むしろ田嶋陽子はその狂犬っぷりがウケて月曜21時には欠かせない存在になったんですよね 仮に大人しかったら長老格の三宅久之に完封されてますよ 何せ韮澤編集長vs大槻教授のオカルト討論と同じくらい田嶋vs三宅のカードはドル箱でしたし
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たかじんの委員会でも、そのおかげで未だにコメンテーターとしている訳ですから。
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元ツイのレスを見ていると、どうも「ラピュタの最後」みたいに記憶が捏造されてしまっている人が多いようで、ちょっと問題の根が深そうですね。
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嵐山光三郎と、いわゆるパンツ論争で怒鳴り合いの末、番組途中で怒って帰った事もありましたよ。
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いちど収録中に怒ってかえりましたよね? タックルかたかじんか忘れましたが (・ω・)
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こういうの見てるとここまで記憶改竄が激しいとフェミニズムの研究結果全般を一回冷静な視点で洗い直す必要があるんじゃないかと思ってしまう。 事実と異なった認識は男性にも女性にも不幸をもたらすことになりかねない。
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当時はまだ、女性論客にはそれほどのパフォーマティブな振る舞いを求めるのは無理だとする現場的な"配慮"があっただけだと思います。それに、田嶋氏は"論理的"というよりは"教条的"であったというのに近かったです。とまれ、テレビ上の"演出"を顧慮しないというのはメディア批評としては致命的でしょう
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いくつか見た。 だから…当てにならない。 たかじんでも、タックルでも 田嶋先生は吠えてる印象しかないです
引くくらい自己主張してましたよ。
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今のフェミニストに比べれば遥かに話の通じる方だとは思うけど、穏やかに話を聞いて「でもね」とか田嶋陽子氏の何を見てたのかと。 並居る権威家の男性に一歩も引かない気の強さと激しさが彼女のウリでしょ。 私女なのにヒドイ!とか死んでも言わない獰猛さ、今となっては崇高ですね。
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発狂のネタ振りがあっての澄まし対応という変化球
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