皮膚が剥がれ落ちる難病の26歳女性「私の人生は偏見との闘い」 両親の愛に感謝(香港)<動画あり>

Techinsight10月22日(火)6時50分

画像:道化師様魚鱗癬を患う26歳女性(中央)と両親(画像は『The Girl Behind The Face 2019年10月20日付Facebook「In the street… and in the New York Post!(And photo during online interview with CBS Inside Edition!)」』のスクリーンショット)

道化師様魚鱗癬を患う26歳女性(中央)と両親(画像は『The Girl Behind The Face 2019年10月20日付Facebook「In the street… and in the New York Post!(And photo during online interview with CBS Inside Edition!)」』のスクリーンショット)

先天的異常により、まるで魚のうろこのような皮膚を持って生まれてくる難病「道化師様魚鱗癬」は皮膚が乾燥すると表面がひび割れ、固まりとなって剥がれ落ちる。伝染性は全くないが、その特異な外見ゆえ差別や偏見の対象となりやすい。そんな難病を持って生まれた女性が26歳となり、自らの思いを語った。

全米希少疾患患者団体(NORD)が、出生数50万人に1人の割合で発生すると報告した難病「道化師様魚鱗癬」。根治療法はないが医学の発達により患者の寿命は延びる傾向にあり、『The Sun』によると現在の患者の最年長者は35歳だという。香港で生まれ、世界で4番目に長生きの患者とされる26歳のモイ・トーマスさん(Mui Thomas)がその病と闘う身体と心の葛藤を『Inside Edition』に語った。モイさんはこれまでも多数のメディアに登場しており、それらのエピソードも交えてお伝えしたい。

「この病気は皮膚が通常の10倍のスピードで角化して剥がれ落ちていくため、日々多くのカロリーを摂取しなければなりません。私の一日は朝に10〜20分間シャワーを浴び、アカスリグローブなどを使ってボロボロになった皮膚をこすり落とすことから始まります。また皮膚を保護するために頻繁に保湿剤を塗ります。体温の調整が非常に難しく感染症にもかかりやすいので、毎日の皮膚のケアは欠かせません。」

「私が知る限り、香港での患者は私1人だけです。皮膚のケアはどうにかなりますが、私にとって一番つらいことは凝視されたり、笑われたり、怖がられたりといった偏見や差別なのです。」

「幼い頃、私は母にこう言ったのを覚えています。『ママ、クリスマスに1つだけ欲しいものをリクエストできるとしたら、それは‟普通の皮膚”よ』ってね。学校が始まると、その思いはますます強くなりました。」

「10代の頃にはネットによるいじめを受け、自殺を考えたこともありました。信頼していた友人に『あんなやつ生まれなきゃよかったんだ』『あんたなんて、誰からも愛されないわよ』などと陰口をたたかれ、誰を信用していいのか分からなくなったのです。高校に入ってからは外見が怖いと言われ、学校の一部のエリアへの立ち入りを禁止されたこともありました。結局、学校は卒業できずに辞めることになったのです。」

「4年前にはミニバスの運転手に『お前を見ていると気分が悪くなる。吐きそうだから、バスを降りるまでは運転しない』と言われました。ほかの乗客が助けてくれましたが、後でその運転手はクビになったそうです。またYouTubeに‟15のおぞましい先天性疾患”という動画が投稿され、私の写真が勝手に使われていたこともありました。レストランや電車の中で『お願いだから席を移動してくれ』と頼まれたこともあります。」

「今でも私は、毎日のように『酷い痛みなんでしょう』とか、『火傷でしょう』とか、『伝染するに違いない』とか容赦ない言葉を浴びせられ、いたたまれない気持ちになります。できるだけ普通の生活をしようと努力をしているのに、私を見て悲鳴をあげたり、大声で叫んだり、逃げていく人が必ずいます。そんなふうにされると『自分はどこにいっても目立ってしまう、人とは違う存在なんだ』と痛感させられるのです。」

「それでもつらい時、苦しくてどうにもならない時に私を慰め、奮い立たせてくれたのは愛する両親でした。そして病気を理解し、支えてくれる人々のネットワークが大きな力となったのです。」

そう語るモイさんだが、実は誕生直後、難病に向き合うことができなかった実の親に捨てられている。モイさんが両親として慕うログさんとティナ・トーマスさんに初めて会ったのは生後数か月の時で、夫妻は病院で社会福祉サービスのボランティアをしていた。2人は数日おきに病院を訪ねてモイさんとの絆を深めていったが、ある日突然、モイさんが精神障がい者として転院することが決まり、養子として育てる決意を固めたという。

夫妻はその日以降のことを、このように語っている。

「モイが1歳半の時、養子として引き取る決断をしました。医師には『この子は1年も生きられないよ』と言われましたが、精神疾患がないのに人目を避けて隔離するために転院させられようとしているモイを見て、この子に家族の温かさを与えてあげたいと思ったのです。その後さまざまな手続きを経て、モイが正式に養子となったのは3歳の時でした。」

「しかしモイを育てることは偏見との闘いでした。忘れもしません。モイがまだ小さかった頃、ある女性が私の顔に唾をかけ、吐き捨てるように『その子の顔はあなたが火傷させたんでしょう。なんて酷い親なの』と言ったのです。また病気のことをきちんと理解してくれる医者や学校を探すのも一苦労でした。全てはモイの外見が人とは違うから。それだけなのです。」

現在、モイさんはヨガのインストラクターとして活躍する傍ら、週末にはラグビーの公式審判員として試合で笛を吹く。また障がいを持ち特別な支援を必要とする子供たちのための教育施設で働き、病気についてより多くの人に知ってもらえるようにと両親と一緒に講演も行っている。さらに両親と立ち上げたFacebook「The Girl Behind The Face」では、同じ境遇の人々をインスパイアする投稿を続けるなど、精力的に活動している。

モイさんは最後に笑顔でこう述べた。

「私は自分を理解し愛してくれる両親を持って、本当にラッキーだと思っています。両親は家にこもっていないで、外にどんどん出ていきなさいと私の背中を押してくれるのです。もちろん落ち込むこともありますが、両親や多くの人のサポートを受け、私はポジティブでいることができるのです。私が自らの経験をこうして語ることで、病気についてより多くの人に知ってもらい、差別や偏見がなくなってくれることを願っています。」

http://youtu.be/SSkJoii6uJE

画像は『The Girl Behind The Face 2019年10月20日付Facebook「In the street… and in the New York Post!(And photo during online interview with CBS Inside Edition!)」』のスクリーンショット

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