皆さん、小説読んでますか。
小説読むのって面白いし、場所も問わないし、さほど金もかからないし、中断してもいいし、聡明であることを周囲に主張できるし、いい事ずくめの娯楽なのですが、いかんせん唯一の難点が「読むのがだるい」ことなんですよね。
我々凡人は読書の有益さを知りつつも、一方で「本読むのだるいし、YouTubeでアメリカの面白ホームビデオでも観たいな」という感情を抱えています。だるいなら読むなよ、とおっしゃる方もいるでしょうが、それはあまりにも人間の気持ちを黙殺した意見ではありませんか。そういう相容れない気持ち、混乱、疑念を受け入れることが真の人間性なのではないでしょうか。だるいです、読書。それでもしたい。
ということで、今回は志を同じくする皆様のために「短編」に絞ってオススメをします。
※個々人が記憶で喋っていますので、ストーリーやニュアンスが若干異なることがあるかもしれませんがご容赦ください。
原宿のオススメ短編小説
僕はこれです
ベタだと思うんですけど、ロアルド・ダールの『あなたに似た人』。
かなり読み込んだ感じの佇まいですね。
ロアルドダールって『短編の名手』と呼ばれていて、皮肉めいたというか、人間の醜い部分がでたりする話が得意で
このなかに「南から来た男」っていうのがありまして、これはもうとにかく名作と呼ばれていて、ミステリマガジンのオールタイムベスト短編部門1位にもなってます。
へぇー。
つまりスーパーマリオってことですね?短編部門のスーパーマリオ。
多分その例え、適切ではない
※オチが重要な作品のオチまで触れますので、見たくない方はスクロールして飛ばしてくたさい。
あるリゾートホテルで男がタバコを吸おうしていたら、金持ちそうな老人が「これって必ず火が着くっていう有名なライターですよね」と話かけてくるんですよ。実際、そういうライターがあるらしいんですけど。
そうしたら、金持ちの老人が「私とひとつ賭けをしませんか」と。「あなたが10回連続でライターをつけることができたら、車を差し上げましょう。新車のキャデラックをあげますよ」。そう言うんです。
ほう。
急に何を言ってるんだこの人は、怖いなって思ったんだけど、一応「僕がもし失敗したら何を差し出せばいいんですか?」と聞いたら、老人は…
「左手の小指をもらえますか」と言うんです
想像してたより怖い話だった。
カイジみたいになってきましたね。
男も「ええ?なにこいつ?こわ~~」って感じになるんですけど。「でもキャデラックもらえるのか…」とも思い始める。
ガールフレンドのほうは「いや、気持ち悪いからやめなよ」って感じなんですけど、男のほうはもう頭にキャデラックがチラつく。どう考えても有利だから…って、その賭けやりましょうとなるんですよ。
そして老人の部屋に行って、その賭けが始まります。じゃあ、まず左手を固定しましょうか、と
カイジですか。
失敗した瞬間に肉切り包丁で一気にドンといく、と
カイジやん。
そんで立会人も付けて。
どんどん頭の中のイメージが福本伸行になってきた。
徐々に鼻と顎が尖ってきた。
最初は馬鹿げた話だったのに舞台が徐々に整っていき、賭けが始まります。1回目…成功。2回目…成功。どんどん成功していく…。8回まで成功したところで、突然
老人の奥さんがものすごい剣幕で乱入してくるんです。
ええ?どうなんの!?
老人から包丁を奪い取って「この賭けはなかったことにしてください、すいません」と男に謝罪するんです。
で、その奥さんが「本当に私達は苦労して、主人の賭け事をやめさせたと思ったんですけど、やっぱり目を離すとこんなことになってしまうんですよね…実は主人には賭けられるものなんてもうないんです」
「賭けていたキャデラックも主人のものではなく、実は私のものなんです。私が長い時間をかけて主人から取り上げたんです」とを言って、車のキーを取ろうとした奥さんの手を見たら…
その奥さんに指が2本しかなかった…
って話…
ええ~~?????
なんちゅう後味の悪い話
これってミステリーっていうんですか?
まあミステリーというかブラックユーモアというか…過去にすごいことがあったんだろう、と最後にほのめかされて終わる。このキレ味の良さね…。
ヤスミノのオススメ短編小説
僕が紹介するのはウィリアム・サローヤンの『ザクロの木』。これは最近翻訳され直して初めて読んだんですけど
これがですね…いい話ってわけでもないんですよ。
いい話じゃないんだ。いい話が載ってそうな装丁なのに
一般的なエンターテイメント作品ではないんですけど、高尚で文学性の高い作品とも言えなくて。なんか素朴な小説なんです。
この短編集『僕の名はアラム 』は主人公の周りにいる「ダメなおじさん」の話ばっかなんですけど、『ザクロの木』も例に漏れず「ダメなおじさん」の話で。
ストーリーはもう一言で説明できます。おじさんが砂漠に農場を作ろうとするけど全くうまくいかなかった、っていう話です
え?なにそれ
悲しい
信じられないくらいダメなおじさんなんですよ。
ストーリー自体がめちゃくちゃ面白いかと問われたら、あれなんですけど…。書き出しがが物語を端的に表してるんで引用させてもらいますと
僕のおじさんのメリクは、史上ほぼ最低の農場主だった。農業をするにはあまりに想像力豊かで、あまりに詩人だった。おじさんが求めたのは美だった。美を植え、日が育つのを見んとおじさんは欲した。(中略)すべては純粋な美学であって、農業ではなかった。木を植えて木が育つのを眺める、という発想におじさんは惹かれたのだ。
めっちゃいいように言いますね
普通にダメな人ですね
そうなんですよね。理想しか見てないっていうか…。農業のことなんか分かってないんですが、木を育てることに憧れや夢だけある。
ただ勘違いしてほしくないのは、おじさんの「ハチャメチャ農業奮闘記」ではないっていうことです。愉快なトラブルはおこらないし、おじさんは何かぼうっとしてるし、逆境に打ち勝つわけではない。なんか地味目にずっとダメっていう…
ラストは哀切のようなものがあるんですけど、それも別に分かりやすい形では提示されなくて。
正直これを読んでも、どんな教訓があるのか、どういう意図がある話なのか全然わかんないですけど「なんかいいなあ」って
話が面白い、びっくりした、泣ける、オチがすごい、タメになる、共感できる。それ以外の話が読めるから小説ってオトクだな~~~~と思います。
僕の名はアラム (新潮文庫)
- 著者ウィリアム サローヤン
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- 出版日2016/03/27
- 商品ランキング92,990位
- 文庫262ページ
- ISBN-104102031065
- ISBN-139784102031063
- 出版社新潮社
てらだこうじのオススメ短編小説
僕のオススメは梶井基次郎の『桜の樹の下には』です。
おっ、梶井基次郎。『檸檬』じゃないんだ。
※梶井基次郎『檸檬』
梶井基次郎の代表作。教科書にも頻出する作品。レモンを爆弾に見立てて、書店を爆発させる空想する男の話。
『櫻の樹の下には』のページ数は5ページぐらいで…
みじか!
もう小説というよりは散文のような、思いの丈を膨らませて書いた…みたいな。「桜の樹の下には屍体が埋まっている」っていう有名な書き出しで始まるんですけど。
これはなんか知ってますよね。このフレーズだけ波及してる感じが
代表作の『檸檬』って結構若い感覚の小説だと思うんですよ。もんもんとして、こじらせてるという感じの。若い時期の鬱屈を表現した作品だと思っていて。
『桜の樹の下には』は、もう少し大人というか…梶井基次郎がこれを書いたのは27歳らしく、そうなると「大人になんかなりたくない」とか子供じみたことも言ってられない年頃じゃないですか。
たしかに。俺も28歳で初めて就職したしね。
それは遅すぎる。
「今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑のめそうな気がする。」という一節がとても印象に残っています。
「酒宴で酒を飲む村人たち」って、僕の解釈だといわゆる「普通の大人」っていうか…
「パンピーたち」みたいな感じですかね
世間に馴染めない自分との自意識の葛藤みたいな感情をうまく掬いとっていて、自分も25歳くらいの頃に読んで、グッときたんですよね。
「呑める」でも「呑んでる」でもなく「呑めそうな気がする」と、まだ村人側にはいってない、いけそうな予感で終わっているのもいいなと思いました。
僕もいまだに「属したくない」みたいなことを思ってしまうんですが…。でもそれでもやっぱり「そっち側」に行きたいな、とも思って。
たしかに『檸檬』と比較すると、『桜の樹の下には』には大人の葛藤みたいのがある気がする。『檸檬』ってSNSで炎上しそうな感じだし、なんか若いよね。
『檸檬』ってバカッターなの?
漫画家でもよくある話で「今ウケてるもの」と「自分の描きたいもの」とのギャップに悩む、のような定番の葛藤みたいなものがあると思います。
「バズってる漫画の多くはキャラが可愛いとか共感ベースの漫画でつまらない」と言ってる人を見たこともあるんですが…
僕自身、そういう気持ちも理解できなくはないですが、「でもかわいいもの好きだし、共感できるものも好きだし、ウケている側に行きたい」という思いも全然ある。反面、尖ったセンスで評価されるようなクリエイターにも憧れもあって、でも「そんな尖ったセンス自分にはないよな」とか、色々考えてしまいます。
売れてる人が「酒宴で酒を呑む村人」だとするならば、「あっちに行きたい」と遠目でグダグダ考えながら、どっちつかずで酒宴を眺めていて、でも参加できない自分は『桜の樹の下には』の主人公と、まだ重なってしまうところがあるんですよね。
ストーリーの面白さとかでなく、自分とダブる小説っていうのもいいですね。
ギャラクシーのオススメ短編小説
フィリップ・K・ディックの『トータル・リコール』です。
これシュワルツェネッガー主演の映画になったんで知ってる人も多いと思うんですけど
はいはい、おっぱいが3つあるやつね。
オバサンの顔が割れてシュワちゃんがでてくるやつですよね。
シュワちゃんの目がグググって飛び出そうになる…
覚え方に偏りがあるけど、そうです。
※オチが重要な作品のオチまで触れますので、見たくない方はスクロールして飛ばしてくたさい。
「トータル・リコール」、映画公開当時に観て面白かったから原作も読んでみたら…全然違うんですよ!
私も読んだことあるんですが、映画と全く違いますよね。
映画だとあれでしょ?火星に行く夢を見続ける男が主人公で、実際には行けないから記憶を植え付けてくれる『トータル社』で「火星で諜報員として活躍する」記憶を入れようとしたら、実は本当に火星に行っていた過去が判明して…みたいな。
そうなんですよ。前半は映画と同じ展開なんです。主人公は火星で秘密諜報員みたいな活動をしていたんですけど、記憶を消されて一般市民としての記憶を埋め込まれていたんです。
原作では記憶が封印されていたことが判明したあとに、再び別の記憶を植え付けることになります。
ええ?なんで?
どこへ逃げてもまた諜報員たちが追いかけてくる。それなら再び記憶を消して一般市民に戻してくれ、と考えたんです。
平凡で一般的な記憶なら、いつかまたリコール社へ行ってしまう。なので、より強い記憶、本人の願望を満足させるような記憶を植え付けることになるんです。ということで精神科医に深層意識を探らせ、強い夢想を見つけ、それを植え付けることにするんです。
その夢想っていうのが「少年の頃、地球侵略を企む宇宙人が現れるが、主人公は優しく接した。感動した宇宙人は、主人公が生きている限り、地球には侵攻しないと契約を結んだ。つまり生きてるだけで地球を守っていることになる」というものなんですが
ん?
めちゃめちゃ具体的な願望ですね
その夢想を注入してもらおうとしたら
まったく同じ記憶がすでに脳内に存在していたんです。つまり、その夢想も本当に起こったことだったんです。
ええ???
それからどうなんの!?
それで終わりです。
えええ~~…
陰謀で追い詰められるスリル、スパイもの映画みたいなハラハラドキドキのアクション、それらですでに話としては十分完結しているのに、さらにそのあと、はああ!?というオチなんですよね。
映画版は前半の部分だけで構築してあるんですね。
ディックって観念的で難しい話だな~みたいのが多いですけど、これに関しては本当ハチャメチャで面白いんです。宇宙人~!?どうなんの!?えっ終わり!?みたいな。
でも、それが短編の良さでもありますよね。
最初に「記憶屋」みたいのが出てきた時点でなんかもう「現実と虚構が分からなくなる」展開になるんだろうなと予想しちゃいますよね。
草分けはディックなんでしょうけど、いろんな人がディックをパクリまくってるから…。
実際これ有名な話で、漫画『コブラ』の第1話が全く同じ話なんですよね。
ダ・ヴィンチ・恐山のオススメ短編小説
清水義範『国語入試問題必勝法』から一編、紹介させていただきます。
まずこの清水義範という作家、今も現役作家でエッセイとかバンバン書いてるんですが、「パスティーシュの名手」と呼ばれています。
パスティーシュ?
「パロディ」に近いんですが、パロディは元のモチーフを持ってきていじったりすることを指します。元ネタの「形式」を真似するっていうのがパスティーシュなんですね。
語り口であるとか、論理の展開などを徹底的に真似する、だから「文章でやるモノマネ」みたいな感じですね。そういう短編をめちゃめちゃ書いていて、いろんな作家の真似ができちゃう。
ネットでよくある「村上春樹風◯◯」みたいな…?
ああいう芸風でウケた人の走りですね。ただ、ああいうのってだいたい「やれやれ」みたいなフレーズでそれっぽくしてることが多いのですが、清水義範はもっと巧妙なんですよ。
ほかのエッセイで書いていたのですが、清水義範はまず元ネタとなる作家の文章を読んだあとに「そして」「だから」のような接続詞だけ書き写してみるそうです。そうすると、その人の文章における論理の立て方が分かる。それに沿って書くと、作家の文体が構造レベルで真似できるんです。そういうふうに独自の方法でパスティーシュをしているんです。
今回は、昔読んで「すごい面白いな」と感動して今でも心に残っている短編を紹介します。
それがこちら。『靄の中の終章』という話です。これは作家のパスティーシュではないんですけど、ある意味ではパスティーシュでもあって…。
これは、いわゆる「ばあさんや、飯はまだかね」の話なんです。
ボケ老人が「さっき食べたでしょ」って言われるくだりあるじゃないですか。それをボケ老人視点で書くとどうなるのかって話なんですよ。
うわわ…すごそう。
主人公がおじいさんなんですけど、部屋でボーッとしてたら「腹が減ったなあ、そういえば貰い物の明太子があったな」と思って、息子夫婦の嫁にご飯を頼むんです。
そうしたら「さっき食べたじゃないですか」って言われるんですよ。その場ではアハハってなるんですけど、主人公の心の中では
「うわああああ!!!やっちゃったぁ…!」って感じで。「そうだ俺ももう食べたじゃないか。俺はボケたのか?いやそんなはずはない、私は大学も出てるし、今まで頑張ってきたじゃないか…」
うわあ…
「近所のじいさんはもうボケきって糞尿垂れ流しでみっともない。俺はああはならないぞ。頭だってこんなにはっきりしているし」
「そういえば…」
「腹が減ったなあ」
うわ~~!!!!辛すぎる…
しかもこれが一人称で進むから、自分が自分でなくなっていくのが一行ごとに実感させられる。
短編なんでちょっと極端に書いてるんですけど、短時間でどんどんアルツハイマーが進行していくんですね。
だんだん気が短くなっていって、息子夫婦の嫁が若い頃の亡き妻に見えてきたり、自分が若者だと錯覚しだしたりして…
そこに息子が帰ってきて、その姿を見て、「俺がいる…」って思うんですよ。
「俺がいて、妻がいる。そうか…自分は『いない』んだ…」
それでプツッっと何かが切れて終わるんですよね。
怖すぎる
「ボケ老人」視点ってある種ユーモア小説みたいにもできると思うんですけど、これはぞっとしますね
色んな人の中に、その人なりの合理性があるっていう事実を知ってしまって震えましたね…。
究極の主観みたいなものが書けるのも小説ならではで、今でもすごい影響を受けてます。
長編を読み始めるにはなかなかの気合が必要ですが、短編であれば気軽に読めますね。
一度面白いと感じてしまえは、そこから様々な小説に手をだしていきやすくなるでしょう。まるでゲートウェイドラッグのように。
撮影をしていたかんちさん、本を読まないそうなので著しく退屈そうでした。
江戸川乱歩傑作選 (新潮文庫)
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- ISBN-104101149011
- ISBN-139784101149011
- 出版社新潮社