、お母さんはどこにいるんですか?」と質問すると、患者は周りを見渡し、混乱してこう答えたという。「テーブルの下に隠れてるんですよ」

「そういう作話者たちのなかには、ただウソを答える者もいれば、自分の発言が正しいと信じている者もいます。後者の場合、現実の混乱を起こしています」とシュナイダー医師。「それこそ、私が力を入れて研究している現象です」

作話者は、ただ質問に間違った答えを返すわけでも、自分の生活の細部を思い出せないわけでもない。自分が、別の場所、別の西暦にいると信じているのだ。彼らは、自分が今どこにいるか、自分の社会的役割が何たるかがわからなくなっている。そしてもっとも重要なのは、彼らが、自分の誤認に従って行動してしまうことだ。だから、セラピー治療を抜け出して、自分の患者に会いにいこうとしてしまう。仕事の打ち合わせに向かうためのタクシーが待っている、といって病院を出ようとする45歳の税理士もいた。また彼は、森で木工作業をするから友人に会いにいかないと、と主張するときもあった。

一般的に、大半の作話はでたらめではないとされている。この税理士は、昔、木工作業が趣味だった。前述の63歳女性は、数十年前、実際に精神科医として働いており、政府高官と結婚したため、きらびやかなパーティを頻繁に催していた。現実とは全く関係のない〈空想作話〉をする患者も稀にいるが、基本的に作話は、患者自身が実際に体験した過去の出来事や行動を、現在にあてはめている。

だからこそ、シュナイダー医師にとって、作話者は興味深い研究対象になるのだ。作話者は、ただ無意味なことを喋り倒しているのではない。彼らの現実、過去の記憶、アイデンティティが、すっかり混乱してしまっているのだ。そこから、普段の生活で私たちの脳が「私は誰か」「どんな仕事をしているか」「今は西暦何年か」「今どこにいるか」など基本的事実をどうとらえているか、その手がかりがみえてくる。それら基本情報の理解は、できて当然のように思えるが、作話研究により、それが当たり前ではないこと、そして私たちの現実の把握が、想像以上に危ういことが示される。

シュナイダー医師は、脳の前方の特定箇所に病変がある患者の作話発症率が高いことを見出した。作話をする彼の患者の大半に、目のすぐ上に位置する眼窩前頭皮質という脳部位、または眼窩前頭皮質と直接的な関連性がある脳部位の病変が認められるという。

数十年に及ぶ研究から、シュナイダー医師は作話についてひとつの説に至った。それは〈眼窩前頭現実フィルタリング(orbitofrontal reality filtering)〉と称される。シュナイダー医師によると、記憶と思考が脳内で活性化するとき、脳は、それらの思考が〈いま・ここ〉の現実に関連しているか否か判断を下す。これは、完全なる前意識的プロセスだという。そして医師は、脳波でそれを記録した。

医師は、〈連続的認知テスト(continuous recognition task)〉と呼ばれる検査を被験者に複数回受けさせた。様々な画像を続けて見て、画像を見るのが2度目ならばその旨を伝える、というテストだ。初回は簡単だ。テスト中に何度も出てきて、見覚えがある画像を指摘すればいい。しかし同じ画像セットで再度テストを受ける場合、ただ〈見覚えがある〉だけではダメだ。自分はこの画像を現在のテスト、すなわち〈いま・ここ〉で見たのか、それとも以前のテストで見たのか、その区別をしなければならない。

健常者にとっては簡単な作業だ。シュナイダー医師によると、1枚の画像を記憶し、識別するさいの脳活動は、400~600ミリ秒程度で現れるらしい。その画像が現在のものなのか過去のものなのかの判断もしなければならないときは、それより早い200~300ミリ秒で脳活動が現れる。「想起する記憶や思考の正確な内容を認識するよりも早く、それが目の前の現実に根差しているか否かを、眼窩前頭皮質が既に判断しているのです」とシュナイダー医師。これこそが、眼窩前頭現実フィルタリングであり、現実の混乱を起こしている作話者は、このシステムが働く脳部位にダメージを受けている。

「これは前意識的プロセスです。自分が何を考えているかを理解する前に、脳はその思考が〈いま・ここ〉に即しているか否かを既に決定しているのです」

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記憶の活性化(思考), フィルタリング, ー現実, ー空想, 認識・再コード化, 刺激開始後の経過時間

例えば、大学時代の記憶が湧き上がったとする。すると脳は、それを、現在の自分のアイデンティティにまつわる重要な情報ではなく、過去の記憶としてフィルタリングする。しかし、現実の混乱を起こしている作話者は、脳損傷や病変により、この〈現実フィルター〉が正常に機能しなくなっている。思考は、現実との関連性を確認されず、真正かつ現在起きていることだと認識されてしまう。

これは誰の脳でも起きており、作話する脳の観測は意義深い、とシュナイダー医師は言明する。「臨床研究から導き出された脳活動のパターンは、健常な脳が、思考を目の前の現実にどうあてはめるのかを研究するのに有効です」

作話する患者のもうひとつの特徴は、状況が自らの発言と食い違っていたとしても、作話が真実ではない、と気づかないことだ。シュナイダー医師が担当したひとりの患者を例に挙げよう。その女性患者は若い弁護士で、辺縁系脳炎を患っていた。彼女は裁判所に行かなければ、と思いこんで、数日間、病院で出廷の準備をしていた。病院が弁護士事務所だと信じていたのだ。隣の病室では、同僚たちが裁判の準備をしていると思っており、同僚や自分の資料を捜して、フロアを歩き回った。

シュナイダー医師によると、健常者の場合は、同僚が隣の部屋にいると思いこんでいても、実際に捜しにいき、そこに同僚の姿がなければ、自分の思いこみが間違っていたと気づき、それ以上捜そうとはしない。しかし作話者の場合、そうはならない。上述の女性患者は、同僚や資料が見つからず、出廷もない、という事実に直面しても〈彼女の現実〉を信じ続けた。

シュナイダー医師が担当した患者には、検査中に立ち上がり「大変申し訳ないのですが、子どもに授乳しないと」と部屋を出ていった58歳の女性もいた。彼女の〈子ども〉は、当時35歳だった。彼女もまた、病棟に〈子ども〉が見つけられなくても、自分の思いこみが間違っている、と理解できなかった。

20世紀初頭、生理学の先駆者で、〈パブロフの犬〉で有名なロシア人研究者のイワン・パブロフ(Ivan Pavlov)は、予想される結果が起こらなかったときに生じる学習プロセスがあると発見した。どんな行動であろうと、その学習プロセスの結果、最終的には放棄につながる。例えば、空腹のときに、食べものが欲しくてレバーを引く。もしレバーを引いても食べものが出てこなければ、最終的にレバーを引くことを止める。それは〈消去〉と呼ばれる現象だ。作話者は、この学習プロセスが失われてしまっているらしい。

赤ん坊がいない、裁判用資料がない、同僚の姿が見当たらない…。明らかに話のつじつまが合わないにも拘わらず、作話者が思いこみを改めようとしないのはなぜだろうか。なかなか想像しがたい。そんな筆者に、シュナイダーはこう尋ねた。「今あなたはニューヨークにいる。ですよね? 実は今自分はロサンゼルスにいるんだ、と自分を納得させることはできますか? もし誰かに『大丈夫、あなたの脳には損傷があるんですよ。実は今は2018年じゃなくて2025年です』といわれても、信じられないですよね。〈今は2025年だ〉など、あなたが納得できないことについては、誰もあなたの意見を変えることはできないんです」

シュナイダー医師のいう通りだ。もし私が、自分の居場所について確信をもっていたら、いくら話術に長けた人に「お前は今ニューヨークにいない」と滔々と説かれたとしても納得できない。まさにそれが、作話者の心情だ。「彼らは、今は別の西暦だと思いこんでいます」とシュナイダー医師。「あるいは、オフィスに行って、そこで仕事をしなきゃいけない、と信じている。彼らにとっては、実にストレスがかかる状況です。その認知を訂正するすべがありませんから」

しかし、シュナイダー医師は、重度の作話者の大半が現実に戻れる、という。なぜなら、彼の患者については、進行性疾患によって作話が生じたわけではなく(その場合もあるが)、動脈瘤の破裂や脳炎など、外傷性の脳損傷の結果であることが多いからだ。のちに記憶障害を発症する場合もあるが、自分は誰か、今はいつか、自分はどんな仕事をしているかなどの理解は回復する。

このこと、そして脳に損傷のある患者の作話発症率が約5%とごく少数である事実が、現実フィルタリング・システムがある意味で余分であることを示している、というのがシュナイダー医師の見解だ。つまり、現実に関連するか否かを判断するタスクは、他の細胞が代わりに実行可能なのだ。「作話者の家族に伝えられるポジティブなメッセージは、〈辛抱強く頑張りましょう、いつか再び現実を把握できるようになりますよ〉です」。脳は、現実で暮らすことを好む傾向があるらしい。

シュナイダー医師は今後の研究で、脳画像を使用し、作話者の現実フィルタリングの信号が無いことを視覚化するつもりだ。これまで医師は、被験者のドーパミンレベルの増減、または経頭蓋脳刺激を通して、現実フィルタリングの能力に変化を与えられるかを調べてきた。どちらのやりかたでも、能力を若干低下させることには成功したが、上昇には成功していない。

しかし、シュナイダー医師が健常な脳をもつ人びとへの実験で得たもっとも興味深い結果は、被験者の現実フィルタリングに影響を与えられたことではなく、生来の差異が観測されたことだろう。シュナイダー医師は、健常者からなる対照群への連続的認知テストでスピードを速めたので、被験者はより速い処理を求められた。そしてこの実験で、シュナイダー医師は、被験者間の大きな差異を見出した。これは、ドーパミンを投与したとき、電気刺激を流したときに確認された差異よりも大きな差異だった。

「つまり、本質的に、極めて迅速に現実に適応する人もいれば、現実フィルタリングが比較的弱い人もいるのです」とシュナイダー医師。「ひとつめのグループは、より現実的で、空想とは縁遠いでしょう。いっぽう、この脳機能が劣っているグループは、夢見がちなタイプといえるかもしれません。しかし今の段階ではまだ、私の仮説です。証拠はありません。今いえるのは、現実フィルタリングの能力については、個人差がかなり大きいということです」

では、脳に損傷がなくても、作話をする可能性があるということだろうか。シドニーのマッコーリー大学(Macquarie University)の認知科学者、マックス・コルトハート(Max Coltheart)博士は、もちろんだ、と答える。

コルトハート博士は臨床医ではなく、患者を治療する立場にない。しかし、作話を始めとした認知障害をもつ患者を多数見てきた。それらの患者の研究を通し、正常な認知機能の知識を深めることが、博士の目標だ。

私たちは〈常に〉作話している、とコルトハート博士はいう。例えば、スーパーマーケットから出てきた客を呼び止め、数種類のストッキングからひとつ選んでもらい、選んだ理由を尋ねる、という有名な実験がある。実は、ストッキングは全て同じだった。それでも客側は、他の商品よりこれを気に入った、と答え、どうして気に入ったか尋ねると、「他のより網目が細かいから」など具体的な理由を答えたという。

「この実験から、普通の人びとでも、よくわからないことを訊かれたら答えをでっちあげることがわかります」とコルトハート博士。「答えをでっちあげるということは、つまり作話です。作話は正常な現象です。脳損傷が原因ではありません。脳損傷により過剰になることはあれど、作話の傾向は誰しもが有するものです」

博士自身も、記憶に穴があれば勝手に創作してしまうので、過去の記憶について細かく尋ねられても、それが正しいかどうかは怪しいという。「『大学生活初日はどんな感じでした? わくわくしました? 何をしたんですか?』。そんな質問をされたとき、私が想起する細部の多くが作話ですね」と博士はいう。

キングス・カレッジ・ロンドン(King's College London)の精神神経科医、マイケル・コペルマン(Michael Kopelman)博士は、シュナイダー医師の患者のように、主に脳損傷を原因とする、正しくない情報を自発的に発言する〈自発作話〉と、ストッキングの実験で確認された〈当惑作話〉または〈誘発作話〉とを区別すべきだと主張する。博士によると、何らかの実験を通して自分の記憶をテストするさいに脳が記憶の穴を埋めるプロセスは、異常ではないそうだ。

「当惑作話、または誘発作話は、記憶が何らかの理由で薄れてしまった場合に起こります」とコペルマン博士。「一方、自発作話は人間誰しもが経験するわけではありません。病気の過程のひとつです」

作話について調べていると、このような軽微な意見の食い違いを多々目にする。例えば最近、専門誌『Cortex』で、作話についての様々な説を検証する特集号が刊行された。作話に関しては意見の食い違いがあるため、作話の頻度、種類など、作話を定量化するのは困難だ。コペルマン博士は、作話を2タイプと捉えているが、コルトハート博士は3タイプ、シュナイダー医師は4タイプだという。

作話が示す障害や症候があまりにも多いため、コペルマン博士は作話の定義を狭めるべきだと主張する。妄想や病態失認と、作話を区別するような定義だ。コペルマン博士は、それらの根本的なメカニズムが異なっていることを懸念している。いっぽう、コルトハート博士は、作話をより広義なプロセス、「因果的理解を求める欲動」とし、様々な事柄を説明するのに使える、と主張する。

シュナイダー医師の現実フィルタリング説について、コルトハート博士は、基本的に大半の専門家が同意しているが、具体的な詳細の発表が待たれる、と言明する。過去の記憶の断片は、正確にはどのように想起されるのか。それらがどうやって、理路整然としたひとつの偽りの記憶になるのか。コルトハート博士は、作話という現象自体は理解するものの、こう疑問を呈す。脳はどうやって、様々な過去の記憶の断片をひとつの記憶としてかたちづくるのだろう?

コペルマン博士は、他の仮説についても教えてくれた。作話者は〈現実モニタリング〉ができない、つまり、記憶が実際に起こったことなのか、空想の産物なのかがわからない、とする説(注意:シュナイダー医師の〈現実フィルタリング〉とは別物)。作話者の自伝的記憶想起能力の低さ、すなわち時の流れの感覚が阻害されていると指摘する説。さらに、動機づけ要因、すなわち作話の内容自体を決定する何かがある、とする興味深い新説もある。

私は、ブルックリンの自宅にほど近いカフェで、作話の動機づけ要因説を先導した研究者のひとり、神経心理学者のカテリーナ・フォトポロー(Katerina Fotopoulou)博士に詳細を聞いた。フォトポロー博士はカンファレンスでブルックリンに滞在しており、作話についてじっくり話を伺うことになったのだ。

私は博士から、あらかじめメールで、彼女が作話を愛してやまないことについて釘を刺されていた。顔を合わせたさい、博士は改めてこう強調した。「私は本当に、作話に夢中なんです。大好きなんです」。現実を混乱してしまう脳の疾患に、博士はどうしてこうも入れこめるのか。それは、現実と虚構の関係性という、通常、文学などの表現手法でしか扱えないとされているテーマを、作話が科学に持ちこんでくれるからだという。

「脳内における、現実と虚構の関係性に関心を抱いています」と博士。「現在私は、記憶を基にした様々なタイプの作話や、脳の数理モデルに取り組んでいます。そこから導き出せるのは、現実の全て、知覚さえもが虚構だ、ということです。脳は基本的に、虚構を生み出す器官なのです」

脳を予知する器官ととらえる神経科学者は増えており、フォトポロー博士もそのグループに名を連ねている。つまり、脳はとめどなく入力される多くの知覚情報を解釈するだけではなく、様々な予知や予想を生み、現実での経験全てを創造しているのだ。

博士は私に、テーブルに置かれた目の前の緑茶を勧めた。そして「味が予想できるでしょう」と述べた。「でも、まだ味わっていませんよね。あなたの脳が、このお茶を飲んだら舌でどう感じるか、どんな香りがするかを予測したんです。あなたが経験したのは〈モデル〉です。何らかの理由でこのお茶がものすごく熱いか、ものすごく冷たかったら、あなたは予測ミスをしていたことになり、目が覚めるはずです」

作話者は現実の裾野に、そして私たち幸運な健常者は現実のなかで生きている…。フォトポロー博士はそのような見方を否定する。私たちが生きる現実は、ある程度、構築、もしくはフィルター処理されているのだ。これは、人間の認知、そして作話者の心情を理解するための興味深い考えかたである。

初めてフォトポロー博士が作話研究に取り組んだのは、南アフリカ出身の男性のケーススタディだった。それから重度の作話を抱える22人の研究を行なった彼女は、そこからひとつ、気づきを得た。作話においては、火のないところに煙は立たない、つまり、作話は複数の過去の記憶からなるとされている。しかしフォトポロー博士は、基になっているのは過去の記憶だけではないと主張する。「作話者が作話に使っているのは、彼らの空想かもしれないし、夢かもしれないし、いま・ここの現実かもしれません。そしてそれらを、また別のいま・ここの現実に投影しているんです」

シュナイダー医師の研究で指摘された、目のすぐ上に位置する脳部位は、作話だけではなく、感情のコントロールにも関係している、とフォトポロー博士はいう。そしてこう疑問を呈す。現実をつくり直したいという作話者の欲求と、彼らの感情は、どんなふうに関連しているのか? 感情は、私たちの現実のとらえかたに、常に関与している。「一切の限界なく、常に記憶をつくり直しているとしたらどうなるか、ということです」

博士論文執筆時、フォトポロー博士は担当患者に、ネガティブなストーリー、ニュートラルなストーリー、ポジティブなストーリーを話して聴かせ、あとで同じ話を博士に繰り返すよう指示した。そして博士は、患者たちがネガティブなストーリーを変え、作話し、ポジティブなストーリーにすることを見出した。例えば博士が、友人に意地悪な態度をとる人の話をしたら、患者はその後、すばらしい友人の話をする、という具合だ。

フォトポロー博士は、患者がする作話は多くの場合、患者の意見、悩み、混乱を表現していると発見した。「作話者は、自分を傷つける物事や、自分が心から欲している物事を語ろうとすることがあります。そういう患者と会話するときは、まるでふたつの会話をいちどにしているような感じです。ひとつは実際に発話されている内容、もうひとつは潜在的な情報です」

フォトポロー博士が元々精神分析を学んでいたというのも納得だ。しかし博士は、今も神経生理学の分野から離れてはいないと強調する。博士も、作話は脳の病変から生じていると認めている。しかしそういうものだと診断を下すだけではなく、作話の内容自体に意味がある可能性を指摘しているのだ。作話がネガティブな話よりポジティブな話に偏ること、話を一貫性あるものにするため、筋が通るようにするために作話されること、そこに意味があるかもしれない、と博士はいう。ただ彼女は、何も意味がない作話があることも否定しない。

コペルマン博士は、自身の経験上、作話がいつもポジティブなわけではないという。ときには、葬式や戦時中の恐ろしい体験など、最悪な記憶にこだわる作話者もいる。「大体、感情バイアスがかかり、基本的にポジティブな内容になります。でもネガティブな場合もあります。さらに、非常にニュートラルだと評価できる記憶も多々あります。つまり、素敵な出来事を思い出す傾向はあるにしても、そればかりではないということです」

作話について引き続き、より深い疑問を呈していくこと、作話の意味を証明すること、作話の発生場所や仕組みを研究することによって、間違いなく、人間の記憶、記憶想起、現実モニタリング、現実フィルタリングなどのシステムについて、豊かな見識を得られるはずだ。

私は緑茶をすすり、現実にそれを味わっていると信じながら、フォトポロー博士がここまで作話に夢中になっている理由を理解した。作話は、私たちの現実把握の危うさを示す、ひとつの見事な例なのだ。作話研究では、脳損傷のある患者がいかに現実を把握できなくなるかだけではなく、全ての人間が現実を把握できていない事実が明らかになる。絶対と極端の世界で、私たちが費やす〈確実〉な時間が多くないことを作話は示す。

私たちの経験はほとんど虚構である、と考えているフォトポロー博士に、自身の研究によって、この世界での生きかたに何か変化が生まれたか、と私は尋ねた。すると博士は、何かが虚構であると知ったとしても、そこから目をそらすことはできないので、結局、特に何が変わるわけではない、と答えた。

「違いは、虚構であると知っていることくらいです。自覚、つまり、〈視ている〉という主体的感覚は消えません。私だって同じです。記憶や知覚、あるいは全体としての現実のなかにいます。現実はひとつの構築物ですが、その構築物は充分に立派です。そうでしょう? これ以上を望むべくもありませんよ」

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