慶應義塾大学大学院在学中にスタンフォード大学へ留学。シリコンバレーの風に触れて起業家への道を決意し、23歳で日本初のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を立ち上げ、ダボス会議へ日本人として最年少で参加──。
華々しい経歴を歩んできた米良はるかさん(@Myani1020)。「READYFOR」を順調に株式会社化し、これからだというタイミングで悪性リンパ腫を発症しました。しかし米良さんはその闘病期間さえも「自分と向き合うために必要な時間だった」と語ります。
起業までの葛藤と決断、闘病中に見えた景色、そして「女性起業家」として評価されることへのジレンマをどのように捉えてきたのでしょうか。米良さんのこれまでのライフイベントと心の揺れ動きを、キャリアグラフをもとに紐解いていきます。
「とりあえずの就活」に違和感
──米良さんは2005年に慶応義塾大学へストレートで入学されています。キャリアグラフの値も最初から高いですね。
ずっと入りたいと思っていた大学へ進学できたので、入学当時はご機嫌でしたね。とてもシンプルな理由です。
米良はるかさん:1987年東京都生まれ。2010年慶応義塾大学経済学部卒業、12年同大学院メディアデザイン研究科修了。大学院在学中にオーマ株式会社にて日本初のクラウドファンディングサービス「READYFOR」を立ち上げ、2014年にREADYFOR株式会社の代表取締役CEOに就任。
──しかし、そのあとグラフが大きく急降下しています。これはなぜでしょうか?
時間が経つにつれて大学が「楽しい!」と感じられなくなったんです。基本的な性格として、私は目標を設定して突き進むのは苦にならないタイプ。大学生活はすごく自由なので、何に夢中になればいいのか迷ってしまい……。勉強に打ち込む以外の選択肢がたくさんあるし、将来のイメージはまだ沸かないし。どんなことを基準に過ごせば良いのか分からず、辛いなあと感じていました。
──迷いのあった20歳の頃、インターンとしてナイキジャパンで活動されていますよね。どんなお仕事を経験されたのでしょうか?
とにかくあらゆるミーティングに同席して、さまざまな業務を体験させてもらいました。主に携わっていたのはインフルエンサー・マーケティングの事業です。タレントにアイテムを提供し、ブランドの認知を図る施策を担当しました。なかでも私が興味を持ったのが、この施策がデジタルと融合した時に、世間へ数値としてどのようなインパクトを与えられるのか?という部分でした。
──そんなタイミングで、東京大学との産学連携ベンチャーでWebサービス「あのひと検索SPYSEE」*1の立ち上げにも参加されています。
ちょうど東大の松尾豊先生*2がスタンフォード大学から帰国され、AI分野の研究室を立ち上げるタイミングでした。慶応との共同ゼミ生として私も本格的にプロジェクトに参加し、ウェブ解析やアルゴリズム研究などのデジタル領域への興味は深まる一方でした。
──そんな充実した日々を送られていたのに、グラフの下降は止まりませんね。
そうですね。その頃は研究と就活の間でかなり揺れ動いた時期でした。いろいろやってはいましたが、実は私、卒業後の進路選択に関してかなり意識の低い学生だったんですよ。
就活にはどうしても一直線に向かうことができませんでした。同級生たちは大企業を受けていましたが、なぜ迷いなく突き進めるのかが分からなかったし、そこに目標を設定することは自分の興味や研究と合っていない気がしていたんです。
「cheering SPYSEE(あの人応援チアスパ!)」*3の立ち上げをすることになり、パラリンピック日本代表スキーチームのワックス代120万円を集めることに成功したのが2010年です。当時は卒業が迫るなか、就職に向けて駒を進める周囲と自分の行動にますます隔たりを感じていました。完全にこじらせたモラトリアム期でしたね。
「私、起業家に向いているかも」
──米良さんは結局就職はせずに大学院に進むことを選択されています。グラフも一気に上り調子になっていますね。
当時付き合っていた今の夫に、キャリアについてのモヤモヤを相談したところ、「同じ年齢で一斉に就活を始めるのって日本くらいだよね」と言われてハッとして。思い切って1ヶ月間、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)に留学を決めたんです。
現地ではかなり刺激的でした。日本の学生とは違って、「将来この仕事に就きたいから、今は資格を取るためにプロセスを踏んで研究を続けている」といった自らの目標に向けて段階的に努力している学生がたくさんいたんです。
ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに留学中の米良さん
──まさにカルチャーショックでしたね。
「自分がありたい未来に対して、焦らずにステップを踏んでいく」という価値観に触れたことで、すごく安心しましたね。それ以来、「人生で自分が社会に価値を生み出すためにはどうしたらいいか?」という考えを持つようになりました。
当時携わっていたオーマでのチアスパの立ち上げのような“やりたいこと”を、一番試せる環境を選ぶ。それが仕事につながらなくてもいい。そう思い始めたんです。
そのあと留学したスタンフォード大学では、2歳上の女性講師の話がとても印象に残りました。彼女は、入学とほぼ同時に立ち上げた事業をすでにグーグルに売却した、と言うんです。今はグーグルの社員として働いているけれど、まだまだやりたいことがあるから次の起業を考えていると話していて。
進路選択を迷っていた自分からすると、「やりたいことを自分で見つけて挑戦し、社会で評価を得て、また新しいことに挑戦する」といったシリコンバレーの文化は好きだなと思ったんです。「もしかしたら私、起業家に向いているかもしれない」と、気づかされたのがこのときでした。
──帰国後、2011年に「READYFOR」を立ち上げます。日本で初となるクラウドファンディングの事業でしたが、不安はなかったのでしょうか?
まったくありませんでした。むしろ、(進路を)選択する方が難しかったと思います。シリコンバレーで学んだ「テクノロジーを駆使して社会にインパクトを与える」という志を形にできると思うととても嬉しかったですね。アメリカでもクラウドファンディングが盛り上がりを見せ始めていたのがその頃です。私が実現したい世界観、つまり「個人がやりたいことを発信し、それを多くの人が応援する」が、日本国内でもきっと成長するマーケットになると確信していました。
その後、READYFORは晴れて株式会社化するのですが、同じ頃、私自身も結婚という大きなライフイベントを迎えました。ようやく家族として「固定値」になれたので、仕事ではますます冒険していこうと覚悟が決まりました。
──固定値とは?
恋人の状態って、「変数」だから不安定じゃないですか。私は結婚すれば家族として関係性が固定されるなと思っていて。もちろん、仕事のために結婚したわけではないですよ(笑)。私が結果を残すことは世の中の女性経営者を増やすことにつながる、といつでも応援してくれる素敵な夫です。
闘病は、自分を棚卸しするための時間
──素敵なパートナーですね! 2014年、25歳の年に株式会社READYFORとして独立。イケイケかと思いきや、グラフが下降気味なのはなぜでしょうか。
それまでは学生メンバーを交えて和気あいあいとやってきましたが、株式会社化して初めて「パートナー」と呼べるような存在のCOO(最高執行責任者)やCFO(最高財務責任者)が入ってきて、メンバーの数も一気に30名にまで増えました。企業の成長に対して適切な評価制度やカルチャーづくりが追いつかず、かなり苦戦した記憶があります。もちろんいい時期もありましたが、やっぱり初期は大変なことばかりで。
──スタートアップでは特に、社内でのコミュニケーションが大事になってきますよね。
人数が増えるにつれ、一人ひとりに向き合うことが困難になってしまって。私が叶えたい「誰もがやりたいことを実現する」というビジョンとの乖離を感じるようなったんです…。そもそも、一般的なベンチャーの多くが目標とする「事業を大きくする」ことが、READYFORにとってベストな選択なのかが分からなかったんですね。
そうした課題に気づいていながら、とにかく目先の数字を追いかけることで手一杯でした。組織として未成熟のまま走り続けた結果、メンバーが離職してしまったのがこの時期です。事業としては着実に伸びていたので、外からはそんなに問題を抱えているようには見えなかったと思います。
2017年、会社のメンバーと初詣に訪れる米良さん
──仕事で葛藤していた29歳の頃、悪性リンパ腫という血液のがんが発覚。かなり衝撃を受けたのではないでしょうか。
医師から告知を受けた時は、「このまま死んでしまうかもしれない」と瞬間的に思うほどでした。ですが、幸運なことに私の病気は抗がん剤治療を受ければ死ぬ確率は低かったんです。そこで意識がガラリと変わりました。治療が順調に進んだ場合にかかる期間が明確だったので「ゆっくり自分と向き合う時間を与えられているんだ」と思ったんです。
──どういうことでしょうか?
病気になるまでは、根本的な課題を解くために自分自身と向き合う時間を持てていなかったんです。ベッドの上でまず取り組んだのは、自分自身の棚卸しです。「自分が本当に成し遂げたいことはなんだろう?」と。そうして見えてきた「私が本当にやりたいこと」は、会社を上場させることでもお金を稼ぐことでもなく、自分が思い描く「こうであってほしい社会」に向かって、適切な仕組みをつくることだと改めて気づいたんです。100年後、1000年後に、「今この社会があるのは、過去に仕組みをつくった人がいたからなんだ」と思われるようになりたいと確信しました。
──原点回帰ということでしょうか。闘病中は、歴史上の偉大な指導者にまつわる書籍をたくさん読まれたそうですね。
そうなんです。ひたすら読んでみて分かったのは、一人のカリスマリーダーのアイディアから新しい仕組みが生まれることって、そうそうないんだな、ということでしたね。やっぱりどんな偉大なリーダーでも“チーム”で戦っています。大きな仕組みづくりを実現するためには、自分ができることとできないことをしっかり認識し、できないことを切り捨てて、欠けた部分を補ってくれる仲間を引き入れて突き進んでいくべきなんだ、と勇気が湧きました。
「お金の流れるべき場所へお金を流す」
──休業されてから約半年後の2018年1月、満を持してREADYFORへ復帰。グラフの値もマックスへ振り切っています。
「良くなかった部分をすべて変えよう」という覚悟で戻ってきましたね。まずは、より大きなお金の流れをつくるために、CLO(最高法務責任者)やCTO(最高技術責任者)に参画してもらい、経営陣を拡充・強化しました。人材面では専門性のある人を増やし、会社のメンバー数を倍の60名に。資金面では初の資金調達に踏み切りました。
企業文化の面では、2019年10月にミッションステートメントや会社のロゴなどのCIを刷新しています。同時に、長年慣れ親しんだ本郷から半蔵門にオフィスを移転しました。細部までこだわった新しいオフィスはお気に入りです!
──すごいスピード感です。最も大きなトピックとしては、2019年7月に新事業をスタートされたことではないでしょうか。
そうですね。社会課題を解決するSDGs分野で活動を進める団体と支援企業とをマッチングする「READYFOR SDGs」*4をスタートさせたことは、私にとって大きな決断でした。というのも、この事業を始めたきっかけの一つに、私のがん治療の経験があるんです。
──どういうことでしょうか。
私のかかった悪性リンパ腫の型に効果のある抗がん剤が開発されたのは、2000年頃。開発された抗がん剤により、5年生存率が飛躍的に上がりました。そうした背景があり、私は今ここにいるんだなと。
一方で医療研究の領域には、なかなか十分なお金が流れていない現実があります。そうした新たなイノベーション領域やSDGsのような領域にお金が流れる環境を早急に整えなくてはいけない、と強く思うようになりました。現状のお金の流れだけではSDGsが掲げる目標に到達するのは難しいですが、企業と社会が一体になれば達成できるはずです。そのために、今後のREADYFORは個人だけではなく企業の力も巻き込みながら、より大きなスケールで設計を進めようと決めたんです。経営者としての力量が問われることになり、ワクワクしています。
──病気を通してクリアになった課題を、事業としてスピーディに解決する仕組みを作り上げるバイタリティには脱帽です。そういえば5月には、日本ベンチャー大賞「経済産業大臣賞(女性起業家賞)」を受賞されましたよね。
私自身、色々と考える機会となりました。受賞は純粋に喜ばしいですし、会社にとってプラスになる出来事だったと思っています。ただ、私個人の感情としては、あえて「女性」という肩書きがつけられることに対して、悔しいという気持ちがあるのも正直なところです。一人の起業家として、READYFORは社会の仕組みを変える素晴らしい会社だと認めてもらえるようにならなければ。そんな思いが強くなっています。
──複雑な気持ちを抱えながらも、持ち前の前向きさで日々突き進まれているのですね。
希少だからこそ取り上げていただけたということはあると思います。ですが、女性であるか男性であるかは本来ビジネスと関係ありません。起業家にとって大事なのは、「企業の価値を創出できるかどうか」だと心から思います。
ただ、ロールモデルが少ないばかりに自分のやりたいことを諦めてしまう人がいるとしたら、それは社会にとって健全じゃないですよね。私を含めみんなが挑戦する姿を見た人が「私もやろう」と思える社会になってほしい。READYFORを通じて、性別や年齢、国籍などに関係なく、チャレンジしたいことに向き合える社会を実装していきたいです。
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取材・文:波多野友子
編集:ノオト
撮影:栃久保誠
*1:2008年に株式会社オーマが公開した人物検索エンジン。インターネット上の情報から人物間のつながりを可視化して表示するサービス。
*2:東京大学大学院教授。東京大学大学院博士課程修了。スタンフォード大学客員研究員などを経て、19年4月から現職。AI研究の第一人者として知られる。2019年6月、ソフトバンクグループの取締役に就任した。
*3:「あの人検索SPYSEE」を元に開発された投げ銭サービス。
*4:「SDGs」(Sustainable Development Goalsの略。国連が2015年9月に採択した「持続可能な開発目標」のこと。ジェンダー平等の実現や気候変動対策など、計17項目におよぶ)をテーマに、企業と実行者をマッチングさせるサービス。企業が、SDGsに基づいた自社のビジョンに合致するプロジェクトを募集。審査で選ばれたプロジェクトには、目標金額の50%を上限とした「マッチングギフト」が提供される。マッチングギフトは、各プロジェクトに対するクラウドファンディング支援者からの支援金と、企業が拠出する資金が組み合わさったもの。