ルパン三世 PART5を見る。
その日、世界がルパンの敵となる。
人間の全てをビックデータの海からすくい上げる、世界を変えうる情報インフラ"ヒトログ"。
国家の枠組みすら解体するエンゾの革命が、その証明に選んだのは世界最高のアウトロー、ルパン三世。AIと大衆の冷たい瞳が、英傑を追い詰める。
そんな感じの、PART5最終エピソード開始である。
EP1、EP3で積んできた"ルパンVS現代"の構図を加速させ、よりシビアに進行させる展開であった。正直そこまで意外性はないが、ナウいネタを細かく掘り下げつつ、"ルパン三世"の同時代性を問う姿勢がPART5らしい。
PART5で悪目立ちしてた匿名の悪意は抑えられ、気づけば便利なツールとして、当たり前の情報インフラとして、周囲を取り囲んでいるネットの透明さが、じんわりとルパンを包む。
当たり前に携帯電話が手の中にあって、全てがアップロードされ保存される。そんな時代の空気感が、静かで怖い。
ルパンは人格としても性能としても突出した"個"であり、ピカロレスクな英雄といえる存在だ。世界最高の大泥棒、絶対唯一のスーパースター。
そういう存在は、このクラウドな時代に取り残されているのではないか。こだわりやスタイル、信念が力を持ちうる時代は終わってしまったのではないか。
"ヒトログ"を使ってエンゾが叩きつけてきたのは、そういう問いだ。
当然、巨大企業のCEOとして、自社製品の優秀さをアピールして利益を出したい気持ちもあるだろう。
しかし彼の挑戦をPART5ラストに持ってきたのは、"今"ルパン三世を世に問う意義を考え続け、表現し続けてきた構成の意志を強く感じる。
"ルパン"とは何か。自分たちが作っているものは何が面白く、かっこいいのか。それは変遷していく時代の中で、意味を持ちうるのか。
劣化し、停滞し、固執する。長期シリーズの宿命に、真っ向から勝負を挑む流れ。"峰不二子という女"から始まったルパン・ルネサンスの舳先に、このエピソードは立つ。
無論ルパンは、EP1で見せたようにITにも明るい。最新ガジェットを駆使し、網膜認証をすり抜ける手際は鮮やかだ。
しかしその"個"の技法は、集約されたビッグデータ、百億の携帯電話に宿った"眼"に追い詰められていく。毎度おなじみな特殊メイクも、骨格レベルで分析されて見抜かれる。
ハンドルネームを付けて、専用の掲示板で煽りあう。EP1で見せたオールドスクールな"ネット"像とは、またちょっと違うウェブのあり方が、なかなかに寒々しかった。
特に意識せず、空気のように便利に使う。そこにあるのが当たり前で、全ては無料でアップデートされる。大量の情報を対価に差し出しつつ。
ルパンのアジトを追い詰め、無言で携帯電話を構える名前のない大衆。その静かな暴力性、拡散される主体性が、古くて新しかった。
自分が無貌の暴力を振るう一人だと思わせないことで、巨大な暴力装置を駆動させる。エンゾ(と、彼に似た現実の誰か)が狙う未来は、あくまで気楽だ。
消費構造に無意識に組み込まれ、広告とマーケティングに欲望を知らず操作される僕ら。浮遊するトレンドを巨大な誰かに押し付けられつつ、自発的に消費行動を操っていると錯覚されている現状。
魔女狩りにも似た人々の表情には、そんな情報インフラの狡猾な毒が滲む。
そんな言葉を無料で、便利に、すばやくTwitterに書き込めてしまえている皮肉も合わせて、ルパンを追い詰めているのは"現代"であり"多"であり、つまり"ルパン"ではない僕らだ、と言えるだろう。
経済効率に特化された、信念なき思考侵略。個性の強い英雄とは正反対の、顔のない無数の敵。
マルコポーロが幾人かの中枢とその欲望で駆動する旧式のシステムだったのに対し、"ヒトログ"はあくまで利便に特化したサービスだ。
エンゾは透明な経済原理、『それを決めるのは消費者だ』という言葉の奥で、静かに欲望を進行させていく。全てはシステムが成し遂げることで、欲望はそこに乗るだけだ。
保守勢力のクーデターを利用し、膿を出し切ったパダール。その国家インフラ…というか国民国家システムを駆動させる行政装置は、"ヒトログ"によって切り刻まれる。
アメリカの傀儡国家だったパダールは、社会インフラを利便の名のもとに外部委託することで、一私企業の傀儡国家となりつつある。
これもまた、やがて来る未来像…というより、現在猛スピードで進行している世界の変革だろう。
資本主義のロジックで回すには、国民国家システムはコストが掛かりすぎる。アウトソースし、解体し、効率化し…その時、"国家"を維持する不可視の引力は誰にも気づかれないまま、蒸発してしまう。
"国家"はなんのために存在し、その駆動理念は(エンゾが代表する)私企業の理論、資本経済のロジックとはどう異なるのか。
ビッグデータとクラウドによって分割解体される、国民国家というアンシャン・レジーム。その残骸が取りこぼしてしまう、人間の輝きとはなんなのか。
パダール編をやったこと、またアルベールをフランス"国家"意思決定の真ん中に食い込ませたことで、新たな技術、新たなシステムが社会を、人間概念をどう変化させるかという思考実験に、ある種の重さと奥行きが出ている。
個人的には、なかなか良い感じのSFだと思う。
一部のナードが匿名で専有する、アンダーグラウンドネットワーク。少し古いネット像をEP1で強調したのも、当たり前の空気であり、目に見えない支配構造に脱皮しつつあるITの現在を、最後に活写するためだったのか。
そこら辺は、ラストエピソードをどう書き切るか次第であろう。
あらゆる人間を"顧客XX号"に無貌化し、個々の欲望をデータに取り違えていく大規模情報資本主義。ルパンがあまた盗んできた、伝説に彩られたお宝もまた、処理するべき一つのデータとなる時代。
それを成立させている透明な欲望の檻を、今回のエピソードは結構うまく書いたと思う。厄介な相手だ。
そんな檻の中でも、ルパンのエスプリと茶目っ気は元気に生きる。
ビストロのおねーさんを攫うことで、匿名の悪意から遠ざけようとするルパンの人情は、顔のない怪物が暴れる今回ほぼ唯一、ホッとする描写だった。
ビッグデータ自体はいじれなくても、そこに貼り付けられるタグはハックできるわけだ。
"ルパンの共犯者"から"悪漢の犠牲者"へと、お姉さんの意味を変える行動。今回ルパンが見せた偽悪は、エンゾの巨大なシステムに立ち向かう足場となりうるか。
時代が変わっても、"ルパン"が背負う個人主義、英雄気質は無力ではない。しっかり見せてほしいところだ。
塔から抜け出し、友情を知り、恋に悩み、離別の痛みを刻み込む。
色んな経験をしたアミちゃんも、頼れる"個"としてルパンの招待状を受け取る。恋の花占いの代わりに、AIに不二子との関係を問うところが、可憐で今っぽくて好きな演出。アミちゃんホントいいキャラ。
物語も終わりに近づき、ルパンの娘であり恋人候補であり弟子でもあった少女は、愛しい怪盗との別れが近づいている。
"現代"がルパンの敵に回るこの状況。パダールでの通過儀礼を経て、幼いウィザードは何を成し遂げるか。どう"ルパン"から巣立つか。楽しみである。
その前に、ゴエちゃんがめんどくせー自意識に囚われたがな!
"子分"呼ばわりにカチンと来て『アタシの気持ちはどうなるの!』と純情クソアマみてーなことをほざきそうなゴエちゃん。
『ルパンにとって、俺はどんな存在なんだ?』という問いかけは、PART5ではレギュラー全員やってるからな…。
次元にとって、不二子にとって、銭形にとって、五右衛門にとって、そしてルパン自身にとって。
『"ルパン"とは何なのか』をトワざるを得ないところに、PART5の自意識があるし、それはとても意味があるものだと思う。個別のエピソードに刻まれた答えも、熱く脈動する"今"の答えで、とても良かった。
思えばPART5自体が、『ルパンとは何なのか』という巨大な問いだったように思うし、同時にとても面白い個別のドラマでもあった。
次回五右衛門が、斬鉄剣に己と"ルパン"を問う。ぶっちぎりで格好良く、本気で面白い話にしてほしい。13代目石川五右衛門は、そうされるべき人物だと思うので。来週も楽しみ