元宮内庁職員「秋篠宮殿下に、天皇はムリ」と断言 その理由が明らかに



明日は秋篠宮殿下の誕生日だ。先立つ20日に会見は収録済みで、その一部が既にメディアに漏れているようだが、どうやら「秋篠宮殿下の情けなさ」がさらに強調されてしまう内容になっているようだ。これについて私が思うことは明日以降の記事でまとめられるだろうが、秋篠宮殿下が「天皇の器」ではないことは、実は殿下ご自身が一番痛感していることだと思う。

なお、タイトルの元宮内庁職員とは、もちろん私のことである。

宿命と覚悟

不敬を承知で申し上げあるが、殿下ご自身は悪人ではないのだが、どこか抜けている方だ。ご自身が天皇になる可能性があることを、30半ばまで気付かずに過ごされた方だ。もし秋篠宮家が皇位継承から遠い傍系宮家であったならば、殿下は寛仁親王よろしく『ヤンチャなチョイワル皇族』として国民の人気を集めたかもしれない。美しき眞子さま佳子さまと共にメディアの寵愛を受け続けたかもしれない。

だが「宿命」は殿下に微笑まなかった。

明治以降の天皇制は「相続争い」が生じないように、制度に則って機械的に皇位継承が紡がれる。決して家族会議や国民投票によって天皇が選出されるのではない。いわば天皇になることは、生まれたその瞬間に定められた「宿命」のようなものだと思う。

明治天皇は別としても、大正、昭和、平成、令和と四代連続して、そのような形で皇位が継承されてきた。少なくとも昭和、平成、令和の三代の天皇は、法律に基づき決定された皇位継承順位にもとづいてご自身が即位することを幼少期から十分に認識してお育ちなった。大げさな言い方をすれば、いずれ即位するという「覚悟」を、生まれたその瞬間からお持ちだったのだ。

私はそのような「覚悟」こそが近代皇室ににおいける「帝王学」であると思う。

自信のない秋篠宮殿下

繰り返すが秋篠宮殿下は悪人ではない。ごく普通のお方だ。だが、あまりにも庶民感覚に近い「普通」であるために、天皇に即位する「覚悟」が備わっていないように思えるし、その「自信」もないように思える。すでにメディアで報じられていることではあるが、

  1. 帝王学を学ばれていないという理由で、「皇太弟」という伝統的称号を辞退され、「皇嗣」という珍妙な称号を選ばれた。
  2. 高齢での即位の可能性について「それ(高齢)からは無理です」と否定的に述べられた。天皇の定年制については殿下ご自身が誕生日会見などで肯定的に述べている。

もちろん情状酌量の余地はある。だが、たとえば❷高齢での即位拒否については、50代半ばの今からご自身の言葉で伏線をはることでもなかろう。そもそも天皇に即位することは「宿命」なのであるから、その宿命を受け入れられず回避しようとする様は、やはり「天皇の資質無し」と思われても致し方ないのではないか。

そういえば2006年ごろから保守系の論者たちが、当時の皇太子殿下(現、天皇陛下)に引退を迫り、秋篠宮殿下に皇位を譲るように迫るトンデモ論考を相次いで発表したが、全く皇室の実情を把握していなかったと言わざるを得ないだろう。

帝王学の道は遠い

私が「秋篠宮殿下に天皇はムリ!」と考える理由、より正確に言えば「秋篠宮殿下が自分に天皇は務まらない」と思われる理由は、主に次の二つであると思う。

  1. 宮中祭祀の作法が全くできないし、覚える気もない:祭祀はテレビで中継されるわけではないが、そのいくつかは税金から費用が捻出されているのだから、あまりに無様な祭祀は問題がある。ほとんどの祭祀は代理人による代拝で済むにせよ、ご本人が“できない”のに代理人が“できる”という現状では、代理人が天皇では良いではないかという極論に陥る。
  2. 祝詞をほとんど覚えておられない:問題点は同上。祝詞がテレビで流されるわけではないが、日本国の象徴が、祝詞を間違えて唱えていたのでは国民は救われないような…。

いずれも「帝王学」の基礎中の基礎である。だが、何度も繰り返すように秋篠宮殿下が、ご自身が即位する可能性など30半ばまで気が付かなかった方なので、こういった基礎中の基礎が実は欠けているのである。秋篠宮殿下が、ご自身が即位できない理由について「帝王学を学んでいないから」と仰るのは、何か高度なことを言っているのではなく、こういった基礎中の基礎を学んでこなかったことを自白しているのだ。

もちろん「宮中祭祀などできなくても問題ない」と思う人も多いだろう。だが、これら宮中祭祀も「象徴としての務め」の一つなのだ。それが満足にできないというのは、大きな問題であると私は考えている。



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