本を読むのが好きだけど、買うのはもっと好きだ。本を買うのってワクワクするし、物欲も解消されるし、ちょっと賢くなった気がするし。本、最高。
ー で、そのまま読まない。いわゆる
積ん読。
買っては積み、買っては積み。買った時とは裏腹に、積まれた本を思い出すと罪悪感がじんわり広がっていく。読まなきゃという焦燥感がストレスになって、本から遠ざかってしまうことさえある。
だがちょっと待って欲しい。積ん読は本当にダメなんだろうか?
海外では「TSUNDOKU」という日本語がそのまま広まっているらしいし、積ん読は人類共通の現象なんだろう。悩むのではなく、むしろ積んでる時間を楽しむくらいの、そんな心の余裕があってもいいのではないか…?
こんにちは、岡田悠と申します。
今日は本を愛しながらも、同時に積ん読に悩むメンバーを集めてみました。
原宿:無職の時にたくさん本を買って、たくさん積んでいる
ヤスミノ:積むだろうと思いながらデッサンの本を買って、結果積んでいる
ダ・ヴィンチ・恐山:自らも作家として活躍しながら、30冊以上積んでいる
このメンバーで積ん読について語り、むしろその魅力を発見し、賞賛する、
を開催します。
なお採点は岡田の独断と偏見により行われます。読者の方々も自分の積みたい本を見つけてみてください。
盛り上がるのか?
では早速、開始したいと思います。
確認ですが、読んでない本について語るんですよね?読んだ本じゃなくて。
そうです。
盛り上がるかな?
僕、本を読んでもその内容をすぐ忘れちゃうんですよね。だから読んでも読んでなくても同じだと思います。
極論だ。
どんな感じになるんだろう。
5分で終わったらすみません。
とりあえずやってみよう。まずは僕からいきます。
1人目:原宿
一冊目はこれです。
いきなり難しそうなのがきた。
無職のときってこういう本がやたら欲しくなるんですよ。どう生きるのかのヒントを掴まなきゃと思って。それで哲学書をいっぱい買いました。
で、積んでる。
やっぱり難しくて。でもなんか、置いてるだけで賢くなった気分になるんですよね。意識が高まるというか。それは積ん読のメリットだと思います。
わかります。僕もデッサンの本を積んでますが、置いていると絵が上手くなっていく気がする。積ん読の「磁場」です。
磁場。
なに言ってんの?
観葉植物と同じです。本って、そこにあるだけでプラスの影響がある。
確かに知識人の写真とかって、すごい量の本棚の前で撮ったりしますね。あれも本の磁場を利用してるんでしょうか。
あれもきっと積んでるに違いない。
あとはニーチェを積むことで、自信がつきます。例えば「マンガでわかるニーチェ」みたいな解説本じゃなくて、俺は原典を持ってるんだぞという、そういう心理的なマウンティングができる効能があります。
でも読んでないんですよね?
だって難しいんだもん。読もうとしたけど、一瞬で違うこと考えてた。
じゃあ逆にどんなのだったら読めるんですか?
マンガにしてくれないと。
結局そうなるんじゃん。
ちなみに私、実はこのニーチェの本読んだことあります。
マジで。ツァラトゥストラって何者なの?
本当に読んでないんだな。
ツァラトゥストラは「ゾロアスター教」の創始者ゾロアスターです。彼を主人公にして、ニーチェが自分の考えをぶちまけるんです。この本も勢いで10日間くらいで書いたらしくて、ニーチェの凄さがわかります。
ツァラトゥストラはやっぱり語るんですか?
語ります。毎章の最後に、「ツァラトゥストラはこう語った」というのが出てきます。
本当だ!
ショートコントの「ブリッジ」みたいなもんですね。
アンガールズの「ジャンガジャンガ」と一緒です。
なんか気になってきた。ちょっと読んでみてください。
「あなた方の善人が持つ多くのものが、私に嘔吐を催させる。彼らの悪が嘔吐を催させるのではない。」
引用したい。
引用するために積みたい。
ニーチェ以外にもあるんですか?
はい、今日はもう一冊持ってきました。ボルヘスの『伝奇集』です。
まずは表紙に注目していただきたい。
かっけえ!
いい顔ですね。
そう、かっこいいんです。やっぱり積ん読のポイントって、本棚に置きたくなるかどうかだと思います。
積みたくなるデザインだ。
僕、いわゆる「怪奇小説」のジャンルが好きなんですけど、色んな人にボルヘスを勧められるんですよ。
結局ボルヘス、みたいなとこありますからね。
(そうなんだ…。)
ボルヘスを読んでるって思われたい。ボルヘスを読んでいる自分でありたい。言ってしまえば見栄なんですけど、実際に買うことでそういう自分に少し近づけた気がするんです。
わかります。理想と現実のギャップが生み出す余剰、それが積ん読です。
さっきから積ん読に対する洞察が深い。
ちなみに私、これも読んだことあります。
何でも読んでるな。
どんな内容なんですか?
わりと難解です。架空の書籍をたくさん登場させて、さも実在するかのように書評する。いわばメタフィクションです。
ちょっと読ませてください。
「今から百年後には、何者かがトレーン第二次百科事典の100巻を発見することになるだろう。」
この百科事典っていうのも架空の書物なんです。
男塾の民明書房みたいだな。
「その時英語やフランス語、ただのスペイン語などは地上から消えるに違いない。世界はトレーンとなるだろう。だが私は気にしない。」
ムズッ!
世にも奇妙な物語みたいな本と思ったら、もっと難しかった。だからその時の気分とちょっと合わなかったんですよね。
確かに読む時の「モード」みたいなのがありますね。今日はカレーが食いたい口だ、みたいな。そこに寿司が出て来ちゃうと、とりあえず積んじゃう。
でも一度ハマれば夢中になるタイプの本だと思います。
では、岡田の独断と偏見による採点です。
盛り上がりが懸念されましたが、序盤から議論が白熱しています。
「磁場」の概念は今後も注目していきたい。
2人目:ヤスミノ
まずはジャブとして、これを。
あ〜〜〜!!
表紙100回みたことある!
表紙かっけええ〜〜〜!!!!
やっぱりサイバーパンクの祖先と呼ばれる一冊ですから。もはや一般教養ですね。積んでるけど。
ニューロマンサーっていうタイトルもカッコいいんだよな…。
これ、神経の「ニューロン」と、「ニュー・ロマン」と、「ネクロマンサー」がかかってるんですよ。
そうなの!?めちゃくちゃ積みたいじゃんそれ….。
ちょっと貸してください。あ〜、導入から面白そうですね。舞台が「電脳都市千葉シティ」。
そう、東京じゃなくて千葉っていうのがまたよくて。
バーの名前が、「茶壺」ですよ。
かっこいいな….。
まあちょっと難しくて、まだ進んでないんですけど。いつか読みたいです。
俺も積もうかな…。
続いてこちらです。
ゴソゴソ…
ドンッ
4冊ある。
全部J・G・バラードだ。私も読みたいんですよ。
どれが有名なんですか?
例えばこの「クラッシュ」。交通事故に性的な衝動を覚える人の話です。
すごそう。
読んでみましょう。
「傷口が讃える神秘のエロティシズムにまつわる強迫観念を、ヴォーンは私の前で開陳した。血まみれの木パネルの倒錯の論理。糞まみれのシートベルト。脳みそが縁取るサンバイザー。」
独特の描写ですね。自動車官能小説というか。
ヴォーンがフェチなわけか。
あらすじを知ってるのはこの一冊だけです。
これだけ持ってて?
全部積んでるので。
え、ちょっと待って。
俺ヤスミノの家に行ったとき、「J・G・バラードこんなに読むんだ、かっこいい」って内心思ってたよ。これ全部読んでないの?
読んでないですね。
騙された。
ファッションとしての積ん読ですね。
J・G・バラードを読んでると思われて嬉しいです。
1冊ならわかりますけど、同じ作者を複数買っといてまさか全部読んでないとは思わない。これは相当レベルの高い積ん読ですよ。
「かまし積み」です。
かまし積み?
積むなら複数積め、です。
木を隠すなら森の中みたいな…。
まだ読み終わってないのに、どんどん買いたくなっちゃうんですよね。J・G・バラードにはそういう魅力がある。
全部面白そうですけどね。これとかタイトルが『殺す』ですよ。
すごいタイトルですね。
原題は『Running Wild』らしいです。
思い切った和訳だ。
あらすじは…「ロンドン郊外の高級住宅街で32人の大人が殺され、13人の子供が誘拐された」
めっちゃ面白そうじゃん。薄くて読みやすそうだし。
『ハイライズ』も面白そう。超過密マンションのモラルがどんどん崩れて、おかしくなっていく話。
そう、最初の方だけ読んだんですけど、実際どれも面白いんですよ。
なんで続き読まないんですか?
わからないです。
そんなことある?
なんか、読むタイミング逸しちゃって。
あ〜でも読書ってテンションでやるもんだから、一回やめちゃうとなかなか進まなかったりしますね。
そうなんですよね。またアガるときを待って積んでいます。
では、採点です。
非常に示唆に富む積ん読っぷりに、早々に満点をつけてしまいました。
僕もかましたい。
3人目:ダ・ヴィンチ・恐山
私はこの一冊に賭けてきました。
派手だ。
普段はKindleで買うことが多いんですが、この本は書店で一目惚れしたんです。キラキラ光ってた。
めっちゃ光ってますね。
ビックリマンのキラみたいだ。
全く同じ発想で買いました。
サイズ感もいいですね。
本って重い方がいいと思ってます。その意味でも完璧な一冊です。
ロシアの作家なんだ。
ウラジーミル・ソローキンという、注目の作家です。
ロシア文学は積みがちですよね。ドストエフスキーとか。
登場人物の名前がハードル高かったりしますね。
内容はどうなんですか?
この物語のキーとなるのが「テルルの釘」という架空のアイテムです。それを頭に打ち込むとまるで麻薬のように気持ちがよくなって、開眼する。才能に目覚めるんです。
それって…
花さか天使テンテンくんと同じです。
サイダネと同じ?
二次創作の可能性があります。
ないだろ。
そのテルルの釘を巡って、ストーリーが展開されていくんですけど。すごいのが、これ、「断片集」なんです。
短編集じゃなくて?
断片集です。短編ほどもいかない短いセンテンスが、ある章は手紙のように、ある章は詩のように、ある章は散文のように、まるで全部違う文体で書かれているんです。それらの断片を読み集めていくことで、全体の意味が見えてくる。
舞台は大国が消滅して小国に分裂した世の中。そこに巨人や小人が現れたり、テンプル騎士団やイスラム文化が登場する。その中で50もの世界が描かれるファンタジーです。
で、それがどういう意味かというと、現実の世界もどんどん細分化されている、と。そこに様々な宗教や国家が絡んでくることで、断片が全体として現実社会を風刺しているんです。
読んでないのにすごいな。
読んだとしか思えない。
本当に読んでないの?
読んでないです。
いや、でもこれいいなあ。アドベンチャーゲームで、小さいメモを集めて、最後に裏ストーリーがわかるみたいな。そういう快感がありそう。
ただなんか、ファンタジーに社会風刺を落とし込むのって、逆にちょっと説教じみちゃいませんか?
この本はそういうのとは違うんです。全然説教くさくない。
読んでない者同士で議論するな。
こんな面白そうな装丁と仕掛け、他にみたことありますか?
面白そうなのに、なんで読んでないんですか?
これ、本の帯の説明が完璧すぎるんです。
「世界がバラバラに砕け始めた以上、それを単一な言語と線的な展開で描くことは不可能だ。世界が破片でできているのなら、それは破片の言語で描かなければなりません。」
帯すごいな。
帯は何度も熟読した。帯を推薦図書にしたい。
でも実際、帯だけでこれだけ面白かったら、逆に期待しすぎちゃう。それで万が一面白くなかったら、がっかりしそう。
そうなんです。もしこれでつまらなかったら、自分が嫌いになりそう。
面白い可能性を残し続けるために、あえて読まないことってあると思います。
ずっと遠足の前日でいたい、みたいな。
我々は、絶望しないために積むということか。
読んだかどうかは重要じゃない。興味を持ったことを褒めて欲しい。
では、採点です。
普通に勉強になってしまった。読んでないのに。
4人目:岡田悠
ゴソゴソ…
ドサッ
多いな。
とりあえずいっぱい持ってきたら勝てるかなって。めちゃくちゃ重かったです。
哲学書がいくつかある?
僕も原宿さんと同じで、無職時代に哲学書を買いあさりました。
無職あるあるだったのか。
例えば、これ。
「読みやすくなった」って書いてありますよ。
読みやすくなったものを積んでるんだ。
なぜスピノザを?
ニーチェとかはちょっと王道すぎるなと思って、あえて外してみました。スピノザ読んでるっていいなと思って、衝動的に買ったんです。そしたら、
下巻だった。
ただのミスじゃん。
しかも表紙に「上巻1~3部を前提に」って書いてある。
上巻買ってください。
また無職になったら買いたいと思います。
一番下のでっかい本は何?
あ、これは『日本200年地図』です。
地図なんですか?
日本のいくつかの場所を、200年分定点観測した歴史地図です。伊能忠敬の地図まで遡ってます。
めちゃくちゃ面白そうじゃん。
例えば昔の八王子は、こんな感じ。
お〜
地図読めるんですか?
Google Mapでギリです。
それ楽しめるの?
読めないけど、なんか楽しいです。地図とか街が好きなのに憧れてるんですよね。ブラタモリとか、ああいう番組が好きだと思われたいんです。でも、まだ僕にはレベルが高すぎました。
この本を読める人に解説してもらったら、すごい面白そう。
やりたい。
で、今日持ってきた中で、もっとも愛着があるのがこの一冊です。
本がくたびれてる。
かなり読んだ感ありますね。
そうでしょう。でも最初の方しか読めてないんです。
この読んだ風の加工はなかなかレベルが高いテクニックですね。
何度も引っ越しをしてきたんですけど、その度にどんどんくたびれていくんです。引っ越しって、本を処分するかどうか毎回決断を迫られる。その淘汰に生き残ったのが、この一冊です。
読まないのに連れていくんだ。
やっぱり幸福って究極目的なので。まだ読めないんですけど、探求し続けたいと思います。
読みやすそうな表紙ですけどね。
そこなんです。僕もてっきり勘違いしてた。これ、難しいんです。
フォレスト・ガンプみたいな表紙なのに?
ちょっと最初を読んでみましょうか。
「人生論ということを、ここでは徹頭徹尾、人生そのものの内部から見た内在的な意味に解している。」
なんて?
「人生論ということを、ここでは徹頭徹尾、人生そのものの内部から見た内在的な意味に解している。」
なんて?
「人生そのものの内部から見た内在的な意味に解している。」
なんて?
図にしてみよう。
人生があって…
内部から見てる眼があって…
内在的な意味がある。
わからん。
他の文も読んでみよう。
「ところで幸福な生活とは何かと言えば、純客観的に見て、」
純客観的がもうわからない。
「ということよりはむしろ、」
「むしろ?」
「この場合、問題は主観的な判断の如何にあるのだから、冷静にとっくりと考えてみたうえで、」
「うえで?」
「生きていないよりは断然ましだと言えるような生活のことである、とでも」
「とでも?」
「定義するのが精一杯であろう。」
接続詞がすごい。
「からの〜?」のノリに通じるとこがある。
つまり幸福は主観的だってこと?
そうだと思います。真の幸福は財産や名誉みたいな、客観的な指標には左右されないと序盤に書いてありました。最初しか読んでないので、予測ですけど。
もういっそ、オチだけ読んでみます?幸福についての結論が書いてあるかも。
最後の章の書き出しを見てみましょうか。えーっと…
「最後に来るのが天王星である。」
天王星?
「その名のとおり、このとき人は天にいるのである。海王星は、エロース星という真の名で呼ぶことが許されないから、ここではこの惑星を考慮に入れるわけにはいかない。」
なんの話をしてるの?
途中で何があったのか、めちゃくちゃ気になってきた。
次引っ越す時もこれ持っていくんですか?
持っていきます。今は僕の読解力が低いだけで、名著なのは間違いないので。
これも詳しい人に解説してほしいな。
この本、アインシュタインが愛読したと言われているんです。どこかにアインシュタインいないかな。
でもそれだけ何年も積んでると、自分の中に幸福のイメージが出来上がってきそうですね。読むまで正解がわからないので、積むことで幸福について考え続けられる。
そうなんです。一度読んじゃうと、もう積めないですから。積んでる時間にこそ、「幸福とは?」という問いかけができるんです。そうしてどんどん幸福に近づいている気がします。
本当かな。
では採点です。自己採点です。
帰りのカバンも重かった。
優勝は…
という訳で優勝は…
「かまし積ん読」などの高度な技術もさることながら、積ん読自体に対する深い洞察など、文句なしの優勝でした。
ちなみに「積ん読王です」と名乗ると「ハア?」と返されると思います。
◇
「長大な作品を物するのは、数分間で語り尽くせる着想を五百ページにわたって展開するのは、労のみ多くて功少ない狂気の沙汰である。」
ー ボルヘス『伝奇集』より
僕たちはその狂気に魅了される。五百ページの労を費やして、新しい世界を垣間見る。
だがそのあまりの広大さに、時には戸惑い、立ち止まってしまうこともある。その歪みから生まれたものが、積ん読なのかもしれない。
でも、構わないじゃないか。読み切ることではなくて、読みたいと思った気持ちが重要なんだ。
積ん読を受け入れ、楽しむことは、真の意味で自由に読書、そして人生を楽しむということではないだろうか。
そう、
内在的な意味で。