■前回のあらすじ
・パンドラズ・アクター、アルベドに詰められる
ナザリック地下大墳墓九階層――アインズの執務室にて、アルベドはシャドウ・デーモンからの報告を受けていた。
「もう一体シャドウ・デーモンを呼んできなさい。あなたはそのまま彼女の所へ戻り『行かせなさい』、と伝えるように」
シャドウ・デーモンは頭を下げると、そのまま影に潜り込み姿を消した。
部屋に一人残されたアルベドは王国で進行中の計画について思い返していた。
計画が成功すれば魔導国が王国を支配することになるが、アルベドは領土拡大以上のメリットを感じていなかった。何しろ残されるものは疲弊した経済、領土、領民……支配後には彼女の仕事が増えることは間違いないだろう。全ては愛しい主のためと想えばこそ身を粉にして働くこともできる。
それにしても、王国を支配している下等生物は周辺国家の中でも最もクズだ。主人の示した方針が無ければ間違いなく踏み潰していただろう――いや、今からでも踏み潰した方が良いのでは……。
だが、アルベドは思い浮かんだ欲求を否定する。肯定すれば今までの苦労は全て無駄となるため、それだけは避けたかった。特にあの事――使者として王国を訪れたときに最も愚かなクズに肩を抱かれた事――を思い出す度に全身を襲う不快感に身を震わせた。
計画の最終段階、魔導国が侵攻を開始するまでは後僅かだが……周辺国家の下等生物の中でも更に力も脳も無いクズどもが支配する国ごとき、ここまで来るのに随分時間を取られてしまった。だが、自らの考えでも最善と考える計画だから仕方がない。
だからこそ、王国を上回る国力を保有する帝国を消耗なく、しかも驚くほど短い期間で属国化した主人の智謀には感嘆の念を抱かずにはいられない。
(アインズ様と比べれば、我らの知恵も下等生物どもと大した違いはないのかもしれないわね……)
愛しい主人の姿を思い浮かべてアルベドは落ち着きを取り戻すと再び思考する。
計画が成功することで得られる最大のメリットは、優秀な知恵を持つ部下が加わることかもしれない。だが、報告を受けた内容に彼が食いつけば、アルベドにとってそれこそが最大のメリットになる可能性が高い。
アルベドは笑みを浮かべて呟いた。
「――さて、この情報をパンドラズ・アクターに教えてあげないと」
日はそれほど高くないが、もう正午に近い時間だろう。イビルアイたち『蒼の薔薇』は王都貧民街の一角にある二階建てのそれほど大きくない屋敷を路地裏から窺っていた。
昨夜偵察から戻ったティアの報告によると、食糧庫を襲っていた平民たちの中に明らかに武装の異なる者が混ざっていたという。後をつけたところ――何度も偽のアジトを経由した後――ここに入っていくのを確認したそうだ。
だが、その後が問題だった。
『依頼を受けていない冒険者が他人の所有する家屋へ侵入することも、人を襲うことも犯罪だ。役人に任せておくべきだ』と主張するイビルアイと、『役人に任せては握りつぶされる。八本指の目的は掴んでおきたい』と主張するラキュースの意見で真っ向から対立したのだ。
ティア、ティナも無報酬は問題だとイビルアイ寄りの意見で、ガガーランはどちらの主張も理解できると中立を保った。
多数決であればラキュースの意見は黙殺されたであろう。だが、『蒼の薔薇』では全員が納得するまで話を続ける。
結局、もう一度ラナーにどうするかを確認することでこの場は納まった。昨晩の話ではラナーも乗り気ではないように受け取れたので静観する事になると考えていたのだが――翌朝ラナーのもとへ行ったラキュースが宿に戻ってくるなり皆を呼び出した。
「ラナーからの正式な依頼よ。奴らを食糧庫襲撃の主犯として捕縛してほしいって。冒険者ギルドは通してないけど……どうかしら?」
ガガーラン、ティア、ティナは顔を見合わせて互いの表情を確認する。皆、眼には強い意志を感じさせる光が宿っていた。イビルアイも同じ表情――仮面で隠しているが――を浮かべて頷いた。
屋敷にいる者たちの情報共有は済んでいる。先ほどイビルアイが不可視化して屋敷内の様子をざっと見たところ、確認できたのが門の内側に二人、建物の一階に十人程。冒険者で言えば多めに見ても銀級くらいの者ばかりで彼女たちが後れを取ることは無さそうだが、屋敷の中にはまだ確認できていない者がいる可能性がある。
屋敷の様子を窺いながらラキュースがこれからの行動の説明を始める。
「ティアとティナは塀を越えて門番二人を無力化してから門を開けてくれるかしら。その後、私とガガーランも正面から屋敷に突入、イビルアイは上空で待機。逃亡する者を逃がさないで」
全員は頷くと配置につき、ティアとティナの突入を待った。
――暫くして音も無く門が開くと内側には門番と思しき二人の男が倒れていた。今回の任務は捕縛であるため、恐らく即効性の麻痺毒を使って動けなくしているのだろう。
中庭や建物の様子を窺うが、敵が現れる気配は無い。まだ気づかれていないようだ。
ラキュースは屋敷の屋根の上にいるイビルアイに合図を送ると、屋敷の扉前に素早く移動する。
ガガーランが両開き式の扉を静かに引くと鍵は掛かっていなかったらしく、すんなり開いた。
「っ! 誰だ、てめぇら!?」
扉の奥には武装していない男が一人、扉を開けて中に入る彼女たちを見つけて大声を上げた。
「ティアとティナは奥をお願い」
二人は頷くと音もたてずに素早い動きで奥の部屋へ入っていく。ガガーランは声を挙げた男と間合いを詰めて右拳を振り上げる。
「おらっ!」
拳を男の顔面にぶち込むと男の身体は宙を舞い、後ろの壁に叩き付けられて動かなくなった。運が悪ければ死んだかもしれないが、気にしている時間は無い。先行したティアとティナを追いかけるようにラキュースとガガーランも奥の部屋に入る。
部屋の中は広間になっていて男たちはここで食事を摂っていたようだ。イビルアイが確認した通り、玄関に居た男を含めて十人の男たちがここにいた。つまり、これで全部のはずだ。
「『蒼の薔薇』よ。あなたたちには食糧庫襲撃の主犯として捕縛命令が出ているわ。怪我をしたくなければ無駄な抵抗は止めなさい」
男たちを見れば、既に半数以上の者がティアとティナにより無力化されていた。正直二人だけで十分だったか――と、考えたとき男の一人が下に向かって叫んだ。
「敵襲です! お願いします!!」
その叫びに応えるかのように、何かが石造りの床を通り抜けてきた。やがて、その透けるような全身が姿を現すと実体化する。
眼に入るのは蒼い馬――そして、その馬上には禍々しい
現れたのは空席となっていた八本指の奴隷部門の長と警備の長、そこに正式に就任したアンデッドの
全身を襲う震えが止まらない。血がさぁーっと引く感覚……この怖気には覚えがある。――そうだ、魔導王の屋敷の門番だ。あれを見たときに感じた感覚に近かった。ラキュースはあの時のイビルアイの言葉を思いだしていた。
――「魔神を確実に超える存在」「あれには勝てない」と。
なぜ、八本指がこれほどの存在を? なぜ、こんな街中に? なぜ、自分たちはこれ程の脅威と対峙しているのか? ……いくつもの疑問が浮かんでくるが何一つ答えを導き出すことはできなかった。
――動けば、死ぬ。
ガガーラン、ティア、ティナも同様に全く動けない。同格以上と思しき存在――ヤルダバオトと対峙した経験はあるが、あの時は涼し気な様子で殺気を向けられてはいなかった。
だが、今は違う。かつて経験したことのない程の殺気を向けられて彼女たちは自らの命を諦めかけていた。
その時――。
窓を突き破り、一本の水晶の槍が
「逃げるぞ!! 私が引き付ける、早く脱出しろ!!」
イビルアイの呼ぶ声に正気を取り戻したのか、ラキュース達は後方の扉に向かって撤退を始めた。
「イビルアイ! あなたは!?」
「私のことは気にするな! 大丈夫だ、少しは持ち堪えられる」
非実体化することでイビルアイの<
「宙を駆けるか……その上、非実体化するとなると移動阻害の類は使えない。やむを得まい、<
イビルアイの前方に水晶の壁が現れる。そこにアンデッドの槍が突き入れられると壁の中心にひびが入り一撃で破壊された。だが、イビルアイはその隙に準備していた魔法を発動する。
(一撃か……だが、想定内だ!)
「<
小さめな水晶の散弾が攻撃したばかりで体勢が乱れているアンデッドを襲う。しかし、アンデッドは盾を構えて全て弾き返していた。盾には傷らしきものが全くついていない。
「ちっ!」
イビルアイは<
「<
その時、ラキュースの掌から収束された光が放たれる。この攻撃を予測できなかったのか、アンデッドの背中に直撃する。
「――――」
アンデッドは呻き声も出さないが、背中からは白い煙が上がっている。さすがに神聖属性の魔法は効いたようだが、致命傷には程遠いだろう。初めてダメージを負ったアンデッドは、憤激したかのようにラキュースに向きを変えて上空から襲い掛かった。
(まずい!)
ラキュースでは一撃も耐えられない。そして、王国には彼女を生き返らせられる者がいない。絶望の予感に急いで距離を詰めるが、無情にもアンデッドはラキュースの胸元めがけて槍を突き出した――瞬間、ラキュースの身体がふっと消えた。
「よくやったぞ、ティア!」
ラキュースがティアの後ろに移動したのを確認して、アンデッドの無防備な背中に魔法を放つ。
「<
硬質な物体が幾重にもぶつかり合う凄まじい轟音が部屋中に響き渡り、アンデッドは体勢を崩した。アンデッドは怒りを滾らせたかのように顔をイビルアイに向けてくる。
(これでもダメか。勝てはしないが……時間は稼げる!)
その時、部屋を出ていたガガーランとティナが部屋の中に戻ってきた。
「何をしている! 早く逃げろ!」
イビルアイは二人を叱咤するように叫ぶが、続く光景を見てさすがの彼女も表情を変えた。
「――二体、いたのか……」
ガガーランとティナを部屋の中に追い込むように、後からもう一体の
――終わりだ。もはや仲間を逃がすこともできない。自分だけなら転移で逃げられるかもしれないが、仲間を見捨てて逃げられる筈もない。
(最後まで足掻いてやろう。黙って死ぬなど、このイビルアイには似合わない!)
防御魔法を掛けようとした、その時、イビルアイはこの場では有り得ない声を聴いた。
「――待て」
「モモン……どうしてここに……」
二体目の
「話は後だ。撤退しろ」
「そ、そいつは困るな、『漆黒』の英雄モモンさんよ。生かして帰したら俺たちが――」
部屋の隅に固まった男たちが引きつった表情を浮かべて、びくびくしながらモモンに不満をぶつけてくる。
「――無用な心配だ。お前たちの上司には話を通してある……お前たちが責任を問われることは無い。それにそいつらも私と戦う気は無いようだぞ」
『蒼の薔薇』はモモンを伴い拠点である宿に戻っていた。幸いにも誰も怪我は無かったが、彼女たちの表情は一様に困惑気であった。
皆が席に着くと、モモンから語り始めた。
「いろいろ聞きたいことはあると思いますが、順を追って話しましょう。まずは私がここに来た理由ですが……勿論、あなた方を救うためです」
ラキュースが我慢しきれずに声を上げる。
「なぜ、分かったのですか? 我々の危機をどのように知られたのでしょう?」
モモンが考える素振りを見せるが――やがて彼女たち全員を眺めて答えた。
「魔導王の部下からの情報です。あなた方に危機が迫っている、と」
「そんなバカな……早すぎるだろ」
ガガーランは呟くと、信じられないといった表情でモモンを見つめている。
「あなた方が敷地内に入った時点で知られていたのでしょう。……今後、彼らの邪魔はしないという条件でここへ転移してもらいました。そして、あなた方が戦った彼らは八本指の配下ですが――八本指は既に魔導国の配下となっています」
「そんな……」
ラキュースの顔色が蒼褪めていく。いや、ラキュースだけではなくガガーランも同様だった。
だが、イビルアイはモモンに詰め寄った。
「モモンは、それを聞いてどう思ったのだ? 魔導国は……敵ではなかったのか?」
モモンはイビルアイに向き直る。兜の奥の表情は窺い知ることはできないが、イビルアイは責められているような感覚に陥った。
「勘違いするな、私は弱き者の味方だ。弱き民衆が無法な虐待を受けていれば、相手が如何なる存在であってもこの剣を抜き戦おう」
「では……八本指は悪です。民衆を苦しめて富を巻き上げていました」
ラキュースの答えを受けてモモンは強い口調で語る。
「貴族とグルになって、だろう。王国がそれを許容していたのであれば王国も同罪だ。しかし、今の八本指に私が剣を向ける理由は無いな。……大事なことは民衆にとって何が善で何が悪かだけだ」
モモンは王国の現状を知っていた。もしかしたら彼女たちの誰よりも詳しいかもしれない。そして、イビルアイの考え方とは異なっていた。彼は弱者を救うためならば国が相手でも関係ないという。
いつしか、モモンが敬語を使わなくなったことに誰も違和感を感じていなかった。それ以上にモモンの言葉が胸に刺さっていた。
「それじゃ、魔導国の工作を見過ごせって言うのか?」
ガガーランが食い下がる。正義感の強い彼女は、今までの八本指の所業にメンバーの中で最も憤りを感じていたのだ。
「止める理由は無いな。魔導国は助けを求める王国貴族に対して食糧を援助していると聞いた。だが、それでも足りないのだろう。お前たちが弱者の立場ならどうする? ――はっきり言おう。今、私が剣を向けるとしたら、それは魔導国ではなく王国だ。魔導国――いや、魔導王が何を目的としているのかは私の知るところでは無い。だが、明日死ぬ命を救っているのは魔導王だ」
そもそも魔導王が王国の働き手を……それを言うのは間違いだと誰もが理解している。今の王国の惨状は、王国がゆっくりと腐敗していった事こそが根本原因に違いなかった。
「民あっての国だ。民が今の国を望んでいないのであれば――民が望む国を創れば良い」
翌日、モモンの館の応接間ではアルベドとパンドラズ・アクターの話し合いが行われていた。
「情報を提供いただいたこと、感謝の念に堪えません。……しかし、なぜこんな手の込んだことを? あなたなら『蒼の薔薇』が来る前に拠点を別の場所に移すこともできたのではありませんか?」
パンドラズ・アクターの問にアルベドは微笑みながら応える。
「王国の計画はアインズ様より私とデミウルゴスに任されているけれど、これもアインズ様のご計画のひとつには違いない……あなたはそれを理解しているわね?」
アルベドはパンドラズ・アクターが頷くのを満足そうに眺めると言葉を続けた。
「私は確認しておきたかったの……あなたがアインズ様の思惑を超えてメリットを提示できるよう行動できるのかを。あなたはあれらを救う事でアインズ様の計画が達成されること以上の成果を期待したのでしょう? ――当然よね、あなたはアインズ様にとって"特別"な存在だもの」
「おお! なぜその事を! 仰る通り、私は父上に特別と認められた存在。より大きな成果をださねばなりません!」
アルベドはアインズとパンドラズ・アクターの秘密を知っていた訳ではない。自らの主人に創造された唯一の存在という意味で"特別"と言ったのだが……。
"特別"を肯定する返答を聞いて、アルベドの胸の内では嫉妬という名の黒い塊が湧き上がっていたが、表情には出さずに話を続ける。パンドラズ・アクターは普段の言動では想像できないが、自らに匹敵する程の知恵者でもある。余計な猜疑心を生まないよう注意しなければならない。
「私もできる限りあなたに協力するつもりよ。あなたの成長とアインズ様のお考え以上の成果を提示すれば、より喜ばれるに違いないわ」
「感謝いたします、守護者統括殿……。それと『蒼の薔薇』ですが、彼女たちは計画の一端を知ってしまいました。影響ないとは思いますが……」
「メリットがあるからわざわざ助けたのでしょう? 事実を知ったところで彼女たちには何も出来ないでしょう。計画に支障が無ければ危害を加えたりはしないわ。それとも――本当に情が移ったのかしら?」
「――正直に申し上げますと、彼女に懐かれるのは悪くない気分です。ナザリックの者たちと一緒にいるような親近感といいますか……。いい加減、仮面は外して欲しいところですね。ただ、彼女は『モモン』に想いを寄せているので、いつかアインズ様に引き継ぐ事になっても困らないようにしておくつもりです」
頭を下げるパンドラズ・アクターに普段の仰々しい振る舞いは見えなかった。これが本来の彼なのだろう。
アルベドは満足げに頷くと、満面の笑顔を浮かべてパンドラズ・アクターに告げる。
「"守護者統括"という呼び名では固いから"アルベド"と呼び捨てにして欲しいわ。それより、もう少し先の話になるのだけれど……あなたが副官を勤めることになる私のチーム。その方針についてあなたの意見を聞いておきたいわね」