地中海の島国マルタで起きた爆殺事件
[ロンドン発]「いたる所で悪党が幅をきかしている。状況は絶望的だ」という言葉を残して、地中海の島国マルタで爆殺された女性調査報道ジャーナリスト、ダフネ・カルアナガリチアさん=当時53歳=が亡くなって2年余。
ダフネさん爆殺を巡り、警察は26日、ジョゼフ・ムスカット首相の側近であるキース・シェンブリ首相首席補佐官を逮捕したと地元の英字紙タイムズ・オブ・マルタが報じました。警察は医師とダフネさん爆殺容疑でマルタの大富豪も逮捕しています。
シェンブリ補佐官と大富豪は頻繁に電話で連絡を取り合っていました。補佐官と親しかった医師は「黙っていろ」という補佐官のメッセージを大富豪に届けていました。ムスカット首相は、逮捕されたシェンブリ補佐官は「政府で大きな役割を務めた」と労うのを忘れませんでした。
2016年に暴露された内部告発文書「パナマ文書」で名前が取り沙汰されたコンラッド・ミッツィ観光相も辞任。事件後に大富豪と接触していたとされるクリスティアン・カルドーナ経済・投資・中小企業相も捜査が終結するまで職務を自粛すると発表しました。
首都バレッタでは26日以降、大勢の市民が議会を取り囲み、ムスカット首相の辞任を求めています。
爆殺の原点は「パナマ文書」
「パナマ文書」では、パナマの法律事務所モサック・フォンセカがペーパー会社や、真の所有者が誰か分からない無記名株、名義上の受益権所有者を使って世界中に「秘密」のネットワークを構築している実態が白日の下にさらされました。
国家元首や独裁者、犯罪組織が腐敗、武器・麻薬取引で得た巨万の富をこのネットワークに紛れ込ませて隠していたのです。マルタでもシェンブリ補佐官やミッツィ観光相の名前が浮上。ペーパーカンパニーや財団を利用して税逃れをしていた疑惑が指摘されていました。
「パナマ文書」をもとにサイト「ランニング・コメンタリー」で政治腐敗を追及し続けた調査報道歴30年のダフネさんは17年10月、自動車ごと爆殺されてしまったのです。
事件前、ダフネさんは自宅への放火、収入源の遮断、銀行口座の凍結、閣僚や実業家からの山のような名誉毀損訴訟など、ありとあらゆる妨害を受けていました。
事件を巡っては実行犯として3人が逮捕されたものの、他に首謀者がいることは誰の目から見ても明白でした。
ダフネさんは、シェンブリ補佐官やミッツィ観光相がパナマで登記された会社やニュージーランドの信託を使って、マルタ旅券発行の見返りにロシア人からリベートを受け取っていたと報道。ドバイで登記された会社からも支払いを受けていた疑惑を指摘していました。
ダフネさんの遺志を引き継ぐプロジェクト
ダフネさんの遺族によると、ダフネさんは爆殺される直前、大富豪とシェンブリ補佐官、ミッツィ観光相の関係や、アゼルバイジャンとマルタが交わした天然ガス供給の合意を巡る疑惑を追及していました。仏エネルギー会社の内部告発文書も大量に入手していたそうです。
筆者も入会する欧州ジャーナリスト協会や、国境なき記者団、国際ペンクラブなど5団体はムスカット首相と面会し、ダフネさん爆殺事件の真相解明と、報道と言論の自由やジャーナリストの安全を守るよう要求してきました。
ダフネさんの遺志を引き継ごうと、タイムズ・オブ・マルタをはじめ、米紙ニューヨーク・タイムズ、英紙ガーディアンなど欧米メディア計18社の45人が「ダフネ・プロジェクト」を立ち上げて、追跡報道を開始しました。
ジャーナリストの逮捕や殺害で中断した取材を受け継ぎ、報道を続けているプロジェクト「フリーダム・ボイス・ネットワーク」や国境なき記者団が活動をコーディネートしています。
1人のジャーナリストが殺害されても誰か他のジャーナリストがその遺志を受け継げばジャーナリストを殺す意味がなくなるという願いが込められています。
今月に入って41歳のタクシー運転手が逮捕されてから事件は急展開します。運転手は司法取引に応じ、その証言をもとに20日、事件の中心人物である大富豪が逮捕されたのです。
EU加盟国でも記者の殺害相次ぐ
昨年2月、スロバキアでイタリアやクロアチアの犯罪組織につながる政治汚職を告発しようとしたジャーナリスト、ヤン・クツィアク氏=当時27歳=がフィアンセとともに射殺されました。クツィアク氏も欧州連合(EU)基金を巡る不正を追及していました。
昨年10月には、ブルガリア北部ルセで女性ジャーナリスト、ビクトリア・マリノバさん=当時30歳=がレイプされ、殺害されているのが発見されました。事件に絡んでドイツで容疑者が逮捕されました。
ビクトリアさんはテレビ番組で政界や実業界の大物が関与するEU基金を巡る不正を取り上げたばかりでした。
EU加盟国でも縁故主義がはびこり、権威主義化が進んでいます。国境なき記者団の世界報道自由度ランキングでマルタは77位、スロバキアは35位、ブルガリアは111位。ちなみに日本は67位です。
昨年殺されたジャーナリストやメディア・アシスタントは84人。現在、投獄されているメディア関係者は380人にのぼっています。
インターネットやソーシャルメディアの普及で既存メディアやジャーナリストは存亡の危機に立たされています。権力からは「フェイクニュース」と罵倒され、読者の信頼を急速に失っています。メディア批判が強まっても、報道は力だと信じ続けたいと思います。
(おわり)